不思議な絵
眠気を誘う様な暖かな5月の金曜日だった。
この春大学を卒業してめでたく社会人になるはずだった僕は、内定していた就職先の倒産で今はこうして実家の部屋で寝転りながら窓から空を見上げていた。
父や母からはそろって「近所に笑われるから早く職に付け」と、毎朝顔を合わせる度にくどくど言われて居た。
今日も午前中は求人表を見るためにハローワークに顔を出し、昼からはする事も無くいつもの様にぼんやりと過ごしていた。
うとうとと眠りかけた時だった、不意にあの不思議な絵が脳裏に浮かんで来た。
それはハローワークからの帰り道に、北アルプスの雪渓を眺めながら歩いていた時に出会った老人の描いた風景画だった。
「こんにちは」
それはこの時期の安曇野では特に珍しくも無いアマチュア画家なのだろう老人に、何の気なしにかけたつもりの挨拶だった。
「やぁ、こんにちは」
その上品そうな老人は帽子を取ると、わざわざ折り畳み椅子から立ち上がってそう挨拶を返してきた。
(ありゃ、これは描いた絵でも誉めてから立ち去らないと失礼かな)
そう思った僕は内心面倒とも思ったが、歩みを止めてその老人に近づいた。
お世辞で誉める為に近づいた僕が見たモノは、今ここから見える北アルプスを背景にした田園風景とは程遠い悪夢にでも出て来そうな不思議な光景が描かれた風景画だった。
「え・・・これは?」
思わずそう呟いていた。
「私の目にはここの風景はこう映るんです。 多分あなたにももうすぐこれが見えるようになりますよ」
老人は妙に長く爪を伸ばした指先で絵を指しながら、ニヤリと微笑みながらそう言った。
「どういう意味ですか?」
僕は絵に目を奪われながら上の空で聞き返していた。
「私の時代は写真でだったんですが、あなたはお若いから携帯電話かな? いや、スマートフォンですかな?」
老人は脈絡も無くそんな台詞を呟くと、絵の描かれたキャンバスを突然僕に渡して来た。
「この絵の中に答えがあります。だから、お持ちなさい」
いきなりそう言われ絵を突き付けられて戸惑った。
しかし同時に心の中では、どうしようも無くソレを欲しいと思う自分が居た。
「い・・・いえ結構です。あ、せめて写真だけでも撮らせていただけますか?」
見ず知らずの老人から絵を譲り受ける図々しさは持ち合わせていなかった、しかし麻薬の様にその絵を求める気持ちは止められなかった。
二度とその絵を見れないのは後悔しそうだったので、せめて写真だけでもと思いその絵を撮るのを願い出た。
無意識にスマホを取り出すと、老人が写しやすい様に向けてくれた絵を僕は夢中で何枚も撮っていた。
ベッドで横になりながらジーンズのポケットからスマホを取り出した。
今にして思えば何故あんなにあの絵に惹かれたのか不思議に思えた。
スマホのギャラリーからデータを選ぶ、そしてタップして絵を開いた。
その瞬間、「あぁ、なんで絵を貰わなかったんだろう」と言う後悔の念が胸に溢れ出した。
いつの間にか夢中で絵を拡大し、その精密に描かれた細部に見いっていた。
それは人の様で人とは異なる妖精であったり、鎧を着けた剣士が居たり、尖った耳をしたエルフが描かれれた悪夢の世界だった。
何より背景に描かれた山々の間には赤い2つの月が登っていた。
何一つ見落とすまいと舐める様に絵の隅々にまでに見入っていた僕は、描いた絵を持つ老人の指から目を離せなくなった。
まるで悪夢に出て来る手の様な、その鋭く尖った鉤爪に。
恐る恐る画像をスワイプする。
今気付けばそこには絵の上から覗く尖った耳をして、金色に輝く目をした老人がスマホの中で笑っていた。