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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
鮫島くんのおっぱい

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39/252

鮫島くんの離脱

 梨太は鉄の扉に背中をはりつけて、白鷺を見下ろしていた。


 男は鮫島を視姦する。やがて、身を屈めた。


 鮫島の腰帯を引きちぎり、軍服の襟を摘む。元騎士である男は慣れたようすで脱がしていった。鮫島は何の抵抗もしない。

 梨太の視界に、薄手のシャツをまとっただけの鮫島の胴が映った。軍服の下に、黒いベルトのようなものが巻かれている。それを、白鷺は引きはがした。


「やはり、雌体化、していたか。でなければ、一番最初の蹴りで、俺は昏倒していたかもなあ、鮫」


 ウエイトを床に投げ落とす。鉛より重い金属がフローリングを揺らした。その音は、以前梨太が自宅で聞いたものより重いものに聞こえた。


 白鷺は、鮫島を持ち上げると、子供をあやすように中空で揺らした。黒髪がゆれる。


「軽い、軽い。こんな体重であんなパンチを打てた方がおかしい」


 そして彼は、やけに優しく鮫島を床へ横たえた。汗で額に張り付いた前髪をよけ、白い頬に手のひらを当てる。指先で髪をけずって。


「……まだ、雌体化の途中か? いまどうなってるんだ? こんな綺麗な顔で死なれたら、全部剥かないとわかんねえじゃねえか」


 顔面を近づける。壊れた男の口蓋からだらしなく流出した血液が、鮫島の顎へ滴り落ちた。


「やめろぉおこの禿っ!!」


 梨太は絶叫した。足で転ぶように階段をおり、床のナイフを拾い上げる。振りかぶるまえに、同じものが飛んできた。梨太の横をすぎ壁に突き刺さった。

 たしかに白鷺より先に持ったはずなのに、なぜか大男の投げたナイフが自分のすぐ眼前に刺さっている。持ち上げただけの右手がこわばる。


 白鷺は立ち上がり、骨の砕けた顎と右腕へ大儀そうにふれた。

 一階フロアにいるというのに、階段の上の梨太と視線の高さが揃う。


 男は、いまになって初めて、少年の存在を人間として認識した。


「こども――地球人の、娘か?」


「……男だ……見た目よりはもうちょっと年長だよ……」


 さっき叫んだせいか、自分でも意外なほどちゃんと声がでた。白鷺は口の端で笑う。


「金か、それとも前科でもあんのか。なんで傭兵なんぞやってるのか知らないが、まあ無理をするな。さっきは散々マトにしたが、別に俺ぁ、お前自身になんの興味もない。もう帰っていいぜ」


「――で、できる、か。鮫島くんを置いては」


 梨太の言葉に、白鷺は鼻を鳴らす。

 足下に転がる鮫島を、靴底で転がした。



「心配するな。もう死んでる」



 目を見開き、押し黙る梨太。

 白鷺は屈み込み、鮫島の胸に手のひらをつけた。


「――ほら。もう心臓も」


 梨太はナイフを投げつけた。それは正確にねらい通りとはいかなかったが、白鷺のわき腹をかすめて床につきたつ。


「鮫島くんに触るなっ……!」


 白鷺は無言で、腹部の出血にふれた。浅い傷は白鷺の指一本を赤く染めることもできない。男はおもしろそうに、鮫島の胸を手のひらでたたいて笑った。


「なんだぁおまえ、鮫に惚れてんのか。それでここまで来たのかよ? くはっはは、おもしれえ奴。こんな、床だかなんだかわかりゃしねぇ胸、くひひひ。お前、烏以上に頭おかしいな」


 梨太は身を屈め、床を見回した。鮫島が払ったナイフがあと数本ころがっているはずだ。


「俺ぁ鮫を倒したかっただけだ。できれば完全に男のときに勝ちたかったが、まあ、仕方ねえ。こんな、爪を立てないと掴めないような薄い胸や、ましてや死体なんか興味ねえよ。ボクの綺麗な鮫島君がけがされることぁない。

 ただ、烏がな。……そういう約束でお膳立てしてもらったからよ。悪いけど。バラバラにまではしないだろ、たぶん」


 話しながら、白鷺は鮫島を肩に担いだ。うつ伏せの形で担がれた鮫島が、腕をだらんと垂らして揺られる。

 逆さになった彼の頭部から、ぞっとするほど大量の血が滴り落ちた。


 梨太はナイフを掴み、震える手で、構える。


「殺してやる」


 白鷺が声を立てて笑った。


「若いねえ、少年。相手と、状況をよくみて喧嘩を売りな」


 男は梨太に背を向けて、鮫島を担いだまま階段そばの作り付け棚を漁った。乱雑に置かれた道具の中からカードのようなものを取り出し、


「終わったぜ、烏。悪いな、殺しちまった。いまから持っていく。鍵と、それから電磁波も止めてくれ」


 白鷺の言葉に応じて、階上の扉から金属音が聞こえた。白鷺は悠然と、鉄の扉へと向かっていく。


 その前に、梨太がいた。


 じりじりと下がりながら、扉の前に立ちふさがる。目の前に立った元騎士は、まさしく、巨漢であった。天を衝く上空から、金色の目が梨太を見下ろしてくる――



「どけ」


「……い、いや……だ……!」


 梨太は首を振った。扉に背をつけ、両手を広げる。巨大な手が伸びてくる。梨太の頭蓋を掴むために、手のひらを大きく開いて。


 その時。うつ伏せに脱力していた鮫島が身をのけぞらせ、腹筋で一気に直立した。

 白鷺に腿を抱かれたまま、白鷺の喉笛へとがった肘をたたき込む!


「ぅごぇっ!!」


 喉仏を砕かれ、男が腰を折る。鮫島はそのまま後ろ手に腕を巻き付けると、白鷺の頭部を軸に、反転させた。後ろからぶら下がるようにして、首を腕で締めあげる。

 白鷺の足がよろけ、ずるりと階段を滑り落ちた。鮫島はその背中を膝でたたき、背筋を駆使してのけぞる。

 土から大根でも引き抜くように、大男の全身が空中を舞う。

 一蓮托生のバック宙――鮫島は男を道連れに宙を反転し、空中で自身を白鷺の陰にかくす。


 そして――白鷺は四メートルの高さを垂直落下。鮫島の体重を乗せたまま、禿頭を床へ落とした。



 餅つきで、うっかり餅ではなく臼の縁へ思い切りぶつけてしまったときの音がした。



 白鷺は数秒、垂直に逆立ちしていた。じきに前向きに崩れ落ち、四肢をのばして倒れ伏したのだが。



 大業を放った鮫島は、白鷺の体から落下し尻餅をつく。前のめりに倒れ、おしりを押さえてうめいた。


「っい、た……ぁ、い」


「鮫島くんっ!」


 梨太は階段を駆け降りて、最後の二段でつまづき前転した。転がった先すぐ目の前に鮫島。


「鮫島くん、鮫島くん。鮫島くん……だいじょうぶ!?」


「……尾てい骨、が、今一番痛い」


「そんな地味な話じゃなくて!」


 梨太は鮫島の顔をのぞき込む。顔色は生気をとりもどし、目の焦点も正常である。それでも血は止まらないようだった。鮫島は唇をとがらせた。


「……ハンカチ忘れた」


「だから、そういう地味な話じゃなくて。なんだかなあ、もう」


 梨太はポーチからガーゼタオルを取り出し、彼の頭に巻いてみた。止血にもならないだろうが、とりあえず垂れてくるのを防ぐくらいには役に立つだろう。

 タオルを巻かれて、鮫島は目を細めた。口元に笑みを浮かべて。


「似合う?」


「なに言ってんの鮫島くん超つまんない!」


 梨太は全力で叫んだ。


 しゅんとする騎士団長を放置し、梨太は白鷺の様子をうかがった。さすがに、あの攻撃で無事とは思えない。完全に伸びているようには見えるが、二度あることは三度ある――不用意に近づいて人質にでもされたら目も当てられない。


「鮫島くん、手錠は?」


「あるけど、またちぎられるのが関の山だな」


「えー。じゃあなにか代わりのものを」


「……可哀想だが仕方がない」


 鮫島はそう言うと、白鷺に歩み寄っていった。白目をむいてひっくり返っている巨大な右の腕を掴まえて、複雑な形に足を絡め、


「よいしょ」


 と、言って、肩間接を付け根から完全脱臼させた。おかしな方向にまがったのを置いて、もう片方も。


 さらに右足、左足も同様に、股関節からはずしていく。壊れた人形のようになった大男のありさまを確認すると、うんうんうなずいた。


「これでよし。もし気がついたとしても立てないし自力で治せない」


「うわぁいそりゃ安心だぁ……」


 梨太は低い声でつぶやいた。


 鮫島は、白鷺が動けなくなったのを確認してもまだその場から立ち上がろうとしなかった。表情こそケロリとしているが、わずかに呼吸が荒い。梨太は改めて鮫島の顔をのぞき込む。


「大丈夫なの? さっき、頭をあんなに」


「大丈夫。俺の頭蓋骨、ちょうどこのへんには、金属板が入っている。自動変換機を外科手術するさい、どうせなら生体義骨ではなく頑丈なものにしてくれといって、強化した」


「……でも、白鷺は、心臓が止まってるって」


「戦闘後の興奮状態で相手が絶命しているかどうかはかるのは難しい。俺はそれを欺く技、平たく言えば、死んだふりを会得している」


「そ、そんな技があるんだ?」


「うん。呼吸と心拍を極端に落とし体温を下げ瞳孔を開いて仮死状態になり、ごく短時間意識をなくすかわりに素早い回復を」


「軍人怖ええええ!」


「騎士でも出来るのは俺だけだと思う」


「そんな気はしましたっ!」


 梨太は叫んでもんどりうち、頭を抱えた。


「うあああ怖えええ。なんかなあああもおお。カノジョが僕より背が高いとか超強いとかはぜんぜん気にならないけど、ロボトミーみたくあちこち改造されて機械とか金属とか入ってるってきくと、ぞくっとするもんがあるううう」


 鮫島は、きょとんと目を丸くした。ぱちぱち、瞬きをして、


「……そうなのか?」


「ああー、そっか、ラトキアでは珍しくないと言うか、騎士団員みんな頭蓋骨開いてるくらいだから抵抗ないのかなあ。医療技術の一環ではあるよね。でも僕、二重瞼の手術とかコラーゲン注射とかもすっごい萎えるもん。だからニューハーフもだめなんだよ。やっぱ人工感あるからさあ。いや、批判とか否定とかじゃなく、ちょっと受け入れるのにワンクッションいるんだよう」


 もだえる梨太を眉を寄せて眺め、鮫島は少年の服の袖をつまんで引いた。小声で、うかがうようにして。


「……じゃあ、あの、もしも俺の体にアタッチメント――いやなんでもない」


「なにっ!?」


「なんでもない」


「なんか言った! アタッチメントって言ったよね!?」


「言ってない」


 しれっと明後日の方に顔ごとそらすのを、梨太は身を乗り出してのぞき込む。


「そこまで聞いたらちゃんと教えてほしいよ、逆にいちばんいやな形で妄想しちゃうから! というかたぶんだけど他にもまだいろいろあるだろ鮫島くん! 空を飛んだり透明になったり壁をすり抜けたり」


「出来るわけないだろう」


 真顔で否定される。梨太からすれば、自律で心臓を止められるのも十分ファンタジーである。梨太は仏頂面の鮫島にすがりついた。


「お願いほんと一回全部教えて! 大丈夫っ、僕鮫島くんだったらどんなんなってても絶対大好きだから!」


 ハイテンションの口調、そのまま続けた言葉に、鮫島が身を堅くした。突然の変化に、梨太のほうがキョトンと目を丸くする。眺めているうちに、彼はどんどん顔色を赤く変えていった。耳まで染めてから、あわてて手のひらで覆い隠す。


「ど、どうしたの」


「……いや。もう、いいから」


「? なにが」


「いいから――いこう」


 言って、彼は立ち上がった。


 固まりかけた血で張り付いた前髪を額から引きはがし、軍服を整える。黒い瞳が階段を見上げた。


「……さっき、白鷺が烏と通信していた。鍵が開いたな。電磁波も止めたと」


「鮫島くんも、一緒にいくの?」


「もちろんだ。いや、お前はここで」


 話しながら、歩みを進める。その足がとまった。ぐらりと膝が揺れ、後ろ向きに倒れそうになる。寸前でそばの壁にもたれ掛かり、こらえた。


「鮫島くん? 電磁波がやっぱりここまできてるんじゃ」


「ちがう。平気……」


 答える声がかすれている。梨太の巻いたタオルが吸いきれなくなった血があふれ、鮫島の頬までつたっていた。壁から背中を離そうとして、そのままずるずるとしゃがみこんでいく。慌てて駆け寄り、床に倒れ込むのを体を入れて支える。


「鮫島くん! 大丈夫っ? やっぱりさっきの怪我!」


 だいじょうぶ、という言葉の形に鮫島の唇が動く。言葉にはならず、彼はなんどかリトライして同じ口の動きを繰り返した。

 だが急に顔色を変え、口元を手で押さえると、突然嘔吐した。吐瀉物が吹き出し、軍服を汚す。


「鮫島くん……!」


「り、た。離れ、て」


 激しくむせながら鮫島は梨太を押し退けた。


「汚れる……」


「何いってんだよっ!」


 梨太は叫び、鮫島の体を抱きしめて背中をさすった。


 戦闘に備えゼリー食と水分しか胃になかったためすぐに吐くものはなくなったようだが、嘔吐感はおさまらない。蒼白になった額に汗をにじませて、口を押さえている。 



「リタ……」


「なに? 無理に話さないほうが」


「リ、タ。……いくな」



 うわごとのような力のない声。肩が震えている。異様に力んだ状態から、彼は徐々に力を抜いていった。楽になってきた、ではない。瞳を閉じ、体を梨太に預けて倒れ込んでいく。



「少し、休む。だから待っていて…………」



 鮫島の体重がすべて梨太にのっかった。それきり、何も話さなくなった。


 梨太は鮫島を抱いたまま、まず、自分自身の呼吸をおさえるように努めた。二度、深呼吸。吐いてから吸う。肺の中の空気をすべて入れ替えて、目を閉じ、自分の脈拍を数える。心臓を止めるまでは無理でも、鼓動を正常に戻すくらいなら、大事なテストの前にいつもやっていることだ。


 冷静になって、耳を澄ませる。


 鮫島の呼吸は、浅いがたしかにあり、安定していた。心臓や脈をはかりたいが、梨太の手はグローブに覆われ、触感覚をほとんど失っている。視覚で胸の動きを確認する。


(……大丈夫。失神しているだけだ)


 梨太はとりあえず息をつくと、彼を支えたまま苦労してパーカーを脱ぎ、床に敷いて、鮫島をそうっと横たえた。フードの部分を丸めて枕にし、横向きにした頭を乗せてやる。もし意識のないまま、また嘔吐しても窒息してしまわないように。


 寝転がった鮫島のそばに、梨太は少しの時間だけ、腰掛けていた。

 毒ガスが充満し、視界の隅には四肢をひん曲げた大男。階上にはラスボスがいて、英雄は隣で眠っている。


「ああ……かえりたい」


 梨太は、正直な気持ちを口にした。


 もしも――

 ここで、梨太が帰還したら、どうなるのだろうか。


 考えながら、鮫島の髪を撫でる。ずっと、触ってみたいと思っていた黒髪。グローブ越しでは感触もなく、摘んでみても、血で固まって額からはがれない。くすぐったそうに目を細めることもない。とても残念だった。

 彼をひきずって、帰還することはできるだろう。だけどそれでどうなるのか。烏を捨て置いては、また鮫島が治療がすみ次第このアジトに戻るしかない。毒ガスも、電磁波もなんら解決できていないのだ。ほかのものには任せられない。出直してくるのを烏は待っている。きっと白鷺をうしなったぶん新たな罠を追加して。


 毒がある限り鮫島が来るしかない。電磁波がある限り、梨太が来るしかない。

 行きたくはない。だけど行くしかないなら――行くしかないのだ。


「よし」


 梨太は立ち上がった。

 腰に下げた小銃を手に持ち、額を当てて祈る。これまでの人生でついぞであったことのない、神に、仏に、三人の女神に、幸運に。



「がんばるぞ」



 少年は、まっすぐに伸びる階段をひとりで上る。鉄の扉を開き、その先へと進んだ。


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