未来編⑩
結局、パパは入院することになった。
記憶の復元のため脳神経や心療内科医、さらには軍の催眠洗脳技術班までがとりかかるとのこと。その間に事情聴取もされると聞いて、なんだか大忙しだなあと文句を言っていた。
ママはそのすべてに付き添いたがったが、軍人三人と子供二人とお医者さんに叱られて諦めた。結局はパパの一声……「大丈夫、絶対帰ってくるから」がトドメになったんだけど。
おれは帰宅してすぐ泥のように眠り、ふと、真夜中に目を覚ました。水を飲みにリビングへ向かう。
ママが食卓の方に腰掛けて、ただじっとしていた。
「ママ。眠れないの?」
ママは顔を上げ、ほほえむ。寂しげではあったが、泣いてはいなかった。
「いいや。眠らないだけ」
「パパを待つの?」
「ああ。……一瞬でも早く出迎えたいから」
ちょっと恥ずかしそうに言う。おれはイスを引いて、ママの横に座った。
「おれも起きてる」
ママはおれを叱らず、砂糖をいれたコーヒーをわけてくれる。ふだんは眠れなくなるからって禁止されているのだけど、甘苦いコーヒーはおれの好物だった。役得だと喜んで飲む。しばらくふたりで黙って座っていた。
「ママ……パパって、あんなひとだったんだね」
おれがつぶやくと、ママはなんだかうれしそうな顔をした。
「どんなひとだった?」
「聞いてたとおりすごく頭が良くて優しくて、それに思ってたよりずっと明るくて、あとエロい」
あははははっとママは笑い声を上げた。深い青色のママの瞳に、なんだか懐かしそうな輝きがみえる。きっとそれも昔からだったんだろう。
「なんか、いろいろ余裕って感じだった。おれが助けに入ったときも、ママに会ったときもさ」
再会の様子を思い出す。意外や意外、鉄面皮といわれるママのほうがよっぽど感情的だった。まあそれは十年間夫を探し続けた妻と、その存在すら知らなかった男の差なのかもしれないが。
パパが取り乱すことなんてあるのかなあ、と、おれがいうと、ママは大笑いした。
「そりゃあるよ。私が初めて会ったときリタはまだ十六歳、おまえと同じくらい、指ではじけば飛んでいきそうなほど小さかった。――私が知るだけでもいろんなことがあった。飄々としてるようだけど、ひとよりたくさん地団太踏んで這いつくばって、頑張ってきたひとなんだぞ」
「……そんな風には全然見えない」
「あいつは自分の苦労を見せるのが嫌いだからな。まあいつか、本人から聞く機会があるだろう。これからはずっと一緒なんだから」
そのとき、テーブルのそばで電話が鳴った。ママが通話ボタンをおすと、男の声がした。
「あーっクゥさん? げんきー?」
声だけだとわかりづらいが、パパだった。ちょっとうるさいところにいるらしい、あちらのマイクにはがやがやとした雑音がまじり、パパの声も必要以上に大きい。深夜にはちょっと耳障りなテンションで、
「あのさ、まだいっぱい検査も調書も必要なんだけども早朝には一回うちに帰る許可もらったから、明日病院まで迎えにきてくれない? 帰り道わかんなくって」
「う、うん。わかった」
「クゥさんももう寝なさいよ。帰ったら思いっきり抱きしめるんだから、今のうちにしっかり休んで」
ぼっ、とママの顔が紅潮した。そして苦笑いして、
「……わかった。待ってる」
「じゃあオルカもね! おやすみ! 愛してるよ! また明日ー」
ぶつん。通信は唐突に終了した。ママは吹き出し、げらげらと笑いだす。
「なにもかもお見通しだったみたい」
おれも笑ってしまった。
「……ねえママ、おれのパパって、すごいね」
「すごいだろう?」
そうママは笑って、コーヒーを片付ける。
こんなに幸福そうで、綺麗なママを見たのは初めてだった。
――以上が、我が家に起こった悲しい事故からうれしい日までのお話。
科学者誘拐監禁事件の顛末について、おれは詳しくは聞かされてない。ただ悪いことをしたやつは悪いことしたぶん、きっちり罰を受けたとだけ。
被害者であるパパもママも、なんかあんまりどうでもいいみたいで、食卓の話題にすら上がらなかった。
それからの生活は、まあそれまでとそんなに変わりなく、どこにでもあるごくふつうのもので、たいしたエピソードはなにもない。
一応、ちょっとだけ後日談。
パパはあれから、少しずつ記憶を取り戻していった。ざっと九割ほど、だけど完全復活まではならなかったらしい。
「まあいいよ。大事なことは思い出したし、これからは新しい思い出作っていくし」
本人はそんな感じで、あまり気にしていないみたい。というか、おもしろおかしく利用していた。
「おまえ、あのときもあんなことしただろっ」
と、怒るママに、
「何のことかなあ。記憶喪失だからわからないや」
などと煙に巻いて、さらに怒られたりしている。
実際、生活に不便はないようだった。パパは退院後すぐ仕事に復帰したけども、ブランクなどなかったかのように作業をこなしていた。
ママは相変わらず鬼教官であり続けた。二十人の少年達を涼しい顔してなぎ払い、夕食時には、汗水垂らして料理をがんばっている。なんだか自分でも出来そうなレシピブックを手に入れたのだそうで、手作りしてくれるのは良いけどとにかく手際が悪く時間がかかり、家族はたいへんな迷惑を被った。
見かねたパパが手伝うようになり、我が家の食卓はとっても充実した。
一緒に暮らしている見習い生たちは、「あのクーガ」の夫として、パパに興味津々で近づいていく。勇気のある子がなれそめを聞きパパが答え、その子を赤面させ、それであとからママに叱られていた。
その年の子供達がみな卒業したころ、ふたりは長い休暇を取った。
パパの記憶を取り戻すために、過去の行動をなぞる旅――というのは建前。だって行き先は地球という星、パパの記憶喪失期間には無関係なところだもん。ママがついて行く理由もないし、ただの旅行以外のなんでもないだろう。
蒼い惑星の端から端……海を見てきたのだという。帰ってきたママは大興奮で、鯨が鮫がと騒いでいた。
それで記憶のほうはどうだと訪ねる星帝に、よせばいいのに拾った貝殻を土産にわたし、軍費を返せと追いかけ回されていた。
オストワルドさんとシェノクさんの話。
ふたりは本当にいろいろと働いてくれた。両親が旅行に出ている間、おれはオストワルドさんの世話になったのだ。宮殿は目が潰れるほどに豪華絢爛で、いったいどんな晩餐が出てくるかと思ったら、星帝オストワルドが手作りするという超展開。おれの食事はかつてなく陰惨きわまるものになり、三日目から自炊して、おれが料理上手になるというどうしようもないオチがつく。
シェノクさんは、事件の処理に駆け回ってくれた。パパもママも「済んだことはもういいじゃん」と抜かして旅行に行ってしまったので、ほとんど彼がやってくれたようなもんだろう。それはもう想像を絶する手間暇作業が必要で、シェノクさんは連日連夜、騎士団に泊まり込んでいたらしい。
しかし帰宅したママは一言「ありがとう」。パパにいたってはトイレのドア越しに「ごくろうさまー」とねぎらって(?)、シェノクさんはなにもかも諦めたように笑っていた。
その後、シェノクさんは正式に、軍に雇用された。騎士団の下請けのような仕事だそうで、我が家との伝達役によく使われている。
パパとはしょっちゅう口喧嘩していたが、ママはのんびり傍観するだけ。止めなくていいのか聞いてみると、ママはほほえんで、
「あれはリタの優しさ、シェノクの照れ隠しなんだよ」
と、いう。
何しにきたのさ早く帰れといいながら酒を出すパパ、団長に用事だよ気に入らねえならおまえが出ていけといいながら、パパのグラスに注ぐシェノクさん。
それから、シャチとコトラさんの話。
シャチは十五の元服を待って、騎士となった。しかし色々と思い通りにはならなかったらしい。休暇のたび実家に帰ってきて、リビングで不機嫌面をしていた。
決まってママがいない時に、パパと話をしている。
「……十五過ぎてたらセーフのはずだし」
「法律の話じゃなく、当人の気持ち。コトラさんがまだ駄目っていったら駄目」
「気持ち、は、コトラも同じだと思う。多分。絶対」
「それはそうだと僕も思うけど、時期を待てっての。あのね、今だと年齢と立場的にシャチが被害者、コトラさんが手を出した加害者になっちゃうでしょ。好きな人を悪役にするなよ」
「……でも。ぼく、もう子供じゃないもん……」
「シャチ、急ぐ理由は何だ?」
「……」
「欲望じゃないね。他の男にコトラさんを取られないか心配で、いても立っても居られないんじゃないか?」
「……あ……」
「そーゆーのは駄目だよ。あと初めての男になればそのひとは永遠に自分の物なんてこともないから」
「…………でも……。……怖い……」
「分かるよ、あの子は相当モテる。初めて見たときは一瞬、おさげの虎ちゃんが乳に詰め物してなんの冗談だと思ったけど、うまいこと整って美人だよね。鹿さんとイイトコドリしたよなあ」
「……どうすればいい……?」
「自分を磨く。他の誰よりもいい男になる。それしかないさ」
「………………」
二人は夜中までそんな話をぼそぼそやって、シャチはまた軍服を着込み、出勤していった。
最後におれの話。
おれは結局、騎士を目指すのを辞めた。王都の学校に通い、いっぱい勉強していっぱい遊んで、努力して喜んで怠けて泣いて、時には努力をしたのに泣かされて、毎日大騒ぎして生きてみた。
父親のいる暮らしに、今までとのギャップはほとんどなかった。パパが当たり前みたいにパパでいたし、ママが変わらず綺麗だったから、なんだかおれも当たり前みたいに暮らしてた。
三年後の卒業式、おれは家族に恋人を紹介した。彼はがちがちに緊張して、滝のように汗をかいていた。
おれの体が女性として成長したとき、両親はまったく驚かなかった。ママは自分もそうだったからだけど、パパは初対面で、おれが雌体優位であることに気付いていたらしい。なんだかわからないけども、パパはやっぱりすごい。
おれはパパほど賢くもママほど強くもなれなかったけど、歌うことだけは大好きだった。バイトでプロのバックコーラスをやりながら、路上で弾き語りなんかをやっている。彼氏も応援してくれてるし、いろいろつらいことはあるけどけっこう楽しいんだ。
その年の正月、総出で三女神教会に参拝した。
オストワルドさんは星帝として恒例の、ラトキアの栄華を祈祷。シェノクさんは特に思いつかなくてそれに便乗したらしい。シャチは無言。おれはオーディション合格を祈願し、パパはママの肩を抱いて、おなかの子の成長をお祈りしていた。
候補の中から、三人目の名前は何にしようかと悩むパパ、ママはラッコが可愛いといい、おれはアザラシってかっこいいと思ってた。
正月早々、にぎやかな一同のなかで、パパはいつものように笑ってる。
「どっちだっていいさ。生き物はみんな強い」
そんなことを言いながら、三女神の御前に頭を垂れる。うつむいた口元で欠伸をしているのを見つけて、おれは笑った。
家に帰り、酒を囲んで歌って笑う。
正月休みが明けたらまた、みんなそれぞれの仕事へ戻り、毎日当たり前のように働いていく。そんな中で時間をつくり、また集まって騒いで喧嘩して、飲んで食って寝て生きている。
パパは強い人だ。きっと、ママがいなくても生きていける人。ママもそう。いやおれたちだってみんなそうだろう。
ほんの数人の小さな輪、もっと大きな社会の輪、そのなかにちっぽけなおれもいて、いなくなっても誰も困りはしないけど、いてくれたほうが楽しくて、良い。
より良いひとと出会い、より強い子を産むために性別を変えるラトキアの民。
きっとこれから、まだまだ色んなものが変わっていくんだ。だけど、無くなってしまうということじゃないんだね。
今日よりも明日――わたしたちはきっと、よりいいかたちで生きている。




