春
彼女と出会った日のことを俺は今でも鮮明に覚えている。月のない夜で、燭台の灯りが隙間風に揺れていた。あの夜から何かが確実に変わり始めた。
「奇遇よね。まさか、こんな場所で落ち合うなんて」
東の街の目と鼻の先、とある酒場で偶然にも俺は彼女との再会を果たした。気紛れな神の采配か。
「最近どうなの? 仕事は?」
「もう変えた」
「でしょうね」
答えに満足したように彼女はツマミを食べ、同じ手で此方の口にも入れた。また脂っこい味付け。
「……太るよ」
「何か言った?」
「別に」
諦めて俺はコートのポケットから今朝の新聞を取り出して読む。相変わらず嘘か誠か分からないゴシップやスキャンダルが紙面を賑わせる合間にふと、目に留まる記事があった。
「ねえ、これ見て」
そこにはリアム素性公開、とあった。会えなくなって久しい彼女だが大変なことになっているらしい。
「記事は面白半分みたいだけれど」
「そう」
「……前から知ってたの?」
「まあね」
淡白な反応に物足りなさを覚える。
「詰まんなぁい」
「その感じ懐かしい」
「煩い」
新聞を畳みつつ横目で睨め付ける。確認せずとも上着のポケットは左脚の付け根にあり、狙いを定め易い。
足を組んでちびりと酒を飲む。カウンターに片肘をつき、だらし無い姿勢で飲む酒は当然のように美味だ。
「その金は?」
「ちゃんと真っ当な仕事で稼いだわ」
「何の仕事?」
「給仕。前と似たようなやつ」
「結局どこへ行っても同じか」
「そうね」
俺は俺にしかなれない。そんなこと初めから分かっていたつもりでも、実は理解から一番遠い所にあった。評価を他人任せにして一喜一憂する日々と、そろそろ決別しなければならない。
「友達や仕事仲間は?」
「文通相手が何人か。あとはその場、その場って感じで」
「寂しくならない?」
「寂しい時もある。けど今は平気」
「そう」
レスリーはグラスの酒を見つめると、突如名案を思いついたかのように伏せていた視線を此方に差し向けて言った。
「ならさ、これから私に着いてくるっていうのはどう? ちょっと遠出する予定で」
「お生憎様。これから友達に顔を見せに行くところなの。久々に帰ってきたからね」
アルバはまだ学院に通っている。オリビアとサラは他国との通商協定を取り付けようと二人で躍起になっている。テスは結婚して一児の母親になった。皆どんな風に変わったのだろう。
「ちっ。……って言ったくせに」
珍しくレスリーは負け惜しみを言った。
成り行きでキスをする。
「必ずまた会えるわ」
「そうだと良いね」
どこへ行っても誰と居ても、自分でなくなることは出来ない。迷ったら旅に出よう。子供になって飛び出せば新しい世界がきっと先に広がっている。
「やっぱり何か変わった?」
「なーんにも」
今日は休日。全てが溶け込んでしまいそうなほど、よく澄みきった小さな週末の昼下がりだった。