3話 退魔師
魔物との戦いを目の当たりにした泉水はいつの間にか腰を抜かしていた。
綾瀬はへたり込んでいる泉水に手を差し伸べる。
「驚くよね、いきなりあんなの見たら。けど終わったから大丈夫だよ」
綾瀬の手を掴んでなんとか起き上がった。
心臓は未だに早鐘を打っていて身体の震えも止まる気配がない。
「泉水くん、ごめんね。私が魔物のことちゃんと説明しておけばよかったね」
「いいんだ……家へ帰るにはどっちにしてもこの道を通るから」
やっとのことで言葉を絞り出した。
魔物について事前知識があろうと予備校には行ったはずだし、であれば魔物とも遭遇していただろう。怖いと思っても信じたかどうか怪しい。
綾瀬が助けてくれなければどうなっていたか分からないのは同じだ。
「ううん。やっぱり退魔師としてよくなかった。よその人は魔物の話を信じてくれないから、話さずにいたけど……」
「この街には……さっきみたいな魔物がよく出るの?」
引っ越し前の街で魔物が現れるなんて話はうわさでも耳にしたことがない。
泉水にはこの土地になにか特殊な理由があるとしか思えなかった。
綾瀬は地面に落ちた紋様が描かれた札を回収しながら質問に答える。
「この土地は時空が歪みやすいの。魔物は普段別の世界にいるけど……こっちの世界と繋がった時にやってくるんだよ」
「その魔物を退治するのが綾瀬さん……ってこと?」
「そう。それが私をはじめとする退魔師の仕事だよ」
綾瀬に感じていた謎めいた一面が分かった気がした。
彼女は学生生活の裏で日夜あの切り裂き魔のような怪物と戦っていたのだ。
「さっきの騎士みたいなのは……」
「あれは私の魔物。退魔師は魔物と契約して戦わせるの」
つまり切り裂き魔を倒したあの青い騎士もまた魔物ということだ。
魔物との戦いはテレビで見る悪霊退治みたいなお祓いとは違うらしい。
騎士が切り裂き魔を真っ二つにした光景を思い出す。
魔物退治はもっと過激で物理的だ。
「……とりあえず、もう遅いし帰ろっか」
綾瀬はそう言って歩き出すと泉水もその後をついていく。
やがて自宅のマンションまで着くと送り届けてくれた綾瀬とも別れた。
泉水はこの時、今日の一件がはじまりに過ぎないことを知る由もなかった。
◆
次の日の朝。
いつものように目覚めると身支度を整える。
制服に着替えるとリビングまでのそのそと歩いて椅子に座った。
「そういえば勇樹、綾瀬さんとは仲良くやってる?」
母親の洋子は突拍子もなくそんなことを聞いてきた。
仲良くやっているどころか、昨日は命を救ってもらったくらいだ。
「うん……まぁまぁかな……けどいつも助けられてばかりかもしれない」
「迷惑ばかりかけちゃだめよ。綾瀬さんはご両親を亡くして一人暮らしなんだから、あなたが親切にしてあげないと」
耳の痛い話だ。朝ごはんのトーストを口に放り込む。
魔物に襲われでもしないかぎりはそうしたいところである。
アンテナを高く張って、昨日のような出来事を回避するよう努力せねば。
「頑張るよ。でも僕と違って綾瀬さんは欠点がないからなぁ……」
紅茶を飲み干して逃げるように家を飛び出す。
これ以上ゆっくりしていると母からさらに説教攻撃が飛び出しそうだからだ。
通学路を歩いているといつものように綾瀬と会った。綾瀬はおはようと言って手を振る。
「昨日は大変だったね。でも元気みたいで安心したよ」
「どうにか。綾瀬さんは昨日みたいなことをいつもやってるの?」
「うーん。まーだいたいはそうかな。夜は魔物が好きな時間帯だからね」
綾瀬はもう慣れたと言いながらも、自分だけの時間が少ないのが悩みらしい。
魔物が起こした事件を調べていると個人の時間がどんどん減っていく。
勉強や友達と遊んだりゲームをする学生にとって貴重な時間がないのだ。
「大変そうだね……休んだりもできないの?」
「退魔師は人手不足だから。我儘は言いにくいんだよね。給料ももらってるし」
給料の額は内緒だけど、と冗談っぽく笑う。
魔物を退治する退魔師の仕事はたとえ学生でも給料が出るらしい。
なにせ化け物と戦わされるのだ。金でも貰わなければやってられない。
両親を亡くして身寄りもないのに一人暮らしが成り立つのはその収入のおかげなのだろう。
「おはよう。何の話してるんだ?」
学校が間近に迫ってきたところで、友達の理藤とも合流する。
他にも泉水の通う大鳳高校の生徒たちが道を埋めるように徐々に集まってくる。
「退魔師の話。泉水くんに教えてたの」
「そんなことか。でも魔物に襲われるなんて早々ないと思うけどな。生まれた頃からこの街に住んでるけど一度も見たことないって人もいる」
「それが昨日、遭遇したんだ。死ぬかと思ったよ」
泉水の言葉を聞いて、理藤はちょっと目を丸くした。
「それは本当に……運がない話だ。大丈夫だったのか?」
「私がちゃんと退治したから大丈夫。もう安心だよ」
綾瀬は胸を張って自信気に答える。
そうして三人で他愛ない雑談を続けながら教室まで歩いていった。