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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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鮫ちゃん、イブニングフィーバー

 ――もしも鮫島くんが、女性になり、妻になったら、今度は僕が力仕事をやろう。

 そんな風に思っていたのは、いったいいつのことだったろう。忘れるほど昔ではないはずなのに思い出せず、無理に思い出そうという気になれない。思い出したところで意味がない。


「リタ、しっかりつかまっていろ!」


 彼女は普段、実に静かなひとである。大きな声を出すのは三日に一度もなく、その場に腰かければ、用ができるまで置物のごとくじっとしている。

 しかし実はどこまででも響き渡る声量を持っている。やるときはやる。人形のごときたおやかな肢体でも、必要とあれば。

 夫と馬二頭と木製の馬車を、崖から救出することも出来る人だった。


 大木の幹に鉄縄を巻き、自らは逆さになってハシゴとなる。まずはリタ。次に馬を一頭登らせると、それを重りにもう一頭、最後に馬車を回収。自分以外の生物がへたりこんでいるそばで、そのまま馬車を分解、修理、車輪にスパイクを履かせ直して、息をつく。

 フウと嘆息――それだけの休憩で、彼女はすぐに立ち上がった。


「よし、行こうか」


「鮫さんすっごい」


 もう何も思うことも無く、梨太は素直に称賛した。


 そんなこんなで山を越え、やっと地面が平らになってきた。御者台で、空を見上げる。夕闇が追いかけてきているが、馬車ほどには早くない。

 前方を見ると地平線、その向こうまだ遠く――建物のようなものが見えていた。


「光の塔だ。城下町の門だな」


 幌の方から顔を出し、鮫島が言う。梨太は歓声を上げた。


「やっとかぁ。このぶんだと、今夜の宿は町で取れるね。なんならそのまま、一直線に当主さまに会いにいっちゃう?」

「いや、さすがに旅の垢は落としていった方がいいだろう。この時期に聖水をぶっかけられたら風邪をひく」

「うはは、鮫さんがそういうってことは、相当気難しいトコなんだね。りょーかい」


 御者台から身を乗り出し、馬の背中をぽんぽん叩く。


「エイリー、マルリーオ。もうすぐだぞ。あの門のとこまでいったら、心地いい厩でゆっくり休ませてあげるからな。飼い葉じゃなくて、美味しいニンジンがあるぞ」


 言葉が通じたのだろうか。馬たちは歩調を早めた。たてがみをゆらし機嫌よく、いななく。「ギャォウン」と。


「…………ニンジン、食べるのかな」


 ふと不安になり、呟いた。



 『光の塔』は、文字通りの細長い塔である。

 とはいえ、重機もなくヒトの力で作られた建物だ。古めかしい石造り、外から見て取った感じで高さ四十メート、十五階建てといったところだろう。それが倒れないギリギリの敷地面積に建っている。そばにはちょっとした屋敷があるらしい。全員が住み込みの作業員であるとのこと。

 住み込み――といっても、休日に帰る家はなく、そもそも休日というものがない。全員が光の塔の関係者……一族ということだろう。


 さらにその手前には、町がある。山の中腹を切り出したような平地に、突然現れる立派な鉄の門。町全体をぐるりと囲んでいるようだ。ここが旅の終点、光の塔に到着したのである――


 しかし。


「宿、というものは、この町にはございません」


 門番はハッキリそう言った。

 鮫島と二人、顔を見合わせる。


「えっと……そう、なんですか。わかりました、じゃあしょうがないので、このまま塔を訪ねます。とりあえず門を開けて、町に入れてください」

「当主様はすでにお休みでいらっしゃいます」

「え、まだ宵の口ですよ?」

「当主様はすでにお休みでいらっしゃいます。ご訪問は、明日にまたお越しください」

「ええと……すみません、一応、星帝皇后の鯨さん、三女神協会教主の兎さん、さらにこちらは現ラトキア騎士団長の鮫という結構な顔ぶれの紹介状がありまして。事前にアポイントも取ってありまして」

「当主様はすでにお休みでいらっしゃいます」

「それは仕方ないけど、塔を訪ねるだけしてみたいんです。受け付けとか客室とかあるでしょうから」

「また明日にお越しください」

「……とりあえず町に入れてください。厩だけでも」

「また明日」


 それだけを繰り返す門番に、梨太は肩をすくめた。


「……だめだこりゃ」


 隣の鮫島を見やると、案の定こちらも眉をしかめ、仏頂面をしている。

 たいてい真横に結ばれている唇を、ほんの少しだけ開き、シンプルに、吐き捨てた。


「ほんとかんじわる」

「聞こえるよ」


 梨太が小声で注意したがどこ吹く風。もしかすると聞かせるために吐き捨てたのかもしれない。


「しょうがない、門の外でキャンプしよう」


 町を目の前に、門前で野宿。

 なんともいえないもの悲しさをかみしめつつ、二人は黙々とテントを張った。

 馬たちはやはり賢い。町には入れないことを察すると、さっさと諦めて、その場にデンと寝そべっていく。


 小枝を集め、携帯燃料で火を起こす。

 とっておきの肉味噌缶を開けて、気持ちだけちょっと豪華な夕食。

 食後、焚火に鍋をかけ、湯を作り、清潔な布を浸して体を拭く。

 風呂代わりというにはあまりにも粗末だが、それでも温熱タオルを湿布にすれば、強張りがほどける感覚があった。

 手の届かない背中を、鮫島が丁寧にこすってくれた。


「あー、きもちいいー」

「寒くないか」

「前に焚火が燃えてるから平気。ありがとう、もういいよ。はあ、上半身だけでもだいぶサッパリした」


 タオルが離れた途端、冷たい風が、濡れた肌をなぶって抜けた。慌てて焚火に当たる。

 王都を出た時よりずいぶん寒くなった。月日のぶんだけ秋が暮れたのもあるが、ここが高地のせいだろう。

 ツンと鼻の奥を指すほどの、冷気が異邦人をイジメてくる。

 ひゃー、と身を縮めていると、毛皮のコートが頭からかけられた。以前、鈴虫という貴族に頂いたもの。鮫島が幌からもってきてくれたのだ。


「いいものをもらえたな」

「うん、ほんとにあったかいよ。鮫さんは?」

「私はこれ」


 と、羽織って見せたのは騎士の軍服である。思わずオオッという声が出た。


「鮫さんの軍服姿、見るのすごい久しぶりっ! かっこいいね」

「防風防寒の機能は、現ラトキア科学の最高峰を使用している。重いので、梨太には心地いいものではないだろうが」

「いいなあ。わっ、やだな風が出てきた。顔が冷たい」


 冷えた頬に手を当てたが、手の方がよほど冷たくかじかんでいた。途方に暮れる梨太を、そっと鮫島の手が包む。一瞬、焼けたかと思うほどに熱い肌が、凍えた頬をあたためる。梨太は目を細めた。


「どうして、鮫さんの手はいつもそんなにあったかいの?」

「……いつもじゃない。きっと、リタに触れているからだろう」

「ははは、なるほど、そりゃいいや」


 梨太は笑ったが、潤んだ彼女の瞳を見ると案外、冗談ではなかったのかもしれない。


「今日はお前に、暖かい食事と寝床をやれると思ったのにな。光の塔の連中とは仲良くなれそうにない」

「気にしないで」


 梨太がほほえむ、と、その頬骨に、鮫島は唇を寄せた。一度それを受け取って、今度は顔を傾け、唇を合わせる。


「リタには不自由ばかりさせている」


 胸に抱きしめて、鮫島。梨太は抱擁した。


「不自由? どうして。おれは、おれが望むままにここにいるよ。一緒に生きる道を選んでくれてありがとう」

「……だけど、辛い旅だ」

「大丈夫だって。平坦な散歩道とは言えなかった、けど、楽しいこともたくさんあったよ」

「でも、この旅を終えてからも……星帝になったら、ずっと……」

「大丈夫だってば、君がいるんだし! それこそ、楽しいこといっぱいできるから」


 鮫島の暗い顔は晴れない。梨太は少しだけ躊躇して、


「たとえば、こんなこと」


 と、手のひらをペタリ、鮫島の右胸に当てる。彼はビクリと縦に揺れた。

 これで睨まれて、怒られ、いっぱつ叩かれるくらいして、彼女が笑えばいいと思った。

 だが鮫島は無言のまま、じっと梨太の手を見下ろしていた。赤面し硬直してはいるが、嫌がる様子もない。


(……おや?)


 試しに――手をスライドさせてみる。凹凸らしいものはなにもない。だがたしかに、ほんの少しだけ、押した分だけ手は柔らかな肉に沈んで、抜いた分だけ浮上した。

 敷き布団をなでるような感触だった。


「えっと……」 


 展開に困って呻く。これはいわゆる、ツッコミ待ちのボケというものである。だが肝心のツッコミ役が機能しない。目をそらして俯いて、唇を結んでいる。緊張に体をこわばらせているのも見て取れた。


「……あのう。すみません。キャアイヤァとか言うと思ってました」


 謝罪して、梨太は手を引こうとした。その手首を、鮫島が捕まえる。


「こっち」


 そうして、己の左胸へ当てた。


 向かい合って、左手で、彼女の左胸に触れる。少々ぎこちなく動かしづらい体制で、それでも梨太は手を入れ替えようという発想もできない。

 彼女の胸のふくらみを、確かに手の平で感じながら、梨太はうわずった声を上げた。


「なんで、こっち側?」

「……左、のほうがすこしだけマシ」

「マシ? えっと、やっぱりまだ、体に触られるのは嫌で――」


 鮫島は首を振った。


「大きさ。私の」


 梨太はアッと声を上げる。


「そうか、心臓があるから、たいてい左の方が大きいって聞いたことあるな。言われてみれば、確かに。分母が小さいからわかりやす――イヤごめんなさい」


 今度こそ睨まれ、梨太は素直に謝罪した。


 ふたりとも押し黙った。無言のまま、触れ続ける。

 俯いた鮫島の頬が上気していた。

 この冷気のなか、首元に汗が浮かんでいた。


 梨太は、その滴を吸い取った。首筋に沿って口づけを滑らせて、柔らかなところを甘噛みする。左手を彼女の胸から離し、背中の方へ巻き付けた。


 鮫島もまた抱擁で迎える。腰を抱きすくめるようにして、梨太はゆっくりと体重を任せた。鮫島はそのままゆっくりと、背中を地面に倒していった。


 熱を湛えた身体には、冷気も地面も、心地よい涼でしかなかった。焚き火に近い右側半身と、重ねた唇は特別に熱い。温もりを求め、二人は体の前面を合わせ、手足を絡めて摩擦した。


 梨太はほとんど無心で、軍服の前留めをすべて解いた。ジャケットの下には薄手のシャツがある。うす布越しに、彼女の身体がよく見て取れた。

 梨太はもう一度、衣服越しに愛でる。するとすぐ、肌を見たくてたまらなくなった。シャツをまくり上げるためには、腰帯を解かなくてはならない。一度身を離し、結び目を確認しようとして――


「や、だめじゃん!」


 慌てて身を離した。両腕を突っ張り、仰向けになった彼女から少しでも距離を取る。


「まだ、しちゃだめだって。鯨さんからさんざん念押しされてたんだ。おれとしたことがつい。ごめんねー鮫さん、またの機会に」


 ヘラヘラ笑いながら、先ほど自分が解いたばかりのボタンを閉じる。軍服の襟を整えてやったところで、手首がガシッと掴まれた。引き抜こうとしても、びくともしない。


「鮫さん?」


 彼女は、無表情だった。いつもの端正な顔に能面面で、梨太の手を極め、強制的に指を開かせる。己の握力を駆使し、梨太に再び、ボタンを開くよう導いていく。

 ぶるぶる震えて抵抗しながら、梨太は焦った。


「ちょ、いや離してムリだよ。だめなもんはだめだって」


 手首が解放される。諦めてくれたかと思いきや、鮫島のほうが手を伸ばし、抱き寄せてきた。己の胸に梨太の顔を埋め、ぎゅうぎゅうと押しつけてくる。


「さ、鮫さんちょっと苦しい」


 しかしなおさら強く抱きしめると、長い足で梨太の腰を挟み込んだ。足首を交差させがっちりホールド。それはたいへんに刺激的な密着を生んだが、それ以上のことがなにもできなくなる。


「鮫さんちょっとお願い話聞いて――いやわかった、わかったから一回離して」


 彼女は従わない。

 梨太が身を起こそうとするのを、手足を絡めて妨げる。

 どう体重移動しても抜け出せなかった。のけぞったところで、唇を奪われる。抗議の声は舌根ごと緊縛され、気力ごと啜られて枯渇した。


「リタ……」


 甘い声に、脳髄がしびれる。


 かといって、二十四歳になった男は、十六歳だったころとは違うのだ。全身の九十九パーセントを欲情に占拠されても、残りの一パーセントが、しっかり外部の声を聞いていた。



 ――こほん。

 という、他人の咳払い。



 梨太は必死で身をよじった。長い手足は縄のように絡みつき、外れない。もしかすると鮫島は、殴る蹴るの立ち技よりも寝技、関節技のほうが得意なのではなかろうか。可笑しくなるほどどうにもならなくて、梨太は懇願した。


「鮫さん鮫さん、お願いホントちょっとはなして」


 こほ、こほん。


 わかりやすすぎる、来訪者の主張。

 さらに絡みついてくる腕。梨太は悲鳴を上げた。


「鮫さん! 無理だってもう、後ろのひと気を利かせて帰る気なんか絶対ないからもう無理だって!

 さてはわかってるね? だいぶ前から気付いてたよね? 君はよくてもおれのこと思いやって。アングル的にこれ、初対面の人に思い切りケツ向けちゃってるよ。ねえちょっと鮫さん、ちょっと待って脱がすなってやめろ夫のケツが見知らぬお方にすごい勢いで見られてしまいますけど奥様それでいいんですか、お願いします離してぇえええええっ!」


 鮫島はそれでもなお粘り、夫の懇願を無視し続けた。しかし一分後、


「――いい加減にしなさいっ! このあたくしを、どれほどの者とお思いですか!」


 小柄な老婆――『光の塔』からの使者に怒鳴られて、渋々、梨太を解放したのだった。


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