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悲劇と喜劇

「この間のはオリビアよ」


某日の放課後、俺は掃除をサボって生徒達と談笑していた。雛鳥のように飴玉を口に入れてもらい、溶けるまでの間、雑談に興じる。歳の近い子達と遊ぶのは初めてで、俺は完全にその魔力にやられていた。


「有名なの?」


皆が頷く。中でもうんとお喋りな子が説明してくれた。


「何処かの商人組合の娘なんですって。お兄さん方もみんな経営に携っているそうよ」

「それって凄いの?」

「凄いなんてもんじゃないわ。物の値段も何もかもそこが決めるんだから」

「貴族ではないけれどね。それでも同じ位の勢いはあるんじゃないかな」

「ふぅん」


とにかく彼女の家柄は裕福らしい。お嬢様の集まる女学校でも噂になる程なのだから相当だ。


「ねぇ、今度の休日街へ遊びに行かない?」

「外出の許可が下りればね」

「行きましょうよ! 折角知り合いになった事だし」

「そうねえ」


とんとん拍子に話が進む。当然のように俺も加わっていいのだろうか。


「クロも行きましょう。何か買ってあげるわ」

「本当っ!?」


一も二もなく俺は飛びついた。


◇◇◇


無事に外出許可も下りたので誰か呼んで来て良いと言われても、ろくに相手が居なかった。アルバに遠慮されると後は知り合いが殆どいない。


「声をかけてみて良かったわ」

「サラが来てくれて嬉しい!」


生徒達はサラに夢中になっている。人気者でも愛嬌のある彼女は直ぐに皆と打ち解けた。


聞けば生家が幾ばくか土地を所有しており、相当儲けているとのこと。そのせいで彼女は良家の娘として幼い頃から習い事に明け暮れる毎日だったらしい。通りでお行儀が良い訳だ。


皆挙って繰り出したのは繁華街の北の地区だった。夜ほどではないが日中の往来も混雑している。ましてや休日だ。目抜き通りは昼時までに老若男女で埋め尽くされた。


「この辺りって何があるのかしら」

「飲み屋じゃない? まだ昼間だから閉まっているけれど」

「劇場が有名だって聞くわ。そこなら朝でもやってるはずよ」


固まって歩けば制服の学生はよく目立つ。加えて皆留学生だ。特徴的な耳と尻尾が衆目を集めない筈がなかった。


「皆早く行きましょう」


サラが何事もないように呼びかけた。毅然とした態度に皆の気分が上向きになる。


「劇場ならこっち」


一番土地勘がある俺が先導して皆で劇場へ向かう。着いた先は街中に堂々と構えた丸く瀟洒(しょうしゃ)な建物だった。


白塗りの壁が美しいそこは辺りでも歴史の古い劇場で、娯楽としての演劇を庶民向けに上演している。


「あんたら当日の舞台を見に来たのかい? なら急いだ方がいい。立ち見席なんざ忽ち売り切れちまうよ」


出入り口の案内人に急かされ、併設された販売所へ向かうと既に長蛇の列だった。流石は休日だ。


「皆は飲み物を買ってきて。長丁場で必ず入用になると思うわ。私はここに並んで待ってる」


サラがテキパキ割り振ると、皆は飲み物を買いに別の売り場へ向かった。一人で列に並ぼうとするサラに俺は着いていくことに決める。


「独りじゃつまんないでしょ」


いつの間にか俺にも周囲の考え方が染みついていた。今までは一人も当たり前だったのに。


「そうですね、ありがとう」


サラは花のように笑った。目を瞑ると長い睫毛が強調される。将来はきっと美人になるのだろう。


「学校はどう?」

「勉強はそこまで難しくないわ。まだまだこれからだけれど、きちんとやっていれば何とかなりそう。悩みの種は一般棟との確執でしょうね。どうにかならないものかしら」

「オリビアに取り入る?」

「うーん。あの人がそれを気に入るかしら」


屈託のない彼女との会話は弾んだ。オリビアと対峙した時とは違って女の子らしい普段の姿だった。


列が進み順番が来ると、次の公演は殆ど席が埋まっていた。一人ずつ離れて良ければ空きはあるが、全員で固まるとなると選択肢は最上階の真ん中か各階の端しかない。


「初めてで不安でしょうから皆一緒の所にしましょう」


サラがそう決めて横並びの席を取った。俺の分はサラが払ってくれた。


「お待たせ!」

「席は取れた?」

「大丈夫、開演まで時間がないので少し急ぎましょう」


出入り口で皆と合流し、飲み物を受け取って客席へと向かう。


玄関(エントランス)から続く混雑した階段を登り、三階の連絡路を抜けると、円型の客席の後ろに出た。開演間近の人ごみを掻き分けるようにして狭い通路を進み、漸く席に辿り着くと眼下には中央に舞台が鎮座し、その正面に立ち見席が広がっているのが見えた。


「屋根が無いのが良いわね」


晴れ渡る青天井を鳥と雲が横切る。

俄かに喧騒が止んだ。高まる期待に心臓が早鐘を打つ。


「始まるわ」


拍手と共に劇が開幕する。だが前列の背に阻まれ、俺からは見えなかった。


「クロ」


見るとサラが膝を叩いて呼んでいた。

遠慮なくその上に座らせて貰う。


「ありがとう」


横目で礼を言うと皆が密やかに笑った。


◇◇◇


楽隊の演奏を背に歌劇が進む。

台本は悲劇だった。


「かっこいい?」

「そうね」


俺にはいまいちピンと来ないが、主人公は二枚目演じる貴族の御曹司で、相手(ヒロイン)は彼の許嫁。


主人公は彼女の浮気を疑い、彼女の妹と結託して暴こうとする。しかし実はその妹が悪役で、根も葉もない浮気の事実を主人公に信じ込ませた挙句、弱気になった所を誘惑して彼を掠め取ってしまう。


行く行くは婚約を解消すると約束して二人は結ばれ、やがて妹の胎には新たな命が宿る。彼女の狙いは美男の妻としての名誉だった。


しかし嘘に勘付いた姉との口論の果てに妹は二階の窓から突き落とされ、身重の彼女は腹を庇って頭を打ち死亡。更に現場に居合わせた主人公により許嫁までもが絞め殺される。彼は嘘に気付かないまま妹を想い続け、生涯独身を貫く事を決意する。


誰も救われない展開で物語は幕を閉じる。劇の途中だが有名な話なので展開が読めた。


「にしても……」


思わず(こぼ)した子の気持ちが俺にも分かった。配役が人種によって見事に分けられている。悪役は殆どが獣人で偶に人間。反面、美味しい役どころは全てエルフのもの。これでは頂けないのも無理はない。


曇って行く皆の表情にどうしようかと頭を悩ませていた所で、不意に聞き覚えのある声が辺りに響いた。はっとして顔を上げる。


「吉凶を占って差し上げましょう」


それは妹が呪い師の力を借りて命運を占う場面だった。ここで不吉な未来を予言された事が後の悲劇に繋がる重要な伏線になる。


「あ」


頭巾を目深に被った演者の顔はよく見えないが、声や背格好から思い当たる人物が一人。


「うそ……」


劇の転換点とは言え、本来取りたてて見所とは呼ばれない筈の呪い師の歌唱に予想外の注目が集まって行く。


それは主役が霞む程の有り様だった。立場を弁えない出しゃばり具合に客席からは非難の声が飛び交う。


「端役は引っ込んでろ!」

「立ち上がるな、お前が引っ込め!」


ありとあらゆるものが宙を舞う。丸めた半券やら飲み物の入った容器ならまだましで、中には固い石ころや食べ物を投げつける者さえいた。それらの殆どは立ち見席に降り注ぎ、最前列の客を容赦なく襲った。


劇はそこで急遽中断となり、短い休憩を挟んで後半の第二幕が始まったが、先程の事態に度肝を抜かれた観客達は終始何処か盛り上がりに欠けた雰囲気のまま閉幕を迎えた。


緞帳が降りた途端に始まった騒ぎに、俺は笑いを堪えるのに苦労した。


◇◇◇


門限までに時間が空いたので、皆は街中でも目立つ例の酒場に移動した。


「あれは何だったのかしらね」

「分からない。けど面白かったわ」


一時は落ち込んでいた皆の表情も元に戻っている。鬱憤が溜まっていた所にあの騒ぎが起こって結果的には良かったのかもしれない。


しかし皆にとって不都合だったのは、酒場に着いてからの出来事だった。

 

「あれってそうじゃない?」

「休日だものね」


遭遇したのは一般生の集団だった。彼女らも此方に気付いたが、小馬鹿にするかのように遠くから見ているだけだった。居心地の悪さを感じて皆は離れた席に移動した。


「そろそろ帰りましょう」


代表してサラが声をかける。門限が近いこと以上に夜の繁華街には危険が付き纏う。面倒ごとに巻き込まれる前に立ち去るべきだ。


「そうね、そろそろ」


皆カウンターで財布を取り出す。代金を払おうとした所でサラの席に誰かがぶつかった。


椅子ごと転びかけたサラは机に手をついて何とか体勢を立て直した。振り返ると既に相手の姿はなかった。何だか良い予感がしない。


「代金はこちらへ」


店員の前のテーブルに硬貨を積み上げる。だが一人分足りない。


「サラ……?」


彼女は青ざめて全身を隈なく(まさぐ)った。けれど財布が出てくる事は無い。


先程の事が原因なのは誰の目に見ても明らかだったが、店員は素知らぬふりでサラを睨みつけた。周囲の咎める視線に皆黙り込む。遠くでは一般生達が笑って此方を見ていた。


「……誰か」


苦し紛れに呟いたサラの声に、思わず口火を切る。


「見てた」


場の全員が俺の方を向いた。


「盗られたのよ。あんたも、見てた。ここはそういう事をするお店なの?」


サラが驚いた表情で俺を見る。

言い分には説得力がない。

でも心は救えただろうか。


「誰も払えない?」


順繰りに見ても皆、(かぶり)を振るばかりだった。


「ツケは」

「やってない」


嘘に決まっている。

外国人だからか、獣人だからか。

あるいは両方か。


睨み合いが続く。こうなったら、どちらかが根負けするまで目を逸らさないでいてやる。それきり時間は止まってしまったかのように思われた。


「見るに耐えないな」


突如、後ろから伸びてきた手がテーブルに硬貨を積み上げた。視界が陰る。背の高い誰かが背後に立ったからだ。


何時(いつ)ツケを辞めた?」


サラの目がぱっと見開かれた。

見向きもせず彼女は店員を見下ろす。


「……いえ」


決まり悪そうに店員が言い淀む。このとき初めて、俺は彼女の虹彩の色が今朝の空と同じ色だと言うことに気付いた。


「邪魔したね」


立ち去るオリビアを一般生達がどう見るかは分からない。けれど一つ確かなこととして、サラの目に今、青い青い彼女の瞳の色が何より鮮やかに映し出されているであろう事は、誰にとっても疑いようのない事実だった。

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