初恋の真相
「――これで、おれが提案する政治表明は以上です。ご清聴ありがとうございました」
――と。『演説』を終えて、録音終了のボタンを押した瞬間、大きく息をついたのはヒグラシのほうであった。冷たい目の上にある、細い眉をハの字に垂らして、
「気を遣いましたよ。途中二度ほど、クシャミが出そうで」
表情からすると本心だろう。梨太は笑った。この老女は、表面的な言動よりもずっと人間らしく、可愛らしい女性だ。
彼女と共に管制室を出ると、すぐそこに、鹿がいた。隣の扉にはりつき俯いている。声をかけると、甲高い悲鳴を上げてひっくり返った。
「リ、リタさん、早かったですねっ!?」
「そう? たっぷり二、三十分は喋ってたはずだけど。鹿さん何やってるんです? 鮫さんは?」
「だ、団長は、まだ中に……」
明らかに挙動不審な天皇から、妻の試練の内容を聞かされる。当然、梨太は激怒した。「本音をさらけ出す」という試練そのものはともかくとして、合格しないと出られないとはやりすぎだ。梨太はまっすぐに詰め寄った。
「この試練はおれの推薦が本題だろ。おれに話を通さず、妻を衰弱死しかねない試練にブチ込むなんてフェアじゃない。許さないよ鹿さん。どうにかして鮫さんをここから出して!」
「あ、え、えっと、あ、あの」
鹿は視線をあちこちに飛ばしたあと、慌てて梨太の口をふさぎ、腕を引いていく。階段をいくつか降りてから、小声でまくし立てた。
「だ、大丈夫です大丈夫です。コレ、あの、モニター……部屋に隠しカメラがついてて、これで中の様子が見れるんです」
「あ、懐かしい、くじらくんだ」
「そうですそうです。いざというときにはちゃんと救出しますのでっ」
いわく、絶対に扉が開かないシステムというのは本当だが、扉そのものを壊せないわけではない。自分には権限が無いが、ヒグラシを通せば斧でもチェーンソーでも電子カッターでも持ち出せる。命を奪いはしませんという彼女に、梨太は半眼になった。
「ほんとー? 今おれに言われて考えたことじゃなくて?」
「ほんとに! 最初からそのつもりでした! お世話になった元上司を殺そうだなんてっ、わたしがそんなイジワルな人間に見えますか!?」
見えないことも無い、とは、一応言わずにおいてやる。
(まあたぶん鮫さん、ほっといても自力で脱出できるくらいの装備は持ってるだろうし)
根拠はないが確信をもって、梨太はとりあえず留飲を下げることにした。
「……扉を壊されたら、うちとしてはだいぶ困るのですけど……」
ヒグラシがボソリと呟く。まだ色々と言いたそうだったが、それよりも、と彼女は切り替えた。
「姫様。あの騎士団長殿から本音など聞いて、どうなさるおつもりで。星帝の政治にも、この塔においても、関係ない人物かと思いますが」
「……個人的なことです。いいでしょう? この試練の報酬は私個人の推薦状なのだし、わたしの思うようにしたって」
つまり、特に必然的理由もなくイジワルで閉じ込めたということである。こうまではっきり言われては、ヒグラシも追及する気を失くしたらしい。別に構いませんがと続けたところで、廊下の端から、女の声が聞こえてきた。
「――好きな武器は手甲銃。嫌いな被検は苦い薬を飲むやつ」
朗々と、鮫島が『自白』をしていた。扉越しなのでくぐもっているが、もとがよく通る声なのでなんとか聞き取れた。
さらに鹿がくじらくんを操作し、音量を上げる。
「好きな色は翡翠色。最近は、夜空の色を気にして見上げている。私の目が、それと海の色だとリタが言うから」
「……あの。これ、鮫さんは他人に聞かれてるってわかってるのかな」
鹿は、なぜそんなことを聞くのかという顔をした。
「どちらにせよ、内容も声量もあのひとは変えないと思いますよ?」
そんな、答えになっていないことを言う。梨太は諦めた。
鮫島は躊躇なく、言葉を続けていた。
「――苦手な訓練は、耐久歩行。騎士になり最初の演習がこれで死にかけた。当時十二歳、一般少女並みの体格しかなく、自体重より重い装備に立ち上がることもできなかった。本来それで二十四時間、一睡もせずに歩き続ける。私は装備を地面に置き、押したり引きずったりして――三倍近い時間をかけて、どうにかゴールをした。その間の記憶はほとんどないが、『あ、死にそう』と思ったことだけ覚えている」
カメラは天井、鮫島のほぼ真上から見下ろす形でついていた。彼女のつむじは見えるが、表情までは見えない。いつも通りの声で続ける。
「あとで聞くと、私以外も全員がそう思ったらしい。訓練の意義はわかるが、もともと騎士は街中に派遣され、実践の機会がない。ただの根性試しだ。私が団長になってすぐこの演習は廃止したが――……。……今の新人はいいなあ、ズルイ。って、ちょっと思う」
そこで、彼女は大きく息をついた。ぼそりと、まさに本音を呟くようにして。
「私だって、しんどいもんはしんどい。……変な噂をするのはやめてほしい。痛いのは嫌いだ。……当たり前だ」
もう一度、嘆息。そして扉を開こうとした。しかし動かなかったらしい、三度、巨大なため息をついて、その場にしゃがみこんでいった。
「もー。なんなんだ。もー」
「……これ、鮫さんけっこう追い詰められてますね」
梨太は言った。鮫島をよく知らないヒグラシは首を傾げ、鹿は苦笑して頷く。だけども、と彼女は続けた。
「あのひとが星帝皇后となり、宮殿に入るならば必要なことです。……わたしと同じことにならないために」
「……ですね」
冷たい石壁を背に言う天皇に、梨太は素直にうなずいた。
鮫島は、基本的には素直な人間だった。だが感情と理性との区別があいまいだ。軍人としての理想的結果を、己の願望と混同している。たとえそれが大きく乖離していてもだ。
宮殿に閉じ込める前に、必要な試練。
深刻な顔をしている二人に、共感しないヒグラシがクールに提案した。
「先はまだ長そうですね。リタ殿、ここで待たれるなら、毛布をお持ちしましょうか?」
「いえ、それは鹿さんに。おれは部屋で待ってます」
「あら、妻の本音とやらを聞いていかなくていいのですか?」
「やぁ、夫婦にもマナーってものがあるし。『言えない』ことは言って欲しいけど、『言いたくない』ことまで聞きませんよ。聞かれたくないという気持ちもまた本音なわけで」
よくわからなかったらしい、二人の女にくじらくんを渡し、鮫さんをお願いしますと去ろうとして、
「トイレいきたい」
と、いう言葉に全員が固まる。
くじらくんのスピーカーから、鮫島の淡々とした声が聞こえていた。
「鹿、聴こえてるんだろ。トイレいきたい。衰弱死より先にそっちが切羽詰まってきた。もうどうにかしてここから出せ。漏れる。というか漏らす、というか普通にするぞ私は。軍人だからな。作戦中はきれいなトイレで出来るほうが珍しいし、さっき言った強行軍では歩きながらオムツに垂れ流しだったんだ。ほんとに抵抗なく出来る。するぞ、出すぞ、掃除はお前がしろよ知らん」
「ちょ」「え」「わ、えっ。えっ!?」
鹿は悲鳴をあげてモニターを投げ、梨太にパスした。反射的に受け取ったところで、ヒグラシが逃げる。硬直している鹿を置いて、梨太はモニター部分を隠し走り出した。
「嘘でしょ待ってっ、イヤーッ!」
天皇陛下の絶叫を置き去りに階段を走り降り、館のほうへ。そこでゼエハア息を荒げて死にそうなヒグラシと顔を合わせ、やっと脱力。
うっかり持ってきてしまったくじらくんを、恐る恐る、二人で覗き込む。鮫島はさっきと変わらぬ姿勢で立っていた。
「……困ったな。もう思いつく手段がない」
「あっよかった、アレは嘘だったのか」
ホーッと息をつく二人。
鮫島は億劫そうに嘆息すると、床に座り込んだ。手段がなくなったというのは本当らしい。そこからしばらく無言だった。
そしてふと思いついたように、呟く――
「――烏のことは、私は」
――ブツン、と唐突に、梨太は音声出力をオフにした。モニターで安否は確認できるが、話す声は聞こえなくなる。本当にいいのですかと問うヒグラシに、忌憚のない笑みで回答した。
「過去があってこその今、それで出来た彼女のことを、おれは好きになったので」
正直、聞きたいほどのことでも、聞きたくないというほどのことでもない。梨太にとっては真実、それだけでしかなかったのだ。
部屋への道すがら、今後のことを聞く。
録音されたものはまずヒグラシが検分をし、雑音キャンセル程度の編集をして、鯨へ電子メールをするという。当然それは、馬車よりも早い。梨太たちが王都に戻る前に、声明文は枢機院で審議され、投票となり、結果が出るだろう。梨太は自分の進退を、王都の外、車内ラジオで聞くことになるのだ。
「そりゃサイコーのドライブBGMだなあ。鮫さんと一緒に聞くのが楽しみだ」
嘯く彼に、ヒグラシはどこか、気まずそうにしていた。天皇代行としての推薦状はまだ受け取っていない。梨太の政治方針に、とくに問題が無ければ推薦してやると言われていたが――彼女は、迷っているようだった。
梨太は笑った。
「編集しながらもう一度よく聞いて、ゆっくり考えてください。推薦は鯨さんへのメールで構わないはずなので」
「……あなたは、何を為そうとしているのですか」
ヒグラシが問う。
冷たい審問者の瞳を、おびえたように振るわせて、老婆は梨太を見上げていた。
こうしてみると、ヒグラシは小柄な女である。痩せた鹿よりもなお細い。そんなか弱い老婆に向けて、梨太は真っ直ぐに、回答した。
「簡単な話。すべてのひとが、能力と希望に合う職業に就ける世界を作ります」
「……それをこのあたくしに推せと? それはこの光の塔から、天皇を奪い去ろうという法なのに――」
「はい。あなたが二度とその手で人を焼かずに済むように」
「えっ――?」
絶句するヒグラシをバイバイと手を振って、梨太は部屋に入り、扉を閉める。
時計を確認するとまさしく深夜、丑三つ時である。
「しょーじき眠いけど、鮫さんもがんばってるしね」
机の上にくじらくんを置き、さらに書籍を広げた。政治経済の資料ではなく、一般求人誌である。ざっと目を通し、とりあえず給与の高いところにぺたぺた付箋を貼っていった。
「星帝落選したら、ふつーに生活費稼がないとだもんなあ。研究職に就けたら一番だけど、業種より待遇優先でいこう」
翻訳者から料理人まで、見境なくピックアップしていく。この作業が無駄に終わったなら、何より幸い。
梨太は石橋を叩いて渡るほうではない。
橋の下にふかふかクッションを敷き詰めてから、意気揚々と渡る男であった。
「――烏のことは、私は」
鮫島は呟く。
「……たぶん、好きだったんだろうと思う」
開かない扉にもたれかかり、誰に聞かせることもなく。自分の心の深部を探るように――ゆっくり、慎重に。
「そういうことを、話したわけじゃない。年が離れていたし、私は子供だった。だから、ずっとわからないままだった。恋愛感情というもの自体が。
……だけどもう大人になって……リタに言われて、思い返すと、確かに。
私は彼に恋をして、彼もまた、私を好きだったんだと――」
そこで鮫島は口を閉ざし、首を振った。
「いや違う。本当は気付いていた。ずっと……十二年も前に」
確信を込めて言い切る。
この扉を開くのに声を出す必要はなかった。だが口にすることで咀嚼され反芻するうちに、漫然としていた想いが実体化するらしい。その効果を実感しながら、鮫島は続けた。
「――本当はわかってた。烏が軍を追放されて、一緒に辞めようと言われたとき。これは求婚だと、私はちゃんと気が付いていた。
……それでも、断ったのは……」
また言葉が止まる。
「断ったのは――なんでだろう?」
真剣に考える。
「……烏の気持ちがわからなかったから……ではない。年が離れていたから。やはり自分が幼かったから。まだやりたいことがあったから――。……違う」
色々と思いつくが、すべて言い訳でしかない。呟いては首を振り、延々と掘り下げて、己自身の深層を探っていく。それは鮫島にとってひどく苦しい作業だった。まるで深海に潜っていくような気分で、酸素を求め、鮫島はあえいだ。
掘って、潜って、窒息して――
最後に思いついたことを口にする。
「烏は……イマイチ好みじゃなかった。見た目が」
その言葉は天啓のごとく、鮫島の視界を一気に晴れやかにした。おおこれが正解か! と嬉しくなって、鮫島はポンと手を打ち、真相解明をおおいに喜ぶ。
ごつん。
もたれかかっていた壁が鈍い音とともに振動した。どうやら聞き耳を立てていた天皇が、脱力してコケたらしかった。




