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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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未来編⑧

 

 軍人たちは首を巡らし、あたりを見渡す。

 一階フロア突き当たり。ひと気が無く、丁字路の端であり、何も無い。不自然と言えば不自然な気がする。


「このあたりにもう一つ、地下への隠し扉が……?いや、もしかすると二階以上からの直通階段があるのかもしれない。手分けして探すか」

「まず先に、地下のリタさんとコンタクトを取れないでしょうか? 声を掛けてみるとか伝言メモを渡すとか」

「いや、リタに見張りがついている可能性は高い。リタの救出方法が確立するまで、この潜入が気づかれてはいけない」

「直接ここから乗り込んで、パパを攫っちゃうってのは? エレベーターのスイッチなら見つけたよ」


 シャチが言う。穴の内側を覗き、どうにか肩を入れようとしてすぐに諦めた。


「だめだ、ぼくには小さくて無理。ママは?」


 ママは試しもせずに首を振った。細身のコトラさんが、あたしやってみますと頷いて、四角形の穴に頭を突っ込み、両肩までがするりと入る。

 おおっ、いけるか――と、思ったとたん、彼女は肩を抜き戻ってきた。無言のまま、胸元についた埃をパンパン叩く。そして壁の隅っこに移動して膝を抱えた。そうか乳か。乳が駄目だったかコトラさん。しくしく泣き出した彼女に歩み寄り、シャチが何やら囁いていた。


「大丈夫、気にするな。ぼくはコトラのおおきなおっぱいが好きだ。大好きだ」


「仕方ない。やはり地下への階段を探そう」


 ママは嘆息し、さっそく壁に張り付いた。手指をめいっぱい広げて、うんと背伸びをしたり這いつくばったりしながら探していく。

 表情こそいつも通りだけど。


「すぐ足下にリタがいる。ここまできて、一時退却なんてできない。リタがそこにいるのに、顔も見ないで帰れない」

「……ママ」

「せめて顔を、声を。生きてここに居ると分かるまで――」


 声が震えていた。

 コトラさんとシャチは目をそらし、二階を探索する手順を相談しはじめた。おれはみんなのような能力(スキル)なんかない。――だけども。


 おれは、小窓へ足を掛け、一気に頭から突っ込んだ。同年代の平均よりずっと小さなおれ、頭も肩もするりと抜けて、全身が入る。そして中のケーブルにぶら下がった。


「オルカ!?」


 悲鳴じみたママの声。慌てて駆け寄ってくる彼女に、おれは言った。


「おれが見てくる! すぐ戻るよ、ママ達はそこで待っててっ」

「だめ! だめだオルカ危ない、だめ! だめっ!!」


 ママの手が伸びる。おれはそれを躱し、ケーブルを下る。あっという間にママの腕の長さを超えて、下方の箱へ足がついた。想定通り、蓋がある。万がいち動き出してはかなわない。おれは手早く蓋を開き、箱の中へ入り込んだ。一階から地下へ、食事を運びいれる搬入口――ならば、直通で――


「オルカぁ――――!」


 遠くでママの声。だがそれよりも、おれには聞くべき声があるんだ。

 箱の中は狭く、おれがやっと体育座りができるくらい。真っ暗で、手を伸ばすと正面は壁、そして真ん中に縦の割れ目がある。すこし光が漏れている。きっと扉だ。おれは一度、頬を当てて耳を澄ませ、次に割れ目を覗き込んだ。

 ……明るい、室内。割れ目は細くそれ以上のことは分からない。いや、何かが動いてる。誰かがいる――

 突然、もたれかかっていた壁がバカッと開き、おれは前向きに転がり落ちた。一メートルくらいの高さを落下して、床に背中を強打する。痛い!


「うぐぎっ! っってて」


 悶絶している、と、かすむ視界に影が差す。

 その部屋の住人は、おれの前に腰を落としていた。曲げた膝に両手を置いて、まじまじとおれを見下ろしている。


 視界が明瞭になる。

 そこにいたのは、ひとりの男性……だった。


 年の頃は、ママと同じくらい。中肉中背、よりも少しだけ小柄。お世辞にも逞しいとは言えない手首に、薬品のにおいがする小さな手。

 特徴的なのは髪の毛だ。くるんくるんでふわふわ、このラトキアでは極端に珍しい茶色い髪。そして琥珀色の、温和な瞳――


 初めて見る男。

 だけどよく知っている男。


 言葉にならない。

 無言のまま、見上げるおれの代わりに、彼は言った。


「……『こんにちは、先日助けていただいた、ティーカップトイプードルです』?」


 ……は?



 第一声、意味不明から始まったその男は、しゃがみこんだ姿勢のまま、笑った。

 にっこり。そんな音が聞こえてきそうな明るい笑顔。

 おれよりもずっと幼い、子供みたいに笑いながら、おれの手を引き立ち上がらせる。

 そしてフームと唸った。


「なるほどねえ。こうして、客観的に見たらなるほどなんというか、不気味なくらいに全部が丸いね。なるほどこれは撫でたくなるなる」


 言いながら、ほんとにウリウリおれの頭をなで回した。ニコニコしながらウリウリ。そうして、囁く。


「コピーホムンクルス……いやそれにしては少し違うな。うーん、ってことはやっぱり実子だろう、普通に考えて。うーんそうかあ」

「あ……あ、の。おれ……」

「あ、やっぱりラトキア語なんだ。君はどこの星で生まれた? 母親はラトキア人? ああそれより名前と年齢を教えてくれ」

「え――名前、は、オルカ……。十四歳」

「じゃあ、少なくとも僕は三十四歳以上。地球を出て十五年以上かー。そうかー。ワンピースもう完結したかなあ」


 ……な、なんだ? 何を言っているんだ、この人は。

 わけがわからない。言っていることも意味が分からないし、ニコニコしながら声だけは低くて、なんだか怖い。なんだろう、この人。底が知れない。怖い。

 身をこわばらせたおれの肩を、両手でわしづかみにする男。幼さすら感じさせる甘い顔立ち、だけどその目だけは異様に強いんだ。ひとの内臓まで見透かすような眼差しで、おれの顔をじいっと見つめてくる。怖い――


「あ、あの。あなたは……クリバヤシ・リタ?」


 その人は黙って、頷いた。だけど、


「おれのパパ……?」


 その問いかけには、少し眉を寄せ、首をかしげる。それから一応というかんじで頷いた。


「おそらくはね」


 おそらくって。どういうことだ? おれは婚外子なんかじゃない、パパとママは恋愛結婚で、パパは出産にも立ち会ったと聞いている。半分以上は在宅業で、育児もたっぷり分担していたって。名前もパパがつけたんじゃなかったのか? 

 なんでおれのことを知らない?

 パパが『死んだ』のはおれが四歳の時。おれは幼くてうろ覚えだけども、当時三十間近のパパが子供を忘れるわけがない。

 ――いや、ありえるのか?

 十年間、離ればなれで暮らしたら、男は妻子を忘れるものなのか? おれ、パパに忘れられてたのか……!?


 呆気にとられていたおれだけど、状況を理解すると一気に怒りがわいてきた。男の手を振り払い、


「ふざけるなよ! なんなんだお前。子供のことを忘れるなんて――畜生! ママがどれだけ、十年間、どんな気持ちで!」


 叫んだ勢いで、涙が溢れる。しゃくり上げるおれを、男はなんとも難しそうな顔で見下ろしていた。お世辞にも反省なんかしていない、ただ「まいったなー」っていう軽い困惑で、後ろ頭をポリポリ掻いた。


「そー言われても、こればっかりは不可抗力で。僕としてももちろん思い出したいよ。その、君のママ? 僕の奥さんっていうひと――」

「クーガだよ! 名前すら忘れたのか馬鹿野郎!!」

「ごめんごめん怒んないでってば、えーと君はオルカね。んで奥さんがクーガ。もう覚えたよ、クーガ、クーガ、えっとラトキア語でなんて生き物だったかな……」


 おれはもう、怒りのあまり声すら出ない。それでも男は飄々としたもので、おれの頭を撫で、ご機嫌を取ろうとする。おれの涙を指で拭いながら、


「ごめんってほんと泣かないで、僕が悪かった、けど悪いのは僕じゃないんだよう。君や君のママを愛してなかったとかでも無くてね。だけど実感ってもんがさ――」


 と。ヘラヘラしていた顔が、こわばった。おれの頬を両手で包み、上を向かせる。そして真正面から視線を合わせた。


「――この、深海色の瞳。クーガ。……鮫?……」

「な、なに」

「鮫島くん。鮫島くんだよね。君のお母さん、僕の子供を産んでくれた、僕の妻は、鮫島くんだ。鮫島くんだ」


 サマジマクン? 一体それは誰のことだろう。このラトキアの人名ではない発音。少なくともママの名前では無いのだけど、パパはそれで確信したらしい。おれの肩を掴んだまま抱き寄せた。ぎゅうっと胸の中に潰される。


「オルカ教えて。君のお母さんは生きている? 今も元気でいるの?」

「う、うん。全然元気。おれの知る限り病気の一つも」

「本当? そうか、生きて――鮫島くん。生きていたのか。生きて――」


 パパの声に熱がこもってる。え、まさか泣いてる?

 記憶が曖昧な男は、なぜかママが死んだと思い込んでいたらしかった。どこから来た誤解だか分からないし、なぜママを『鮫島くん』と呼ぶのかも分からない。

 問い詰めようとした瞬間、急に離され、突き飛ばされた。床に転がったところに布団が落ちてきた。突然の暗闇、暴れるおれの上にドカッと重い物。パパの尻だ。


「ちょっ――」

「はぁーい! どうぞ、入っていいよぉ!」


 誰かに呼びかけるパパ。おれはぎょっとして身を固めた。おれを尻の下に隠して、パパは誰かを部屋へ迎えた。


「よう、リタ。調子はどうだい」

「やぁセル、まあまあだね。とりあえず風邪は治ったよ。まだちょっと鼻づまりがあるけど」

「そういや少し目元が赤いな。気をつけろよー、おまえにはマジでみんな期待してんだから。ドルトレンさんなんか、酔うたび同じこと言うんだぜ、俺はこれで億万長者だぁって」

「えー? 副産物でちょっと美味しいものが出来ただけじゃん、アレで満足してくれるんならさっさとココから出せデスよ。あとたまには何かしらいやらしいものを差し入れて。たまにでいいから」

「ふはは、そっちの方は俺が持ってきてやるよ。それよりリタ、今は休憩中か? ボドゲやろうぜ。じきにジラフィとアメーシャも来るって」


 明るい笑い声。まるきり友達同士の会話だった。パパもケラケラ笑いながら、


「いいね! でもゴメン、ちょっと今、培養の佳境なんだ」

「そうか、残念。じゃあまたな」

「うん。ところでセル、貯金出来た?」

「おう! またおまえに身ぐるみ剥がされてやるよ」

「負ける気かーい! あはは、じゃあまた明日―っ」


 元気な声とともに、扉が閉まる音。もういいよと呼びかけられて、おれは布団から顔を出した。声が去った方向に、扉があった。しかし何かが張り付いている……あれは、パスワードキーロック?


「……人間一人、監禁するような組織でも、ひとりひとりは案外気の良い奴だったりするんだよ」


 パパは目を細め、なんとも言えないことを言った。


「悪い環境じゃなかったよ。だから、無理に出ようとはしなかった。外の世界に、僕が欲しいものはもう無いと思ってたし」


 ……その横顔を見ていると、なんとなく切なくなる。うっかり、怒りが消えてしまいそうだった。おれによく似た、だけどおれには似ても似つかない知的な双眸。

 なぜ? 家族を忘れるような男にはとても見えない。なぜ……?


「だけど、鮫島くんが生きているんなら話は別だ」


 パパは立ち上がった。扉に耳をつけて、部屋周辺の気配を探り、続けておれが来たエレベーターを覗き込む。


「オルカ一人できたわけじゃないよな。鮫島くん……クーガさんもいっしょ?」

「え。う、うん。ママと、あとシャチと、コトラさん」

「傭兵?」

「き、騎士見習いと、騎士団副団長だよ」

「じゃあ戦える人だね。よしじゃあオルカ、急いで彼らと合流して。そしてすぐにこの建物からも出ていくんだ」

「え? え?」

「三十分待つ。それまでに必ず出てね。騎士達なら余裕だろう」


 なんで? どうして?

 おれたちはパパを助けに来たのに。ママは十年間ずっとパパを探していたのに。――問い詰める間もなく、パパはおれをエレベーターに押し込んだ。


「動かすよ、じっとしてたら安全に一階に着くから」

「ま、待って、おれたちはパパを助けに来たんだよ。ママはずっとパパを探して――!」

「僕のことは、薬を射たれたらしいとだけ言えば分かるだろう。あれは軍の装備のはずだ。出会った初日に使われかけたしな。僕を助けに? ありがとう、でも僕のことは大丈夫!」


 ガコン――ゴウンゴウン、エレベーターが動き出す。


「パパ!」


「早く外へ……!」


 パパの声が遠くなる。真っ暗闇の十秒間、のち、急に目の前が明るくなった。一階に戻ってきたんだ。

 そこには枠にかぶりつきで覗き込んでいたママがいて、目が合った途端、いきなり頬を叩かれた。


「馬鹿息子が! 危険だと言っただろうっ!」


 そして強烈に抱きしめられる。おれは目を白黒させて、じんじん痛む頬をママの肩に埋め、ごめんなさいと謝った。

 二階に上がる算段をしていたはずのコトラさん達も、その場で心配していたらしい。ほっとしたような怒っているような呆れたような顔で、みんながおれを囲んでいた。

 その風景に、おれは胸が締め付けられた。嗚咽してしまいそうになるけど、今はそれどころじゃない。伝えないと。


「ママ。あの、パパが、あの……」

「ああ、居たんだな。なにか話したか? リタの様子はどうだった?」

「う、うん、それで……パパが。パパは――」


 パパは……元気そうだった。確かに閉じ込められてはいたけど、健康で清潔で、敵と友達みたいだった。ママのことは忘れていた。おれたちのことは知らないみたいだった。せっかく助けに来たのもいらない、出て行けと言った。パパは、ママが探し続けた夫は――


「……パパは……。おれたちが来たことを、すごく喜んでた。ずっと会いたかったって」

「そうか」

「でも、もう、自分は駄目だって。……監禁部屋も、酷くて。すごくつらい思いをしていて……もう、とても助け出せるような状態じゃなかった」

「…………」

「だから、自分を置いて出て行ってくれって言ったよ。この扉のパスワードロックは外せないし、どうにもならない。だからパパなんか忘れて、ママと子供達だけでも生きて欲しい、ママも再婚して幸せになってくれって! おれのことを抱きしめて、愛してるから言うことを聞いてくれって頼まれたの。ママ。ママ――」


 まくしたてたおれを、ママはじっと無言で見つめた。目を合わすことは出来ない。それでも、彼女は疑っていたわけじゃなかった。フム、と頷くと、すぐに冷静な声で言った。


「それ、リタじゃないな」

「……えっ?」


 ママはコトラさんのほうへ顔を向けた。それだけで意志が伝わり、彼女も真顔で頷いた。


「はい。リタさんではないですね。影武者というやつでしょう」

「隠し扉に加えそこまで用意してあると言うことは、この私が捜索し、潜入までを想定されているな。思っていたより知能犯だ」

「本物もここにいるのでしょうか。だとしてもいったん退避したほうがいいかと」

「そうだな、さすがに出直そう」

「オルカ、その男はここから出ろと言ったのね?」

「う、うん。えっ、でもあの――」

「となると帰り道に必殺の罠が仕掛けてあるな。コトラ、とりあえず屋上へいこう。敵の想定外のルートを探し、シェノクと連携してまずオルカを逃がす」

「了解。シャチ、オルカを背負って。あたしが先頭で退路を確認、クーガさんがしんがりで後方を警戒。きっとこれまでより多くの強敵が襲ってくるでしょうがまともに戦おうとしないで、とにかく急いで、退却に集中!」

「りょーかい」


 シャチも素直に頷くと、いきなりおれを抱き上げた。


「えっ。え、え。待ってちょっと。え」


 軍人達の動きは速い。一瞬でコトラさんの姿が消え、シャチが後を追う。続いてママ。三人ともが壁を登り、(シャチは窓枠を掴んでいたけど)あっという間に三階屋上までたどり着いた。ママが携帯端末を取り出して、


「シェノク。リタのようなものは発見したが残念ながら別人だった。この潜入がバレている可能性が高い。撤退する」

「了解。南側の警備が薄いです。道は悪いですが許容範囲」

「ではそこに向かう。オストワルドに連絡を取ってくれ。リタの偽物がいる。王都で彼に似せた整形をした者がいないか捜査を――」


「待って! ママ、待って!」


 おれは絶叫した。全員が振り返る。視線を合わせたら声が出なくなりそうだから、おれは俯いたまま、一気にすべてを白状した。

 さっきのは全部、嘘だったって。

 それは、ママにとってひどくショックな内容のはずだ。パニックになりかねない――そう思って言った、だけど。


 すべてを聞いたママは、静かだった。

 目を閉じ、深く呼吸する。そして、笑った。


「……ああ。なるほど……。そういうことか……」


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