天皇の妹
早朝。
鮫島に揺り動かされ、梨太は何とか、身を起こした。しょぼしょぼする目を擦るのを、鮫島が心配そうに見つめる。
「いつ寝たんだ? 私も昨夜、ずいぶん遅くまで待ってたけれど……」
「あー、結局明け方」
「徹夜に弱いくせに。この光の塔で、そんな時間までどこでなにを?」
追及する彼女に、とりあえずキャビネットのほうを指さす。積み重ねられた荷物があった。
「あれ、荷物と服。全部は返してもらえなかったけど、服はだいぶマシなはず……ふあぅ」
鮫島の目が輝き、子犬のように駆けつけていく。フリフリピンクドレスがよほど堪えたらしい。
新衣装は、民族服のフォルムを踏襲した貫頭衣に華やかな腰帯、ズボンは無しで、ヒールのついた編み上げサンダルというものだった。
日本人がイメージするチャイナドレスによく似ている。シンプルだが色っぽく、艶めかしい。
聞けばラトキア王宮の年若い女官見習い――つまりは側室――要するに娼婦――の衣装だという。そう聞いて梨太は頭を抱えたが、単純にビジュアルとしてはピンクドレスよりよほど似合っていた。
鮫島も、「生まれて初めてだ、建物に火をつけたいと思ったのは」などと言いつつも、やはりこちらを選んで着替えはじめる。
「荷物を取り返す交渉に、真夜中までかかったのか」
「まあ雑談しながらだったからね。しゃべってほぐして仲良くなってオネダリ、みたいな」
「誰に」
「あのヒグラシっていうおばさん。あとはちょこちょこっと、通りがかりのメイドさんとか馬の番とか、一族のひとたちとも会ったよ」
鮫島が目をぱちくりする。
「いったいなんのためにそこまで。さぞ不愉快だったろうに」
「いやあ、けっこう盛り上がったよ。最初のうちは、星帝候補殿とはいえこんな夜更けに婦人の部屋を訪ねるなんて恥を知りなさいとか言ってたけど。ちなみに話題の三割が一族の自慢、四割が旦那さんの悪口、残り三割が昔飼ってたペットの話題でしたっ」
「……あの女傑から、よくそれだけ……」
「にひひ。おれ、ああいう手合い一番トクイだもん。年増キラーと呼んでもいいよ」
感心したようなあきれ返ったような妻に、梨太はヘラヘラ笑う。
というより、実は本当に簡単なものだった。ヒグラシをはじめ、多くの者は梨太に対してそれなりの客扱いをしてくれたのである。イジメともいえるアタリの強さは、どうやら平民の星帝候補にではなく、騎士団長の鮫島に対するものだったらしい。
そのことに疑問を抱きつつも、梨太はニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。
「結構な収穫があった。おれの知らなかった情報を、たくさん教えてもらったよ」
「……そうか」
「……それと。……それとコレ」
言葉を濁し、胸元から封書を取り出した。無言のまま鮫島が受け取り、中を開く。シンプルな封筒の中は、シンプルな文面の一枚紙である。
『――お申込み受付完了のお報せ。少数の受け入れ枠あり。下記の日時で所定の地までお迎えに上がり候。身の回りの物と、財産目録をもって待機されたし……猪殿』。…………。これは……。さすがに、くれといってもらえるものではないよな」
「はい。それはもう、さすがに。……なので事務員さんとおしゃべりしてて、宛名を目にして、こう。……こっそりと」
肩を縮めてモソモソ呟く梨太。鮫島は大きく嘆息した。続けた言葉は、優しくはなかった。
「似合わないことをするな」
「……うん。……でもさ」
何かを言おうとして、言葉を失くす。梨太は目を伏せて呻いた。
「ごめん。ほんとに思わず取ってきてしまったけど、自分じゃどうにも処理できなかった。……どうすればいいかな。君に意見を聞きたい」
「ん」
鮫島は頷くと、荷物からペンを取り出した。紙をキャビネットに広げ、『日時』のところに訂正の二重線。さらに別の枠、空白のコメント欄に、何の迷いもなく一筆したためた――『現在満員につき、受け入れ拒否。追って連絡あるまで平常通りお過ごし下さい』。
そして、特にどうということもない動作で梨太に返してくれる。梨太は半眼になった。
「いいのかよコレ」
「うん。兵隊がときに精神不安定になり、自暴自棄な行動を取ったり自死を志願してくることはままある。その時の采配は、上官に一任されている。例えば両手両足縛って轡を噛ませて精神安定剤を打って監禁するくらいまでなら、騎士団長である私の権限で可能」
「っていうか、鮫さん、こういうの関与しないって言ってたじゃないか」
「私はな。でもリタが望むなら、私の権力をすべて使ってでも、その願いをかなえる」
本当に、当たり前のようにそう言う妻に、梨太は眉を垂らした。
「君のこういう……おれにはできないことを、スパッとやってくれるとこすごく好きだよ」
「お互い様」
そこは「私も好き」という言葉をチョイスすべきじゃないかな、とは思ったが、言いたいことは察したので黙っておく。
それに、と彼女は少し、目を伏せた。
「私としても、できれば救いたいのが本心だ。既知の者を、つらい目にあわせたくはない。生きたまま焼かれるのも、それを焼くのも」
身支度を整え、表に出るとメイドが待機していた。昨夜、夕食に案内してくれた女である。
「朝食へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
だが足は、昨夜とは別のほうへ向かっていた。朝食と夕食とで食堂が違うらしい。
『光の塔』の館には、たくさんの人間が住んでいる。天皇の親戚であり、業務にもあたる一族の者。その日常生活、衣食住の世話をする下男下女、それから梨太たちのような客人だ。
合わせて百人を超えるというから、案外この館は賑やかであった。
壁越しに和やかな会話が聞こえてきたりする。
昨夜、一緒にカードゲームをした人間ともすれ違った。ひらひらと手を振ってくれるのを、笑顔で振り返す。
光の塔の住人――天皇家の一族も、業務の外に出れば案外きさくで、普通だった。
(そりゃあそうだ。人間だもの)
メイドの後ろについて歩きながら、そう思う。
(地球から離れて、見たこともない動物や植物のある星には来たけども、異世界じゃない。天皇は神じゃなくヒトの子だし、神通力も使えない)
(普通の人間なんだ……)
なんとなく、後ろを振り向いた。すぐそこに鮫島がついてきている。しなやかな女性服を纏った彼女は、非の打ちどころのない絶世の美女。白皙の美貌は、それこそ幻想世界の住人じみた非現実感がある。彼女がこの地で嫌われているのは、もしかするとそのせいかもしれない。
やがて、メイドは足を止めた。
ひと気のない場所。壁に巨大な白い扉があった。
門のところと同じパスワード・キーロックが付いている。
メイドはそこで一礼した。
「もうじき、ヒグラシ様がこの扉を開きにこられます。ともに奥へとお進みください。ここから先は、わたくしめには侵入の権限がございませんので」
「権限? ここってただの食堂……」
と、言いかけて口をつぐむ。脳内に館内図が浮かんでいた。昨夜、トイレに迷ったふりをして受付に見せてもらった地図である。
それによると、この位置は。この扉の向こうには……。
「お待たせしましたね」
まもなく、ヒグラシが到着した。なんとなく化粧が濃いのは気にしないことにする。
彼女はまずメイドを下がらせ、梨太に会釈、鮫島の衣装をわかりやすく鼻で笑ってから、パスワードパネルを操作した。
ピプパプピパパ。ギリギリ聞き取れるくらいの素早さで入力を終える。白い扉が、プシュウと空気を通す音がした。
ヒグラシが振り返る。厳しい表情だった。
「襟を正しなさい」
客人相手のセリフではない。だがそれに何の疑問も抱くことなく、老婆は梨太に言い切った。
「ここから先こそ、『光の塔』。天皇の住処です」
やはり。梨太もさすがに息を飲み、背筋を伸ばした。星帝の玉座にも匹敵する、この国で最も高貴な地だ。梨太の緊張を見て取り、ヒグラシは満足そうにうなずいた。
「朝食は、特別にこちらへ用意をしております。こうして部外者が入るのは、本当に異例のことですよ」
「……私も初めて入るな。以前は、この場所で追い払われた……」
鮫島に、老婆はなにか上機嫌で頷いた。恭しく、しかし自慢げに、扉を押し開く。
「そう言えばあの時、次回にはお茶とお菓子の約束をいたしましたね? 残念ながら、あたくしが相手をすることはなくなりました。代わりに、もっと高貴な方が御自らもてなすとおっしゃったのです。
あなた方とは、知己の仲だからと」
深く、深く感謝をして、決して粗相のないようにしなさいませ――何度もそう恩着せがましく言うヒグラシ。
梨太は黙って後に続いた。
ある程度、予想はしていた。
そして昨夜の聞き込みで、もうすでに知っていることだった。
光の塔当主、天皇家は直系男子にのみ相続される。その長男、狐はもう六年も前に『事故』で亡くなっている。
現在の当主は、その妹。
かつては相続から外れ、民間人として王都で暮らしていた。もともと関心のあった科学を学び、優等生として、軍の研究所に就職をした。
騎士団には、期間限定での着任だったらしい。
科学研究所で師事していた者が、テロリストと共謀し、宇宙へと亡命したそのときに。
その者の後釜として。その者を捕らえる戦士として。
天皇の妹は、地球へとやってきていた。
扉の向こうは、楽園のようだった。
花と緑の庭園である。水しぶきの跳ねる噴水、咲き誇る薔薇のアーチの前に、女が立っている。
梨太たちの姿を見て、頭を下げる。
鮮やかな青い髪が、地面に着くほど深いお辞儀だった。
「ようこそ、光の塔へ」
「……ああ。……お邪魔している」
苦い声で、適当な返事をしたのは鮫島だった。彼女は瑠璃色の目を細める。
「ええ、お久しぶりです団長。それに、リタさんも」
「……おれも、また会えて嬉しいです。鹿さん」
梨太が、その名を呼ぶ。
鹿は笑った。
クスッ、と声を立てて、何かとても悲しそうに――
死者を前に、楽しい思い出を語るような微笑みを浮かべて、梨太を懐かしみ、笑っていた。




