リタさん、かどわかす。
門を開きに来てくれたのは、ヒグラシと名乗る女であった。
元は鮮やかな青だったのかもしれない、細く薄く水色になった髪を結っている。いかにも厳格な、レディースマナー教室の教師といった風である。
衣装はレースのショールを含めて黒づくめ、顎より下は一点たりとも肌を出していない。
身体が反るほど胸を張り、若い二人を見おろす――いや、見下していた。
「お久しぶりですね、騎士団長殿。以前いらしたときとは少々様変わりなさったようで……姿も心も」
「どうも」
鮫島は適当に返事をした。ヒグラシの皮肉が通じなかったわけはない。ただ興味が無いだけだろう。
老女は鼻を鳴らし、顎をしゃくった。
「ついていらっしゃい。このあたくしが、塔の客室に案内して差し上げます。馬車はそこに置いたまま、その身ひとつだけで結構。すべてこちらでもてなしの支度がございます。あまり汚らしいものを持ち込まないように」
外見イメージ通りの調子で言い捨てて、ヒグラシは背を向け歩き出す。
門番に礼も無く門をくぐり、静まり返った夜の街を、まっすぐに縦断しはじめた。
梨太は慌ててついていこうとした、が、鮫島に無言で引き留められる。彼女は貴重品の入った手荷物と、麻痺刀をしっかり装備した。梨太にも渡して、やっとヒグラシを追いかける。
背中越しにその気配は感じ取っていただろう。ヒグラシは何も言わず、しかし不機嫌さをにじませていた。
己の機嫌で、他人を威圧しようとしている――梨太は彼女を強く警戒した。
彼女は小間使いなどではなく、先代当主の妹にあたるらしい。生まれてからずっと塔のそば、親族の屋敷で暮らし、当主の仕事を手伝ってきた。
「もしも自身に子供が生まれていれば、それが現当主についた可能性もあったのですよ」
と、わかりにくい自慢を交えて自己紹介してくれた。
彼女は馬を引いていたが跨がらず、荷物置きにその鞍を利用していた。引きずるほど裾の長いロングスカートで乗馬はできまいが。
そうなんですねと愛想よく、梨太は相槌をうってみる。ヒグラシの機嫌は直らない。
「世が世なら、国母たりえたこのあたくしの前に、よくもケツ――汚らわしいものを、長々と。世が世なら打ち首獄門。まったく失礼千万」
夜道を歩きながら、お説教が始まった。
「すみません、本当にお見苦しいところを……」
「星帝夫婦になろうとする者が、はしたない。けだものでもあるまいに」
梨太は恐縮しひたすら謝罪を繰り返したが、鮫島はずっと無言のままである。
顔を背けて、仏頂面。その気配を感じ取ったのか、ヒグラシは振り向いた。
「なんですか、その態度は。このような夜分に光の塔へ押し掛けるのに、横柄な。少しは畏まりなさい。これが次代の星帝皇后とは、頭の痛いこと」
「……押し掛けるもなにも、そちらが案内すると言ったのだろう」
低い声で、反論する。当然、老女は目をつり上げた。
「だからそれを、わきまえなさいというのです。凍えているだろうと思いやりこのあたくしがわざわざ出迎え、屋敷へ入れてやろうというのに、礼の一つもないのですね」
「あっあの、ありがとうございます、助かります」
「はじめに門前払いにしたのはそちらだろう。今夜伺うと事前に伝えてあったはずだ。約束のある客人に対しこの仕打ち、失礼なのはどちらだ?」
「なんですって」
「門番の失態という言い訳は通らない。一度は閉め出すよう事前に命じ、私達の訪問しだい報告させたな? 恩着せがましく迎えにきて、それで主導権でも握ろうというのか。あざといことだ」
「さ、鮫島くんっ」
梨太はあわてて制止したが、鮫島は譲らない。どうやら相当、機嫌を損ねているらしい。いつもの無表情、冷淡な口調ではあるが、瞳に燃える炎が見える。
これはもうブチキレている状態だ。
「昼日中の往来ならばともかく、夜に木陰でキャンプを作っていたのだから宿にしていたのは明白。ひとさまの寝所に近づくほうが不躾だろう。だいたい私達は正式に婚約を交わした夫婦だ。寝所に侵入しその営みを不埒だという、そちらのほうがおかしい」
「! な、なっ、な、な……!」
「まずはそちらが失礼しましたというのが道理ではないのか。というより、ふつうは気を使う。いや、淑女ならば慌てて逃げ出すところだろう。……覗きたかったのならば、素直にそう言えばいい。星帝候補のきれいな尻をどうか拝ませてくださいと言うならばやぶさかではないぞ」
「やぶさかです。勘弁してください」
梨太はきっぱりと言い切った。もちろん、鮫島とてそちらは本気ではないだろう。ただヒグラシをなぶっているだけだ。どうやらブチキレを通り越し、人格崩壊までしているらしい。
梨太は頭を抱えた。
ヒグラシは顔を赤くし、全身をぶるぶる震わせる。骨ばった指を突きだして、
「な、なんという不遜な態度。世が世なら――」
鮫島が鼻で笑った。
「残念ながら今はその『世』ではない。むしろ私たちのほうが、お前を不敬罪で処せるときのほうが日が近いぞ。現ラトキアを統べるのは星帝。治外法権は『光の塔』建物内と当主のみ。その親戚のおばさんなど、なんの権威もないのだから」
「鮫島くん、いい加減にしてっ」
梨太はきっぱりと窘めて、ヒグラシを庇い、前に出た。激情のあまり失神してしまいそうな老女に、ひざが付くほどに身を屈める。
「大変失礼いたしました。悲願成就を前にして浮かれ、おれも妻を甘やかしていたようです。夫として責任を欠いておりました。申し訳ありません」
「えっ。……ええ、そう、そうですわね」
「あなたのお耳を汚さないよう、別の場所で、僕からきちんと言い聞かせます。この場はどうかお許しください」
「そ、それなら……結構です。面を上げなさい」
不遜な言いぐさに鮫島は再び眉をひそめたが、梨太の目配せで息を吐く。
「リタのせいじゃない。私が、言い過ぎた。ヒグラシ殿、失礼いたしました」
「ふん。はじめから、そういう態度ならそれでよかったのですよ。……こちらこそ、お邪魔しました。湯を沸かして差し上げましょう。冷えた身体を暖めるといいわ」
言い捨てて、背を向けるヒグラシ。その足下が細いヒールのパンプスであることに気がつき、梨太は駆け寄った。
「馬の手綱、おれが引きましょうか?」
「えっ? ……いいえ、この馬は光の塔の神馬、おいそれと他人に任せるわけにいきません」
「そうでしたか。おこがましいことを言いました。それでは、生意気ついでに」
梨太は毛皮のコートを脱ぎ、ヒグラシの肩にかぶせた。一度、抱きしめるように腕で包み、前の留め金をつける。
「なっ……!」
「一目みたときから寒そうで……震えるあなたに、おれが見ていて耐えられません。どうか暖かくなさってください。……もしもおれが星帝なら、あなたに似合う、もっと可愛いマントを贈れたのですが……まだ候補の身で、こんなものしかなくてごめんなさい」
つい先ほど、収めたばかりの顔色を再び真っ赤にさせて、ヒグラシは息をのんだ。慌てて背を向け、早足になる。ツートーンばかり甲高くなった声でぶつぶつ呟いていた。
「そんな、それじゃああなたが寒い、いえ、まあ、よろしい。ふむ、殊勝な心がけじゃ、くるしゅうないわ。可愛いだなんて、この年でそんなもの――まあ星帝になれたらいいわねせいぜい頑張って。あたくしには夫が。こんな安物、うちにたくさんあるんだからね。あったかい……」
その華奢な背中に向けて、にやりと笑う梨太。隣で鮫島が半眼になっている。梨太はヒグラシに見つからないよう、そっと手をつなげだ。
何もかも諦めたような目をした妻は、低い声で呻く。
「お前は恐ろしい男だな」
「君が苦手なことは、全部おれがやるって言ったでしょ」
鮫島は大きく嘆息すると、ただ黙って、つないだ手を握り返してくれた。




