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オリビアは裏庭の前まで一度も振り返らず、言葉を発することも無かったので自然と俺もそれに倣った。しかしそこへ着くなり彼女は待ち侘びたかのような深いため息をつき、それからゆっくりと俺の方へ目を向けた。


「やれやれ、面倒なのに目をつけられたな。丁度課題の出来を聞きに来た所だったから良かったけど。アイツ相当ねちねちした性格らしいから、今後は気を付けろよ」

「オリビア」

「ん?」

「ありがとう。助けに来てくれて」

「何のことやら」


柱に凭れかかって(うそぶ)くと、これも縁さ、と彼女は煙でも吐き出すように斜め上を向いて言葉を空に浮かべた。


「何となく事情は聞いた。やっぱり面白い子だ。一介の掃除婦にしておくには勿体ない」

「現に一介(・・)の掃除婦だもの」

「そんな事を言いたいんじゃない。確かに凡庸で学だってないのかも知れないよ。でも決して愚かではない。寧ろ凄くまともだ」


オリビアは言葉尻を強めた。どうして彼女がそんなにも買い被るのか、俺には理解できなかった。


「あくまでただの事務員よ。私は」

「そうかい……まあ今日は遅いから早く寮に戻った方がいい。その後でまた分かることもあるだろう」


オリビアと別れ、俺は寮へ戻った。


◇◇◇


梳る。

梳る。

結って、(ほど)いて、(くしけず)る。


もう三度目だ。

窓辺の椅子に腰かけたアルバは寝巻きの袖を捲り、先程から熱心に髪を()かしている。


首の片側に寄せ集めた束を撫でつけるように伸ばすと縮れていた毛がみるみる艶めきを取り戻し、重力に逆らわずさらりと流れる。日頃見慣れた無造作なひっつめ髪も、きちんと手入れすればあんなに綺麗なのかと思うと何か感慨深い。


灯りのない部屋に差し込む月光が襟元に照り彼女の鎖骨の窪みに影を作る。伏し目がちな瞳を覆う目蓋の際に生え揃った睫毛は想像より長く、気持ち開かれた唇は赤と呼ぶにはやや心許無い華奢な薄紅色をしていた。


声を掛けられず立ち竦んだままどれ程時間が過ぎた頃だったか、ある時、やにわに吹いた夜風がカーテンを揺らし、背後の扉の僅かな隙間から部屋を抜けて出て行った。


アルバは不意に此方へ目をやると、その途端弾かれたように立ち上がり、髪が乱れるのも気に留めず小走りで俺を出迎えた。


「おかえり。今日はいろいろとごめんな。ありがとう」


胸に手を当て彼女は一息に言った。


「さっきのお前の気持ち、嬉しかったよ。後でオリビアにも礼を言わなきゃ。迎えに行ってくれって頼んだんだ。俺が行くべきだと思ったけど、多分何も出来ないから。本当情けない」


だらり、と力無く両腕が垂れ下がる。俯いた眼の端には、よく見ると珠のように小さく光るものがあった。


「楽しかったんだ。お前が来てから。本当はずっと淋しくて、心細くて」


懺悔するように頭を垂れる。

その姿は痛々しいほど(みじ)めだ。


「一緒に居たらこうなるって分かってた。独りが怖くて黙っていたけど、やっぱりそれはズルだ。離れてもいい、嫌わないでくれ」


哀願が鼓膜を揺さぶる。腫れぼったい喉を掻い潜って溢れ出た衷情(ちゅうじょう)は大気を透過し此方まで伝わった。


「分かってるよ」


そっとアルバの手を取ると微かに触れた指先が震えるが、直ぐにそれも静止する。


「そんなことで離れたりしないわ。私も楽しかったもの。皆は知らないけど、本当の私なんて、きっと想像よりずっと愚図で弱虫よ。こんなので良ければ幾らでも側に居るわ」


その後、俺達は一緒のベッドで眠った。肌に触れる毛布の冷たさに、彼女が窓辺で身動ぎもせず自分の帰りを待っている姿を想像し、思わず手に力が篭る。


「ねぇ、アルバ」

「なんだよ」

「お友達になりましょう」

「……うん」


冴えた頭で考える。今日まで自分の帰りを待っている相手など居る筈がないと信じて生きてきた。けれどもしかすると、それはその存在に気付くことが出来るかどうかに掛かっているのかもしれない。


月日は刻一刻と移ろい行く。

多くの正解と失敗の織りなす中で、少なくとも此処へ来ることを選んだのは間違いではなかったと、そう思いたい。この夢を本当にする為に明日からも頑張ろう。


◇◇◇


鳥の囀りと共に目が覚めた。

陽が差しているのか手元が温い。何とも無しに下を見遣れば、偶然にも未だ繋がれたままの右手が捲れた布団の上に乗っかっているのに気付く。


以前、朝の寝室には硬くて冷たい硬貨だけが残されていた。しかしここにあるのはそれとは別の、柔らかくて、温かい、良い匂いのする何かだ。


穏やかな吐息に目蓋が閉じかける。彼女が目覚めるまで後少しだけ眠ろう。


「クロ! 開・け・て!」


だが束の間の安らぎに反し、細やかな望みが叶えられることは無かった。(やかま)しいノックの音は次第に拍子を取るように密で規則的なものになっていく。鬼気迫る様子に喫驚し慌てて扉の方へ駆け寄った。


「何事……サラ?」


戸の前に仁王立ちしたサラは頬を上気させ、耳をぴいんと高く立てて興奮した様子で俺を見るなり言った。


「早く来て。こっち!」


言うが早いかサラは着のみ着のままの俺の手を取る。一体何処へ連れて行く気だろう。

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