未来編⑤
見習い生たちには一日休を言い渡し、シャチとコトラさんは騎士団領へ。おれたちは王都の外れ――町一区画まるごと刑務所、通称、『監獄都市』にと降り立つ。
シャトルバスは一日に二便。だが、乗っているのはおれたちだけだった。
貸し切り状態のバスの中で、おれは改めて今日の目的を聞いた。話し手はシェノクさん。ママが騎士団長だったとき、その補佐役だったという彼はどうもその役割分担が染みついているらしい。
ママはいつも以上に寡黙になり、そのぶん、シェノクさんがすべて説明してくれた。
「昨日、いよいよ乗り込むぞっていうテンションで話していたけど、実際に動くにはもう一段階、確信が必要なんだ。容疑者は絞れたけども、決定的じゃない。動機も不明だ」
「……えっと、これから牢獄に行って、それが分かるの?」
ああ、と頷くシェノクさん。
「爆発後、焼け焦げたリタの携帯端末からメール履歴を一部サルベージ出来た。通信記録だけで、内容まではわからないけど……宛先は、キリコ」
「キリコ?」
「ああ、あのキリコだよ。よりによって、なんでリタがあいつとメールなんかしていたんだか」
シェノクさんは苦虫をかみつぶしたような顔をした。おれは首をかしげた。
「『あのキリコ』って?」
「まさか知らないのか? 逮捕されて以来さすがに表に出てきてないが、教科書で習っただろう」
「習ったような、ってないような」
シェノクさんは黙ってしまった。あ、おれ、馬鹿だと思われたな。でもしょうがない。おれが勉強苦手なのは事実だし。
「その人がパパを攫った犯人なの?」
「まさか。終身刑で投獄中だ」
「じゃあ誰かに指示をして……」
ママは腕を組んで首を傾げた。
「可能性はゼロではないが、違うと思う」
「でも悪い人なんでしょ、逮捕されてるってことは」
「それはそうなんだけど。ちょっと毛色が違うというか、やるとしたら別のやりかただろうなというか」
なにやらぶつぶつ言っている。なんだかよくわからないので、おれは率直にママに聞いてみた。
「どんなひとなの?」
「うーーん。そうだなあ。一口で言うと……」
「変態」
シェノクさんがぼそりという
「……まあ、そうだな」
ママもうなずいた。
「いわゆる変態だ」
……なるほど?
「クーガ様と、そのお連れ様ですね。面会の手続きは完了しております。――お気をつけて、どうぞ」
そんな文言とともに、看守はおれたちに一礼し、扉を開けた。監獄都市のなかでも最も堅固で、凶悪犯が収められているという棟。その最奥、細い階段が地下へと続いていた。この先にキリコがいるという。
看守はその場で敬礼したまま。どうやらおれたちを放置してくれるらしい。というか面会って普通、牢獄を直接訪ねるようなもんじゃないよな? 尋ねると、シェノクさんはボソリと言った。
「金を積んだ」
そうですか。
「一応、元騎士団長へ信頼というのもあるけどな。それよりはキリコの特別待遇だ。ラトキアの大脳を訪ねる客は未だに多い。金を積んだのは俺たちだけじゃないってことさ」
階段は、思っていたよりは短かった。十三段ほどで行き止まり、鉄の扉が立ち塞がる。
先頭のママが扉を開く。鍵は開いていたらしい。
そして――その先に、その男が立っていた。
その壁は、膝あたりの高さから上が鉄格子になっていた。その向こうにひょろりと痩せた男がいる。
老人とまでは言うまい、壮年の男。
糊の効いたシャツに黒ズボン、囚人なのに革靴を履いている。水色の髪を後ろで束ね、薄縁の眼鏡。ハンサムではないが、鋭利な眼差しにはどこか妖しい魅力があった。
――キリコ博士。
軍の科学者だったというその男は、まさにそこからイメージするとおりの外見で、扉のほど近い位置に立っていた。まるでおれたちを待っていたかのように。
ママの姿を視界に入れると、にっこりと、優しげな笑みを刻む。
凍り付く直前の湖水のような瞳だった。
「ああ……クゥ。……もう二十五年ぶりになるか」
鉄格子にそっと手のひらを当て、キリコはとても嬉しそうな声を出した。ママは複雑な顔をして、それでも挨拶の手を挙げる。
「久しぶりだな、キリコ。裁判で見て以来か。老けたものだ」
「そりゃあ人間だもの、老けるさ。……しかしクゥ、おまえは変わらず――いや、少女だったときよりもずっと美しい。すっかり女の体になって」
キリコの細い手首が格子を抜けて、めいっぱい伸ばされる。もちろん、ママはその指が届くところまで近づきはしない。うごめく五指を見下ろしている。
おれは本気で背筋がぞわっとして、悲鳴を上げそうになった。ふと見ると、シェノクさんも似たような表情だった。ママが一歩だけキリコのほうへ歩み寄る。
「キリコ。おまえに聞きたいことがあって来た。報酬も用意しよう。終身刑の撤回などは不可能だが、物品を届けるくらいなら可能だ」
「私が欲しいのはおまえだけだよ」
キリコはニヤニヤ笑った。話が通じてない、わけではない。ただ一言よけいなことを言って遊んだだけらしい。視線が話の続きを促した。
ママはここに至った顛末を淡々と語った。
それはパパがラトキアへやってきて、ママと結婚したというところから始まる。キリコが収監されたのはそれよりはるか以前のことで、最低限の話を始める前段階として、一応でも話す必要があったらしい。
「――そして、リタは星帝を退位後、王都の屋敷へ移り住んだ。軍の科学者として従事しながら、大半は在宅での研究だ。しかし十年前、深夜に研究所から呼び出しが入り、火災爆発事故によって命を落とした」
キリコはママの言葉を、ただ黙ってきいている。
「だが彼が生きていて、何者かに拉致された可能性がでてきた。それからおまえがリタの端末に、なにかメールを送っていたことが分かったんだ。……もしも覚えていたら、なんとやりとりをしたのか、教えて欲しい。十年前のことだから期待はしていない」
「あれ、期待もせずにこんなところまできたのか? ずいぶんヒマだね」
「……正直、おおいに期待はしている」
「正直でよろしい」
「それ以前に、あんたとリタがやりとりしていたというのは本当なのか?」
口を挟んだのはシェノクさん。彼はなぜかおれを背中にかばうようにしている。
キリコはうるさそうにシェノクさんの方をみた。そして、その背後のおれにも気がつく。水色の目が細められた。
「……後ろのは、リタ君との子供だな」
ぎょっとする。ママは想定通りといういつもの口調で、肯定した。
「ああ。捜査を手伝ってもらうことにした。見ての通り父親似だから――」
「外見だけだろ? そんなに頭の出来は良くないね」
きっぱり言われて、ママの背中がこわばった。キリコは笑いもせず、おれの姿を上から下まで眺める。
「二人の子供はオルカとシャチ、双子の兄弟で出来が良いのはシャチのほうだ。外見もかつてのクゥに瓜二つ。シャチを私に『気に入られ』たら困ると思ったのか、それともリタ君に似た子を見せて興味を引かせ捜査に協力させようとしたのかな」
「……。その両方だよ」
「ならばどちらも期待外れだ。牢獄でも情報は入ってくるし、お前達の子に興味は無いよ。クゥの模造品が欲しいなら、あの鰐とかいう男を解剖してる――あぁそうだ言い忘れていた。結婚、ご出産おめでとうクゥ」
「……どうもありがとう」
「リタ君と再会したのは十二年ほど前、彼が仕事でここを訪ねてきたのだよ」
いきなり話が変わった。
「仕事? なんの仕事だ」
「結構男前に育ったねえ、でも可愛らしさはそのままだから面白くって笑ってしまったよ――彼は私の研究を引き継いだのでそのデータを窺いに来たんだ」
神経を逆撫でするような無駄話と、核心を突く話を交互にしていくキリコ。悪気があるのか無いのかわからないが、重要な件を聞き逃さないために、くだらない侮辱にも耳をふさぐことができない。
「……研究、データとは?」
「データはすべて私の脳内にあるものだからやりとりは長期的になり、その引き替えとして、彼には個人的な通信を行うことを呑ませた」
ママの質問には答えず、キリコは一方的にしゃべった。それはそれで強烈な内容だったので、ママはそちらのほうへ反応する。
「暇つぶしに雑談相手でもさせていたのか」
「まあそういうことだ。仕事では多いときは週に一度、すくなくとも二ヶ月に一度訪れてきたが、それとはまったく別に、彼からのメッセージを受け取っていた。内容は雑談ばかりだったけど、私の囚人生活におおいに潤いを与えてくれたよ。楽しかった……私にメールを打つときに、彼がどれほど億劫な気持ちでいるか。想像すると楽しくて楽しくてねぇ……」
おれは、思わずシェノクさんにしがみついた。震えが止まらない。どんな感情からくる震えなのかよくわからない。シェノクさんも手に汗をかいていた。奥歯を噛んで、吐き捨てる。
「ゲスめ。死刑制度復活を女神に祈るぜ」
キリコはシェノクさんをちらりと見た。なんにも興味のない冷たい目で。
「おまえのようなやつが一番つまらないんだ。本気でそう思うなら自ら政治家を目指すか、いますぐ私に切り込んでくればいいのに。リタ君を見習え」
「なんだとっ?」
シェノクさんが眉を跳ね上げたのに反し、ママの声はきわめて落ち着いていた。いつもの、低く柔らかな声で淡々と。
「リタが素直に従ったのは、仕事の、金や名声のためではない。俺たちを守るためだろう」
「……どういうこと?」
「ラトキア政府はキリコを殺すことができない。だけどキリコは、その気になればここを脱獄できる。それを防ぐため、リタは誰にもなにも言わずに、自分だけで、一番いやなことをしてくれていたんだ」
キリコが手を叩いた。
「そういうこと! さすがにいつでも今すぐ簡単にとは言いかねるが、脱獄の手段はいくつもある。リタ君は最初にここを訪れたとき、すぐ看守に訴えかけていたよ。こんなセキュリティじゃ駄目だとね。相手にされず絶望したあとの、彼の目ときたら――くっくっく。
そこの子供よ、おまえは『獣』と出会ったことはあるか? 己が生きるため命を食らう獣だ。憎悪も、殺意すらない。獲物を見据えて、ただそこにある鉄格子という障害物を、さあどうやって剥がそうかなあとだけ考える冷酷かつ獰猛な目――私は生まれて初めてゾクリとしたよ。あれは面白い。それ以来、私はクゥだけでなく君たち夫婦のファンなんだ」
「……貴様、ファンになったひとを不快にさせて悦に入ってんのか、つくづく変態だな」
「お褒めの言葉、どうもありがとう」
「断じて褒めてねえっ」
おれは確信していた。シェノクさんは、この男には永遠に勝てない。もちろんおれもだ。
一見どうということもない、痩せた男。喧嘩をすればおれだって勝てるだろう。
だが……もし、この男が解放された日がきたら、おれは一睡もすることができないだろう。どういう手段でというのは想像もつかないが、確実におれ達の生活は脅かされる。
……でも、ママは? それにパパも。
ママはかつて惑星最強とまで言われた軍人。パパだってこのキリコを捕まえた立役者だという。なのにどうして――もしかして、おれたちのため……?
おれは息を呑み、ママのほうを見つめた。ママは苦笑いのようなものを浮かべていた。
「余計な世話をと言いたいが、リタがそれがベストと判断したならば、そうするしかなかったのだろう」
おれは目を丸くした。くっくっく、笑うキリコ。
「すばらしき夫婦愛。クゥのリタ君への信頼は絶大だな。まったく美しきかな悔しいかな――うん、とっても悔しいから、意地悪をしよう」
ぽんと手をたたき、キリコ。まさか今までは意地悪をしていなかったのかと問いたいが、この男の自称する『意地悪』とはどれほどのものか恐怖が走る。
ママは腰のあたりで腕を組み、無言、無表情のまま、キリコの言葉を待つ。
「まず結論から言おう。十年前のあの日、たしかにリタ君から通信を受け取った。その内容を私は記憶している。そしてそこからの顛末は、リタ君の現在の在処、あるいは、拉致事件の犯人を特定するのに大いに役に立つだろう」
「ほ、本当かっ!?」
シェノクさんとおれとの声が重なった。ママは頬をかすかに動かしただけ。キリコは唇をとがらせ、ささやいた。
「情報が欲しいかい、クゥ?」
「……ああ。頼む」
ママが低い声で答える。キリコはその水色の目になにか獰猛な光を湛えた。手を伸ばし、指先だけで手招きをする。
「おいで」
ママの逡巡はほんの一瞬だった。すぐに二歩、歩み寄る。さらに促されもう一歩。
キリコの指先がママの体に触れた。鎖骨のすぐ下にベタリと無遠慮に手の平をあて、五指を立てた。ママの背中がびくりと震えた。




