19話 クラミツハ
人間を操っていたのは黒須の命令で襲ってきた魔物ではなかった。
魔物と契約した人間でしかも真央の妹だったのだ。
「なぜこんなことをしたんです……! 雷花、答えなさいっ!」
真央が声を荒げる。雷花は咄嗟に耳を塞ぐ仕草をした。
「姉貴はいつもうっせぇなぁ。だから嫌いなんだよ……別にいいだろ?」
「何が……!? 何が良いというんです……!」
「ちょっと世界が壊れても。私はむしゃくしゃしてんだよ」
それに、と雷花はこうつけ加える。
「姉貴だって別に倫理とか正義感でキレてるわけじゃねぇだろ? 神薙家の名前に傷がつくからだ。くだらねぇ」
雷花は自分の魔物、パペットマスターに一瞥くれた。
それが合図となって操られた人たちが凶器を片手に近寄ってくる。
怒りに満ちた真央の表情がふっと冷静に戻る。本気になったのだ。
その銃口は人間を操る本体、パペットマスターに向いていた。
「イヤァァァァァッ!! お助けだヨォォォォッ!!」
銃口の向きでそれを悟った彼は悲鳴をあげながら雷花の後ろに隠れた。
真央は無視してトリガーを引き発砲音が響く。
軌道が曲がって雷花を避けつつ魔力の弾丸が命中した。
「ふんぎゃ」という情けない声を発して肥満体のピエロが屋上に転がる。
「馬鹿かあいつ、普通は逆だろ! なんで契約者を盾にしてんだよ!」
魔銃たるザミエルはその常識外れの行動に仰天した。
隙を逃さず、ペイルライダーは手甲剣で魔力の糸を切断。
「遠隔操作は解除されました、今のうちに逃げて下さい!」
無言のペイルライダーの代わりに泉水が皆にそう告げる。
操られていた人たちは一目散に屋上から逃げていった。
「おい太っちょ、私を盾にしてんじゃねーよ! 何考えてんだてめぇ!!」
倒れているパペットマスターを蹴飛ばして、雷花はキレた。
頭に魔力の弾丸が命中したのに平然としている。思ったより頑丈らしい。
「ご、ごめんヨ~。だって怖かったんだモン! 怖いのはしょうがないよネ?」
「……お前も姉貴も馬鹿だな。契約者である私を狙えばいいのに」
「どうせ結界札でも隠し持ってるんでしょう。召喚を解除して降参しなさい」
それは当たっている。魔物との戦いにおいて人間は脆弱な存在だ。
自分の身を守る手段を用意するのは当然のことである。
特にパペットマスターは痛いのは嫌だとか、いつも我儘を言うから猶更だ。
「わかったわかった。じゃあ降参だよ。これでいいか?」
雷花は両手をあげて降参のポーズをとった。だが召喚は解除していない。
そのため真央は魔銃を構えたままだ。雷花たちが操れる手駒はいなくなった。
果たしてこれで終わりなのか、と真央は自問する。あまりにお粗末すぎる。
決定的な何かを見落としているのだ。だからああしてふざけられる。
「……なーんちゃって、ね」
薄ら笑いを浮かべた時には、もう雷花の勝ちは決まっていた。
直後に泉水は後頭部に激しい衝撃を感じて、その場に倒れる。
「泉水……!!」
ペイルライダーが泉水のもとへ駆け寄る。
泉水が意識を失うと同時に、召喚が強制解除されて青騎士は姿を消す。
同時に真央も背後から何者かに押し倒されて地に這い蹲っていた。
その時に魔銃を落としてしまい、カラカラと音を立てて屋上の隅へと滑る。
「なっ……まだ操られた人たちが……いったいどこに……!?」
真央は頭を抑えつけられながら後頭部から血を流して気絶する泉水を見ていた。
彼を金槌で思い切り殴りつけた中年男の身体には、赤い糸が繋がれている。
おかしい。操られていた人は全員解放したはずなのに。
「別にそう難しい話じゃねぇよ。こっちも手札を一枚隠してたのさ」
霧が晴れるように、いつの間にかその男と魔物は雷花の隣にいた。
大鳳高校の制服を着ているが同級生ではない。きっと二年か三年だ。
そして、男と一緒にいる魔物は大柄で背中に貝殻のようなものを背負っている。
「ではご紹介を。こちら甲斐進先輩でーす。私の仲間です、よろしくどうぞ」
「雷花、ふざけすぎだ。これでも相手は正規の退魔師だろ。油断するな」
甲斐という名の男が注意するものの、雷花は口を尖らせた。
「えー。種明かしが一番面白いんじゃん。勝った側になるのも気分良いし?」
「……まぁ、それは否定しない。もっとも、幻で伏兵を隠していただけなんだが」
甲斐はあっさりとネタをバラして、倒れる泉水へ視線を寄越す。
幻を見せる。あの貝みたいな魔物の能力だろう。真央は奥歯を噛みしめた。
「やめてください。泉水くんに近寄らないでください……!」
「敗者が命令するな。お前を傷つけなかったのは雷花の優しさだぞ」
甲斐はそう言って、倒れた泉水を相棒の魔物に確保させる。
頭から血が滴り落ちていくのも構わず、抱きかかえて甲斐の隣に戻る。
「ご苦労だった、アルカンシェル。これで目的は達成されたな」
「へっ、やっぱその辺の魔物に任せるより自分たちでやった方が早いね」
雷花と甲斐がそう会話していると、突如として真っ暗に渦巻く空間が現れた。
中から顔をバイザーで隠した黒ずくめの少年が姿を現す。
「……終わったのか。雷花、甲斐。手間をかけさせてすまなかったな」
「あっはは、別にいいよ。私たち仲間だろ。これぐらい当然だって」
雷花は軽い口調で黒ずくめの少年に話しかけると少年は困ったように笑った。
顔を隠してこそいるが黒須零士で間違いない。真央は黒須を睨みつける。
「黒須零士……! こんなことをして許されると思ってるんですか……!!」
暗闇が渦巻く空間へ帰ろうとしていた背が振り向いた。
そして、真央の苦し紛れの批判にこう答える。
「許されないだろうな。だが私は人間を見限っている。こんな答えだが満足か?」
雷花がにやにや笑いながらこう宣言する。
「私たちは『クラミツハ』だ。この世界を魔物の住みやすい闇に変えてみせる」
姉に対して完全に勝ち誇った様子だった。
その油断しきった姿に甲斐は溜息を漏らし黒須は無言を貫く。
黒須は気づいていたのだ。この屋上に誰かが接近しつつあることを。