第十話 総合防災訓練
第十話 総合防災訓練
十月中旬の土曜日、市内各地区で流川市総合防災訓練が行われている。朝九時に大きな地震が発生したという仮定で、まずは各町会の第一次避難場所(菱町町会はふるさと会館)に参加者は集まり、各町会ごとに総合訓練が行われる県立公園(第二次避難場所)に避難する。県立公園では市の担当者が避難状況を確認し、その後は公園内で市の指導で消火訓練とか救急救命訓練とかに分かれて参加することになるそうだ。菱町町会でも約五十人が参加し、現在県立公園まで歩いて向かっているのだ。
「でな、俺は考えた訳だ。よく保育園とか託児所のお散歩で、保母さんが大きなカートに幼児を詰めて移動する風景があるだろ?」
「幼児を詰めるという言い方はおかしいが、言ってることは分かる」
「幼児が乗ったカートは、少ない引率者が多くの幼児を安全に運ぶためにはとても画期的な道具だよな。これを応用してだな、緊急時にはリヤカーに寝たきりの老人を寝かせて安全な場所に運搬するというのはどうだ?」
「おお、ショウ君にしてはいいアイデアではないか。なあハカセ」
「ハハハそうだねぇ。今日は訓練だから全員歩いて避難しているけど、本当に大きな被害が発生したら寝たきりの人をどう避難させるかは大切な問題だよね」
「そうだろ。車が使えればいいけど、被害の状況によっては車が使用できない場合もある。子供なら抱きかかえたりできるけど、老人だと難しいよな。抱きたくもないし。俺より重い婆もいるし。そういう時のリヤカーだよ」
「うちの町会にもあっただろ?確か町会倉庫に二台」
「お祭りの時に使ったがパンクしてた。あれではいかん。そのほかにも壊れたスコップだのツルハシだのがゴロゴロしてたぞ。家屋倒壊とかの場合、救助がすぐ来てくれるとは限らないのだ。町会倉庫やふるさと会館の災害用備品を速やかに点検しなければなりません」
「ハハハ、どうしたんだい?ショウちゃん」
「どうせテレビで防災特集でも見たんだろう」
「そうなのだよ。クローズアップ現代でな、本当に大きな災害になったら救助なんかすぐには来ない、隣近所や町内会での救助活動の重要性というのを見たんだよ。だからな町会長よ、災害用備品の点検は大切なんだぞ」
「分かったよ。今度の定例役員会で取り上げようか。リヤカーは災害時にはガレキの撤去とかにも使えそうだしね。ついでに非常用の水や食料の備蓄も必要だよね」
「そのとおり。カセットコンロと飲料水と無洗米とナベがあれば飯が炊ける。一年位はもつから町会行事で非常時の炊き出し訓練とかやってな、水とか米とかボンベはその時に使用して、新しいものにチェンジするといいそうだ」
「いいね、それ!イベントとしてもいい!無洗米ならうちで購入すればいい!でも待てよ、僕から言い出すのはいかにも…。ショウちゃん、ショウちゃんから提案してくれよ。基本案は僕が作るからさ。無洗米は少なくても百キロ、いや二百キロ…。それが毎年か…」
「こいつは商売の話になると…」
「ハカセ、水くらい笠井商店から買わないと笠井の親父はうるさいぞ。あ、あとビスコ!缶に入った災害用のビスコも買ってくれ。ビスコはうまい」
「東海林さん、甘いもの食べたらしょっぱいものが欲しくなりますよぅ。リッツ!缶入りのリッツもありますよぅ。舞ちゃん、リッツ好きだよねぇ?」
「まいちゃん、ビスコのほうがいい。ゆきちゃんは?」
「有希もビスコかな」
「よしよし、さすがは有希ちゃんと舞ちゃんだ。でも堀ちゃんの意見も一理ある。両方買おう!」
「ビスコとリッツとお水があればぁ、南田会長のお米は要りませんねぇ」
「な、何を言ってるのかなぁ、堀北部長。ショウちゃんからもなんとか言ってくれよぅ」
「堀ちゃん、炊き立ての米も捨てがたい。第一、お米がなければ炊き出し訓練にならん。でもお米だけでは…。缶詰!サンマの蒲焼缶がいい。サンマの蒲焼缶も買おう!飯に合う!」
「だったら私はサケの中骨缶がいいですぅ!」
「ハハハ、しょうがないなぁ。ま、お米が売れるんならまあいいか」
「なにが、まあいいかだ。三人して私利私欲で防災を語るなよ」
「でも小西さん、途中まではいいお話でしたよ。炊き出し訓練とかは婦人会が中心になって協力しなくちゃいけないなと思いましたから」
「そうだよ、マサちゃん、大丈夫だよ。私利私欲の部分はうまく隠して原案作るからさ。ハハハハ」
「おもいっきり私利私欲って言ってるよ、こいつは…」
「それにしても腹減ったな。ハカセよ、昼飯はまだか?こんな話をしてたら、腹が減ってしまった。どうしてくれる」
「ハハハ、どうしてくれるって言いだしっぺはショウちゃんじゃないか」
「ショウ君、さっきからいろいろ言ってるけど、さては腹減ってるだけだろ?」
「奥さんが昨日から京都旅行に行っているのだよ。哀れな夫を置いてな。めんどくさいから朝飯食ってない。なあ、昼飯はまだか?」
「ショウちゃん、まだ十時前だよ。この後、県立公園に行ってさ、市の各訓練に参加してさ、それからお弁当だよ。お弁当は防災防犯部が十二時頃配達してくれるよう手配してるって」
「……無理だな。よし、俺は熱中症ということでここで帰るとするか、マサ」
「馬鹿言ってんじゃないよ、今日は曇りで涼しいだろうが」
「そうだよ、ショウちゃんは消火器訓練参加で申込みしてあるんだから帰っちゃダメだよ。もうすぐ公園だからさ。しょうがないなぁ。ほら、あそこのコンビニでオニギリでも買ってくれば?」
「おお、まさしくコンビニエンス!よし、有希ちゃんと舞ちゃん、なんか買ってやろう」
「舞ちゃん、ママにビスコ買ってもらって」
「…しょうがねぇなぁ、避難訓練なのに」
その後県立公園に無事避難した俺たちは事前登録した訓練にそれぞれ参加した。予想していた訓練よりはるかに大規模な総合合同訓練に驚いた。消防や警察はもちろん、陸上自衛隊までいて、カラフルなテントでは各メーカーが最新式の防災グッズの展示や販売なども行っていた。
俺の参加した消火器訓練は流川消防署が主管するもので、職場で毎年やってる訓練と大差ないものだった。テレビの面白動画特集に出てくるような出来事も起こらず、十一時半には終わってしまい菱町町会の集合時間まで三十分も余ってしまった。訓練という名目で災害救助犬と遊んでいた堀北親子も訓練が早く終わり時間を持て余していたので、一緒に防災グッズなどをひやかすことにした。
「これは携帯トイレの試供品ですねぇ。いいですねぇ。パパとドライブするときの舞ちゃんのおトイレにできますぅ」
「そうか、それなら俺がもらったやつもあげよう。それにしてもいろいろサンプルもらえて助かるな。堀ちゃんが菱町町会の腕章と旗持ってるから、業者もワンサカ寄ってくるしな」
「そうですねぇ。でも東海林さんのももらっちゃっていいんですか?年取るとトイレが近くなるそうじゃないですか」
「失礼だな君は。第一、俺の膀胱はそんなにやわではない。それに長距離ドライブのときは大きいペットボトルを持ってってなぁ、あっ、でもそれじゃ入れ口が小さいか?」
「わっ、ダメダメ!またそういう話をしようとしてますねぇ。舞ちゃんもいるんですから」
「そ、そうだな。教育上よろしくないな。じゃあ別の機会に」
「別の機会でもいらないですぅ!」
―ピーポー、ピーポー、ピーポー
「さすが防災訓練だな。救急車が走っていても全然違和感ないなぁ」
「あっ、東海林さん、煙体験ハウスですって!なんかいい匂いがしますねぇ。舞ちゃん、やってみる?」
「いやいや、やめておきなさい。煙自体は安全らしいが、小さい子供には精神的によろしくないような気がする」
「じゃあ、東海林さん、一度燻されてみたらどうですかぁ?」
「な、何を言い出すのだ。俺は立派な閉所恐怖症なんだ。無理っす、無理っす。そうだ!どうせ燻すなら墨田がよろしかろう。墨田はどこ行ったのかな」
「墨田さんは地震体験車に乗るって言ってはしゃいでましたよ」
「なんだそれは?俺の地味な消火器訓練より、ずうっーと楽しそうじゃないか。
あっ!舞ちゃん、千葉のゆるキャラ、ヤル気のないチーバくんだ!チーバくん見に行こう」
「あっ、ホントだぁ!握手ぅー」
「おーい、堀ちゃん、娘置いてくなよー!」
時計はそろそろ正午となるので、三人で菱町町会の集合場所であるボート池のほとりに向かった。そこで防災防犯部から弁当が配布され、ようやく昼食となった。曇っていた天気もいつの間にか青空となり、ちょっとしたピクニック気分である。
「えっ?墨田が救急車で運ばれたの?」
「ああ、人騒がせな男だ」
「訓練じゃなくて?」
「うん。墨田さん地震体験車に乗って震度七とかやってたら、怖くなっちゃったんだろうね。いきなり体験車から飛び降りてさ、手と足くじいて頭打ってね。みんなびっくりだったよ」
「…いや、えー、マジで?小物過ぎる…」
「うん、アナウンスしてたお姉さんも真っ青だったね。手足はたいしたことないみたいなんだけど、頭打ってるから念のため病院へってなってさ。幸い救急車は何台もいたから、小松崎副会長に付き添ってもらったよ。奥さんには小松崎さんから連絡してもらうことになってる。ハハハハ」
「あのピーポーピーポーは墨田だったのか…。聞いたか?堀ちゃん」
「ひっふひひはひはへぇー」
「ああ、びっくりしたなぁ。食ってるとこ悪かった。でもくやしいなぁ。そんなコントみたいな面白そうなもの見逃したのかぁ、くそぅ」
「ふふふふ、途中からならビデオに撮ってあるぞ、ショウ君」
「お、どこから撮影したんだ?マサよ」
「救急隊員の人にあちこち体いじられて『痛い!』だの『やめてくれ!』だの叫びながらのたうってるところからだ」
「おお、十分だ、マサ。この際贅沢は言うまい。でかした!後でダビングしてくれ」
「最後のセリフがいいんだ。涙目のカメラ目線でな。『マサヒコ、てめぇ、何撮ってんだっ!』で救急車のトビラがバタン!」
「ひっ、ひーひっひっひ!たっ、たまらん。これはたまらん!」
「いいかげんにしてください!不謹慎ですよ、万一何かあったらどうするんですか」
「ひっひっひっ!大丈夫だって、なにしろあいつは体の中でサナダ虫飼ってたって平気なんだから、うはははっ」
「サナダ虫じゃなくて回虫でしょう!」
「あ、浅井さん。叫んじゃダメだって。ショウちゃんの思うツボだって。食事中だし有希ちゃんや舞ちゃんもいるしね、ねっ!」
「す、すみません…。つい…」
「いやいや、浅井先生。悪かった、俺が悪かった。すいませんです。うははは。いや、お子様の前でした、申し訳ない、ははは」
「そうだぞショウ君、少しは自重しろよ」
「…マサ、お前にだけは言われたくないわ」
「今日はビールはナシか?」
「まだ訓練中だよ、ショウちゃん。さすがにマズいだろ、ハハハ」
「それもそうだな。ところでハカセよ、お前らは何の訓練に参加してたんだ?墨田と一緒か?」
「いやぁ、別だよ。でもショウちゃんには言いたくないなぁ。なぁマサちゃん」
「何だと?それは俺に対するいじめか?ヒドい奴らだな。いくら俺がお前らより髪がフサフサで黒いからといって。それはヒドい」
「ヒドいのはショウちゃんの方じゃないか。言ってもいいけど、食事中なんだからそのへんはわきまえろよ。トイレだよ。緊急時のダンボールトイレの講習会」
「おお。緊急時とはあれか?我慢の限界でしたくてしたくてケツのア」
「いいかげんにしろよ、お前は!たちの悪い小学生かよ、まったく。話が進まん」
「悪かった悪かった。スマンスマン、調子に乗り過ぎた。もう言わない。約束する」
「ふう、ホントだね?まあいいや。防災時のダンボールトイレの説明やら組立やらだよ」
「ほうほう、それはお高いのか?」
「今日講習で使用したのはプラダンボールという素材でね。普通のダンホールのやつよりは六倍くらい高いんだけど、使用可能回数が全然違う。百回くらい使える」
「ほうほう、おいくらですか?」
「消費税込で二万弱」
「それくらいなら許容範囲じゃないか。なにしろ『衣・食・住・便』というくらいだからな」
「それは聞いたことないが、備蓄用で五個で十万か。高くはないと思うぞ。使用期限は?」
「約十年」
「…買いだな」
「ですねぇ」
「災害対策のひとつとして予算案に計上ということだね」
「さて飯も食ったところで、今日はこれでお開きか?ハカセよ、もう帰っていいのか?」
「何言ってんだよ、ショウちゃんは。この後はポンプ車の放水訓練とか消防団の操法訓練の見学だよ」
「やれやれ、まだあるのか…。でも消防団の操法訓練?何か面白そうだな。もう少し我慢するか」
―パラパパッパラー
「ド○えもんかよ。お前らしいな、ハカセ」
「もしもし、ああご苦労さんです。はい…、はい…」
「小松崎副会長からみたいだな。墨田、ヤバイのか?」
「はい、そうですか。それは良かったですねぇ」
「ちっ」
「ええ、じゃ奥様が見えられたらお帰り下さい。ええ、直帰でけっこうです。ご苦労様です、はい」
「小松崎さんか?」
「うん。墨田さん、大丈夫だって。骨折もしてないし脳波も異常がないんで、奥さんが迎えに来たら小松崎さんと帰るってさ」
「良かったですね、大したことなくて」
「脳波に異常なくても脳は異常なんだけどなぁ。な?浅井さん、やっぱりサナダ虫男は頑丈にできているんだよ」
「もういいって、ショウ君」
―『会場の皆様にお知らせいたします。自衛隊給食用車両による炊き出しを行います。本日炊き出しのメニューはカレーライスです。ただいまより訓練本部前広場で配給を…』
「東海林さん、カレーライスですぅ!」
「よし、堀ちゃん。もらいに行こう!有希ちゃん、舞ちゃん、カレー食うか?」
「まいちゃん、おなかいっぱい」
「有希も」
「では有希ちゃん、舞ちゃんを頼む。行くぞ、堀ちゃん!」
「舞ちゃん、待っててねぇー!」
「………」
「…あいつら、よく食えるな」
「ハハハハ」