24話 雨の降る夜に
その日はしとしと雨が降っていた。
時間は深夜。腹が減ったので甲斐はコンビニへ向かっていた。
学校へ通う以外は引きこもり生活を送る彼に外出はめずらしいことだ。
コンビニまでの道は幼い頃、通学などでもよく通った道だ。
甲斐にとってそれは数少ない幸福な日々だった。
小学校の頃は一つ年下の黒須を連れて、いろんなところへ遊びに行ったものだ。
年齢的には後輩にあたるが、甲斐は年功序列を気にする性格ではなかった。
道の途中で、その場に立ち尽くした少年がいた。
行く当てがないのか傘も差さず、ただ雨に打たれている。
甲斐はそれが誰なのか知っていた。
「……零士。こんなとこで何やってんだよ……」
それはかつての友達である黒須だった。
黒須も甲斐の存在に気づいたようで驚いた顔をする。
「……甲斐じゃないか。この街に帰ってきていたのか」
その淀みきった目を見て何か事情があるのだとすぐ察した。
「……家に来るか。俺の散らかった部屋でいいならだけど」
甲斐は黒須を連れて自宅に帰り、タオルを渡して拭かせる。
小雨だったので着替えるほどではないが、頭がぐしょぐしょに濡れていた。
「俺は最近またこの街に帰ってきたんだ。今は大鳳高校に通ってる。お前は?」
「……高校は同じだ。だが、通うことはないだろう。家を追い出されたからな」
「今日が入学式だったよな。なんで……そんなことになるんだよ」
かつての友達であるにも関わらず、黒須はどこか警戒した様子だった。
緊張したまま渋々事情を話している。追い出された理由は話そうとしなかった。
「……そういえば、退魔師としてはどうなんだ。やっぱり大変か?」
仕方なく甲斐は話を変えることにした。
彼も昔は退魔師を目指していた。魔物から人を守り、魔をもって魔を滅する。
魔物から人を守る姿に尊敬と憧れを抱いた。立派な仕事だと思ったのだ。
「俺はもう退魔師になる気はないけどな。でも魔力は未だに練れる」
「……そうか。いや……大変ということはないな。人手不足ではあるが」
退魔師になるため甲斐は修行を重ねた。
才能はなかったが中学生になる頃には魔力を練れるようになっていた。
だがその夢は突然断たれてしまう。魔物の出現しない土地へ引っ越すことになったのだ。
新しい土地で、甲斐は孤独だった。
誰かが悪いわけじゃない。内気な甲斐自身の性格のせいだ。
他人に声を掛けて一歩を踏み出す勇気がなかった。
他者と触れ合うのが怖かった。
気がついたら甲斐は家に引きこもるようになっていた。
中学校まではそれで良かったが高校はそうもいかない。
せめて昔の土地なら過ごしやすいのでは、と最近になって大鳳市に戻ってきた。
「……甲斐。私は人間を信じられない。私の味方はもう魔物だけだ」
黒須がそんなことをぽつりと呟いたのはしばらくしてからだった。
甲斐にとって、黒須は心を開ける数少ない人物だった。その彼が苦しんでいる。
退魔師の道は諦めたが、この目の前の友達だけは助けたいと思った。
魔物以外に味方がいないなら、自分がどこまでも味方になると、そう決めた。
◆
「そうだ……俺は……俺だけは……あいつの味方だ……!」
魔力を激しく消耗した影響で身体が思うように動かない。
立ち上がろうとしたが、膝から崩れ落ちて地面に倒れる。
「無理をしない方がいい。体調が戻るのには時間を要する」
ペイルライダーは甲斐を見下ろしながらそう忠告した。
魔力切れになった以上、甲斐はアルカンシェルを召喚することもできない。
「……アビスを封印するんだろ。好きにしろ、俺の負けだ」
こうなった以上、敗北を認めるしかなかった。
だが泉水は勝利に浸るのではなく甲斐に質問をぶつける。
「……ひとついいかな。なんで黒須くんに協力したのか……教えてほしい」
「嫌でないなら答えてくれないか。魔物に魅入られたわけではないようだが」
うつ伏せに倒れる甲斐は、身体をひっくり返して仰向けになる。
空を見上げて静かに語り始めた。
「……友達だと思ってたから。あいつは人の負の側面ばかりに触れてしまった」
ふっ、と自嘲気味に笑った。
「零士が正常じゃないのは分かる。だけど俺には……何もできなかった」
「……なぜだ? 友人なら間違いを止めるという選択肢もあるだろう」
ペイルライダーの言葉はもっともだった。
間違った友達の行いを止めるのだって友情の形ではないだろうか。
「俺はそんなに強い人間じゃない。卑怯なんだよ……零士に嫌われたくなかった。たった一人の友達だけには……」
甲斐の脳裏に浮かぶのは幼い頃、黒須と遊んだ記憶。
退魔師になる特訓の隙間によくごっこ遊びをしたのを思い出す。
誰かと繋がることを恐れた甲斐に残された、数少ない絆。それを断ち切るような真似はできなかった。
「お前たちは零士の境遇を知らないだろ。俺はああなるのも仕方ないって思っちまったんだ……」
たしかに黒須の味わった苦しみは泉水には分からない。
知っているのは孤独な過去を背負っているという断片的な情報だけ。
だから自分のできることはひとつだと結論する。
「……僕たちが黒須くんを止めます。甲斐さん、あなたの分まで」
アビスをもう一度封印なんてしたら、黒須は泉水を確実に殺しにかかる。
甲斐にはそれが分かっていた。戦いになるのは避けられないだろう。
黒須は強い。泉水が勝てるとは思えない。だがそれでも甲斐は本心を語った。
「……なら頼む。零士を止めてくれ。あいつは魔物に操られてるだけなんだ」
黒須を単なる悪だと切り捨てるなんて泉水にはできない。
誰かが彼と向き合わなければならないのだ。
「ペイルライダーも……協力してくれるよね?」
「そう望むなら。今の私の契約者は泉水……君なのだからな」
ところで、とペイルライダーは言った。
「泉水、私に『さん』をつけなくなったな。それでいい」
「あ……そういえば……気がつかなかった」
改めて指摘されるとなんだか照れくさい。
でもペイルライダーとの距離は確実に縮まっていた。




