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夏を探しに

薫風南より来る。


梅雨のないこの国では、最も爽やかな季節として古くから詩歌に詠われてきた候である。


ところで、庭に散ったパルムの実の残骸達はどうなるのだろう。何れ土に帰るとは言え放っておけば虫が湧き、その間校庭は使い物にならなくなる。


「そこで俺達の今日の仕事はと言うとだな」


女学校は決まった時期なると必ず大掃除を行う。普段は専ら別棟の清掃を任されている俺も、その日ばかりは方々を回ることになる。


一緒に回る事になったアルバ曰く、何処を掃除させられるのかは婦長直々に告げられるまで分からないのが通例らしい。だが長年の慣習からその年に入った新入りのみ、予め担当場所が決まっている場合もあるそうだ。


「まあ何だ。こう言う所には年功序列がツキモノさ」

「ふぅん」

「全く嫌になるよなぁ」


そう言いつつアルバは自分から動こうとしない。肩を並べて玄関の軒下に突っ立ったまま時間が過ぎる。


「……掃除、しないのか?」

「アルバがしたらする」


にっこり微笑むとアルバはふて腐れたように箒を肩に担ぎ、歯をむき出しにしてにっと笑った。


「へいへい。やりますよ」

「はぁい」


不承不承と言った様子で彼女がまず手をつけたのは木陰に隠れたパルムの実の残骸だった。そのまま影に沿って内側だけを掃いて集めていく。暑い所は後回しのようだ。


協力して並木の両端から集めようかと思ったが、アルバは同じ所を往復しては屈んで草を弄ったりしていて真剣に取り組もうという意気込みが皆目見受けられない。彼女のやる気がないのはいつもの事なので、俺は諦めて日向の掃除に着手した。


しかし塵は一向に減らず、汗で髪がくしゃくしゃになっても全く終わる兆しが見えない。そのうち俺も面倒になって箒を持ったままアルバの側にしゃがみ込んだ。


「終わったのか?」


砂弄りする指を一旦止め、他人事のように尋ねる彼女の態度にむっとする方が馬鹿らしくなり、此方も投げやりに返答する。


「ぜーんぜん」


湿った土の匂いが鼻をついた。川のせせらぎにも似た葉擦れの音を遮って校舎の方から誰ともつかない笑い声が起こると、それきりしんと鎮まり返る。


ここへ来てから何となくゆっくりする時間が増えた気がする。学校での暮らしをオリビアは狭い裏庭に例えた。暇な時間など幾らでも転がっているような、だだっ広いこの空間の隣にそんな世界があるなんて不思議だ。


「おーい」


声のした方へ振り向くと、オリビアが一般棟の三階の窓から身を乗り出して大きく手を振っている。今までにそんな事は無かったので新鮮さを覚えた。


「どうしたの!」


窓の下に駆け寄って大声で尋ねると、オリビアはふんわり笑った。


「そんなに声張らなくても聞こえるよ」


窓枠に肘を掛け、左右に身を揺らしながら喋る彼女の雰囲気は先日とは何処か異なっている。次の瞬間、はっと気がついた俺は再び大声で尋ねた。


「髪型変えた!?」


オリビアは髪を上げて居なかった。前髪を下ろした彼女は年相応の少女らしくはにかんでそれを手櫛で梳く。


「うん、どうかな?」

「可愛いー!」

「ふふ、ありがとう」


何か心境の変化があったのだろうか。理由はさて置き、ぎらついた印象が希釈されて前より幾らか親しみやすくなったかも知れない。


「掃除、大変そうだね」


日陰で涼む俺達に対しオリビアは嫌味か本心か判別がつかない事を言った。


「ぜんぜん終わる気がしないの」

「そうなのか。手伝ってやりたい所だけど、生憎こっちもいろいろと立て込んでいてね。また今度話そう」

「はぁい」


去り際、オリビアは窓の外の俺達に向かって手を振った。そこへ通りがかった生徒が驚いた様子で彼女のことを見る。確かに掃除婦にそんな事をする生徒は他に見たことがない。


「変わってるよな」

「ね」

「違う、お前もだよ。どうやってあのじゃじゃ馬を手懐けた? 教師もみんな手を焼いているって言うのに」

「前に何かあったの?」

「あったなんてもんじゃない。これ迄の奴の所業は御伽話みたいに語り継がれてる。在学中から生ける伝説だよ」

「それは将来きっと大物間違いなしね」


彼女の武勇伝は後でじっくり聞くとして、今は眼前の仕事を何とかしなければならない。今日中に片付けろと婦長から口酸っぱく言われているのだ。


「そろそろ休憩したいな」


働いていないにも関わらずアルバはそんな事を呟いた。だがその意見には此方も賛成だ。


「着いて来い。良い所を教えてやる」


アルバに連れられて向かったのは校舎を挟んで真向かいにある裏庭の茂みの中だった。こんな場所に一体何があると言うのだろう。


「向こうに一際背の高い草が生えているのが見えるだろう?」

「うん」

「あの根本まで行くぞ」


草叢(くさむら)を掻き分けて進むうち、あらゆるものが髪に身体に纏わり付く。鋭い葉が手足に掠るたび細かな切り傷が増え、この時ばかりは丈の短い服の袖に辟易とした。


「これだ」


アルバは蔦の絡まった校舎の壁の前で立ち止まるなり手探りで何かの位置を突き止めた。横目で俺を制した彼女は後退りしながら重たそうなそれを両手両足で自重をかけて曳き寄せる。


「凄い」


果たして鉄を引っ掻いたような軋む音と共に赤茶けた門戸が目の前の草陰から徐々に姿を露わにした。中は二重の壁になっており、外から内側の様子を窺う事は出来ない。


「入った隙間を右へ進め」


アルバに続き中へ入ると、(かび)特有の甘酸っぱい匂いで満たされていた。同じく床も粘っこい埃が大層降り積もっているかと思いきや、そちらは案外歩きやすい。


「前に来たとき掃除しておいたんだ」


普段は怠けているのに何故かそういう時だけ真面目さを発揮するらしい。


薄暗い通路を二人四つ脚で這って進む。見上げればそこは案の定、蜘蛛の巣やら塵やらで酷い有様だった。


けれどそんな事より、見え隠れするアルバの下着の方が内心気になって仕方ない。


視界に入って直ぐの頃は罪悪感を覚えたが、取り立てて騒ぐのも変かと思い敢えて何も言わないことにする。


「着いたぞ」


明るい場所へ出るなりアルバは口許に立てた指を一本添えた。黙って忍足で着いていくと、どうやら今まで通ってきた場所は本棚の裏側だと言うことが分かった。


「あの扉は図書棟の裏と繋がってるんだ」


用心深く周囲を見渡し、誰も居ないと分かると漸く彼女は肩の力を抜く。


「元々は庭師が使っていたらしい。居なくなってからはすっかり錆びついてるって訳だ」

「鍵も掛かって無かったの?」

「……実は以前こっそり忍び込んで開けた」

「ちょっとぉ!」


ばれたら首になりかねない事をアルバは平気で言ってのけた。得意げに口角を吊り上げ、(たしな)められようと微塵も反省する気配がない。


初めて見る図書棟は書架が所狭しと並び、隠れんぼなら一日中でも続けられそうな程だった。部屋の奥の方には申し訳程度に机と椅子が一組ずつ置かれ、一応その場に座って読書が出来るようになっている。


「ここで少し涼んでから宿舎へ戻ろうぜ。どうせ一日で終わる仕事量じゃないんだし、夕方までに終わりませんでしたって婦長に後で頭下げれば何とかなるだろう」


即座にこれからの段取りを決めると、アルバは机の方へふらふら歩いて行った。俺は書架の間を練り歩いて目に留まった本をいろいろと物色していく。久々の体験に好奇心が刺激された。


置き場所は本の種類ごとに分けられており、入口の側には哲学書や様々な分野に関する学術書が揃えられている。俺は物語や子供向けの本は無いかと探しに出かけた。


その矢先、書架と書架の間にポツンと人影を見た。


見間違いでは無いかと目を凝らしてみても、やはり誰かいる。授業中にも関わらず背格好は生徒のそれであり、耳と尻尾から別棟の生徒だと分かった。


そこは解剖学か何かの区画で過去の研究に関する記録が集められた場所だった。彼女が読んでいるそれも別段面白くは無い資料の筈だが、余りにも夢中になって読み耽っており、何だか寒気がした。


見てはいけないものを見ているような気すらしてきて立ち去ろうとした刹那、先方と目が合う。生徒は想像以上に白い顔色をしており眼窩の下にはくっきりとした隈があった。生気の感じられない表情のまま彼女は口だけを三日月の形に歪めて笑った。


◇◇◇


「どうした?」


図らずも奇妙なものを目にした俺は一目散にアルバの元へ向かった。やはりあれは見て見ぬ振りをするべきだったかもしれない。


「変なのがいた」


今し方目にした光景を話して聞かせると彼女は次第に青ざめ、仕舞いには下らない冗談を言った。


「暑いしな、ひんやりして良いじゃないか」


陽も傾きかけた夕刻、俺たちは仕事をさぼった罪の味を知ると同時に、神の報いの恐ろしさを身に染みて理解させられた。

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