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酒場の歌手とエルフ(前編)

この世界に来て変わったことが一つある。

少なくとも今、俺は一人じゃない。


◇◇◇


「ご注文は以上になります」


定型文を口から吐く。

繁華街の酒場は相変わらずぼちぼち盛況だ。


「はーい、ご苦労様」


今日は予定があるので早めに仕事を切り上げられるよう店主夫妻の許可を得た。ただし別の日の労働と交換条件だ。


「クロちゃーん」

「はい只今」


呼ばれて向かった先にはレスリーが居た。先日客に取った彼女だ。酔って顔を紅く染めた彼女は機嫌よさげに笑いかけてくる。仕事終わりらしくテーブルの席には何人か連れの姿が見えた。


「ご注文は?」

「ちょっとぉ、つれないじゃないの」

「え、あの」

「こら辞めなさいって」


だいぶ飲んでいたらしく、連れの女性に諌められてやっと落ち着いた。俺に絡むレスリーを宥めた彼女は呆れ顔でテーブルに突っ伏した当人のことを見やる。


「本当に酒弱かったんだな」

「ええ。もう、こいつと来たら……」

「いいじゃねえの。仕事終わりに気持ちの良い飲みっぷりだ。奢り甲斐ってもんがある」


若干歳のいった体格の良い男がレスリーと同年代の男女に向けて言った。彼は彼女達の上司や先輩に当たるのかも知れない。


「クロ、売れ行きはどう?」

「ふつう」

「ほう。ならこのツマミを進ぜよう」

「え、いいの?」


上機嫌で料理を差し出してくるレスリーに躊躇いつつ周囲の反応を伺う。しかし誰も咎める様子を見せなかったので俺は遠慮なくそれに喰らいついた。脂っこい味つけ。


「美味いかぁ?」

「うまい!」


喜んで見せるとレスリーは満足気な顔で再びテーブルに突っ伏した。それを見た連れの一人が目を見張ってこちらへ振り向く。


「あんたこいつの知り合い?」

「うん。ついこの間から」

「へぇ」


意外に思ったのか、将又(はたまた)彼女も酒が入って機嫌が良かったのか、顔をしげしげと見つめられた。他の二人は連れ同士で盛り上がっており気づいていない。


「座りな」


すると何故か隣の席を明け渡され、言われるがままに腰を下ろすと、彼女はレスリーについていろいろと教えてくれた。冒険者としての腕前やパーティを組んだ経緯、酒にだらしがないことや男っ気がなく不思議な所までざっくばらんに彼女は喋る。


「あんた名前は? 今いくつ?」

「クロ」


歳も正確に答える。


「……は?」


本当だよ、と言うと彼女は信じられないという目で頭から爪先まで俺の体を舐めるように観察した。


「見えないわね」

「いくつに見える?」

「バカ、それはこっちのセリフよ」


ちびりと酒を飲む彼女のことを見る。灰色の髪を短く刈り、目つきも鋭く凛としている。そこだけ見れば男みたい。けれどどこか愛嬌があって親しみ易い。笑わない美人、面倒見のいいお姉さん。そんな感じ。


「私はナタリア」


不意に彼女は優しい声で名乗った。こちらを見下ろさず、首を下げて目線を合わせる。彼女は意外と子供好きなのかも知れない。


「なたり…あ?」

「ええ。これから偶に顔を出すから。その時は宜しく」

「うん」


何だか変な感じがする。例の仕事の客以外と親しくなるのは滅多にない事だった。


「あっ」


うっかり予定のことを忘れていた。


「いけない」


上がりの時刻はとっくに過ぎている。早く行かなければ閉店時刻に遅れてしまう。


「どうしたの?」

「ごめんなさい。今日はもう上がりなの。また今度ね、お話ありがとうっ」


そう言い残し店を発つ。去り際に見たナタリアは相変わらずテーブルで酒を飲んでいた。その横顔が少し退屈そうに見えたのは流石に自惚れかもしれない。


◇◇◇


繁華街は地域ごとに大雑把な区画が存在する。俺の住む酒場は東の地区にあり、これから訪れる場所は東の地区と隣接する北の地区に建てられた酒場だ。


その店は北の地区で最も人通りの多い目抜き通りの沿道にあった。往来の只中で全貌を仰ぎ見れようとすれば、改めてそれがどれ程の大きさかを実感することが出来る。大商会の事務所のような堂々たる佇まいに圧倒されつつ、意を決して中へ足を踏み入れる。


「うわぁ」


ごった返す店内にはカウンターやテーブル席の他、ビリヤード台や歌唱用のステージまで備え付けられており、正に憩いの場だった。


騒がしくとも店内が広々としているために窮屈に感じることはなく、俺が入ってきても誰も見向きもせずに各々遊びに興じている。酒を(たしな)む人も居れば、ビリヤードをしている人やステージの側で流しの演奏を熱心に聴いている人もいる。何処も盛り上がっていて楽しそうだ。


「これ使える?」


カウンターに何とか空いている席を見つけて座ると店員らしき男が注文を取りに来たので券を見せる。男は一瞬(いぶか)しんで手元を覗き込んだものの、本物だと分かると直ぐに酒を運んできた。この国には年齢制限などはなく、法律上は思う存分好きな酒が飲める為、子供でも飲み易い酒を注文した。


暫く店内の様子を眺めていると、ラストオーダーが近づくに連れて客が帰り始めた。そろそろかと思い立ち上がろうとすると、ステージの周りだけ人が沢山残っているのに気がつく。


「まだ何かあるの?」

「え」


近くの店員に尋ねると意外そうな顔で訳を教えてくれた。


「今から流しの歌手が歌うんですよ。誰かのじゃなく自分の持ち歌をね」


それは知らなかった。普段もそうなのか今日が特別なのか。折角なので見て帰りたい。


「アンナちゃん最近よく来るなあ」

「もうすっかり常連だな」


客達が噂している。彼らの口調からも人気ぶりが伺える。一体どんな人なのだろう。


「ねぇ」


丁度一人ぼっちの子を見つけたので話しかけてみた。彼女なら流しの歌手について何か知っているかもしれない。


「お話してもいい?」

「……ええ」


入り口から最も離れたカウンターの一番端の席に彼女は座っている。警戒されていない雰囲気からして、きっと子供だと思われているのだろう。俺も彼女の隣に腰を下ろす。


「流しの歌手について知りたいの」

「ああ、あのアンナとかいう」

「そうそう」


期待とは裏腹に、彼女は不機嫌そうな態度を隠そうともせずに言った。


「大したことないわ」

「え?」

「よく知らないって言ってるのよ」


嘘だ、知りもしない相手を酷評できるものか。きっと何か理由があるに違いない。


「嫌いなんだ」

「別に」

「うそよ、絶対嫌い」

「しつこいわねっ」


思わず振り向いた彼女に顔がにやける。

やっとこっちを向いたな。


「ねぇ訳を教えてよ」

「嫌」

「ケチ」

「嫌なものは嫌なの」

「じゃあ私も教えてくれなきゃ嫌だ」

「バカ。ガキ」

「ガキじゃないもん」

「はぁ?」


言い合ううちに彼女の人となりが何となく伝わってきた。はっきりした目鼻立ちに大人びた声。サイドに寄せた前髪とボブカットがよく似合う。第一印象はいいとこのお嬢様。けれどむっとした時の表情は子供そのもの。この子は怒った時の顔が見ていて一番面白い。


「私はクロ」

「あっそう」

「お姉ちゃんは?」

「……ミランダ」


彼女は目にかかった赤髪を軽く払い退けながら渋々そう答えた。名前を知れただけでも今日は良しとしよう。


「東の地区は行ったことある? 酒場で働いてるから見かけたら声をかけてね」

「あ、ちょっと!」


そろそろ歌が始まるのでステージの側に近づく。周囲に客が集まっていると言ってもまばらで、俺の背でも壇上を見ることが出来た。


「こんばんはーっ」


ステージからの呼び掛けに応じて雄叫びがあがる。


「うぉおおおおっ」

「待ってたぞーっ」


皆一様に声を上げ、拳を高く振り上げた。知名度は高くなくともカリスマ性はあるのかも知れない。あれがアンナか。


「今夜は二曲歌います」


いきなり歌が始まった。

一曲目は愉快な曲調。アップテンポの曲に弦楽器の伴奏がマッチしている。巧みな手捌きや感情の籠もった歌声に感嘆していると、やがて聴衆は足を踏み鳴らして踊り始めた。

酒場の床が揺れる。底が抜けるんじゃないかと不安になる程の騒ぎに店員も遠くから心配そうにこちらを覗いている。俺は蹴っ飛ばされないように逃げ回るので精一杯だった。


「次、二曲目」


今度は落ち着いた曲調。さっきとは打って変わって暗い雰囲気になる。ある者は俯き、又ある者は目を見開いて壇上を見上げている。切ない声でバラードを歌い上げる未だ若い彼女の仕草や表情は完全に大人のそれだ。


「終わりです」


拍手は疎らだった。けれど皆、彼女に心底惚れ込んでいるのが分かる。そう思わせる程に圧巻のステージだった。


「二曲目は地味であまり人気のない曲だけど、聞いてくれてありがとう」


湿ったアンナの声が閉店間際の店に響き渡る。人生の苦渋を歌ったような曲の世界観に前世の演歌を連想し、俺は知らぬ間に涙を流していた。


「最後に誰かと共演(デュエット)したいと思いまーす!」


彼女が言った途端、客達は挙って名乗りをあげた。その中から選ばれた一人が壇上に迎え上げられ、周囲のやっかみを受けながらも陽気な曲をアンナと交互に歌って終わった。はっとしてカウンターを見れば既にミランダの姿はなく、今日はそこでお開きになった。


◇◇◇


奇妙な高揚感に包まれながら夜道を歩く。出来るだけ人通りの多い道を歩きながら胸の中で何度も不安が首をもたげかけた。警察なんてろくに無く、繁華街の治安も決して良いとは言えない。いつならず者と出会(でくわ)したって可笑しくはない。今日は少しはしゃぎすぎた。


「君」


家に近づいた辺りで誰かに呼び止められた。つけられていたのか。身の危険を感じ、慌てて足を早める。


「君だよ、クロさんでしょ?」


肩を掴まれた。よもやこれまでと観念して振り返ると、背後から聞こえたのは温厚そうな声だった。


「誰?」

「客。夜の方のね」


そう言って声の主は目深に被った外套のフードをめくる。


「驚かせてごめん」


それどころではなかった。穏やかな声と共にフードの下から現れたのは前世では目にすることの無かった長い耳。俺は生まれて初めてエルフと対面した。

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