明かされる真実(後編)
彼女の返信の一文が、ようやくノブヤの中で繋がった。
『愛する者が失われるのを、手をこまねいて見ているのは、死ぬよりつらい事だから』
彼女は娘の死を受け入れることができなかった。それが運命だとしたら、運命に抗おうと試みたのだ。どんな方法を採ったものか、娘の記憶を読み出して再構築し、自律人工人格として生き延びさせる道を選んだ。FSOという「野心的とも言える規模のゲーム世界」の中で。だからこそ、エドワードに再び関わるという「苦行」さえも敢えて受け入れたのだろう。
「最初は……まるで長い夢から目が覚めたような気分でした。とても苦しく、恐ろしい夢だったように思う。でも、目が覚めたときはお母さんが側にいて、手を握っていてくれました……」
エルムの告白を聞きながら、ユーリは「手を握っていて」という願いが思った以上に重い意味を持っている事に気づかされ、緊張しながら彼女の手を握り返した。
「お母さんは、悲しそうな顔で『ごめんね』って繰り返してた。『これはあなたの生をねじ曲げる事かも知れない。でも、どうしてもあなたに、生き続けて欲しかったの』って……」
エルムの語る内容に、辺りの一同も徐々に事情が飲み込めてきた。皆、息を潜めて彼女の話に聞き入っている。
「そしてお母さんは、ボクにいろんな事を教えてくれました。いや、『気づかせて』くれたって言った方がいいと思う。知らなければならない知識は、ほとんどボクの中に『書き込まれて』いたから。変な……感じでした。自分が実際には体験した事のないこのゲームの知識が、まるで実感がないまんまで思い出せるの……。逆に、外の世界で生きていた頃の記憶は、所々で欠け落ちたみたいに思い出せない事があります。だからはっきりしないけど、以前はここまで運動神経良い方じゃなかったと思う。メアリーって名前も……前はそう呼ばれていたのはわかるけど、『自分の名前』っていう実感がない……。多分、ボクは以前のボクと完全に同じじゃないと思う。『エルム』っていう、別な人間として、生まれ変わったんだと思います」
(……どういう事だ? ハンナの天才をもってしても、完全な人格再現はできなかったという事なのか?)
人間の人格の完全なデジタル化は、国連の「人工人格禁止条約」の規制もあり、どこの国や研究機関でも実現はしていないはずだった。メアリー──エルムは、おそらく元の記憶・精神構造をAIのプログラミング技術で補われているのだろう。現実世界の人体の譬喩で言えば、サイボーグのような存在と言えるだろうか。ノブヤたちの「現代」に於いても、人間の感覚を備えた「義体」は実現不能な段階にあったが。
(バイオ再生技術がここまで隆盛を極めていなかったら、サイバネティックス技術は今よりずっと重視され発展していただろうが……)
そうなっていれば、「AIに肉体と、それを取りまく世界を与える」という第三ラボの研究テーマは、コンピュータプログラム上のものではなくアンドロイドを使って現実世界の中で試行されただろう。
「……ハンナ・キャンベルって人も、確かFSOの開発メンバーだったはずだよ。『ビッグファイブの一人』とかって『ゲーミン』で紹介されてた」
「ああ……名前だけは聞いたことあるな」
ジブリールとヤヌスの会話に、ノブヤは尋ねなければならない質問を思い出した。自分にとってもこの子にとっても、つらい問いである事は予期していたが、敢えてそれを口にする。
「エルム……でいいのかな? お母さんと、連絡は取っている?」
ピクリと彼女は身を震わせて、言いよどみながらもその問いに答える。
「いいえ……一年か、そのくらい前……このゲームの本サービスが始まる四ヶ月くらい前だったと思います。急に『隠れて!』って一言だけのメールが送られてきて……それっきり、連絡が取れてません」
「…………」
ノブヤとハンプティ──ウォンにとっては織り込み済みの話だった。ちょうどS市の祭の夜……ハンナが消息を絶ったその頃に合致する。やはり、という苦い思いだけが残った。
ハンナの手掛かりを得たいのは山々だが、これ以上踏み込んだことを尋ねるべきかノブヤが迷っていると、逆にエルムが問いかけてきた。
「あの……ノブ……さんでいいですか?」
「あ、ああ、すまん。正式に名のってなかったね。ノブヤ・カトーと言うんだ。よろしく」
「ノブヤ……さん、お母さんが連絡取れなくなったのって、あの、銀髪の……エドワードって人が関係してるんですか?」
「!」
核心に近い問いに、思わず口ごもるノブヤ。それはエルムにとって肯定と変わらなかった。
「やっぱりそうなんですね……。お母さんは、滅多に人を恐れたり嫌ったりしないけど、あの人だけは別。お母さんの昔のアルバムを、ナイショでのぞいたことがあります。お母さんと一緒に、あなたとアフリカ系の男の人、褐色肌の女の人と……顔が黒ペンで塗りつぶされた男の人が映った写真がありました。顔は塗りつぶされていたけど、その人は真っ直ぐな銀髪を肩まで伸ばしてて……。お母さんがそんな事をするなんて、ショックだった。でもきっと、あの人の顔は見るのもイヤだけど、あの写真は捨てられなかったんだって……そう思いました」
「エルム……」
彼女の手がかすかに震えていた。思わず呼びかけるユーリ。目をつぶり大きく深呼吸してからエルムは続けた。
「お母さんは、ずっと誰かを怖がっていました。この世界でボクが目覚めた時から何度も『気をつけるのよ、決して見つかっちゃだめ』って言ってて……。『見つかるって、誰に?』ってボクが聞くと、つらそうな顔をして黙ってしまうの……。だから、きっと、お母さんをあんなに怖がらせていたのは、『あの人』だと思います」
「…………」
ノブヤは何も言葉を返せなかった。「推論」と言うにはあまりに稚拙な理屈のはずなのに、結論は的を射ているとしか言いようがない。女性のカンは恐ろしい。その認識を新たにするノブヤ。例えそれが少女であったとしても。
そして彼の脳裏には一つの問いが埋め込まれた。「エドワードがエルムの存在を知ったら、どう行動するか」という……。自分の娘だと、両手を広げて受け入れるか。それとも、自分の過ちの痕跡と認識するか。……彼が知るエドワード像からは、どう考えても好意的な反応が思いつかない。端的に言って彼は子どもが嫌いだった。あのまま付きあいを続けていれば、いつか精神分析を勧めていたかもしれない。そんなIFを想像するほどに。
「……ボクにそういう事を聞くって事は、あなたも、お母さんがどうなったか分からないんですね……」
「……ああ、消息不明なんだ」
もう隠しておくことは出来ないし、そうする意味もない。ノブヤは事実を認めるしかなかった。
「ずっと……不安だったんだね」
エルムにかけたユーリの声は、不思議な響きを帯びていた。静かな確信と相手を包み込むような労りとが、融け合ったような……
エルムは顔を伏せ、何かに耐えるように身を強ばらせていたが、突然ユーリの胸に飛びこんで顔を押し付けた。
「………………」
声は上げなかったが、彼女の肩が震えていた。無言で彼女の肩を抱くユーリ。もう何を言えばいいのか考えつかない。ただ、彼女の気が済むまでこのままでいよう。そう思った。
「安心しろって。オレたちがいるだろう?」
「うん……ちょっと驚いたけど、やっぱりあなたは人間よ。そうとしか思えないわ」
「おうよ、オレもそう思う」
「あたしたちだって、仲間だよ。そうよね? ジブ」
「うん……」
ネストボックス卒業生の皆が声をかけてくる。その声に励まされ、ユーリにも彼女に何と言えばいいのか、分かったような気がした。彼女もそう思ったからこそ再び戦場に立ち、彼らに自分の秘密を明かしたのではなかったか。
「ね? 君の仲間は僕だけじゃないよ」
……エルムはゆっくりと息を吐き、ユーリの胸から顔を上げた。かすかに目元が赤かったが、彼に向けた笑顔は、いつもの彼女と変わらない。
「ばかっ……ユーリのくせに生意気……!」
「ふふふ……」
その光景を茫然と見つめるノブヤ。「人格の完全なデジタル化」は、AI研究者にとって驚愕すべき、俄には信じがたい結果だというのに、目の前のティーンエイジャーたちは、ごく自然にそれを受け入れてしまっている。
(自分が歳を取ったとは認めたくないが……)
かすかな苦笑を口元に浮かべる。と、その時、今呼ばれた名前がノブヤの記憶に引っかかった。確か、優先順位は低いが「不可解な事例」として報告が上がっていた……
「ユーリ? ひょっとして君が、低レベルの上に単独で、特殊なモンスターを討伐したっていう?」
「えっ、その、はい……でも、一人じゃ……」
言いかけて、しまったと思い口をつぐむユーリ。エルムが討伐を公開しなかった事を思い出したのだ。しかし一瞬彼女に視線を走らせてしまった。それは彼女と一緒だったと告白したに等しい。
その視線を受けて、ユーリとノブヤの顔を交互に見ていたエルムだが、何かに思い当たったように
「あ……ノブヤさん、ひょっとして戦闘ログ見たんですか? 今、お母さんと同じ職場で働いてるんですよね?」
「あ、ああ、そうだよ」
「で、ログにはユーリの名前だけで、ボクの名前は記録されてなかった……」
「……その通りだ」
「多分それは、ユピテルっていう管理AI? に、ボクが見えていないからだと思います。お母さんがよく言ってました。『ユピテルの目を逃れて、あなたが生き続ける方法を探している』って。そうしないと、結局見つかっちゃうからって……」
エルムには、もう隠しておく気はないようだった。隠してもムダと思ったのか、あるいは母に近しい関係だった研究者であろう人物を頼った方が得策だと考えたのか。
彼女の答えに、そういう事かとノブヤの胸に納得感が湧く。なるほど、エドワードに娘の存在を知られたくないハンナとしては、当然その方法を採るだろう。彼女にとってFSOは、環境的には一番ふさわしいが最も危険な場所でもあるというジレンマに満ちていたわけだ。いや、しかし、そうなると……
ノブヤの脳内に推論の連鎖反応が起こった。ユピテルから隠蔽されなければならないという「宿命」。エドワードの奇怪な「嫌がらせ」 彼女が「死に戻り縛り」をしているという話……。個々の情報が一本の道筋に繋がっていく感覚。
「待ってくれ……となると……エルム、君が『死に戻り縛り』をしているのって、それは制限プレイなんかじゃなく……」
ノブヤの言葉に一瞬目を伏せるエルム。しかし小さいがはっきりとした声でその問いかけに答えた。
「はい……ボクは『死に戻り』できません。お母さんが『まだユピテルの目を逃れて復活システムを利用する方法が見つからない』って言ってました」
「な……!」
「え……!」
「そんな……!」
全員の視線がエルムに集中した。




