二つの試練②
その部屋には、何も無かった。
一面の白い壁には飾りはもちろん、窓ひとつもない。 部屋の広さは、梨太の家のリビングルームほどか。だが視界いっぱい、床や天井にいたるまですべて白く塗られているため、距離感が狂いそうだった。
鮫島は、とりあえず歩みを進めた。靴底になにか違和感を覚える。微弱な電流だった。それが床――いや、壁、天井、すべての方向からこちらに向かって発せられている。体が微妙に振動しているのか、耳の中が痒くなるような、不快感があった。
「……ここは、なんだ?」
鮫島の問いに、案内をした鹿は、すぐに答える。
「三女神の教会には、これの簡易版があるはずですよ。騎士団長なら、体験済みのはずですが、ご存じないですか?」
だが、いまいち要領を得なかった。
そういえば、鹿はあまり説明が上手くなかったと思いだす。鮫島は聞き返そうとして、質問をまとめるのが面倒になった。ついでに思い出したが、自分こそもともと、問答が苦手なタチである。
無言で、ただじっと鹿を見る。
梨太ならばこれで、追加の説明をくれる――が、鹿は逆に、鮫島の発言を待っているようだった。
おそらく、自分の説明が説明になっていないことに気付いていない。そして鹿のセリフの末尾は疑問文になっていた。鮫島が何かを言うまで、会話が展開しないパターンだ。
どうしようか悩んでから、率直に、自分の現状を報告した。
「何の話かわからない」
「……ああ。えっと……鮫さんが十六歳で騎士団長になるときに、試験がありましたよね? 三女神教会の洞窟の奥で、こう、椅子に座って……」
「質問をされて、正直に答えないと電撃がくるアレか」
そうそうそれです、と頷く鹿。だったら始めからそう言ってくれたらいいのに……と思いつつ、黙って壁に触れてみる。やはり微弱な電流が流れている。
「ここで私になにか問答をするのか。椅子ではなく、部屋全体から強力な電撃が来る――?」
「少し、違います。まず痛い電撃は来ません。ただ扉が開かないだけです」
「……脳波はどうやって測る?」
「それがこの電流です。部屋に充満する電流はあなたの全身、内部までもめぐり、そのココロに嘘が無いかを部屋全体で審議します。嘘がなくなるまで、扉は決して開きません」
なるほど、それで鹿は、扉を半開きにしたまま中へ入ろうとしないのか。
鮫島は腕を組み、余裕の笑みを浮かべた。
「アレと同じ仕様だというなら、私の解答が正解不正解というのはなく、ただ正直であればいいというだけだな?」
「はい、そうです。たとえ人道に反する不道徳なものであっても関係ありません」
「……。なら、何の憂いもない。いつでも試験を始めてくれ」
鮫島は胸を張った。
自信があった。
座学、知識的なものはうろ覚えなのもあり、梨太が受けた五教科のテストも今は合格できる気はしない。また凝った料理を作れと言われたら諦めるしかない。
が、この試験内容なら何の問題もなかった。鮫島はかつての団長試験で全問正解、聞かれたことにただ答えただけで、試験の意義すらわからなかった。もちろん電撃も未経験である。たとえ食らっても悲鳴も上げない自信もあるが。
鹿がどんな質問をしてきても関係ない。すぐに全問正解して、すみやかに部屋を出て、梨太のほうへ合流したい。
鹿は苦笑いをしていた。どこか緊張し、怖れているように頬をひきつらせながら。
「……もとは……皇太子兄弟からひとりの天皇を選び出し、『残り』は処分するための、施設です。光の塔は一子相伝……。一度、扉を閉めてしまったら、ギブアップはできません。助けてあげたくても、外から開くことも出来ません。何時間でも、何日でも――その中に生物がいる限り」
「……結構だ」
鮫島が頷く。鹿は一度、唾をのみ込むと、黙って部屋の外へ出た。扉はバタンという音ではなく、ピッと小さな電子音を発した。それで閉じられたらしい。
質問されるスピーカーはどこにあるのだろう――部屋を見回し、壁をつついたりして、時間を潰す。
だが、いつまでたっても、何も聞こえなかった。
「……?……」
鮫島は首を傾げながら、一度、扉のノブを引いてみた。びくともしない。かなり強い力で閉鎖されているらしい。またしばらく待ってみて、やはり質問がこないので途方に暮れる。
――どうしよう。
どうしようもなくて、その場に立ち尽くす。
――どうしよう。
「…………小型爆弾……奥歯に仕込んであるものは、緊急用だが、仕方ないな」
そう呟き、口の中に指を入れる。途端にドンドンッ!と激しく扉が叩かれた。
「なんでですか! その発想に至る前に、『鹿、質問はどうした』とかって聞いてくださいよ!?」
「……ああ。居たのか」
「そういうところ! あなたのホントそういうところ!!」
ヒステリックに扉を叩きまくる鹿。何を怒られているのかわからず、黙ってその激情が収まるのを待つ。
だが鹿の絶叫は止まらなかった。
「あなたのそういうところ! ……わたしと同じじゃないですか。そんなあなたに、わたしのことを弱虫なんて言える資格などないではないですか!」
「……なんのことだ」
「わたしが弱虫なら、あなたは飼いならされた獣だわ。自分の膝より低い柵、貧弱な檻が心地いいから、戦おうともしない怠け者でしょう」
「――意味が分からない。私は今まで軍に勤め、状況に合わせて一時撤収はするが、己の感情で敵前逃亡したことは一度もない」
「それが逃げだといってるんですよっ!」
鮫島は口をつぐんだ。
鹿の言葉は、本当に意味が分からなかった。自分が、戦いから逃げている? この私が――?
相手が黙ると、鹿は冷静さを取り戻したようだった。分厚い扉越しに、穏やかな口調で諭してくる。
「いつまで待っても、質問など来ません。この部屋はひとつひとつの問いに対し、回答の真偽を試すわけではない。あなたという人間、そのものを試すのです。口から出た言葉ではなく、あなたの中身を抉り出し、裁いているのです」
「……私の……人間。中身……?」
困惑しながら、恐る恐る……再度、ドアノブを引いてみる。
扉は開かない。
「私が……自分に嘘をついていると? ……生きながら、嘘をつき続けているというのか」
「そうでなければ、鍵がかかるわけがありません」
「……そんな覚えがない。時には嘘を言うこともあるが、それはその方が良い、軍人としての作戦だ。そうするのが正しいと確信している。罪悪感もないし、自分の心には正直な言動だ」
「本当にそうなら、この扉は開くはずです」
もう一度、扉を開こうとしてみる。しかし開かない。
――六歳で、兵士の訓練を受け始めた。監禁状態というのは、演習、本番も含めて何度も体験している。
だがこれまでで一番、鮫島は冷たい汗をかいた。
噛みしめる唇が震える。
「……私は……わかりにくいだけで、とても、素直な人間だと……リタが言った……」
扉越しに、鹿が嘲笑う。
「だったらどうして、あの時――烏博士と一緒に、軍を辞めてしまわなかったの?」
目を見開き、息を呑む。
鹿はしばらくそのまま、鮫島の回答を待っていた。
だがそれが数分――数十分、沈黙が続いたところで、諦めたらしい。
扉越しに、遠ざかる靴音。
隣にいるはずの梨太たちの声は聞こえない。
真っ白で無音の閉鎖空間で、鮫島は一人、ドアノブを握ったまま立ち尽くしていた。
その部屋には、物があふれていた。
「これがマイク? これが録音機? これが電話ですね! わー、ラジオ局みたいだ!」
狭い部屋一面にビッシリ並ぶ電気設備に、自分でもよくわからない心理で血が騒ぐ。
許可を得てからペタペタ触り、あちこちのボタンをにらめっこ。楽しげに騒ぐ梨太に、ヒグラシは微笑んでいた。後ろ手に扉を閉める、と、外の雑音がピタリと止む。この部屋だけが真空に閉ざされたような錯覚を覚える。
「もとは天皇が、光の町全体への玉音放送にと使った施設です。他にも即位後の挨拶や、遺言を録って保存したりもしていました」
「今は使っていないんですか?」
「現在の光の塔は、天皇不在ですからね。八年も前の狐様の音声ならありますけど」
話しながら、ヒグラシは梨太を椅子へと導いた。素直に腰かける――と、いきなり手首のバングルを取り上げられた。代わりに血圧測定器のようなベルトを巻かれ、さらにあちこちに、なにやら電極をつながれる。
もしかして、という既視感に頬がひきつった。
「……これ、あれですか。嘘を言ったら電撃がくるあれですか」
「それです」
ヒグラシの回答はシンプルだった。
梨太は素直に泣き声を漏らした。それを慰めるように、ヒグラシの声は優しい。
「それでこその施設です。ここで語られたあなたの言葉、政治思想や挙げるマニュフェストは、確実に信頼できるものになります」
「……な、なるほど。……得体のしれない若造を、信用してもらえる唯一の手段なんだ……だから鯨さんはココで録音しろと言ったのか」
「その通り。もちろん、あなたの考えた原稿に嘘が無ければ。そしてそれが、国民の心を動かすものであればの話ですが」
バチン――と、妙に大きな音を立てて、ボタン一つで施設全体が作動した。
とたん、微弱な電流が全身の産毛を逆立たせる。
「う。このかんじ……もしかして協会のやつより強力な電撃がくるのではっ」
「ご心配なく」
音量をチェックしながら、ヒグラシ。
「生放送ではありません。悲鳴を上げた部分はカット編集して、きれいな声明に整えて差し上げますよ」
「あ、電撃がエグいことは杞憂じゃないんだ」
「虚言と判断された部分も全てカットになります。……終始無言の音源にならないよう、お祈りしております」
優しい口調のまま、しっかり皮肉で釘を刺される。
そこには、梨太は笑顔で頷いた。
電撃はもう御免だが、もう決して食らわない自信がある。要領はもうわかっているのだ。
己の本心、実行したいと本気で願っていることを、心のままに言えばいい。
それは電撃などなくても、そうするつもりでここに来た。
梨太は目を閉じた。
深呼吸を二度。唾液を飲み、喉を湿らせる。
「……梨太くんは出来る子、梨太くんは出来る子……」
耳を塞いで呟いて、自分の声を自分に聞かせる。
そして目を開けた。
「……よし。がんばるぞ」
ヒグラシに目配せで合図する。
彼女が手元のスイッチを入れた。設備の、マイク部分がぼんやり光る。その小さな灯りを見つめながら、梨太は語り掛ける。緊張で声が震えないように、恐る恐る――
「――こんにちは……僕の名前は」
『く』の形に開いた口を、いったん閉じた。
そしてそれを微笑みの形に変えて、すぐにまた、語り掛ける。
マイクの向こうにいるラトキア国民――鮫島を含む、すべての大事なひとたちに向けて。
「北見信吾です。初めまして」
もうすぐ、全ての物語が完結します。最後まで応援いただけたら幸いです。




