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フェミニズムの歴史的意義~~ただし、「日本の」とは言っていない

作者: 上梓あき


とあるエッセイを読んで、そちらの補足を兼ねた感想を書きたくなったのでとりあえず書いてみました。




この世に存在するもので意味の無いものは何一つとしてありません。

これだけは確実に断言できます。

フェミニズムやウーマンリブと呼ばれるものにもこれは当て嵌まります。

元々、これら女性解放運動はヨーロッパが震源地でした。


では、なぜ欧州で女性解放運動が起きたのかというと、

これはもう「それが必要だったから」としか言いようがありません。


ヨーロッパというところは昔から伝統的に家父長制社会でした。


このように書くと、日本もそうだなどという反論もあるかもしれませんが、それは欧州の家父長制社会というものを知らないから出てくる見解に過ぎません。

……と言いたくなるくらいに欧州の家父長制社会は、それはそれは酷いものでした。


一つ、具体例を挙げましょう。

イギリスの作家でデーヴィッド・ハーバート・ロレンスという人が居ます。

この名を聞いてほとんどの人は「チャタレイ夫人の恋人」を思い浮かべるだろうと思います。

このロレンスという作家は、日本でいえば谷崎潤一郎のような立ち位置の人で、イギリス国内では「息子と恋人たち(Sons and Lovers)」が教科書に採り上げられる程度には名の知れた小説家ということになっています。


で、このD・H・ロレンスには伯父/叔父が居りましたが、この伯父/叔父は或る時、食事中の息子のテーブルマナーが悪い事に逆上してしまい、手にしたナイフを息子に投げつけてしまったのです。

不運なことにナイフは息子に耳に突き刺さって、この傷が元となってこの息子は死んでしまいます。

当然のことながら、警察に逮捕されたロレンスの伯父/叔父は裁判で有罪判決を受けるとその日のうちに釈放されたそうです。


どうしてでしょうか?


逮捕されてから判決が出るまでの拘留期間が判決による懲役期間を上回っていたからです。

それがために、このロレンスの伯父/叔父は判決直後に放免されて自宅に帰ってきたと。


これを読んで「なんだそれは?」と思う人も多いと思います。

ですが、イギリスという、アングロサクソンの家父長制社会における慣習法を知れば納得せざるおえないでしょう。


厳格な家父長制を採るアングロサクソン社会においては、

父親が躾のために息子を殴っているうちに、勢い余って息子を殴り殺してしまうのは父親の持つ正当な権利である、という慣習法が存在していたからです。


だから息子殺しは殺人罪ではなく、父親の正当な権利だったわけです。

ヨーロッパの白人社会は基本的に、強い家父長制社会だったので、どこもそういう傾向は有ったかとは思いますが、

私的な感想を言えば、アングロサクソンを含むゲルマン系にそういう傾向が強いのではないかと。


こんなことを書くと「日本だって武家社会では息子を手討ちに……」とか言い出す人もいるかもしれませんが、殴るのと刀で斬るのとでは意味が全く違います。

この違いが分からない人は殴るという行為の意味を知らない人だと思いますが、正直なところ、殴るということを知らない人がいるとは到底思えません。


故人ですが、獄門鬼と呼ばれたマサ斎藤という名のプロレスラーがいました。

この方はアメリカで刑務所に服役経験があるという珍しいレスラーです。

で、テレビのプロレス中継で、レギュラー解説者を勤めている際に、マサ斎藤さんが言ったのです。


――プロレスラーが逆上して怒り狂って我を忘れると、プロレスの技なんか一切頭の中から抜け落ちて、ただ目の前にいる相手を殴ることだけしか考えられなくなると。


この発言を聞いてなるほどと思いました。

実際、プロレスの不穏試合と呼ばれるものにはそういう試合展開のものが多いのです。

有名どころでは、ある時の東京ドーム大会で行われた長州ー橋本戦。

この試合はそれまでに積み重ねられた両者の感情的もつれと遺恨が破裂して、

試合途中からプロレス技がまったく出なくなって、組み合ったままお互いをただ無心に殴り合っているだけの試合になってしまいました。

それを実況席から見ていた、当時社長だったドラゴン藤波はヘッドセットを投げ捨ててリングに上がり込んで二人の間に割って入り、試合を止めてしまいます。

これを人呼んでドラゴン・ストップと。


それ以降、注意してプロレスの試合を見ていると、対戦者同士の間で技が出なくなり、ただの殴り合いに移行した段階で団体関係者の雰囲気が一変するのがわかるようになりました。


人は怒りに我を忘れると拳で殴り、猿は口で噛みつく。

そう考えると果たして本当に人は猿から進化してきたのだろうかという感慨を抱いてしまうのも仕方のないこと。


斯様に殴るという行為は人間の攻撃性という本能に根差したものです。

ここが「刀で斬る」のとは違います。

自作のダークエルフ忍法帖(ストーリーが題名と乖離しかかっている感)でも少し触れましたが、刀で斬るという行為は拳による殴打や剣による刺突に比べると遙かに複雑な動作です。

あの宮本武蔵にしても、仇討の為に弟子入りしてきた幼い姉弟には、「突き」だけを練習させたといいますね。(ちなみに無事に仇討本懐を遂げた模様)


平成に入る直前に起きた、

東京都足立区綾瀬の女子高校生拉致監禁、強姦傷害死体遺棄事件

――いわゆる女子高生コンクリート事件の犯人の一人が警察の取り調べで自供して言うには、

「俺は頭に血が上ってカッとなるとすぐに手が出る。そして殴っているうちに何で殴っているのかも分からなくなって、止められない衝動のままに、ただ殴るためだけのために夢中になって拳で殴り続けてしまう」だそうです。


これなどは殴るという行為が脳にフィードバックされて、歯止めのないままに暴力衝動がエスカレートしていくという、暴力のスパイラルなんだろうと思います。


一方、刀で手討ちにする時には普通に斬るでしょうが、果たしてこれは怒りに我を忘れた状態でできることでしょうか。


女神アテナの聖戦士ならば、パンチ一発で致命傷を与えることは可能だと思いますが一般人には無理です。

そして殴り続けるということは攻撃衝動が継続しているということでもあります。


そういったことをつらつらと考えると、昔の武士の手討ちをアングロサクソン社会での殴り殺すのと同一視することはできません。


そして、そうやって夫に殴り殺されて死んでいく息子の姿を黙って見ていなければならない母親の気持ちはいかばかりなものでしょうか?


夫を止めに入ってまかり間違って夫を殺してしまった場合には、妻は夫殺しの殺人犯となってしまいます。

古いアングロサクソン社会においては、息子を殴り殺すのは家長である父親の正統かつまっとうな権利であったので、

妻がこれを止めようとするのは夫殺しのみならず夫の権利の侵害という罪でもあります。


そんな社会で息子の生命を守れますか?

息子の命を守るためには母親が発言権を持たねばなりません。

そういうやむにやまれぬ事情から女性解放運動というものが欧州で起こってきた。

ウーマンリブと言いつつも実際のところは、切羽詰まった母親の叫びだったのかもしれませんね。



一方、明治以前の日本ではどうだったかというと、

男尊女卑だなんだと言いつつも、母親の発言権、女の社会的地位というものはヨーロッパのそれとは比べ物にならないほどに高かった。


戦国時代の古戦場跡で遺骨を採取してDNAを鑑定したら戦死した兵員の三分の一は確実に女だったという調査結果もあります。

(同時代資料を当たってみて同様の記述があることから、これは事実であっただろうと結論付けられている)

しかも最前線での戦死者のため、後方支援で戦闘に巻き込まれたとは考えにくい。とも。

更に時代が下った江戸期においても、黒甜瑣語(こくてんさご)などを見るに、大名家に仕官した女武芸者というのは多くは無くとも皆無というわけではありません。

中には男と同様に切腹して果てた女の武士もいるそうです。


これは男尊女卑に染まった、過剰な家父長制とキリスト教の影響を受けたヨーロッパ社会においてはあり得ないことです。

実際問題、中世ヨーロッパにおいては日本のファンタジー作品に見られるような女戦士だの女騎士だのといったものは実在しませんから。


そういったことを思うに、近代までのヨーロッパにおいて息子の命を守らんとする母親の苦悩がどれほどのものであったことかと思うと、大変に切なくなるんですね。


彼女たち母親にとっての女性解放はお遊戯的なものではありませんでした。

何しろ息子の生き死にが懸かっていますから。


だから、ヨーロッパの近代化においては、ある一定のフェミニズムはどうしても必要だったのです。




参考資料:

「骨が語る日本史」鈴木尚 著(東京大学名誉教授。医学博士。故人)

「戦国の合戦」小和田哲男 著(静岡大学名誉教授。歴史学者、文学博士)


なろうの戦国歴史物でタイムスリップした女主人公が一人の武芸者として認められ、戦国武将として成り上がっていく筋立てのものがあったら読んでみたいですね。


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― 新着の感想 ―
[一言] コモン・ローにおける父権の絶対性の話が興味深いです。 日本は平安時代くらいまで母系社会だったことも、欧州との違いになっているのかなと思います。 女性の権利に関する運動は、1960年代半ばま…
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