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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第二部 鮫島くんとあそぼ

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オトナの鮫島くん

 荒れた呼吸に、嗄れた声ではもう言葉を紡げない。ぜえはあと乱れる呼気だけを彼の方に向け、梨太は一度目を閉じた。

 幻覚ではないかとすら心配し、気を落ち着けて、目を開く――確かにそこに、鮫島が立っている。


 彼は、昨日と何も変わらない格好をしていた。

 無言のまま梨太を見つめる表情は、なにかぼんやりと曖昧だった。驚いているような、居心地の悪そうな様子で、じっとしている。前の方で重ねた手には、小振りのスケッチブックと鉛筆。


 とりあえず無事であることに梨太は安堵した。疲労は突然やってきた。膝から崩れ落ちた梨太に、鮫島がぎょっとして駆け寄った。彼の耳に言語変換装置のピアスは無い。言葉を迷いながら、ゆっくりと日本語でささやいてくる。


「……リタ。げんき?」


「ああ、大丈夫、だよ。ちょっと、いっぱい走って、疲れただけ……」


 そう返すのがやっとだった。なんとか息を整えようとするが、意識がとんでいきそうになる。それを頭上から降り注いだ水滴が引き戻した。鮫島が手を器にし、そこから水をこぼしてくれていた。梨太の様子を見て、水道と往復したらしい。


 彼はもう一度同じことをしたが、やがて梨太本人を日陰へ運ぶ方が効率的と気づいたらしかった。

 画材を片手に持ち、片手で梨太をひょいと持ち上げる。抵抗する気も失せて、梨太はそのまま運ばれていった。


 校舎の壁にもたれ掛かる。再び鮫島が出かけ、すぐに、ペットボトルを持って帰ってきた。ゴミ箱から拾ったのだろうが、綺麗にすすがれ、清水を入れられている。梨太は全て飲み干した。火照った頬を両手で覆い、心配そうにのぞき込んでくる鮫島から、顔を隠す。


「はは……カッコ悪……」


 指の隙間のむこうで、鮫島が優しくほほえんでいた。


 体温が平常へと戻るにつれ、話す余裕が出てきた。冷たいコンクリートにもたれかかって、目を閉じたまま座り込む。その隣に鮫島がいた。彼もまた、いつものように無言のまま。


 梨太はつぶやいた。


「……ごめんね……」


 ん? と、鮫島が疑問符で返してくる。梨太はそちらを見ることができないまま、


「未熟者の八つ当たり。ごめん」


「みじゅくもの?」


 日本語を理解できず小首をかしげる彼に、苦笑してみせる。


「コドモ、ってこと」


「……仕事で、なにかあったら、苦しい。大人でもあることだ」


「怒ってないの?」


 鮫島は首を振る。四歳年上で、十年も前から職に就いている青年は、多くの人間をまとめる責任者でもある。


「そういうのを治めるのも、俺の仕事」


「……鮫島くんは、大人だね」


 そう言われても、彼は首を傾げたが。


(……未熟だなあ……)


 梨太は胸中で吐き出し、かすかに瞼をふるわせた。



 穏やかにほほえんでいる彼。梨太は妙な恥ずかしさを覚え、そちらを向き直ることができずにいた。視線は遠くへやったまま、尋ねる。


「鮫島くん、昨日からどうしてたの? どこにいた?」


 問われて、彼は体育館を指さした。なるほどあそこなら暴漢の心配も無く、緊急避難用の毛布やシャワーもある。もちろん鍵はかかっていたはずだが、簡単な南京錠だ。まあ――なんとかしたのだろう。

 しかし快適な夜だったわけがない。少なくとも食事はとれていないはずだ。


 その思考を読んだかのように、鮫島がつぶやいた。


「おなかがすいたな」


 可愛いセリフに、今回ばかりは胸が痛む。

 そんな梨太の心理など意を介さず、鮫島は梨太の顔をのぞき込んできた。少し心配そうにして。


「仕事はおわった?」

「う、うん」

「また家へ行ってもいいか」

「うん……」


 よかった、と明るい声。


 彼は立ち上がり、梨太に手をさしのべた。その手をつかまずに自力で立つ。我ながらくだらない、男のプライドだった。


 鮫島は、梨太の懸念していたよりも遥かに平然としていた。なんら気を損ねた様子すらもなく、軽い足取りで帰路に就く。

 それがたまらなかった。


 後ろ手にスケッチブックを持ったまま、いつもの早足で歩き進む鮫島。気がつけばかなり距離が開いている。駆け寄って、真横に並んだ。


 並んでみて、梨太は改めて気がついてしまった。


 ……同じくらいの背丈になれたと思っていた。だが、まだ5センチ以上の身長差。彼の歩幅は梨太より大きくて、気を抜けばすぐに置いて行かれてしまう。

 外見年齢の成長がゆるやかなラトキアの民。同じ年頃に見える青年――だからって、年齢差が埋まると言うことではないのだ。


 梨太は、頭がいい。誰しもがそういう。自分でもそれを謙遜するつもりはない。

 大人よりも冷静で、客観的な判断が出来る。それこそ人の心が読めるくらい、梨太は優れた少年だった。

 だけどそれは大人であるということではなかった――


 梨太は嘆息した。

 そして顔を上げると、鮫島が振り返っていた。体調を心配しているらしい。梨太が大丈夫だと意思を示すと、彼はホッとしたように破顔した。


「歩くのが早い? ごめん、俺のクセだ。小さいころから騎士で、まして女の時は、周りのために、いつも急いでいたから」


 たどたどしい言葉でそんなことを言う。


 梨太はひどく複雑な表情を浮かべた。不意に、涙が出そうになった。理由は分からなかったけど。


 歩みを合わせてくれた鮫島に、梨太は素直に従って、ゆっくりと、人肌と同じ温度の帰路を歩いて行った。



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