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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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236/252

推薦者たち②

 ラトキアに烏の名を知らない者はいない。この王都に科学の礎を作った男である。

 それはどんな政治よりも、あるいは教育や宗教よりも、多くの恩恵を国民にもたらした。

 裏方であり新聞映えはしないが、信奉する者は数知れず。

 そしてその末路は、全国民を驚かせた。


 終身刑となった天才科学者。捕縛したのは誉あるラトキア騎士団長、鮫とされていた。

 だが真実はもう一人、役者がいる。


「――それが、このリタ君だそうだよ。当時の新聞には『現地の協力者』としか書いてないがね」

「ほ……ほんとうですか?」


 白熊の話に、枢機院の老人たちが息を呑む。この時点で星帝梨太反対派の半分ほどが戦意喪失、残り半分は半信半疑といった様子だった。一人があからさまに眉をしかめ、


「ならなぜ、その烏が推薦する? 恨みを持っているはずだろうに」


 鯨は首を傾げた。確かにその通りだ。答えを求めてくじらくんポータブルに話しかけてみると、返ってきた声は、騎士のものではなかった。


『――そりゃあ、つまらないからだよ』


 げっ。と、呻く。この声は。

 白熊が一度眉をひそめ、アアと理解して笑った。


「烏くんだね。やあ、会話をするのは初めまして。無事つながったようでよかったよかった」

『……白熊か。自分が使いをよこしておいて他人事のようだな』

「いやあ、君とは一度しっかりお話してみたかったんだよ。婿殿を含め、うちの子供たちが何人も世話になったそうじゃないか。あ、脅してはいないよ?」

『脅されたわけではなくもとより喋るつもりだ。それよりそのカラスクンはやめたまえ、私のキャラじゃない』

「ははは、いや失礼。君が娘と同じ年だって聞いてから可愛く思えてしまってねえ」

『……鯨、貴様の親父をなんとかしろ。嫌いだ』


 あっはいすいませんと返事をして、白熊からくじらくんを奪い取る。とりあえず呆気に取られている者たちの中心、会議テーブルの上に置いてみた。


『あの、おれ帰っていいですか?』

『ダメ。あとでくじらくんを持ち帰る役があるだろう』

『泣きそう』


 そんな寸劇も聞こえた。


「烏。さっき言ってた……つまらない、というのは何?」


 問うと、烏はフンと鼻を鳴らした。いつもの通り、ギリギリ聞き取れるほどの早口でまくし立ててくる。


『この獄中生活がだ。あんまりやることがないもんだから、友達のいない爺さんみたいに新聞ばかり読んでる。といっても、クゥの記事を眺めているくらいのもんだったが――最近やっと、面白いネタが増えたんだ』

「……星帝選抜のことか」

『正確に言うと、リタ君だけだ。期待通り、予想以上に成長してくれた』


「そ、それは、あの青年は貴方の後継者になりえるということですかっ?」


 身を乗り出し、尋ねる貴族の男に、烏はクッと喉で笑った。これは、面倒がっているときのクセ。


『それがお前たちの期待している意味でなら、ノー。ただ私の劣化版模造品コピーが欲しいだけなら、脳みそに百科事典を移殖した肉塊で事足りるし、従順なぶん使いやすいだろう。リタ君はアレとは違う』

「…………えと……では、星帝リタの政策には反対だと……?」

『なんでそうなる。さっき概算の書類を見たけど、よく出来てるよコレ。多少、修正する必要はあるがそのぶんの余裕バフも見てあるしね。私には興味ないけど』

「…………。は……はあ」


 貴族の男は、もう烏との会話を諦めたようだった。同情しながらも放置して、鯨は烏に対峙する。


「烏。では、お前は本当に、リタ君を星帝に推薦するのだな?」

『ああ、というか推薦状を、もう一月近く前に出した。どこかで握りつぶされてしまったらしいがね』

「……こちらの手落ちだな。検閲した者がきっと星帝リタ反対派だったのだろうが――」

『いいよ別に。私のような犯罪者に推薦されてはかえってマイナスになると思ったんだろ。その優しい誰かさんは』

「…………すまなかった。必ず、その者にはしかるべき処分を与えよう」

『あ、そう? それじゃそいつを私の牢へ通わせてくれ。ゲームの相手をさせたい。どうせこれからそいつもヒマになるだろうしね』


 他の一同を完全に置いてけぼりにしながらも、烏はちゃんと、言うべきことは言う。


『とにかく私はリタ君を推薦する。そこにいるお前たちではまずリタ君のことをよく知らないしその法案や推算がいかによく出来てるかも判別つかないだろうが、この私が保証するよ。その二十四歳の地球人男性を星帝にすれば、この国はちょっと面白いことになる。以上』


 ぶつん。突然、通信が切れた。三十秒ほどのち、再び蝶から「もう俺帰っていいですよね?」と確認されたが、それは全員で放置した。

 鯨は深呼吸し、そして、胸を張った。


「――ということで、よろしいですね?」


「よろしいわけがあるかっ!」


 怒鳴ったのはさそりだけだった。自分以外が沈黙していることに気づきもせず、商人出身の貴族は喚き続けた。


「ふざけるな、たった一人の男の言葉でなぜ黙る。状況は何も変わっていない!」

「……しかし蠍殿、あの烏ほど計算が出来る人間がこの国にいないのはれっきとした事実ですよ。『ラトキアの大脳』と呼ばれたあの男の保証があればもう」

「だから、アレの言うことをなぜ信じられるのだ。凶悪犯罪者だぞ!」


 その通りだ、と鯨は唸った。いや、思っていた。だが枢機院の空気はすでに変わっている。


「……リタ君の声明に、こんな文言がありました。星帝に求められるのは個人の性格や趣味嗜好、何を考えているかでもなく、何をしてくれるのか、だと」

「ああ、それがどうした。別にあの候補者の過去は問題にされていない」

「同じことが、推薦者にも言えるということです。烏は確かに凶悪犯罪者であり、当人の人格にも致命的な難があります。だけど……実力者です。その声を、塞いではいけなかった。わたしが思い違いをしておりました」


 鯨は、戸口のそばにいた文官を呼び寄せた。口頭でいくつかの用を命じ、「急げよ」と促す。彼が戻るまで二十分ほどかかるだろうか、その間に、今いる枢機院メンバーの意志を確認した。


「あの烏がいうならば」

「ぼくは最初から賛成だってば」

「……無能な善人ほど国庫を食いつぶすものはいない。本当に彼が有能だと信用できるなら、反対する理由が無い」

「私は賛成というわけではないですが、他の候補者から提出されたマニュフェストに、これ以上のものが無いのは事実ですからね」

「しかし実績が。信用性が――」

「仮に信じるとして、つまり実現できたとしたらどうかというところから――」

「それは良いに決まってる。予算を減らして税収が増え、諸外国から指摘されていた人権問題も解消するのだから」

「問題は現、貴族階級や財産をもつ富豪からの批判ですかね。今まで奴隷まがいの薄給でこき使ってた赤髪や娼婦を失いかねないわけで。若造を信用できないとかなんとか、キレイゴトのオブラートに包んで不信任案とか出してきそう――ねえ、蠍殿?」

「えっ、いや、わ、わしは」


 前進しつつ堂々巡りする議論。それでもいつの間にか、「誰を星帝にするか」ではなく「リタを星帝して問題はないだろうか」にまで進んでいる。


(本当にあと一歩……!)


 その時、扉がノックもなく開かれた。使いに出した文官が、やっと戻ったかと立ち上がる。だがそこにいたのは、戸口に頭を擦りそうな大男。よく知った顔だった。


「――猪!? なんでお前がここに!」


「……行こうとしたところが、満員だったので」


 地を這うような低い声での回答は、誰も意味が分からなかった。


 猪はその大きな手に、零れそうなほど紙束を抱えていた。ドンと机の上に置く。ざっと三百枚ほど、その紙こそ、鯨が文官に頼んだものだった。

 確かに使いを頼んだ先はラトキア騎士団の兵舎、団長執務室である。古株であるこの男が、団長不在中そこにいるのはおかしくない。だがしばらく前に、鯨は彼から退団願いを受け取っていた。とりあえず頭を冷やせと休暇を取らせていたはずだが――騎士団制服を着て、なぜ、ここに。


 まあ、いい。使いは誰でも良かったし持ってきてくれたならありがたい。鯨は紙束を適当に捌き、数枚ずつ全員に配った。ざっと目を通した狒狒が眉を寄せた。


「なんだ、推薦状じゃないか。こんなにたくさん、鯨将軍、なぜ今まで提出しなかったのだ」

「……無効票だからです。ここにあるものは全て」

「何? ――ん。言われてみれば、役職や爵位の印がないな。名前も……誰だ? 聞いたことが無い者ばかりだ」

「参政権の無い一般人です」


 ざわり――枢機院の高級貴族たちが表情を変えた。

 この星で、星帝選出に関われる者は決して多くない。貴族と呼ばれる、国の高等役職員だ。生まれた家、資産、学力、職業、そして性別に恵まれた者。貴族にしか投票権はない、そうでなければ、どれほど熱い推薦文を寄せてもすべて無効。


 これは常識だった。それこそ無学な卑賤民だって知っているはずだった。

 それなのに、これほど集まった。その意味に震えた。


「こ……ここにあるもの全てか!?」


「はい。内訳は半分ほどが女性。残りのうちの更に半分が男性。おそらくはそのどちらも、多くが貧民でしょう。自分の名前すら書けていないものも多くありました。

 それから、旅先で交流したのでしょう、バルフレアの村人全員。推薦というより嘆願書でした。さらに、そこに常駐している元ラトキアの騎士。それに――」


 続けようとした、鯨の手元に、猪が紙切れを差し出した。配り終えた紙束とはまた別の、丁寧に畳まれたものである。無言のままの男に首を傾げながら、鯨は紙を広げてみて、すぐに、笑った。よく知った名前がそこにあった。

 頬が緩み、声さえ出ない。蕩けた鯨に代わり、猪が話す。


「自分は、王都を出ていこうと思い、身辺整理のため、旧友を訪ねた。五年ほど前に騎士を辞めた男だ。一通り話を終えると、彼はそれを押し付けてきた。どうせ死ぬなら、ソレに届けてくれという」


「な、なんだそいつはっ。そいつも、参政権が無いやつか?」


「ああ。だがおそらくこのラトキアで、何番目かにリタ殿をよく知る人間ではある。曰く……『あいつがテレビで失言して、星帝を失脚クビになるのが観たい』のだと」


「ぶふっ!」


 声を漏らして笑ったのは鯨と白熊だけだった。


(ツンデレだ! 相変わらずリタ君にはツンデレなんだ……!)


 その場で飛び跳ねてしまいそうなのを抑え込み、なんとか真顔を作り出す。メンバーに向き直り、


「わたしはこれを受け取った時、まず無効票なので意味が無いと思いました。さらには、このような卑賤民に慕われることは、彼にとってマイナスになるのではないかとも考えていました。

 だけど、それは思い違いでした。

 女性や貧民街スラムの住人、子供、王都内の出稼ぎ労働者、バルフレア村の住人――政治に参加することすら許されない、貧しくて弱い者たち。……彼らの声こそ、政治家が聞くべき声だった! 

 政治は、彼らの悲鳴を喜びの声に変えるためにあるのだから……っ!」


 叫びこえは、自らの胸を刺す。ああそうだ、そうだったと、鯨はこの時初めて理解した。

 そうだった――鯨は、政治家ではない。ただの妻だった。国を変えようとしたのは夫だ。鯨はその夢を継ぎ、叶えようとしただけだった。国民のことも国の未来もどうでもよくて、ただ夫のためだけに宮殿にいた。

 だが、それではいけなかったのだ。

 政治家失格であり、本当の意味で、夫の遺志も継げていなかった。


 ――だけどリタ君なら、という声は震えて言葉にならず。あっけにとられたメンバーの表情から、鯨は自分が泣いていることに気が付いた。頬を伝う、細い涙をグイと拭い、化粧が取れるのも厭わず擦り、盛大にはなを啜って。

 背筋を伸ばし、胸を張った。



「ずいぶん長引いてしまいましたね。いい加減、覚悟をきめようじゃありませんか。

 ――評決を取ります。

 新ラトキア星帝リタの決議に、賛同いただける方。その場でご起立をお願いします!」



 ガタ、ガタッ――椅子の音が鳴るたび、鯨の視線が上がる。紅一点、その場で最も背の低い女史は、居並ぶ起立者一人一人と目を合わせた。

 明るい青の瞳は涙粒をすっかり零し終え、もはや一点の曇りもない。晴れた天空のように澄み切って、これまでよりも少しだけ高く、遠い未来を見据えていた。


次回、旅の終結。

それにて、本編の終了となります。

(あと、番外編がちょこっと)


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