16話 黒須家
何をしても認められることはなかった。
結果を残すことは当然であり義務である。
黒須家の次期当主になるとはそういうことだと幼い頃に教わった。
「……その程度のことがどうした? お前は黒須家の後継者なのだぞ」
それが父親の口癖だった。
彼は努力した。両親から認められ、期待に応えるために。
だがどれだけ結果を残しても両親は納得しなかった。
少しでも気に入らない結果の時は凡愚と罵られ、罰が与えられた。
「お前は誰よりも優秀な退魔師になるのだ。この程度で根を上げるな」
特に、退魔師になるための修行は苛烈を極めた。
十二の頃には様々な魔物と契約を繰り返し、戦いに身を投じる。
彼は退魔師として天才の名をほしいままにしたが同時に妬まれ孤立した。
心をすり減らした彼をいつしか魔物たちが慰めるようになっていた。
「お前は悪くない。お前はよくやっているよ」
「好きに言わせてやれ。お前には俺がいる。俺だけは絶対に味方だ」
味方になってくれるのは魔物だけだった。
魔物は彼にとって心を通わせてくれる唯一の存在だった。
「馬鹿なことを言うな! 黒須家を継ぐお前が……魔物に魅入られるなどとは!」
「違うんだ父さん! 人間と魔物は分かり合える! 優しい魔物もいるんだよ!」
黒須家と決別するのは、高校に入学して間もない頃だった。
それ以来、彼は魔物が住みやすい世界に変える活動をはじめる。
壊れる寸前だった自分を救ってくれた魔物たちに何かがしたかった。
「闇こそが救い。闇こそが望み……! 私は……この世界を変える!」
そこで目を覚ました。時間は午後を過ぎている。
嫌な夢だ。忌まわしい過去を思い出したところで寝覚めが悪いだけなのに。
廃ビルに置かれた古びたソファから起き上がって窓に映る外の景色を眺めた。
もうすぐだ。もうすぐ素晴らしい闇の世界が訪れる。
◆
あっという間に放課後を迎えて、泉水は真央と共に黒須家へ向かった。
冥道邸は豪華な洋館だったが黒須家も負けず劣らずの広い屋敷だ。
黒須家について真央が解説する。
「黒須家は代々退魔師の名門です。我が神薙家のように没落する家も多い中……」
「……真央さん、辛いなら無理に説明しなくてもいいよ……」
「没落の原因は退魔師になれる者が減ったから、というだけです」
かつては多数あった退魔師の名家も、時代の流れでどんどん減った。
現代においても未だ名を残す黒須家はまさに名門。優れた退魔師一族なのだ。
インターホンを鳴らす前に、真央は泉水に注意した。
「封印の鍵を狙う犯人を探している……なんて正直に言ってはいけませんよ。黒須家はとてもプライドが高いんです」
「え……ならどう用件を切り出すの……?」
「泉水くんは正直者ですね。適当にでっちあげます」
そう言ってインターホンを押すと「どなたでしょうか」と女性の声がした。
母親ではあるまい。黒須家に雇われた家政婦だろう。
「退魔師の神薙真央です。黒須くんが不登校だと聞いたのですが」
家政婦が抑揚のない相槌を打つ。構わず真央は話を続けた。
「黒須くんは元気かなと思いまして。同業者として心配で様子を見にきました」
「……しばらくお待ちください。確認しますので」
少し待っていると、家政婦らしき人がやって来てあっさり中へ通してくれた。
門前払いを食らわなくてよかったと泉水は思うばかりだ。
「直接の面識はありませんが我が家も名家でした。今も縁は残っているのです」
「なるほど……お中元を贈り合うとかそんな感じ……?」
泉水の牧歌的な発想に無表情な真央がめずらしく笑った。
家政婦に聞こえないように声を小さくしてぼそぼそと泉水に話す。
「それとなく探りを入れます。素直に教えてくれるとは限らないので」
真央は正規の退魔師だが決して警察ではない。
向こうが協力してくれるように注意を払う必要があるのだ。
廊下から見える庭には池があって鯉が元気に泳いでいる。かこん、とししおどしが鳴った。
「すごいね……あんなのテレビでしか見たことないよ」
「ええ。昔は神薙家にも屋敷がありましたが今はマンションに住んでます」
「なんか……ごめん……」
居間に通されると厳格を絵に描いたような中年男性が座っていた。
入学式以来、ずっと休んでいる一組の黒須零士。その父親に違いない。
「うちの息子が神薙家にまで心配をかけてしまったか。まったくすまない」
「いえ。色々とうわさを聞いてしまったものですから、気になってしまって」
「そうか……ところで隣の彼は?」
縮こまっていたところで言及されて、泉水は心臓が飛び跳ねたかと思った。
何を言うべきかと口をもごもごさせていると、真央が一足早く返事をする。
「この泉水くんは封印の鍵でして、なぜか魔物に狙われているのです」
「ほう……それでは君が彼の護衛をしているのかね?」
「はい。綾瀬さんが負傷した後任で呼ばれました」
犯人が息子の零士である可能性は伏せつつ、状況を説明する。
その可能性は黒須家の名に傷がつく。犯人の話を避けつつ情報を得たい。
「冥道さんの弟子か、優秀と聞くのに。大変な事件を担当しているようだ」
「ええ。こちらとは無関係でしょうが、何かご協力できればと思いまして」
息をするように嘘をつく。だが真っ向勝負では情報を得られない。
必ず何かの手がかりを得てみせる。その覚悟で真央はここにやってきた。
「そうか。残念だが……零士は私が追い出した。あれは黒須家に相応しくない」
告げられた事実はうわさ話とはまったく違っていた。
行方不明でもなければ死んだわけでもない。
家を追い出されたというのが本当の事情なのだ。
「……なぜですか? とても優れた退魔師だったと聞きましたが」
「才能はあったが心が弱すぎる。あいつにこの家を継ぐ資格はない」
とても厳しい口調で断言した。真央も言葉が続かない。
「あいつが今何をしていようと、黒須家とはもう関係が無いことだ」
真央はまだ話を聞きたかったが、無関係と言い切った以上この話は終わりだ。
だが彼女の嗅覚が何かあると告げている。黒須の父親は何か知っている。
泉水もなにか聞こうと考えて、気がつけばこんなことを口走っていた。
「あの……零士くんってどんな人だったんですか?」
「……なぜ知りたいのかね。知ってどうする気なんだ」
「だって同じ学校です。クラスは違ったけど仲良くなれたかもしれない」
そう言われて、黒須の父親は渋々口を開く。
「……真面目な子ではあった。だが――……」
黒須の父親はそこまで言って口をつぐむ。
泉水は何かに思い至って、聞かずにはいられなくなった。
「……黒須くんは、魔物に魅入られていたんですか?」
綾瀬があの黒ずくめの少年と戦ったとき言っていた言葉だ。
もし黒須もそうであるのなら、犯人である可能性はより高まる。
「だったらなんだと言うんだ!? 仮にそうだとしたら……!!」
黒須の父親は突如声を荒げた。
だが言葉を言い終わらないうちに我に返る。
「……いや、すまない。あの子のことが知りたいなら部屋でも見ていけばいい」
そう言って黒須の父親は立ち上がり、居間を出ていってしまった。
真央と泉水は調査のため、家政婦の案内で黒須の部屋へ行く。
部屋は整理整頓のなされた無機質な部屋で、それらしい手がかりは何もない。
「……災難でしたね。でも泉水くんの言っていたこと、正解だと思いますよ」
部屋の壁に寄りかかって、オッドアイの瞳で泉水を見つめる。
黒須は魔物に魅入られていた。だから家を追い出されたのだ。
プライドの高い黒須家なら退魔師が魔物に魅入られるなんて醜聞だと考える。
だから父親はそれを隠しているに違いない。
「いや……僕は綾瀬さんの言葉を思い出しただけだよ……」
「犯人も黒須くんも魔物に魅入られていた。これは重要な共通項です」
泉水は机の引き出しの中からアルバムを見つけた。
赤ん坊の頃から高校入学に至るまでの写真が貼られてある。
だが写真には黒須だけが写った写真ばかりで、友達との写真は一枚もない。
「……黒須くんは孤独だったんでしょう。名門には名門の苦悩があるのですね」
真央は無感情で独白した。黒須はずっと独りぼっちだったのだ。
黒ずくめの少年はこう言っていた。人間より魔物を信頼していると。
彼の孤独を癒してくれたのは契約した魔物だけだったのだろうと、泉水は思う。
高校入学祝いの写真に写る黒須の目はどこまでも暗く濁っていた。