栗林梨太は何を為すか
「……キタミ?」
名乗りを聞いて、ヒグラシは思わず怪訝な声を漏らした。マイクには届いていないだろうが、慌てて口をつぐむ彼女に、梨太は微笑む。ヒグラシに顔を向けて、全国民に向けた言葉をつづけた。
「それが、産んでくれた親がつけたおれの名前。今はリタと名乗っています。名前を変えたのは、あまり素敵な理由ではありません――話すと長くなるので、今この場では割愛します。
詳細は、別途録音をして照会します。おれがどんな環境に生まれ、どうやって生きてきた人間なのか……気になるというひとには、いくらでも」
――だけども。と、リタは続けた。
「おれという人間がどんなやつかは、この場に関係ないとおれは考えています。
星帝を選び出すのに必要な情報は、個人の性格、趣味嗜好ではないでしょう。『何を考えているか』でもない――『何をしてくれるのか』。
もしもこの男を星帝に据えたら、自分たちの日常生活がどのように変化するのか。選択に必要な情報は、ただそれだけですよね」
フッ、と、ヒグラシが鼻から息を漏らす。微笑んだのか嘲笑したのかまではわからない。
梨太はマイクに向かって、指を立てた。自分でそれを見つめながら、言い切る。
「これからおれは、三つのことをあなたたちに伝えます。それで、おれを推すかどうかを決めてください。
一つ、具体的に何をしようとしているか。二つ、それは虚言でも理想語りでもなく、実現可能であるという根拠。三つ、それによって、あなたにどんな得があるのか。
……なるべく短く、わかりやすく伝えるよう努力しますので、聴いてもらえたら嬉しいです」
胸の中に溜め込んだ息を、一度すべて吐き出す。そして深く吸い込んだ。
新しい酸素に言葉を載せて、梨太は指を一本、畳んだ。
「一つ目。具体的に何をしようとしているか。
おれが星帝になったらまずやること。おれはこの国に新しく、いくつかの『職業』を作り出します」
ヒグラシが眉を上げる。梨太は彼女の顔を見て、情報の過不足を試算していた。
高貴で知的な老女が、すんなりと理解をし、かつ聴きごたえのある内容でなくてはいけない。
梨太はまだ、ラトキア語を完璧に使いこなせているわけではなかった。まだ来たばかりの異邦人――そんな自分が使える簡単な言葉は、結果として、誰にでもわかる言葉になって綴られた。
「今この国は社会主義で、職業は国が作り出しています。国のためになるようなもの、産業は、生きるのに必要不可欠なものがほとんどです。
もっと色々あったらいいな、と思いませんか?
いや、あなたたちはすでにそう考えている。
だから、オーリオウル星や王都外の諸民族が出す、高額な輸入品を買っている。ときには違法なルートから……。
もしも自由に商売が出来たら、あんなものを買いたい、あるいは売りたいと、考えたこと、あると思います。
おれはその根幹、今在る国のやりかたをぶっ壊すことはしません。ただその種類……お店と品の種類を増やすのです。
これはとてもシンプルな話なんです。あなたたちがオーリオウルや国外の諸民族へ外注しているものを、あなたたち自身が作り、売り買いできるようにします――国が給料を出すので、と。そんな、ただの求人情報なんですよ」
ヒグラシの顔つきが拍子抜けしたように和らぐ。なんだ、ただの経済政策かと気を抜いたのだ。
この光の塔に、王都の経済はほとんど関係が無い。自分に無関係と感じたのと、純粋に、梨太への失望だった。
そう、彼女くらいに学のあるものなら言わずともわかる――この改革には大きなリスクがある。
「――新事業が生まれるメリットは、今よりも良いものが安く手に入るということ。逆にデメリットは、従来の粗悪で高価なモノが売れなくなるということにあります。――それを、ただ買うだけの人はデメリットに感じません。しかし現在、その仕事についている人ならこの恐ろしさがわかるでしょう――需要と供給の不成立。売れなくなる、儲からなくなる……失業する、ということです」
梨太は言い切った。
「これはおれの生まれた国、全世界でも、大きな問題になっています。だから、同じことはしません。さっき言った通り、政府が職種を規制するシステム自体は変えません。ただ、増やすだけです。
今在るものを変えはしません。
今まで無かったものを作ります。
それは、現在の失業者の雇用につなげることができます。――心身のどこかに欠陥があり、正規の就労が難しい人間に、ただ保護して支えるのではなく、出来ることを提案します。
……障害者や被差別人種、女性への福祉です。前星帝ハルフィンが行っていたのは、ただ積極的に斡旋するのみでした。それは彼らには苦痛なことであり、今ある雇用枠を食いつぶすリスクもありました。
だからおれは、まず『受け皿』を用意したいのです。
そうすることで――『光の塔』へ向かう者を、減らすこともできると考えています……」
ヒグラシが目を見開く。
ゆっくりと二度、まばたきをして、梨太をじっと見つめた。
専門職業の新設――
経済、人権福祉、治安の安定。さらに国民幸福度の上昇ないし維持を目指すのに、梨太が思いついたのは、この政策であった。
梨太の妻は、惑星最強と言われている軍人だった。
初めて出会った時、彼女……当時は彼……は、梨太より三十センチ近くも背が高かった。対して梨太は少女と見まがうほどに非力でチビ。
そんな彼が、梨太に言ったのだ。
『おまえは強い』と――
その声を思い出しながら、梨太は簡単に、国民たちにもあの顛末を紹介した。
そう、八年前の出会いは、まさに象徴的な実例だった。
梨太はそれまで、軍人とスポーツ格闘選手との明確な違いを知らなかった。
軍隊では狭いリングの中、決められたルールのもと、同じ部分を競う必要はない。
チカラの弱いものはアタマを使う。豊かな発想が出来なければ、圧倒的な知識量でねじ伏せる。
それぞれが特殊な能力に特化し、適材適所に配置されていた。
梨太が知る騎士――鮫島が作ろうとしていたのは、そんな騎士団だった。
そしてそれは、星帝ハルフィンが目指す国でもあった。
三女神教会で、梨太は願った。鮫島がこの結婚でなんにも損をしない世界がいい――と。
その方法を、ずっと考えてきた。長い旅で、見つけた答えがこれだった。
「……安心してください。この国は少しだけ変わります、だけど、誰もなにも損をしません。
変わっていくことは、無くなってしまうということではないから」
「――名は、鮫。地球では鮫島と呼ばれていた」
白い部屋に、淡々とした声が響く。
鮫島はとりあえず扉を見つめて、自己紹介を始めていた。
「輝王系惑星ラトキアの軍帝国下、ラトキア騎士団に所属し十七代目騎士団長。王都にて誕生。父の名は白熊、母の名は燕。兄弟は星帝皇后にして将でもある鯨を長子に、鴎、隼、鰐があり、齢当年二十八となる末子が私である」
朗々と謳ったが、なにも起こらない。
鮫島は挫けずに、さらに続けた。
「……夫の名はクリバヤシ・リタ。現在は暫定的にラトキア騎士団に所属、のちに星帝となるべく活動中である。私はその応援としてこの場にいる」
なにも起こらない。
鮫島はそこで、アッ、と声をあげた。
「――そういえば。リタって、ほんとはなんか別の名前があったような気がする。あんまり響きが可愛くなくて忘れたけれども。そうだ、そういえばまだリタには言っていなかった……」
そうかこれかと思い立って、鮫島は口元に手を当て、大きな声で宣言した。
「リター、ごめーん。私ら騎士団は、初めて出会ってすぐ、協定を結ぶ前に、お前の身辺調査をガッツリやってた。私も騎士たちも、全部、最初っから知ってたんだ。どーでもいいから言い忘れてた。ごめんなさーい!」
――白い扉は、開かなかった。
鮫島は一度首を傾げ、すぐにうなずいた。
「これじゃなかったか。……まあ、そうだろうな。どうでもいいことだし……」
納得してから、また考え込む。
「……あとは……そうだ。あの水族館。鮫の牙のペンダント、買ってくれたのは嬉しかった。でも正直、エッそっちって思った。そこはあの可愛いブレスレットのほうじゃないのかと。……リタは、自分で思っているほどは女心がわかっていないと思う。それを言うと、君に言われたくないよと怒られると思って言っていないけど」
扉は開かない。
「…………。あと、何かあっただろうか?」
と、呟いてからふと思い出す。
「間違えた。リタにじゃなく、私が私自身に嘘をついているという話だった。……よくわからないな」
とりあえず鮫島は己の身長と体重、好きな食べ物と得意な戦術、最も可動域の広いのは足首であることを述べた。
足の甲をふくらはぎ側までひん曲げながら、「こういうことではないんだろうな」とは予想していた。
予想通り、扉は微動だにもしなかった。
鮫島は嘆息した。
「……向いていない……」
いつもの無表情、静かな口調で、穏やかに呟く。
「あー。爆破したい」




