記憶の綻び
一人、登場人物が増えます。
「月夜! おはよう!」
そう言って抱きついてきた友人に私も笑みを浮かべて、挨拶を返した。
名前は藍沢沙織で、私と同学年だけど、既に誕生日が来ているので十四歳なんだよね。私はまだ来てないから十三歳だけど。
沙織は神楽家の人達とも仲が良くって、本人も穢れ狩りの一人として戦っている。
階級は『中将』で、十四歳という若さでその階級に行けるのは凄いと言われている。
本人は努力したからこの階級に行けただけで、これ以上は難しいと言っていたけど。
『中将』と『大将』との間には大きな壁があるって言われているけど、それが何なのかは私にはわからないし、穢れ狩りをしているわけじゃないから、教えられてない。
まあ、まだ十四歳だから『大将』になる可能性もあるって、兄さん達は言っていたけど。
それに対して沙織は渋い顔をしながらも、納得できる部分もあるのか否定はしていなかった。
確か、まだまだ霊力が大幅に伸びる可能性がある年齢だって言ってたっけ。
霊力の多さは親に依存するって言われてるけど、必ずしもそうではないらしい。
実際、沙織の両親は両方とも普通と言われる程度しか霊力が無いけど、その子どもである沙織は『中将』になれるほどの霊力を持っている。
先祖返りで霊力が多いらしいけど、その先祖返りも滅多に起きないって教えられていたから、凄いと素直に感心してたら、沙織は微妙な顔をしてた。
桜桃軍の中にも先祖返りというだけで威張って、努力しない人間がいるらしい。
才能はあっても、実力がなければ意味がないのに、先祖返りというだけで威張られても困るんだとか。
しかも、そういう人達がいるから、先祖返りと言うだけで同類だと思われることもあるみたい。
今では実力でのし上がったという実績を持っているから、そんな風に見てくる人間はかなり減ったらしいけど、完全に居なくなることはないし、逆に自分達が上に行けないことが腹立たしい他の先祖返りが嫌味や妬みを言ってくるようになったんだそう。
特に沙織は元々から神楽家と親しかったから、余計に目を付けられた。
現在の神楽家は十二天将が三人もいる状況だから、傍から見れば十二天将に認められているっていう風に見えてしまうのか、目立ちたくなくても目立ってしまう。
それでも周囲の目にめげずに努力して現在の階級を手に入れた事実はあるから、努力を認められたって当時は物凄く喜んでた。
沙織の両親も努力が実を結んだことを喜んで、喜びのあまり泣き出してしまったほどだとか。
そういえば、沙織の両親はちょっと感激屋なところがあったね……。
まあ、とりあえず、沙織は自分の努力によって身に付けた実力で『中将』になった。
その事実だけは誰にも変えられないし、沙織自身もその階級に恥じぬようにってずっと努力し続けているから、私も応援している。
そんな事を考えながら、教室に一緒に向かっていたら、沙織に小声で急に聞かれた。
「話は聞いた?」
「うん」
沙織の質問には主語はなかったけど、意味は通じた。
ここ最近、ずっと同じ話題が家でも学校でもされているんだもん、主語がなくてもわかってしまうよね。
それぐらい、穢れ狩り達の中で警戒されている証拠だ。
現状では敵か味方かも判断できないし、判断できるだけの材料が少なすぎるもんね。
私もなるべく情報を集めるようにしているけど、敵か味方かの判断は人によって違う。
今のところは敵として判断している人は私が調べた限りは居ないけどね。
実際、大体が『味方と思いたいけど、現状はどっちの判断もできない』だったよ。
「狐面の穢れ狩り…かぁ……。なんで桜桃軍に入らないんだろ」
何気ない言葉ではあるけど、私は少し言葉を詰まらせた。
なんで入らないのかなんて、狐面の穢れ狩りその人以外は誰にもわからないだろうしね。
どう答えたら良いのかわからなくて、黙るしかなかった。
敵か味方もわからないと判断されると理解した上で、行動しているのなら、凄い勇気だと思う。
私だったら絶対に桜桃軍に入って、自分の安全を優先しちゃうだろうから。
そんなことを考えて、言葉を詰まらせている私を見て、沙織は話題を変えてきた。
その話題も私にとってはあんまり触れてほしくないものではあったけど。
「月夜は、両親の事……まだ、思い出せないの…?」
「うん…」
私は、二年前に記憶喪失の状態で発見され、神楽家の一員になった経歴を持っている。
月夜という名前以外は憶えていなくて、持ち物も持っていなかったから、苗字も分からない状態。
月夜という名前なんて、多いかと聞かれると微妙だったとしても、全国ともなればそれなりの数になる筈だし、不思議と小学校から、警察などに来ないや捜索願が出ているという話もなかった。
もしかしたら、小学校に通っていなかったのではという話もあるぐらい。
つまり、生まれてからずっと、どこかに監禁されていたかもしれないということで、蓮兄さん達はいまだに両親を探してくれているけど、有力な情報は一切出てこない。
表舞台に出ない代わりに、裏で絶大な権力を持っている桜桃軍をもってしても、突き止められないのだから、よほど両親ごと、隠されていたんだって思った。
もう、二年の時が過ぎて、生存は絶望的だから、私はほとんど諦めている状態。
両親だと分かる物が少しも出てこないのは、悲しいけど、今が幸せだから、今を大事にしたい気持ちもある。
なんとなく、踏み込んじゃいけないような気もするのもあるけど。
「あれだけ探しても見つからないなんてね……」
「できれば、遺品でも良いから見つかって欲しいとは思ってるんだけど……」
「ということは……月夜の両親は、何か、強い力を持っている人に消されたのかもね」
「どういうこと…?」
「二年も探していたら、少しぐらい手掛かりがあっても良いはずなのに、それが一切ない。これってかなりおかしいでしょ」
沙織の指摘に、私も確かにと納得できた。
私も含め、三人もの人の情報をすべて消すなんて、かなりの権力がなかったら無理。
指摘されて、初めてそれに気付いて、私は青褪めた顔になった。
蓮兄さんたちが、その存在の手によって、消されるのではないかと、怖くなってしまった。
両親の顔も名前も思い出せないけど、何故か人が死ぬのだけは物凄く強く拒絶する。
その部分だけ、強く拒絶反応が出るから、記憶を失う前の私は、身近な人を失くしているんだと思う。
それが両親なんだろうなって考えなくてもわかる。
それでも、生存を少しでも期待するのは、それ以外に私が何者なのかを知る術がないから。
穢れ狩りなんて、死と隣り合わせだってわかってるのにね……。
「………調べるなら気を付けるように、言っておくね」
「あ…うん…ごめん」
沙織の言葉に、私はどこか現実が遠く感じながら頷くことしかできなかった。
私から伝えることもできるのに、沙織に頼むのが心苦しかったのもある。
その勇気が出ないだろうと見抜かれていることも恥ずかしかったけど、何よりこうやって周囲が何かと動いてくれる状況に甘えている自分が嫌だった。
自分でもなんとかしようとしているのに、思うようにいかなくて、いっつも誰かに助けてもらっている。
こんなのじゃ、いつまで経っても独り立ちはできないよね……。
まだ中学生なんだから、大人に頼るのは当然だって言ってくれるけど、いい加減、誰かに頼るのを止めて、自分でもできるようになっていかないと。
うう……改めて考えると、自分って本当に誰かに助けてもらってるんだなぁ……。
こうやって自己嫌悪に入っていっちゃうから、周囲も助けるしかないと思うんだろうけど、こればっかりは自分の性格上、なかなか変えられない。
も、勿論、自分でできることもあるよ?
ただ……些細なことですぐに皆が揃って休ませようとしてきたり、心配してくるんだよね。
二年前なんて、ちょっとこけたりしただけで、歩かない方が良いって言われたりしてた。
今は、体育の授業で怪我をしたら、体育をさせない方が良いんじゃ……というレベルになりました。
え、過保護すぎ? 過去に比べたらマシだよ。
保護されたばかりの時は、周囲が心配するぐらい痩せていて、身長も物凄く高いわけでもなかった。
だからこそ余計に周囲には少しでも目を離したら死んでいるかもと思わせたんだと思う。
それでも未だに過保護ってどうかと思うんだけどさ。
本当にどうにかならないかな……私の性格と周囲の過保護っぷり。
「何を考えてるの?」
「沙織…いや……改めて考えると、皆過保護だなって…。私がどんくさいのもあるってわかってるんだけど、もう少し普通に対応して欲しいと思っちゃって」
「あー、月夜が保護されたばかりのことを憶えてるからじゃない? まだ二年しか経ってないんだもん、私だって心配になる」
「二年しかって……二年も、でしょ。保護されたばっかりの時に比べて肉も付いてるし、運動もできるまでになってるよ?」
「いやいや、それでも細いから。私達にとっては、二年しか、なの! 月夜が思っている以上に、私達は心配してるんだよ? 当時のことを思えば、確かに丈夫にはなったけど」
「細いって言われても……これ以上なんでか太らないんだもん」
「本当……女子が羨みそうな発言ね、それ……」
沙織が呆れた顔でそう言ってくるけど、私だって好きでこんな体型じゃないんだよ!?
そ、そりゃあ、女子にとっては憧れの体型だってのは自覚してるけど、私からすれば、もう少し他の部分にも肉が欲しいと思ってしまう。
胸だけがどんどん大きくなるから、困ってるんだよね……。
これで、もし母親が胸の大きくない人だったらどうしよう……。
い、いやそんなことはどうでもいいんだよっ!
うう……恥ずかしい……。
「『かぐや姫』と言われるほどの美貌を持っていて、体つきも理想……なのに本人は無自覚。これじゃ、お兄さん達が心配するのは当然よ」
「自覚しろって言われても……兄さん達も顔が整ってるし……」
「そりゃ、桜桃軍のトップにいるような人達だからね。霊力を強く持っている人は髪や目が奇抜な色になるし、容姿も整っている上に、年を取りづらいんだから当然でしょ」
「そうなんだけどね……どうしても身近にいる人が基準になっちゃうというか…」
「あ~、確かに、月夜にとっては当たり前の環境だもんね」
そんなあっさりと肯定しないでよ……。
沙織の言う通り、神楽家は十二天将や十二天将ではないにしても『少将』や『大将』にいる者ばかりだから、基準がおかしいことになっていても不思議じゃない。
実際、髪と目の色が変わっているのが普通だと思っていた時期すらありましたとも。
だから学校に通うようになって驚いたもん。
自分も髪と目の色が変わっていて、白銀なんだけど毛先だけ青い髪と左目が金色、右目が赤色をしております。
隣で話している沙織も、赤みがかった金色の髪に青色の目をしている。
私も沙織も普通ならあり得ない色をしているけど、人によっては不可能ではない色だったりする。
問題は、髪と目の色が必ずしも霊力の質で決まっているわけではないこと。
そりゃあ、人によっては霊力の質に合っていると思う色合いをしている人もいる。
昔――とは言っても、数十年ほど前――は髪と目の色で霊力の質を判断してたらしいけど、早々に違うことが判明して、それからは霊力測定器ができるまでは、とりあえず全ての術を教えてから発動するかどうかを見ていらしい。
今は霊力測定器が出来たおかげで、霊力の質と量がすぐにわかるようになっているけど。
私も見てもらったけど、霊力の量が凄かったみたいで、触っただけで壊れてしまった。
それでは何の力を持っているのかがわからないから、とりあえず全ての術を教えられてます。
ただ、全部発動してしまったので、更に混乱を招いたみたいだけど。
今は記憶喪失であることや、戸籍が無いなどの理由から、全員が穢れ狩りの神楽家では珍しく、穢れ狩りをしていません。
あ、既に新しい戸籍は作られてるから、学校には問題なく通えるよ?
ただ誰かに狙われているかもしれないということで、保護したのが神楽家というのもあって、そのまま神楽家の人間になったの。
一応、自衛はできるようにって、ある程度は戦闘の仕方も教えてもらってるよ?
それでも用心に越したことは無いってことで、戦力的に安心できる神楽家に入ることになっただけ。
元々から保護という形ではあったけど、家族として迎え入れられているから、特に問題なく溶け込めることができた。
何より、神楽家は普通の一家じゃない。
私以外の全員が穢れ狩りをしているんだけど、誰も血が繋がっていない。
つまり、苗字は一緒で戸籍上は兄弟ってなっているだけで、実際は血の繋がりのない他人同士が家族として仲良くしている状態ってわけ。
本当の家族みたいに仲が良いから、事情を知らない人は普通に兄弟だと思って接してくるぐらい。
容姿とか髪や目の色は全然違うんだけど、顔の似てない兄弟で処理されるみたい。
家に偶に来る他の十二天将の人達も私達が血の繋がりのない兄弟だっていう事実が信じられないって言ってたから、事情を知っている人でも勘違いするレベルで仲が良いっていうのがわかるよね。
で、まあ、家族ではあるけど、護衛としての役割も任されているから、必ず一人は家にいる状態です。
私の事情が事情だから仕方がない。ちなみに沙織もその護衛役の一人。
元々は護衛役として紹介された、仕事を前提とした付き合いみたいな感じだったんだけど、お互いに付き合いが長いせいで、気付けば普通に友人として一緒にいるようになってた。
最初はお互いによそよそしかったんだけどね。
今でも偶に、いつ頃から仲良くなったっけと話をするぐらいには、自然と仲良くなってて、過去に揃って、改めて仲良くなった切っ掛けを思い出そうとして、思い出せなくて、お互いに笑ったなぁ~。
正直、記憶が無いことは怖いけど、兄さん達や沙織と会えたことは良かったと思っている。
―――だから余計に思い出すのが怖かったりする。
こんな幸せな日々をずっと過ごしていたいって思っているけど、過去の記憶を思い出すことで、彼らとの関係が変わってしまうんじゃないかって危惧してるんだと思う。
皆が揃って優しくしてくれているのは、記憶を失っているからで、危険だからだって、どこかで考えてしまっているから。
記憶を取り戻したら、神楽家の人間ではなくなってしまうかもしれないし、沙織達とは会えなくなってしまうかもしれない。
そんな恐怖が常に付き纏っているなんて、とてもじゃないけど兄さん達にも沙織にも話せない。
どこまでも憶病で卑怯者な私を誰も愛してくれるわけがないと思ってしまう私は、本当に嫌な女だ。
彼らの優しさに甘えて、このままが良いなんて思っているなんて、必死に調べてくれている兄さん達に申し訳が立たない。
けど……少しぐらいは願わせてください。この幸せが少しでも続いてくれますように、と。
『お……は……ち………か……!』
そんな願いを心の中で祈っていたら、突然頭の中でそんな言葉が聞こえてきた。
まるで何かに驚いているかのような声で、私に向かって誰かが言っているみたいだけど……。
聞こえたのはその単語だけで、後はまったく聞こえない。
誰かわからない人の口が動いているのは見えているのに、声だけが遠くて上手く聞き取れない。
声は聞こえないのに、なんでか無性にその人から逃げなければと感じた。
逃げなければ殺されると思うだなんて、普通じゃない筈なのに、私はその感覚を素直に受け入れていた。
驚きの中に歓喜を含んだ声をただ聞いていることしかできない。
恐怖で体が動かないというのはこういうことを言うのかと体験させられているみたいだ。
思うように体は動かない癖に、恐怖の所為で体が震え、それが抑えられなかった。
その人が近付いてきているのに、私はただ震えていることしかできない。
そこに来てようやく自分が感じている感情がわかった。
これは恐怖なんかじゃない―――絶望だ。
誰かに助けを呼ぶ事も出来ず、自力で逃げる事さえもできない、絶望。
そうなんだと悟った瞬間、無性に泣きたくなった。いや、実際に泣いていたと思う。
その時の私は、完全に自分が何処にいるのかがわからなくなっていた。
現実と記憶が混合し、自分でも何を見ているのか信じられない状態だったんだから、周囲の人はもっとわからなかったと思う。
けど事実として言えることは、この時の私は確かに記憶を取り戻していた。
絶望感に苛まれながら、それでも顔は上げたままである私にあと一歩で触れられる近さになるというところで………絶望という感情に支配されたまま、私の意識は途切れた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。