鮫島くんの上司
犬居が、激怒した。赤い髪が逆立つほどに肩を怒らせ、梨太に武器をふりかぶる。
「てめえっクソガキ! 団長に無礼な!」
犬居の刀より、鮫島のほうが早かった。
一瞬で腰を落とし、上半身を大きくひねる。彼の手には犬居と同じ武器が握られていた。一閃、それは視認できない早さで、鮫島がさっきまで背を向けていた空を裂く!
「ぎゃあっ!」
悲鳴は、梨太の知らぬ男の声。
ビルの窓だか屋上から飛び降りてきたらしい、突如現れた襲撃者だった。
「なっ、なにっ!? だれっ!?」
騒いだのは梨太ひとりだけである。
一撃で襲撃者は動かなくなった。その場に崩れ落ちたまま四肢をだらりと投げ出している。
よもや殺害したのかと息をのむ、同時に、その容姿にも衝撃を受けた。
(……緑の髪っ……!)
倒した男の背を踏んで、鮫島は飛び上がった。自分の身長よりもはるかに高く、ビルの側面を駆けあがり、一気に三階あたりまで。
見上げる梨太の上空で、飛んできた矢を蹴りとばし、窓辺でボウガンを構えた男の顔面を鷲掴みにし、そのまま引きずり出した。
「うあああああっ」
空中で、鮫島はぽいっと男を投げた。下で待ちかまえていた犬居が刀を当てる。
ばちっ! ――梨太は、確かにそのとき電流のはじける音を聞いた。
不安定な姿勢で打たれた男は一瞬体をこわばらせ、そのまま無抵抗に落下した。さきほど倒された同胞の上にどさりと落ちる。
「団長っ!」
「まだだ。上にいる。落とすからそこにいろ」
三階の窓柵につま先で立ち、鮫島。彼は足下の華奢な柵を揺らすこともなく飛び上がり、片手に武器をもち、垂直の壁を駆けあがっていく。屋上のほうに姿を消すと、足音すらもなくなった。
「な、なにあれ……」
「すげえだろ」
呟く梨太に、なぜか犬居が胸を張る。
「言っとくけどあれで生身だぜ。機械で筋肉を補正してるんじゃないからな」
「でも、人間の動きに見えないよ。重力がないみたいだ。騎士団ってみんなあんななの」
「まさか。あの人は特別。団長がいれば一騎当千だっつって、あの人との出撃はいつも人間少なくって、戦闘はそれでいいけど諜報やら給仕やらは全部俺に回ってくるんだよなあ」
と、悪口だか上司自慢だかわからないことをまくしたて、いかにも楽しそうに笑う犬居。
そしてハッとなって、
「って、なんで俺とお前が和んでんだよ! やっぱりお前、テロの仲間じゃねえか! お粗末な陽動しやがって」
「えええっ違うよ! この二人はたまたまかち合ったって言うか、僕は純粋に、もしも鮫島くんにおっぱいがあるならちょっと触ってみたくて」
「だから! それを知ってるってことはお前も同胞なんだろうが!」
犬居が怒鳴り返してくる。梨太は目を丸くした。
知ってる、って。
「じゃあ、鮫島くんってほんとに――」
ドサッ、梨太の上に人間が落下してきた。慌てて犬居が刀を振りおろす。やはりばちっと炸裂音がし、襲撃者は動かなくなった。妙に平和な寝息が聞こえる。
念のため、最初に倒れされた男のほうも確認するが、やはり穏やかな呼吸をしているだけだった。失神――いや、眠っているのだ。
どうやらスタンガン――麻痺というよりは、電気麻酔の効果をもたらすものらしい。
風切り音に天を見上げると、鮫島が長ランの裾をはためかせ、落下してくるところだった。
トンッ。と音を立てて着地。
肩には大柄な男が、やはり眠った状態で抱えられている。
「これで全部のようだ」
(人間ひとりかかえて、二階以上から飛び降りて、なんで足音がトンッなんだ?)
梨太はなによりそれが不思議であった。
鮫島は乱暴に、といっても憎しみを込めてではなくただ単にポイっと簡単に、大男を放り捨てる。呼吸すら乱れていない。
「で? この少年、クリバヤシ?」
戦闘などなにもなかったかのように、先ほどの会話を続けようとする。梨太は思わず笑ってしまった。
「ふふ。栗林梨太。梨太でいいよ」
「お前なあ」
いちいちつっかかってくる犬居を、梨太はもちろん、鮫島も意に介さず、
「ではリタ。改めて聞くが、自分はこいつらとは無関係な、通りすがりだというのだな」
「無関係だけども通りすがりではないよ。学校から鮫島くん追いかけてきたのは事実だもん」
そこは正直に言う。下手にごまかすよりも、そのほうがいいだろう。鮫島が少し、困ったように首を傾けた。
と――
「離してやれ鮫、犬居。この少年のいうことは本当だ」
女の声がした。
声の方を振り向く、が、人間の姿がない。
代わりに、なにやら可愛いアイテムが浮いていた。
「なにこれ?」
人の顔よりも少し小さいくらいの、クジラの造形をした機械である。ちょっと悪趣味なピンク色で、あざといほどに大きな瞳。そのすぐ下、大きく開いた口を模して、液晶パネルがはまっていた。子供向けの携帯ゲーム機?
全体が小さく振動し、画面に美女が映し出された。
「おおっ?」
「鯨」
鮫島が呼びかけると、彼女はにっこりと、笑みを浮かべる。
波打つ黒髪を手櫛でなでつけ、高飛車な口調で続けた。
「クリバヤシリタ、霞ヶ丘高校の二年六組十一番。たしかに、二年前に霞ヶ浦北中学を卒業し一般入試で高校を受験、入学している。以降何度となく身体測定も受けているようだ。成績はおしなべて優秀、一五四センチ四三キロ、男性。問題なく、ごくふつうの男子高校生だ」
「……僕の個人情報、どこで手に入れたの」
「もちろん、君の学校に情報開示してもらったのだよ。国を経由し正式な許可も頂いてね」
こともなげに、女。
梨太が不機嫌になったのを察し、慇懃無礼に頭を下げる。
「すまないね。こちらもやんごとなき事情があるのだ。別に君が美少年だからって個人的な趣味で調べたわけではないよ、許してもらいたい」
「……あなたたち、何者? 個人じゃないよね。警察にしては毛色が違うように見えるけど……」
「正義の味方」
にっこり笑って言ってくる。
梨太は頬をひきつらせた。
「襲ってきたひとを、傷つけていないあたり、悪党じゃないだろうけど。自分は正義だなんていうやつはテロリストか独裁政治家と相場が決まってる」
「おや、それは心外」
「無許可で人の体重まで言ったくせに。そっちも自分のスリーサイズくらい教えてよね」
「おい! お前、誰に口を利いてるんだ!」
犬居が叫ぶ。
「この人は将軍! 騎士団ふくめすべてのラトキア軍の総督だ。それに、現星帝皇后だぞ!」
(せいてい?)
梨太が視線を戻すと、妖艶な美女はにっこり笑う。
「上から九二、六一、八五だ」
「答えんでくださいよ閣下っ!」
犬居だけが真ん中でうるさい。
梨太はなるべく冷静に、彼らの様子を観察した。
よくわからないが、鮫島たちの上司に当たるのだろうとは見当つける。
鮫島はまったくの無反応。どうも自分以外がしゃべってくれるなら、それでいいらしい。梨太にも関心をなくし、ゴミ箱の上でくつろぐ猫を見つめている。ひどくマイペースな人間である。
「……せいていってなに?」
梨太は仕方なく、犬居に聞いた。犬居は空中に指を泳がせて、字を書いて見せてくれる。
星の帝。
「ラトキア人を筆頭に、二十億人の人口を抱える、惑星ラトキア。その頂点にたつ帝王だよ。わたしはその妻で、多忙な彼に代わり一部、政治活動も担っている。同時に軍隊の長でもある。はっきりいってものすごく偉い。名を鯨という。よろしくリタ君」
鯨女史が気さくな口調で自己紹介してくれた。はあどうも、とこちらも頭を下げてみせる。握手でもしようかと思ったが、相手は謎のクジラ型モニターの向こう。胸から上が写っているだけだ。
その豊かな盛り上がりに一度目を奪われながらも、彼女の言葉を脳へと送り、咀嚼していく。
「――惑星ラトキア……ラトキア人?」
噛みしめるように、口にしてみる。うなずく鯨。
「じゃあ、鮫島くんは、宇宙人だっていうのっ!?」
「いまそこかよ」
犬居が呆れたように言うが、ほんとうに呆れ果てていたのはこっちのほうだ。梨太は思い切り小馬鹿にしながら、
「いやそれはさすがに無理があるでしょ、身分隠しするならもうちょっと他の設定にしようよ」
「は? いや、設定と言われてもな」
「鮫島くんがふつうの高校生ではないことはもうわかったよ。なんか知らんけど警察関係だよね。まあそれもだいぶマジかよって感じだけども、いくらなんでも宇宙人ってのはねー……」
梨太は呆れたように笑いながら、ふと、鮫島を見やった。
本人は――なぜか、きょとんとしていた。
端正な顔立ちに、無表情。そのまま犬居の方を向き、穏やかな声で質問する。
「犬居。うちゅーじんってなんだ」
「……地球人から見て、地球以外の星から来たヒト型生命体のことです。正しくは異星人というべきでしょうが」
「そうか。では俺はうちゅーじんだな」
「いまそこですか?」
犬居は軽く頭を抱えた。
その様子に。
「……。……まじで?……」
梨太は小さくつぶやき、しばし呆然と、彼らを眺めて固まっていた。