マリア・ルーシェ「犬たちの黄昏」
銀と金が入り混じる。そういう言葉がよく似合う絵画だった。僕がその絵画を見たのは、ただ1度だけしかない。描いた画家の名前はマリア・ルーシェという。僕はそのときに初めて、マリア・ルーシェという画家がいるのを知ったのだ。父に連れられて、美術館に行った。ドイツ美術の展覧会の中で、そのマリア・ルーシェの絵はひときわ人気だったのを、僕は今でも覚えている。マリア・ルーシェのその生涯はよくわかっていない。西暦1750年ごろ突然現れて、そして10年ほどで姿を消した。死んだ、襲名だ、といういろんな説が現れては消えた。そして、どの説も決定打に欠けるのだ。上流階級の人たちがマリアの絵画を買い占めた。その理由は一説によると、近世オランダにあったチューリップバブルと同じ投機だったと言われてる。その絵画はのちにナチスドイツが没収して焼却したのだ。マリア・ルーシェはユダヤ系ドイツ人だったからだ。だからマリア・ルーシェの現存している絵画数は少ない。そして真贋論争もあるから、僕が見た「犬たちの黄昏」がマリア・ルーシェの現存する唯一の絵画と言われいてる。
僕はその日、父に連れられてオランダ宮殿美術館まで行った。ベルギーから国境を越えて、行ったのだ。もっとも、ヨーロッパでは国から国へ移動することは普通だから、この程度はたいしたことではない。僕は、電車の中で好きな少年向けの小説を読んでいた。オランダ宮殿美術館前駅で降りた。その駅には前も行ったことがある。社会の授業でだったと思うけれど、よく覚えていない。僕は入場料10ユーロを支払い、美術館に入場した。マリア・ルーシェの絵画が一般公開されるのは15年ぶりだから美術館の中にはアジア系の人もいたし、イスラームの民族衣装を着ている人もいた。僕は気にせずに父と一緒の「近世ドイツ美術の幕開け」を閲覧して、そしてマリア・ルーシェの「犬たちの黄昏」の前に来た。
作品説明にはこう書いてあった。
この作品「犬たちの黄昏」は近世ドイツの画家マリア・ルーシェの確実に現存する唯一の作品である。金を基調として犬たちが子供の前で戯れ、銀が目立たないように質素さを補う。この作品はプロイセン国王が代々所有していたものである。この絵画は第2次世界大戦の悲劇を免れた。
と書かれてあった。僕は評論家の意見はあまり気にしていない。自分が良いと思えば良いし、悪いと思えば悪い、というただそれだけのこと。
僕は絵画を保護するガラス越しに「犬たちの黄昏」を見た。絵画の中のその子供は犬たちと一緒に遊んでいる。僕は何とも言えない感覚に襲われた。この絵画はなぜ今に至るまで現存しているのだろうか? と考えて、そしてその場を去った。
その日はちょうど少しの雨が降っていた。僕は家路を急ぎ、そしてマリア・ルーシェの本をインターネットで注文したのだった。