未来編④
閑話休題。おれが着替えている間に、大人達からシャチへの話は終わったらしい。コトラさんに言ってたとおり、パパの生存を普通に理解していたシャチは「ふうん」と面倒くさそうに呟くだけ。長い足を組んで、リンゴの皮をむいていた。
リビングに戻ったおれを一瞥もせず、切り分けたリンゴを自分とコトラさんの前だけに置いて、食べ始める。ママが手を伸ばし、勝手に食べていた。
「おい、それだけか? 自分の父親の話だろう。ちゃんと聞け」
静かに、でも誰よりも怒った声で言ったのは、シェノクさん。きっと昔、パパとすごく仲良しだったのだろうな。彼はシャチを真正面から諫めていた。
でもシャチはやっぱり眉ひとつ動かさない。琥珀色の瞳を細めただけだった。これはシェノクさんをナメてるとかじゃなくいつものこと。基本的に無表情なのだ。
それが分かっているママは静かに言った。
「シャチ。物心つくかどうかというころに消えた父親に、思い入れがないことを責めなどしない。それより、おまえにも手伝って欲しいことがある」
「……手伝うって、なに」
「騎士団に潜入し、武器を持ちだしてくれ。これからの作戦に必要なんだ」
「――騎士団に?」
「これからの作戦?」
シャチと、おれの声が重なった。コトラさんが頷く。
「ええ。騎士占有の武器、『麻酔刀』は、ひとを傷つけずに眠らせる強力な兵器。リタさんの誘拐は、正式に逮捕状が取れたわけではありません。容疑者ですらない、民間人が相手です。もしクーガさんが犯人達を傷つけたら罪に問われます。なんとしても麻酔刀が欲しい」
「それこそ騎士に任せられるならそうしたかったけどな。犯行は組織的な物だ。事件から十年たった今なお、警察内部に関係者が潜入している可能性は高い」
「それって、やばいやつじゃないか」
シンプルに、シャチが吐き捨てた。おれにもそのヤバさが分かった。
ママ達は、個人的に誘拐組織と戦って、パパを奪還しようとしているんだ。
それはひどく危険な行動だった。まず身体の危険、そしてこっちも下手すれば犯罪者になるわけで。
「兵器の持ち出しについては、合法になるように掛け合っています。現騎士団長である猪殿に、条件付きで許可を得たんです」
「……それが、ぼくの入団?」
「はい。あの英雄クーガの息子であり、能力もかつての生き写しのようなシャチであれば、もともと入団試験にはスルーパスのようなものでした。今回は仮入団ということで――『町のパトロール』という実地演習を経て試験とする。麻酔刀は騎士の常装備なので『たまたま』持っていても普通のことだし、『たまたま』そこで事件に遭遇し、装備を使用した……ということで。新人でも騎士ならば現行犯逮捕の権限がありますから」
なるほどとシャチは頷いて、残りのリンゴをもぐもぐ食べた。そして無表情のまま、体ごと、コトラさんのほうを向いて、
「それって無事にパパを助けられたら、ぼくは正式に騎士になれるってことだよね?」
「……そういうことです」
「ふっ。なるほど。いいよママ、働いてやる」
おれは、なんだかよく分からなくて、ぼんやりしていた。
えっと……つまり、シャチが、パパを助けに行くってこと?
「シャチは麻酔刀を受け取るだけだ。実際の潜入はコトラと私が行く」
ママはきっぱりそう言った。
「シャチは力と技術は及第点だが、圧倒的に経験が足りない。危険だ。それこそパトロールならともかく」
「未熟者でも、主婦よりマシだと思うけど?」
シャチは言った。弟の言い草におれはカチンときたけども、半ば同意ではあった。少なくとも見た面ではもう、シャチのほうが強そうだった。だってシャチは男で、ママは女だし……。
何も言わないママに、シャチはこれで話は終わりと自室へ引っ込んでしまった。
コトラさんとのことは、ママにもまだ内緒なのかな。おれも今さっき知って心臓が飛び出るほど驚いたところだもの。
昔、見習い生だったコトラさんはここで一緒に暮らしてた。その頃にはもう? いやまさか、コトラさんが騎士になったとき、おれたちはまだ十歳だ。
そりゃシャチは年より大人っぽく見えるけど、コトラさんにとってはおれ同様、弟のように思っていただろう。いやもしかして今でも。ていうかシャチの片思いなんじゃないか? 優しいコトラさんは断り切れないでいるだけでさ。
うんそうだ、そりゃそうだよ。だってシャチなんてイイトコ何も無いもん。ちょっと背が高くて美形で町を歩けば背後に女の子の列ができるくらいモテて、強くて勉強も出来て騎士の筆記試験もイッパツ合格しただけで――そんなたいした男じゃないもんね!
「さてもう夜遅い。明日に備えて休もう。二人とも、今夜はうちに泊まっていくだろう?」
「はい、お世話になります」
「コトラはシャチの部屋がいいのか」
ずるどてっ――おれは、人間がずっこけるところというのを初めて見た。
床に真横に倒れたまま、コトラさんは震える声で、
「ごめんなさいごめんなさいスミマセン、あたしまだ何も手を出してないです清い交際ですスミマセン……」
「何を謝る? 逆に、他の少年たちと寝たいと言われたらとても困る。彼らはよその親御さんから預かっているんだ。彼らの意志も聞かずにツガわせるわけにはいかないだろう」
「大丈夫ですツガいません、シャチとも他の子とも未成年とは決してツガいません」
「じゃあ私の部屋に来るか。ベッド代わりになるソファもあるし」
「はいぃ……スミマセン……」
全身を真っ赤に茹だらせたコトラさんは、そのまま身動きひとつしなくなる。シェノクさんはものすごく、めんどくさそうな顔をしていた。
おれは大きなため息をついた。ああもう、なんだかすごく疲れた。めっちゃ泳いだしな。
正直まだ頭の中で情報整理が出来ていない。いや、感情かな。頭も胸もモヤモヤして、イライラして、ふと涙が出そうになる。わけわかんないけどつらい。
……もう深夜だ。眠らなくちゃ。ベッドの中でゆっくりと消化していこう。
「おれも寝る。おやすみ……」
「ああオルカ、おまえも明日は早起きしてくれ」
「えっ? なんで!?」
おれは驚いて振り向いた。思わず大きな声が出たのを、ママは不思議そうに、首をかしげて、
「みんなの朝ご飯。私たちは早朝に出発するから、家事を頼むよ」
「……あ。ああ……」
「明日は一日休みにしよう。筋トレならしといても良いけど、ケガしないよう勝手に組み手とかは――」
「…………」
ママの言葉は頭に入ってこなかった。耳が半分聞こえない。おれは、逆上していた。
まだなにか話しているのを遮って、おれは母親に向き直る。
「ママ、おれ、役に立つよ」
「ん?」
「おれも連れて行って。みんなで一緒に、パパを助けに行こうよ」
ママは黙り込んだ。まっすぐにおれの顔を見て、鋭い眼を一度、閉じる。そして開いた。
「ぜったいだめ」
翌朝。おれがリビングにやってくると、そこには笑顔が溢れていた。
「うまい!」
「うまい!!」
「うまいっ!!!」
聞こえてくるセリフはこれだけ。二十人の少年達がみな皿に顔をつっこむ勢いで、朝食にがっついていた。
「おかわりありますので、ゆっくり食べてくださーいっ」
お玉を片手に声を張っていたのは、コトラさん。私服のシャツの上からエプロンをつけていた。わー、布地が足りなくてボディラインがクッキリ。具体的にはおっぱいがぼいんだ。あんな色っぽいエプロン一体どこから……とよく見ればいつもママがつけていたヤツだった。
「あああ……コトラ姐さんのシチュー、心が溶ける……」
「この日の思い出だけで一年分のオカズになる。二つの意味で」
「ありがてぇ。ありがてぇなあ」
泣いている少年たちを素通りし、いつもの席に腰掛けると、すぐにコトラさんがお皿を置きに来てくれた。一口食べて、おれも泣いた。
ふと視線をあげると、正面ではシャチがものすごく不機嫌な顔。
さらにその横では、ママが何か難しい顔をしていた。手に持った書籍を熟読しながら、
「――なるほど。気温二十五度の室内に四十分以上六十分未満置いておいたものを十リットル鍋に七リットルの湯を沸かしたものに、はみ出さないよう十五センチ程度に切り分けた状態で入れ、十秒間でザルに上げる……」
表紙には、『アレイニ博士の、理系による理系のためだけのお料理ガイドブック~料理とは数字と科学である~』と書いてあった。
おれは笑った。
「なんか、昨日のことが冗談だったみたい」
「……まったくだ。頭が痛いぜ」
振り向くと、本当に頭が痛そうな表情のシェノクさんがいた。
「あいつが絡むと、どうしてもこういう空気になるのかね。シリアスブレイカーっていうか」
「シェノクさん?」
なんでもないよと手を振って、シェノクさんはコーヒーを飲んだ。カップに視線を落としたまま、そっけない口調で続ける。
「オルカ、食べたらすぐに出発だ。危険は無いが、長くバスに揺られる。尻の分厚いズボンを履いていけ」
「えっ――おれ――ついて行っていいのっ!?」
「ああ、クーガさんも一緒にな。騎士団の方とは別件、あっちはシャチとコトラに任せる。こっちの用事はシャチよりもオルカのほうがいい」
「!」
おれは声にならない歓声を上げて、デニッシュを頬張りシチューで流し込むと、すぐに立ち上がった。
「ありがとうシェノクさん、あなたがママを説得してくれたんだよね! ありがとう!」
「え。あ……ああ。いや……」
「それでどんな仕事? どこに行くの!?」
ハイテンションで尋ねると、シェノクさんは小さな目をパチパチさせた。こういう顔をすると、この人は本当に愛嬌のある顔をしている。
そして何か言いにくそうにした。もごもごと言葉を選んでいるのを、横のママが助ける。本から顔も上げないままで、
「牢獄」
一言だけ、そう言った。




