繁華街の夜
何処へ行っても、変わってるね。
そんな風に言われる人生だった。
◇◇◇
「お手伝いか。偉いね、幾つだい?」
答えを聞いて唖然とした客の表情を見て、いつもの事だと無感動に思った。
都市の繁華街にある一軒の酒場に住み込みで働いている。中年の夫婦が営む店は目立つ通りにあるものの、目玉となる料理も真新しい設備もなく、売上は常に上々とはいかない。
「おい三番テーブルに客だ」
「はい」
「クロ、料理を運んでちょうだい」
「すぐ行きます」
店主夫妻は縁あって親戚筋から身寄りのない俺を預かった。以来、店の手伝いをさせられている。
「こんばんは」
「おうクロ、近頃の景気はどうだ?」
「ぼちぼちってとこ」
しかし彼らは俺自身には興味がないらしく、碌に言葉を交わす事もなければ、互いに家族だとも思っていない。意見の一致から無駄な諍いは避けられているが、駄賃が少ないのは考えものだ。
「お待たせしました。こちら注文表です」
「ありがとう」
夜の繁華街は様々な人種で溢れている。仕事終わりの労働者や学院に通う生徒達、中にはギルドで仕事を受け持つ冒険者や街の劇場に出演する俳優女優なんかもいて、時には店を訪れる。
「あの女優さん、エルフの男性と付き合ってるって噂よね」
「でも獣人ともデキてるって聞いたわよ」
「えー、あの俳優と!?」
「それはないわぁ!」
客の共通点は人間であること。
この世界にはエルフや獣人なども存在する。それは前世で言うところの人種のように区別されており、支配層である貴族の多くがエルフだったり獣人は過去に奴隷として他国から連れてこられた人々の末裔だったりと関係性が複雑である。
俺の住む国ではエルフにはおべっかを使い、獣人には上から物を言うことが暗黙の了解になっている。そしてエルフはエルフ、獣人は獣人の店に行くことが大半だ。
「ご注文は以上で宜しいですか?」
「ええ、ご苦労様。下がっていいわよ」
不意に女性客の一人と目が合う。
装いからして街の人間ではない。冒険者か旅人と言った所か。
「かしこまりました。ごゆっくり」
伝票を回収してカウンターの方へ戻ると、返ってきた札に紙が挟まっていることを確認する。そこには何も書かれていない。ルールを知る客からの合図だ。
「マスター、今日は何時に上がり?」
「この感じだと後一、二時間って所だろう」
「分かった」
俺は店の閉まる予定の時刻を紙に記し、例の客の上着のポケットに忍ばせておいた。店仕舞と同時に客は皆帰って行ったが、彼女だけは一瞬熱い眼差しで俺を捉えた後、胸が騒つく笑みを残して宵闇に姿を晦ませた。
◇◇◇
「待ってたわ」
その夜、寝室の窓を叩く音がした。外に見える相手はさっきの客だ。窓からあがらせ上着を脱がせると、下は既に寝巻きだった。
「噂には聞いてたけど、本当だったとはね」
期待に昂った目をした女は背が高く、ベッドに座る俺を見下ろすと身長差が露わになる。長めの耳にピアスを付けている所を見るに結構な遊び人と伺える。この世界ではエルフが支配者のため、長い耳は美しさの象徴である。それにピアスを付けるのは性的魅力を際立たせるためだ。
だが、俺にとってはどちらでもいい。この世界の人間とは美醜の感覚が乖離している。俺が好きなのは単に美人な女だ。
その点、彼女は耳が長いことを除けば顔も不味くはない。胸はそこそこだが細身でスタイルが良い。大きな瞳に腫れぼったい唇の組み合わせも色気があって気に入った。
「誰から話を聞いたの?」
「同僚の金髪女。あんたの客だって」
「ああ……あの人ね」
大分昔に客に取った旅人風の女だろうと察しがついた。頑なに素性を明かさなかったが、街のギルドの人間だったらしい。この国では同性愛も宗教上のご法度だ。
「それより早く始めましょうよ」
「はぁい。一応声は抑えてね」
逸る気持ちを堪えきれずにと言った様子で、彼女は急かす。それに従いベッドの中へ招き入れる。態々説明する必要もない。
「あんたの細い黒髪と我儘そうな目つきが気に入ったの。見てるだけで虐めたくなってくるわ」
覆いかぶさるなり、うねった橙色の髪を揺らして彼女は言った。この世界ではカラフルな毛色をした人間が多く、黒髪や茶髪などは滅多に見かけない。
「薄い体ね」
仰向けで見上げる彼女の顔は二十歳前後にも見えるが、童顔なので実際はそれより上かもしれない。
「女ばかり客に取るのは良い考えよ。子供が出来る心配もないしね」
話半分にぼんやりと窓の外を見やる。客と目を合わせるのは苦手だ。反応を気に留めず、彼女は鎖骨に軽く触れるように口付けする。視界の端で燭台の灯りが微かに揺れた。
「ここがいいの?」
「うん」
頷くと彼女が調子を良くするのが分かった。こういう場面では受け手も気持ちを表明する事が大切だと、以前、名前も知らない誰かから教わったのを思い出す。
「店の時と随分態度が違うのね」
「ごめん、嫌だった?」
「いいえ。寧ろ興奮するわ」
悪びれもせず彼女は言った。小さい子が大好きな層は何処の世界にも一定数存在する。そこに男女の垣根は存在しないと言っていい。
「クロは元々あんまり頭良くないの。だから店では同じ言葉だけ使うようにしてる」
本当のことだ。俺は今世で教育と言うものをまともに受けたことがない。当然学もなく、目上との接し方も分からない。喋るとたちまちぼろが出る。
けれどそんな事は些細な問題だ。この商売は不自由な世界で飢えた女を客に取り、ベッドの上でただ睦み合うだけだ。
「手慣れたものね。これで一体幾ら稼いできたのかしら? こいつめっ」
「いやん」
見た目は子供だがその実幼くはなく、駆け引きなども辛うじて熟せる俺はその手の連中からは引く手数多だった。お陰で細々とした仕事でも今までに客足が途絶えたことはない。
「んっ……」
快感からではない、どこか噛まれた。
見れば内腿の辺りに歯形がついている。
それも、かなりくっきりと。
痛いはずだ。
「ねぇ、ちょっと」
「良いじゃない、少しくらい」
「痛いったら……!」
「静かに」
声を抑えるのを忘れていた。
思い当たり、慌てて口を噤む。
「ふふ、これでも咥えてなさい」
口内に指を突っ込まれた。その隙に彼女は俺をうつ伏せにし、背中や肩、首の後ろに歯形をつけていく。
「……っ」
身体が震える度、背後で彼女の吐息が荒くなっていくのが分かった。けれど不快さは感じない。俺も興奮していた。
「何て子なの」
昂りが頂点に達したのか、彼女はそこで激しく攻め立てた。彼女が堪能した後は此方から沢山虐めてやった。慣れた手管に彼女は何度も気をやった。
◇◇◇
それから少し彼女は自分のことを喋った。生まれ故郷の話や冒険者としての経験に纏わる与太話を聞くのは新鮮で面白かった。
「へぇえ」
好奇心から聞き入ってしまう俺の様子を見て彼女も満足気だった。
「ねぇ名前は?」
隣で横になる彼女に尋ねる。
いつも行為の後で聞くことにしている。
「レスリー」
頭上から降ってくる声が湿っぽい。
もう眠いのかもしれない。
「また来てね」
俺の頭を抱くレスリーにキスをする。
唇を離すと胸に顔を埋められた。
「大好きよ、レスリー」
髪をかき分けて指が頭に到達する。下から深く息を吸い込む音が聴こえた。
「誰に教わったの」
「誰にも」
「嘘よ」
脇腹を擽られると変な声が出た。上目遣いのレスリーと目が合う。
「久々に満たされた気分だわ」
「そう」
「褒めたんだから喜びなさいよ」
「へへ」
再び子犬のように鼻先を胸元に埋めたレスリーがうっとりと呟く。
「いい匂い」
どうやらこの体臭には女を酔わせる効果があるらしい。転生によって手に入れたものだ。嗅ぐと一部の女性はクラッときてしまう。女性に興味がない女性と、男性には効かない。
「おやすみなさい」
頭を撫でながら言うと、レスリーは腕に抱かれたまま大きな赤ん坊のように眠った。
◇◇◇
「起きて、そろそろ行くわ」
夜明け前に体を揺すられて目を覚ます。
まだ人通りの少ない時間帯に去るようだ。
「またね。代金は枕元よ」
「ありがとう」
実際に枕元を見やると貨幣が少し多めに積んであった。その下には何やら一枚の紙切れが敷かれている。
「プレゼントよ。今度使ってみて」
どこかの酒場の割引券だ。
礼を言うとレスリーは出て行った。
当面の方針が決まった。