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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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231/252

天皇陥落

「……ここにいらっしゃったのですか。姫様」


 声をかけられて、振り返る。

 自分こそ、いつの間にそこにいたのだろう。扉のそばにたたずむヒグラシに、鹿は頷いた。


「何を珍しがってらっしゃるの? わたしは大体いつも、この自室へやにいるではありませんか」


 ヒグラシはそれで何も反論しなかった。黙って体を退き、連れていた少女を中へ導く。夕食時、コトラを連れてくるのは乳母の仕事だ。ヒグラシが担うのはとても珍しい。

 しかも彼女、自分も食卓に腰かけてくる。


「姫様、リタ様から依頼されていた、推薦状はもうお書きになりましたか」

「……いえ、まだ……」

「なぜです。あれは鮫騎士団長殿が試練をクリアすれば書くと、約束なさったのでしょう。ヒトの上に立つ者は、約束を守らねばなりませんよ」


 そんなことはわかっている。ただ何となく、億劫だっただけだ。

 それより、鹿はヒグラシの言動に眉をしかめた。


「叔母様は、もう? あの、天皇代理としての……」


 言葉の途中で、一枚紙を突きつけられた。栗林梨太を、つつがなく推薦するという旨がすでに書き込まれていた。


「書きはいたしました。でも、提出するかどうか、決めかねています」

「……どういうことです?」

「姫様は、リタ様の声明をもうお聴きになりましたか?」


 問われて、首を振る。聴いたところで鹿にはどうすることもできないし、関係ないことである。


「聞いてくださいませ。必ず、ぜひ。どうぞ」


 しかしヒグラシはそう言った。有無も言わせず音声再生機を取り出し、鹿の目の前にドンと置いく。鹿は不思議に思った。

 なんだろう? なんとなく感じていたことだが、もしかしてこの叔母は――厳格な老女は、梨太のこと気に入っている? いやまさか――


 食前の紅茶を啜りながら、不躾な視線で叔母を窺う。老女は微笑んでいた。

 水色の瞳を細めて、呟く。


「……姫様。あたくし、あの男を好きになってしまいましたの」


「――ぅぼふっ!?」


「うわおかあちゃん、ばっちーい」


 逃げるコトラに構う余裕もない。悶絶する鹿に、ヒグラシはカラカラと笑った。――笑ったのだ! この叔母が、声を上げて!


「ホホホ、勘違いをなさらないよう。惚れた腫れた、色恋の沙汰じゃありませんよ」

「げほ、げほっ、なに――? ど、どういうことです!?」

「そんなに大騒ぎすることです? ただ気に入ったといっただけじゃありませんか。やれやれ、感情が高ぶると無駄に声が大きくなるの、子供のころから変わりませんねえあなたは」

「な、げほ、げほっげほ――」


 咳が止まらない姪を、どこか嗜虐的な微笑みで眺めるヒグラシ。彼女の口調は、平時とそれほど変わるわけではなかった。そしてやはり、親切丁寧に解説などしてくれなかった。


「姫様、このショールをどう思います? あたくしがもう三年ほど愛用しているものですけど」


 代わりに、そんなことを言い出した。


「ど、どうって? えっと――素敵ですけど」

「あたくしの手作りです。その証拠に、ほらここ、途中で糸の種類が変わっているでしょう。王都の工場生産ならこういうことはあり得ませんね」

「えっ? ……あ、はい。そう言われてみれば」

「どう思います?」

「…………?」


 全く、意味が分からない。

 ヒグラシはそれで嘆息などしなかった。むしろ機嫌良さそうにうなずき、言葉を続ける。


「この髪のシュシュ。色も素材も違いますが、ショールと同じ意匠を施しています。必然、どちらもあたくしの手作りと推察できますね。またその出来の良さからして、半生で山のようにこさえてきた結構な趣味人だと察するのはそれほど難しくはないでしょう。……難しくないですよね」

「え。それは……そう、ですね。はい……」

「あたくしはこの塔に六十年暮らしています。もちろん姫様の前にも何度も着て出ています。しかし夫のほかに誰も知らず、知る夫から褒められたことはありません。……どう思います?」

「えっ、ご、ごめんなさい。でもその――いや叔母様、何の話ですかこれ」

「……悪魔ですよ、あの男は」


 もうさっぱりわからない。

 ヒグラシは頭を振った。

 はあーっと大きく嘆息し、テーブルに突っ伏す。それはまるで、乙女の恋患いのようであった。が、当人いわくあくまでそうではないらしい。


「どうやらあたくしは、自分が思っていたよりも、馬鹿だったようです」


 鹿は目を剥いた。


「――謙遜をすると、心底不思議そうな顔をされました。ええっこれで素人なんですか、まるきりプロの技だ、デザインセンスも技術もすごいと。王都で店を出しましょう、きっと大騒ぎになる、貴族の奥様がたが貴方の前に列を作るはずだとか。いや誰が買わなくてもこのおれが欲しいよだなんて、そんなことを。そんな調子のいいことを言われて……。

 ――ふふっ。あたくしはね。……なんて素敵な未来だと、思ってしまった。ふふっ……ふ。クックック……」


 震えるような、静かな笑い方であった。だが彼女としてはおそらく、一世一代の大笑いなのだろう。同じいえで暮らして数十年、家族である鹿も初めて見る彼女の大笑いだった。

 その、これ以上なく機嫌のいいようすのまま、


「――天皇不在のこの塔で、人を焼く仕事をしているのは誰なのか。蟄居している姫のわけがない。では誰なのか」


「…………?」


「少しでも考えれば、慮れば分かることです。でも誰も知らない。天皇の背負う義務を憐れみながら、実行している代理人の存在には思い至りすらしなかったのです……」



 意味が分からなかった。

 考えたことも無いことを、急に言われたとき、鹿は理解することが出来ない。


 叔母はおかしい。この部屋に入ってから、いやあの男がこの塔に来てから、叔母はおかしくなってしまったのだ。


 鹿が物心つき、叔母の存在を認識して以来、彼女はずっと『厳格な老人』だった。機嫌よく笑っているところなど見たことも無い。鹿たち兄妹がイタズラをすれば、躾が甘いと父母もいっしょくたに叱られていた。怖い、怖い老人――だけど――


(父の妹……あのとき、叔母様はまだ、二十代だったのでは?)


 ふと、そんなことを思った。

 

 一通り、好き勝手に喋り倒したヒグラシは、唐突に話を打ち切った。ろくな相槌すらうてぬ鹿を追及することもなく、むしろ自嘲気味にクックッと笑って、ふにゃりと体を傾ける。


「安心してください。あたくしは、もう老いた。ただちょっと夢を見ただけ。今更、他の仕事などできません」

「…………えっと。……ご、ごめんなさい、なにがなんだか……」

「だから声明コレを聴きなさいと言っているのですよ、分かるから」


 なるほど、やっと話がつながった。さっそく再生機にと伸ばした手を、ヒグラシが掴む。無理やり手首を引き、テーブルに置かれた紙を叩かせた。

 ヒグラシが持ち込んだ、あの推薦状だ。


「そして、これを出すかどうか、あなたが決めてください」

「えっ? え、なんで?」

「本来なら、あなたの仕事だからです。ナンデッていうほうがなんでだよって話、ええ、こっちのセリフなんです。――というかたまにはあなたも気苦労ってもんをしなさい。そんなだから独りで生きていけないカスみたいな女になって、クズみたいな男にいいようにされるのですよ」

「カっ――な、なんですって!?」


 ここでやっと、痛烈な罵倒をされているのだと気が付いた。顔を赤くし怒鳴る鹿に、ヒグラシはいよいよ大声で笑う。ポカンとしていたコトラの赤い髪をグリグリ撫でて、高笑いしたまま退室していった。


「なによ! まったく意味が分かんないわっ!!」


 地団太を踏んで、鹿は絶叫した。感情的になると声が大きくなる、まったく、その通りだ。少女のように喚きながら、やけくそみたいに食事を平らげ、再生機を手に取った。


 梨太の政治声明……もし、彼が星帝になれば、この国がどうなるのか。

――叔母のご乱心、あの気持ちの悪い言動、その理由がこれを聴けばわかるですって?――


「どんなもんだっていうのよ」


 鼻で笑いながら、鹿は再生ボタンを押した。


「あっ、りたの声だ!」


 懐いているコトラが喜ぶ。まだ食事中の娘を軽く窘め、耳を傾けて――

 鹿は悲鳴を上げた。



「――『光の塔』が、不要になる……!?」


 若き星帝候補は、確かにそう約束していた。


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