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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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未来編⑨

 騎士たちの間で、なるほどなアレかーという唱和が起きた。


「あの薬は扱いが難しいらしいね。真犯人の顔を忘れさせようとして、量でも間違えたんだろうか」

「それなら、監禁生活に甘んじたのもうなずけるわ。というかそうでないと三日で逃げられてるもの。シンプルな鉄格子ならまだしも、リタさん相手にパスワードキーロック。ロボットではなく人間を周りに置くだなんて。笑止、です」

「俺は元々オカシイと思ってたよ。あいつが十年も可哀想な被害者やってるだなんてありえねえし」


 コトラさん、シェノクさんまでが便乗してモニターの向こうで嘆息した。


「誘拐犯一派と仲良くボードゲームだって? まったく、あいつらしくて頭が痛いぜ」

「ん。まあ、それはいい。オルカ、本物のリタもここを離れろと言ったんだろう?」

「う、うん。それは本当……」

「じゃあ作戦通り、このまま出よう。リタが大丈夫といったなら、大丈夫なんだ」


 ママはあっさりそう言って、通信を切る。

 そしておれたちは全員、当初の計画通りに脱出した。止まることなく大通りまで出て身を潜める。


 その間に少しだけ、おれは『薬』について聞かされた。

 記憶喪失薬――

 それはラトキア軍の兵器であり、三十年ほど前から使われてきた劇薬。注射の量により抹消される記憶の年月が変わってくる。通常、任務を通行人に目撃された場合に使われたり、酷い体験をした軍兵からトラウマを取り除いたりするもので、元来は少量を使い、せいぜい数日間の空白を作るだけのはずだが。


「パパは、薬のせいで記憶を無くしてるの……」

「おそらくな」


 確信を込めて頷くママ。


「このラトキア星にくる直前くらいまで遡らされたな。なおかつ部分的には思い出し、あやふやになっている状態だ。外の環境も分からず、中の環境が良いならば無理に逃げようとはしなかったんだろう」


 その心理は分からないじゃ無いけど、なんかみんな、パパがその気になれば簡単に脱出できたはずってのを前提にしてるのは何でなの?

 訪ねてみると、コトラさんがケラケラ笑った。


「だって、リタさんですもの」


 シェノクさんは元の場所で待機していた。

 ――その彼から、連絡が入ったのは三十分もしないうち。


「リタが、出てきました。正面玄関です」


 ママは駆け出した。




 十年間、小一時間前まで地下室に監禁されていた男は、特にどうと言うことも無く普通に歩いてやってきた。顔にはガスマスクをつけている。

 お日様の下でウーンと背伸び。マスクを外し、そのままぼんやり立ってる。

 顔の造作が何とか見て取れるほどの距離で、ママは足を止めた。

 その場で佇んで、動かなくなる。


「ママ、あのひとが……」


 手を引くと、ママはようやくフラリと歩き始めた。


「リタ……」


 男は顔を上げた。琥珀色の目が驚いたように丸く、大きく見開かれた。


「えっ、鮫島くん!?」


 彼の方から駆け寄ってきた。そしてなんの躊躇も無く、ママの肩をつかみ、ぎゅっと抱き寄せた。


「うわぁほんとに鮫島くん? めちゃくちゃ美人! 若っ? あれぇ今確か四十……ああそうかラトキア人は若く見えるから、っていうか可愛い! わー。うわー可愛いー」

「あ、あの」


 対して、ママのほうが身を堅くしていた。察したのか、パパがいったん身をはなす。


「十年ぶり、だっけか。君から見た僕は、もうずっと年上のおじさんになっているのかな」

「そ……んなには、変わらない」

「はは。僕もたいがい童顔だよね。マジな話、鏡を見てもサッパリでさ。僕いま何歳(いくつ)なの?」


 ママは笑って、そして大きく息を吐き、ゆっくりと、パパのほうへ寄りかかっていった。倒れるのを支えるように、パパが抱き止める。ママは力が抜けてしまったようだった。ふたりはずるずると、地面に崩れ、ひざをつく。それでもパパはママを離さなかった。


「リタ……リタ」


 のろのろと手を持ち上げて、なんとか夫の背をつかむ。手が震えていた。パパは妻を大切そうに撫で、優しく明るい声で笑う。


「ありがとうね鮫島くん。僕が生きてるって信じて、探してくれたんだって?」


 ママは首を振った。


「……ちが……私は、そんなに、強くない」


 パパの背中をぎゅっと抱きしめ、ママは肩をふるわせた。半分魂が抜けたような、感情のこもりきらない声で訥々とつぶやき続けた。


「死んだと、思ってた。だって、骨まで届いて、それでリタは帰ってこなくて――私は、信じられないなんて言えないくらい、人の死を知っている。

 誰も悪くない事故。仕方ないと思ってた。子供達のことも考えなきゃいけないし。

 ……だから、未練がましい自分を吹っ切るために、遺骨の鑑定をしたんだ」


 ママの声が掠れる。間近にいるおれとパパしか聞こえないくらいの小声で、止めどなく、独り言のように吐き出し続けた。


「それで『不一致』なんて結果が出てしまって、じゃあほかの証拠をと探して、探しても探しても出てこなくて、むしろどんどん疑わしくなってしまって。

 今度こそ今度こそって、その間に喪が明けて。いい加減に忘れろって怒られて」


 なんか、グチみたいになってきた。ママの恨み言はまだまだ続く。


「仕事も子育てもちゃんとやってたのに。もしかしてって思い続けてるだけ、思い出話をしているだけで、私は楽しかったのに。趣味とか日課とか、そんなものだったのに。

 でもみんな、毎日毎日言ってくるから。リタは死んでる、話をするな、現実を見ろって毎日毎日……みんなで言ってくるから――」


 どんどん声が大きくなり、恨み節が炸裂する。


「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」


 おれ、コトラさん、シェノクさん、身に覚えのある一同が素直に謝った。シャチはそっぽを向いているけど、コイツも一回くらい言ったことあるだろう。

 とうとう、ママは大声をあげた。


「リタ、生きてたぁっ……!」

「生きているよ。鮫島くん。心配させてごめんね……」


 パパにすがりついて、ママはわあわあと声を上げていた。

 なにを叫んでいるんだろうと不思議に思う。だけどすぐに、あれは泣き声だと気がつく。

 そう、ママが泣いていた。


 アア、アア、ワアア――


 そんな子供のような泣き声が、誰もが押し黙った虚空に鳴り響いていた。


 シェノクさんの反応を見るに、それは極端に珍しいことなんだと思う。パパだけがそのまま受け止めている。

 ……おれも、こんなふうに声を上げるママにはびっくりしたけども、「あのクーガ」が泣いたこと自体は意外ではなかった。ママの泣き顔を見るのはこれで二回目だったから。


 それは、パパの七回忌の夜だった。法事の準備と片づけ、参拝者のもてなしで一日中かけまわっていたママは心身ともにクタクタになって、少し休むといったきり、寝室へ入っていった。

 おれはいつもより夜更かしをしたい気分だった。紅茶を入れて、リビングで本を読んでいた。

 深夜、突然、扉が開く。ママが血相を変えて立っていた。


「リタ!……っ!」


 叫ぶ声の響きが消えるよりも早く、ママは正気に返ったらしい。こわばった表情をゆるめていく。


「……オルカ。ごめん、寝ぼけた。驚かせたな」


 おれは首を振り、叫び声の中身が聞き取れなかったフリをした。ママは、早く寝なさい明日は学校だぞなどと親らしいことをいって、また寝室へ戻っていく。

 おれは歯を磨いてから、なんとなくママの寝室をのぞいてみた。ママはベッドに腰掛け、じっとしていた。シーツをぎゅっと握りしめて――

 駆け寄り抱きしめようかと思った。だけどおれは扉を閉めた。同時に、死人に対し強い怒りがわいてきたんだ。

 なに、ママを泣かしてるんだよ馬鹿野郎。本来あんたがそれを慰め、守るべきだろうに。

 せめて目の前でちゃんと死んでくれよと。



「ごめんね、鮫島くん。子供達を君ひとりに押しつけた。あんなに大きくなるまでよく育ててくれたね」


 ママが首を振る。


「子供達は可愛かったし、いろんな人が助けてくれたから」

「苦労したかい?」

「ううん。平気……リタほどじゃない」

「いやあ、なんせ記憶が無かったからね。ここから出たいって気持ちにもならなかったよ。仕事も適当にやってたし」

「私もべつに……何一つ苦労なんてしなかった。けど」


 ママは少しずつ落ち着いてきたみたいだった。だけど、パパはまたぎゅっと強く抱きしめる。


「僕がいなくて、寂しかった?」


 ママは答えなかった。体をふるわせて、パパの肩を握りしめる。そしてまた泣いた。


「ごめんね……もうどこにもいかないから」


 パパはそういうと、おれのほうに顔を上げた。どきっとするほど優しい顔。おれはそのときようやく、自分の頬もびしょびしょに濡れていることを自覚した。

 パパがおれに、オイデオイデしてくれる。おれはママの横に同じように跪いて、三人で抱き合う。そしてママとそっくり同じように、声を上げて泣いた。


「ありがとうオルカ。ママを守ろうとしてくれてたんだね」


 フン、と鼻を鳴らす音がした。いつの間にやら、すぐ後ろにシャチがいた。どこか遠いところに視線をやって、いつも通りの無表情。だけどパパは、シャチの手も引いた。


「おいで、シャチ」

「……ぼくもう子供じゃないし」

「大人もけっこう泣くんだよ」


 パパはそう言って、ちょっと強引に引き寄せた。軍服を着た十四歳の騎士は、黙ってそのままじっとしている。


「おっきくなってくれて、ありがとう」

「……っ……!」


 シャチは肩をふるわせて、自分よりずっと小さな父の肩に、頭を置いていた。


「さあ、おうちに帰ろう。どこにあるのか、僕はわからないけど、みんなでいっしょにうちに帰ろう」


 自分の号泣はやかましくて、パパの言葉がうまく聞こえない。土のうえについた膝が少し痛かったけど、それ以上にパパの手が大きくて暖かくて、優しくて、体の中に凍り付いて固まっていた涙がぜんぶとけてあふれでる。おれの人生で、これだけ泣くことはもうこの先ないと思う。


 ひとしきり泣いて、身体の水分が足りなくなってきたころ、後ろ頭をバコンと堅いもので殴られた。


「いい加減にしろ! ここは敵地の真ん前だぞ、いつまでやっとるのだー!」


 ふよふよと空中に漂うピンクの物体。なんぞこれ? と思ったら、モニター部分に知った顔が写っていた。


「オストワルドさん……」

「鯨さん? おー超ひさしぶり。髪切った?」

「クゥのときよりえらく軽い気がするが、まあよし。リタ君、とにかくもっと遠くへ退避しよう。気持ちは分かるが追っ手がきたらこじれるだろう」

「だいじょーぶ、全員四時間は気持ちよく眠ってるはず。念のため、全部の扉をパス変更して閉じ込めてきたし」

「君、監禁されてたんだよな? 睡眠ガスなんてどこでどうやって」

「化学薬品の開発を任されてたんだよ、材料も器具も部屋にやまほどあったの。一応作った上で全部隠して、平和なやつだけ納品してましたけど。美味しいスープのレシピとか、毛生え薬とか」

「……やはり兵器の開発か。被害者が確保できた以上、誘拐監禁の件は正式に逮捕状を出せる。さらには兵器の私的開発、クーデター計画の容疑を絞らねばな。君も重要参考人として騎士執務室、いやまずは病院に」

「あれっそこにいるポメラニアン、犬居さんじゃない!?」

「聞かんかい!」


 地団駄を踏んで叫ぶオストワルドさん。この人、惑星で一番エライヒトなんだけどな。

 パパはうるさそうに彼女を見上げて、


「なんだよー。そういう難しい話はそっちで勝手にやってよね。僕はもう民間人、夫とパパが本業だよ」


 もうオストワルドさんは苦笑。シェノクさんも、毒気を抜かれたようにほほえんでいた。


「やれやれだぜ。二十五年も経って何一つ変わってねえな、てめーは」

「犬居さんこそ、なにやってんのこんなとこで」

「悪かったな、しっかり懲役つとめ上げてきたんだよ文句あるか!」


 犬歯を剥いて怒鳴りつけるシェノクさん。あれ? この二人、仲良しじゃなかったの?

 シェノクさんは赤い髪を適当にかきあげて、


「ま、詳しいことはそれこそ病院でもいったあとにしてくれ。記憶が戻れば、なんで俺がここにいるのかも何となくわかると思うぜ」

「記憶が戻る?」


 パパとママとおれの声が重なった。うなずいたのはコトラさんだった。


「はい。確実とは言えませんが、現在の軍化学ではかの薬を無効化……というか、眠らせた記憶を呼び起こす(すべ)が開発されています。うまくいけば全快する可能性も高いですよ」


 パパが無くした記憶はおよそ五年分。誘拐の直後は、地球を出て、男性の『鮫島くん』と再会したあたりが最新の記憶だったという。そこには、大きな出来事、大事な思い出がぎゅっと詰まっているはずだ。

 パパは頭をかいた。


「そうだな。何にもないところから新婚生活やり直すってのもアリな気がするけど、子供たちのことは思い出したいし。『鮫島くん』のことも――死んだと思っていた彼のことも、僕はちゃんと知っておかないと」


 そういってパパは立ち上がろうとしたが、ママがしがみついてはなさない。パパがちょっと困った顔をしてもしばらく無反応。それをシェノクさんとコトラさん、シャチまで加わって引き剥がす。


「クーガさん、ちょっと本当にいい加減にしましょうっ。いちゃつくのは後でも出来ますし!」

「そうです団長、リタには調書もとらないといけないのでいったん離れて」

「いやだ」

「ママ、パパはこれから病院。記憶を戻すんでしょ」

「私が連れてく」

「ぅわあ!?」


 ママは夫を抱きしめると、いきなりスルリと持ち上げた。そのままのしのし歩き出す。妻にお姫様抱っこされた中年男は、最初だけワアワアいってたが、すぐに落ち着いて笑っていた。


「あはは、なんかこういうのも懐かしいなー」


 きっと過去に何度かされたんだろう。鮫島くんほんと変わらないねーと笑っている。

 そこには、十年の監禁も、五年分の人生の消失の苦悩もなにもないようだった。パパこそがきっと、ずっと昔からなにも変わっていないひとなのだろう。ずっと昔から、強くて大きい。


 おれは自分の手を見下ろした。十四歳になったばかりの手はちいさくて、いかにも弱々しかった。ずっとパパにそっくりだと言われていたけど、実物に出会ってからはすごく小さく思える。

 パパは大人で、おれは子供なのだと実感した。

 それが悔しくない。なにかとても、幸せな気持ちで、はしゃぎまわる大人たちを見上げていた。


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