梨太君の興味
霞ヶ丘高校は、地方都市のベッドタウンにあった。
おせじにも都会とは言えないが、生きていくのに不自由はない、退屈な町。
そんな街中を、鮫島は学ランのまま進んでいく。教室に帰りもせず、観客でにぎわう裏門を突破していったのである。大通りに出て見回すと、道路を渡った先に、特徴的な後ろ姿を発見する。
(うわ、もうあんなとこに。歩くの早っ)
梨太は慌てて、横断歩道へ駆けた。
鮫島はしばらくまっすぐ道を行き、不意に細い路地へと入り、何度も曲がる。
長身に漆黒の長ランという目立つ格好の彼なのに、ふと気を抜くと、視界から消える。悠然と歩いているようにみえて、異常なまでに早足なのだ。
(……長い足だなあ)
梨太は体操服の裾で汗をぬぐった。あっちは歩いているのに、こっちは小走りだなんて不公平だ。
(どこまで行くんだろう……)
思いのほか遠くまできてしまった。もうジュースを買いに出たとかいう距離ではない。
さすがに梨太は不安になってきた。時間的には余裕があるが、いまはまだ体育祭の真っ最中。しかし鮫島の歩く姿に、サボタージュの後ろめたさなどみじんも見えない。
やはり、不良なのだろうか。
さびれた商店街の裏路地は、なお薄暗く無気味であった。
狭い空間で建物に囲まれ、不快な閉塞感に襲われる。鮫島の背を追う視界を、不意に野良猫が横切った、瞬間、そこには誰もいなかった。
「ああっ。やばっ、また見失った」
一人ごちる。と――
「おい」
声は後ろからかかった
声の主は、梨太のすぐ後ろにいた。
鮫島ではない。まったく知らない男だ。
奇妙な衣装だった。……アオザイ、というのだろうか。どこかアジアの民族服に似たシルエット。白の貫頭衣を腰布でしばり、その下にはゆったりした長袖長ズボン。簡素な服に不釣り合いなほどイカついブーツ。季節はずれも甚だしいニット帽にサングラス。
左耳に光る、翡翠色のピアス。
上から下までちぐはぐな格好である。
年齢は、梨太とそれほど変わらないように見えた。サングラスでわかりにくいが、せいぜい二十歳――
男が唇をゆがめて言った。
「お前。いまあの人をつけていただろう」
梨太はあわてて首を振る。
「あ、えっと。はい、あの、僕は」
「自分から接触してくるとはいい度胸だ。仲間と挟み撃ちにしたつもりか? おあいにくさま」
梨太は眉を寄せた。
「……なんの話?」
「ラトキアの騎士をなめるのも、たいがいにしやがれってんだよっ!」
男は叫びながら、右手をふりかぶった。握られているのは漆黒の――
(――刀っ!?)
「うわぁっ!」
重い武器が空気を割く。梨太はとっさに身をかわしたが、男は即座に武器を翻し、今度は横薙ぎに疾らせた。のけぞった腹をかすり、体操服が剣圧でよじれる。
「すばしっこいじゃねえか」
残忍な笑みを浮かべる男。梨太は改めて、自分の腹部と相手の武器を観察した。
刀にしてはひどく短い。大ぶりの包丁、あるいはダガーナイフと呼ばれるものか。
刃、ではない。柄から先端までおなじ、何かの素材の塊だ。その証拠に、かすったはずの服に傷みはない。
漆黒のゴムか木でできた、子供用のチャンバラおもちゃ――そう思えるほど梨太は楽観的ではない。ぎらつく悪意を隠そうとしない男の武器に、殺傷力がないとは思えなかった。
「ええとその――……どうも、すみませんでしたっ!」
梨太は喚き、迷うことなく身を翻した。路地の奥へと全力で駆け抜ける。いきなり逃げ出され、襲撃者がオッと面白そうな声を上げる。
「団長っ! そっちに行きますよー!」
(団長?)
「了解」
という声は、なぜか天から聞こえた。
そして次の瞬間、梨太は地面にべちゃりと屈した。なんの痛みもなかったが、急に背中が重くなり身を起こせない。
はいつくばったまま首をよじると、学ランの黒い裾が見える。
そして背中に、鮫島がいた。