12話 青騎士との契約
魔法陣が起動するとどこからともなく声が響いてくる。
最初はノイズ混じりでとぎれとぎれだったが、やがてはっきりと声が届く。
「……待っていた。泉水もそこにいるようだな」
間違いない。ペイルライダーの声だ。
遠野は腕を組みながら答えた。
「……なぁ、本気なのか? 魔物は一人の人間としか契約できない決まりだ」
「ああ。もう決めたことだ。さつきとの契約を解除して泉水と契約する」
遠野は未だ半信半疑の様子で話を続ける。
「……魔力供給なしで契約するってことは、自分の魔力を消耗するってことだぞ」
「分かっている。もし魔力切れになれば私は……死ぬだろうな」
真央の方を一瞥する遠野だったが、真央は静かに頷いた。
契約交渉において、無茶な対価を要求する魔物は多いがペイルライダーは違う。
むしろ逆だ。退魔師である二人の目から見ても、裏があるように見えない。
本当に泉水を守るため命を懸けようとしている。
「……分かった。確認するが本当にいいんだな? 心配して言ってるんだぜ」
「構わない。なんなら襲ってくる全ての魔物は私が倒してもいいと考えている」
「それは難しいと思います。すぐ魔力切れになってしまいますよ」
二人の会話に真央が口を挟んだ。
なにがそこまでペイルライダーを駆り立てるのだろうか。
「私は前回、不本意な形で敗北した。あの退魔師にリベンジしたいのも本心だ」
「……泉水くんを狙ってる退魔師にか。まぁその気持ちは分かるけどな」
「私には無謀なことを言っているようにしか聞こえません」
切って捨てた真央に対して遠野は面白そうに笑っていた。
たしかに入院中の綾瀬と一緒では、戦うチャンスがない。
泉水といた方が黒ずくめの少年に再戦を挑める可能性は高い。
「……じゃあ契約に入るか、契約文を出してくれ」
問題ないと判断して、遠野は話を進めた。
すると空中に魔導語で書かれた文章が出現する。
青白く光っていて、右下に丸で囲まれた空欄がぽっかり空いている。
「内容も問題なさそうだ。泉水くん、そこの空欄に手を合わせてくれ」
泉水は言われるがまま右手を重ねると、手が焼けつくように熱くなった。
慌てて手を離すと空中に泉水の手形が残される。どうやらこれが契約のサイン代わりらしい。
「びっくりするよな。ともあれ、これで契約完了だ」
空中の契約文が消失すると、白地のシートに描かれた魔法陣も光を失っていく。
これで退魔師と同じように魔物を召喚する、魔呼びの術が使えるようになった。
といっても何か特別な変化はない。いたって普段通りだ。
「……泉水、よろしく頼む」
不意にペイルライダーの声が聞こえた。
泉水は遠野と真央の方を向いたが、当然ペイルライダーはいない。
「今……何か声が聞こえました。ペイルライダーさんだったような……」
「ああ。契約した魔物とは念じるだけで会話できる。魔物の声は自分にしか聞こえないけどな」
一見、魔物との意思疎通に便利そうだが実態は異なっている。
むしろリスクばかりだ。遠野と真央はそれを補足説明する。
「いや……まぁ正確には魔物が一方的に精神に干渉してくるんだけどな」
「魔物の中にはいるんです。契約した退魔師の精神を壊そうとする奴らが」
二人の説明を聞いて、泉水は不意打ちを食らった気分だった。
契約すると魔物に精神攻撃されてしまう危険を孕む。
理由は様々だ。ただの遊び半分とか、契約内容が気に入らないとか。
防ぐ手立てはない。心を強く持つしかないのだ。
「魔物に洗脳されるのが最悪のケースだ。俺達は魔物に魅入られるって表現する」
「ペイルライダーは違うと思いますが、念のため気をつけてください」
さっきの手短な挨拶以降、ペイルライダーの声は聞こえてこない。
どうやら不必要に干渉する気はないらしい。
「そろそろ帰ろうか。俺が車で送っていくよ」
契約を終え、部屋を片付けると三人は帰路に着いた。
スーツ姿に着替えた遠野は泉水と真央を車に乗せて夕方の街を走る。
「泉水くん……言い忘れていたけど、魔呼びの術はなるべく使わないでくれ」
「ペイルライダーさんが魔力切れを起こすかもしれないから……ですか?」
「そういうこと。魔物は基本的に俺か真央ちゃんで対処する。召喚は非常手段だと思ってほしい」
遠野の考えに異存はない。
ペイルライダーが契約してくれたとはいえ、泉水が一般人なのは同じだ。
それに魔力が尽きればペイルライダーは死んでしまう。そんなのは嫌だった。
「なんだか騒がしいな。事故でもあったのか……?」
サングラス越しに目を凝らすと、青信号にも関わらず前の車両が停まっていた。
クラクションがひっきりなしに鳴っている。やがて獣のような雄叫びが轟く。
「やっべぇ……魔物かよ!? 襲ってくるのが早すぎんだろ!」
停まっている車両をひっくり返しながら現れたのは巨漢の魔物。
牛の頭と人の身体を合成したかのような魔物、ミノタウロスだ。
その筋肉は彫刻のように美しく鍛え上げられていて、背中に斧を背負っている。
鍵である泉水を狙って待ち伏せしていたのだろう。
待っていましたと言わんばかりにこっちに突進してくる。
遠野は反射的にハンドルを切って避けようとしたが遅かった。
「オオオオオォォォォォォッッ!!!!」
雄叫びと共に遠野の車めがけてタックル。車内の三人に衝撃が走った。
エアバッグが開いて遠野は泡を食う。ボンネットは潰れて原形を留めてない。
「オォォォォ……!!」
そのまま車体を掴み、ミノタウロスは車を持ち上げる。
ミノタウロスの腕力なら乗用車なんてこのまま簡単に破壊にできる。
ばきばきという嫌な音が響く。泉水の恐怖は最高潮に達していた。
「……心配するな。君には仲間がいる」
その時、落ち着き払ったペイルライダーの声が脳内に聞こえた。