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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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225/252

二つの試験

 

 草木も眠る深夜、訪ねてきたのは、やはりヒグラシだった。全身を、飾り気のない黒のローブが覆っている。

 扉を開けた梨太を見て、彼女は少し眉を垂らした。


「夜分遅く、お休みのところをごめんくださいませ」


 存外、やわらかな口調で言う。梨太は首を振った。


「酔っぱらって、昼過ぎには寝てました。ちょうど眠りが浅くなってた頃です」

「……奥方は起きる気配がないようですが」

「あー、いつも寝汚いというわけじゃなく、なんというかオンオフがキッチリしているひとで。何日でも徹夜できるぶん、寝ていいときにはここぞとばかりに寝るらしいです」

「……できれば、起きていただきたいのですけど」

「ちょっと待っててください、最近、起こし方が分かったので」


 梨太は部屋に戻り、来客にも微動だにせず熟睡している鮫島のそばへ身をかがめた。すぅと息を吸い、


「――敵襲! 団長、夜襲です!」


 鮫島は一瞬で覚醒し、ベッドから文字通り跳ね上がった。中空で体勢を変え、扉のほうを向いて着地。地を這うほど腰を落とし、獲物を見据える獣の姿勢を取る。梨太はその頭をナデナデ撫でた。


「鮫さんおはよ」

「……おはよう」

「お客様来てるからちょっと起きて」

「うんわかった」


 鮫島は直立姿勢に戻り、軽く伸びをして、ヒグラシのほうへ進んでいった。

 老女は呆れたような顔をしたが、すぐに眉を引き締めた。


「お二人とも、暖かい格好をして、出てきてくださいませ。もう暖房を落としてありますから、館の中といえど夜は冷えますので」

「こんな時間に、どこへ行くんですか」


 素直にマントを羽織りながら、梨太が尋ねる。


「塔を訪ねます。姫様がお呼びですので」

「……鹿さんが?」


 ヒグラシは黙って頷き、勝手に歩きはじめた。二人はあとに続きながら、顔を見合わせ肩をすくめる。

 館の隅までくれば、今朝に通ったばかりの白い扉が立ちふさがる。ヒグラシは手早くパスコードを入力し、扉が開いた。

 続く中庭へ踏み出そうとしたその時、不意に梨太は、背中を圧された。


「痛っ!?」


 誰かがぶつかってきた、それを視認するより早く、妻がそれを蹴り飛ばした。速球ほど、きちんとバットを当てれば良く飛ぶという。闖入者は鮫島の脚に真正面から打たれ、もと来た方へとすっ飛んでいった。館の壁に、ドンと背を打ち崩れ落ちる。梨太とヒグラシが、あっと声を上げた。


「あなたは鹿さんの……ええと、ヒズイミル地方の山羊さん」

「おお、覚えていていただいて光栄ですよお客人!」


 這いつくばったまま、山羊は元気な声を上げた。

 いきなり蹴られたことには頓着せず、ただ腰を抜かしたまま、紳士の笑みで会釈する。梨太はとりあえずそばに寄り、しゃがみこんで視線を合わせた。


「こんばんは。どうされたんですか、こんな夜中に」

「もちろん我が妻、姫様をおたずねに参ったのですよ。我々は夫婦ですから。初夜ですから!」


 後ろで鮫島が明らかに眉をしかめた。梨太も不快感は覚えつつ、


「……えっと、おれの記憶だと、たしか今夜は客人のホストをするから山羊さんは訪ねてこないようにと言われてませんでしたっけ」

「承知しています! ですからこの場で張って、客人の来訪に乗じて同行して夫婦で出迎えようかと」

「ちょっと何を言っているのかわかりませんね」


 ヒグラシが呟く。梨太も同意しつつ、辛抱強く山羊に向き合う。


「お気遣いありがとうございます。夕方からここにずっといたんですか。大丈夫です?」

「正直いって凍死寸前です」

「ですよね。良かったらこれ、おれの外套マントをどうぞ」

「えっあっはいどうも。……あぁあったかい……」

「それ、そのままでいいので。体を温めながら、お部屋に戻って待っていてください。あなたの熱い想いは、おれたちから姫様にお伝えしておきますよ」

「あ……それはどうも、でも」

「間違いなく、必ずお伝えします。他に伝言があればそれも」


 と、バングルの録音機能を掲げて見せる。山羊は素直に、梨太の手首に向けて愛の言葉をささやいた。それでなんとなく満足したらしい、梨太のマントでぬくぬくしながら、小躍りして戻っていく。

 梨太は手を振って見送り、山羊が角を曲がったところで、録音データを消去した。

 鮫島はいつもの無表情。ヒグラシが感嘆の声を上げる。


「なんですか今の。催眠術のような……」

「企業のクレーム処理のマニュアル。さすがにアレは、あのひとが単純すぎるけど」

「梨太はこういったものが抜群に上手い」


 騎士団長の太鼓判に、ヒグラシは一度驚き、苦笑いを浮かべて見せた。


 気を取り直して、中庭を進む。

 深夜の『塔』は、日中とは全く雰囲気を変えていた。

 真っ暗闇だった。中庭には灯りがなく、塔は星灯りでどうにか浮かび上がっている程度。ほぼただの石筒、居室はごくわずかだという塔は窓越しの灯りもない。真っ黒で不気味だ。

 塔の入り口に鹿がいた。

 こちらも昼間と衣装が一変している。ヒグラシと同じく黒づくめ、頭からつま先までをすっぽりとローブで包み、化粧もせず。痩せた顔だけがぼんやりと浮かんで見えていた。亡霊か、死神のようだった。


 梨太たちの姿を見て、鹿は一礼した。


「お迎えにあがりました。『星帝候補リタ様』……そして、『その妻、鮫様』」


 そう言って、顔を上げる。息を呑んで黙り込んだ二人に、鹿は静かに言った。

 昼間とは違う、光の塔の当主の声で。


「これから、あなたがた二人・・の試験を行います」


「……二人? おれと、鮫さんの両方ですか?」


 鹿は頷いた。


「これから、リタさんには塔の最上階、管制室で、立候補の表意声明を録音していただきます。そのデータを宮殿へとメールをし、鯨将軍が枢機院に提出するという話ですが……原稿はもう考えていらっしゃいますよね?」


 念押しのように言われ、梨太は慌てて頷いた。バルフレアの村を出る前、鯨からそれは聞かされている。こんな夜中になるとは思っていなかったが、それなりに準備はしてきていた。

 鹿は満足そうにうなずいた。


「日中にお話しした通り、『光の塔』がリタさんを推薦するかどうかは、ヒグラシ叔母様に一任することになりました。叔母様は、その公約が塔に不都合のないものならば、特に反対する理由もなく、推薦状を書くとおっしゃっています」

「じゃあ、このスピーチがおれの星帝試験ってことになるんですね」

「はい。頑張ってくださいね」


 にっこり笑う鹿。どこか他人事のような、薄っぺらい微笑みだった。だが、


「私の試験というのは?」


 鮫島の問いに、彼女は表情を消した。



「『わたしの推薦状』は、妻となるあなたを見て書くかどうかを決めることにしました」

「……私の、何を見ると?」

「あなた自身をです」


 鹿はそれだけ言って、すぐに踵を返した。ヒグラシが後に続き、二人に目配せをしてくれる。どうやら梨太、鮫島ともに試練は塔の中らしい。


 今朝がた登った階段を、四人で黙ってまた登る。

 歩きながら、コトラの居場所を聞いてみた。やはり館の、子供部屋でひとり寝ているらしい。


「今日は『夫』は来ないんでしょ、今夜くらい、おかあさんと一緒に寝かせてあげては?」


 ヒグラシにそう進言してみたが、首を振られた。予想通りなのですぐに引き下がる。やはり、コトラは人質なのだ。


 細長い塔を、ひたすら上へ、上へ。途中、鹿の部屋を通り過ぎていった。さらに上へいく。

 そして『光の塔』最上階――そこには、二つの扉があった。


「……右が管制室。もともとは天皇の声を録ったり、街に放送したりするための部屋です」


 鹿が言い、梨太の視線を指先でそちらへ誘導する。率先してヒグラシが扉を開けた。

 直後、左の扉を鹿が開く。


「……団長はこちらへ」

「……何の部屋だ」

「さっきお伝えした言葉の通り。天皇自身を見るための……試験の部屋ですよ」



 ぞっとするものを感じて、梨太は鮫島を見上げた。妻は相変わらずの鉄面皮に、どこか挑戦的な目つきをしていた。なんとなく、楽しそうにすら見える。そっと裾を引いてみると、彼女はやはり、笑って見せた。


「大丈夫。まさかここにきて、肉じゃがを作れとは言われないだろうし」

「そりゃそうだろうけどさ」

「リタこそ大丈夫か? 馬車で書いていた原稿、今は持ってきていないだろう」

「うん、実はそれ、もう廃棄しちゃった」


 えっ、と三人の女が驚き振り返る。梨太は軽薄に笑って頭を掻いた。


「いやもちろんシッカリがっつり考えてたんだけど、書きあがったそばから更新されてさ。この街に入ってからも、鹿さんと会ってからも、言いたいことが増えたり減ったりでなかなかまとまらなくて」

「延期しますか? 半日くらいなら待ちますよ」


 ヒグラシが親切に言ってくれたが、首を振る。もう大丈夫だからと断定した。自信に満ちたようすに、鹿が苦笑する。


「リタさんはやっぱり、相変わらずですね――それだと、こちらの試験のほうがずっと時間がかかるかもしれませんね」

「もしそうなったら先に部屋に戻って、寝直していいぞ」


 妙に余裕ぶった鮫島に、ムッと不機嫌になる鹿とヒグラシ。その構図がなんだか可笑しくて、梨太は笑ってしまった。知らず知らずに緊張していたのだろうか、それで肩が軽くなった気がした。

 その様子を見て、鮫島も微笑む。


 二人は同時に、扉の前に立った。

 それぞれの部屋に、先に入った試験官がこちらを向いて待っている。

 梨太も鮫島も、彼女たちを見ていなかった。

 お互いの顔を見て、クスクスと笑っていた。



「……じゃあ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい。私も行く」

「うん、行ってらっしゃい。がんばって」

「リタもがんばれ。……また、あとで」

「あとで、また」



 そんな、簡単な会話を交わす。


 二つの扉が、同時に閉じられた。


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