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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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205/252

鮫島くんの紅

 梨太を置いて、どこかへ退室していった鮫島を、座して待つ。

 夫婦にあてがわれた寝室、二人のために敷かれた布団、並んだ枕の傍らにあぐらをかいて、梨太は妻を待っていた。微動だにせずにひたすら待つ。

 待ち続けて、夜も更けて――やがて明ける。


 ふと、覚醒した時、足を組んだまま真横に倒れていた。


「……うぐぅっ、体がいたい」


 いつ寝落ちしたのかも思い出せない。

 ぼんやりしたままの頭を振って、固まった手足を伸ばしてみる。ベキバキと盛大な音を立てながら立ち上った。

 すっかり明るくなった部屋を見回すが、ほかに人はいない。続く大部屋リビングのほうへ出てみると、知った顔が三つ座っていた。

 虎と、バルフレアの村長、その娘のハーニャである。

 おはようございますと声をかけると、三人同時に振り向いた。


「鮫島くんは?」


 まっさきに尋ねた問いには、誰も答えなかった。村長が立ち上がり、


「申し訳ございません!」

 そう言って土下座した。


「――いっ?」


「虎どのより先ほど話は聞きました。うちの娘が、大変な失礼をしでかしまして、リタさまにも鮫さまにも申し訳ないことでございました。ほんとうに、ほんとうに、なんとお詫びしていいか」

「あ、ああはい……」

「リタさまにはともかく、鮫さんにお詫びすることはなにもないわ」


 ぼそりと、ハーニャ。村長はすかさず怒鳴りつけたが、やはり娘は聞く耳持たず、フンと鼻を鳴らして横を向いた。


「みんなしてあたしのこと悪役にして、やんなっちゃう。リタさまも『紅』も、あのひとがドウゾってくれたんだと言ったのよ」

「……『紅』って?」

「こちらにございます」


 村長はうやうやしく、小さな物を差し出した。金属製の、細長い筒である。高級な万年筆っぽい――と思いながら蓋を引いてみると、穂先があった。先端が赤く染まっている。


「……筆ペン?」

「なんだリタ、実物みるの初めてか。それで目元を塗るんだよ。ラトキア有史以前からある化粧紅、そのばかみたいに高級なやつだな」


 虎がいう。なるほど言われてみれば化粧品、地球ではアイラインマーカーとしておなじみのものである。同時に、鯨やカモメの目じりが紅く塗られていたのを思い出す。

 物は理解して、改めて首をかしげる。


「なんでこんなものが、ここに?」

「このバカ娘が鮫さまから盗み取っておりました」

「盗んでないって言ってるでしょ! もらったの!」

「もらえるわけないだろう!」


 叫ぶハーニャに叫び返す村長。そのままきゃんきゃんと親子喧嘩を始めたのを、虎が複雑な顔で眺めていた。意見を求めると、肩をすくめる。


「俺は何とも言えねえや。もらえるわけないけど、盗めたわけもないし。相手はあのだんちょーだ」

「じゃあやっぱりあげたんでしょ。要らないモライモノを回したとかで」

「――は? お前があげたわけじゃねえのか!?」


 思いのほか、虎は大きな声を出した。金色の目を剥き動揺している。何度目かの首をかしげて見せた梨太に、虎は天を仰いで呻いた。


「あー……そうか、教科書には載ってなかったか……俺も蝶が結婚するときに初めて聞いたしなあ」

「なんのことだかわかんない。だから化粧品でしょ、ラトキアの女性が使う」

「これはただの顔面デコレーションじゃねえんだよ」


 そこで、なぜか虎は声を潜めた。向かいのバルフレア親子がうるさいので、梨太は耳を澄ませて、彼の囁きを聞き取る。


「――名前の通り、婚儀で使うもの。地球でも結婚式やるときはなんか色々いるだろ」

「ああ、そういう儀式で使うのか」

「いや、ただの道具じゃない、男が贈ることに意味があって、それ自体が結婚式というか……あーなんだろうなあ、地球だと何に例えたらいいんだ?」

「じゃあ鮫島くんが自分で買ったんだと思うけど。なに、それがなんかおかしいの?」

「めちゃくちゃおかしいわ!」


 虎は真顔でそう言った、直後、急速に赤面した。


「これを渡すのは、結婚してくださいっていうプロポーズになるんだぞ。受け取ることはその了承。渡したのがリタじゃないってんなら大惨事だ。いや、もしだんちょーが自分で買ったんだとしたらそれはそれで大惨事なんだけど」


 早口でまくしたて、突っ伏してしまう。なにかとあけすけな虎が、こうまで照れるとは珍しい。やはり梨太はピンときていなかったが、虎の様子から逆算して物の意味を解釈していった。


 ……贈ることじたいがプロポーズ。ということは結婚指輪――いや、それなら妻が用意してもそれほどの違和感はない。プロポーズ用の婚約指輪といったところだろうか。現代日本、ドラマでしか見かけなくなったが。

 

 梨太の感覚に近そうなもので、思いついたのがバレンタインチョコレートだった。「付き合ってください」の言葉の代わりに手渡すイベントだ。あれを性別逆転させて、もっとずっと重くした版といったところだろう。


……つまりこの紅を妻が買うということは――バレンタイン、チョコをもらえなかった男子が自ら店へ出向き、想い人から贈られたていで悦に入っているようなもの。

 鮫島はそれをおくびにも出さず、この旅の道中、持ち歩いていたということになる。


 梨太は頭を抱えた。


「――痛いっ。想いが重いというより、非モテ行動が痛々しいよ鮫島くんっ!」

「お前はまだいいよ、俺にとっては元上司だぞ……最悪だ。絶対見てはいけないものを見てしまった気分だ」


 男二人、しばらくともに悶絶した。

 惑星最強の英雄、としてはギャップが激しくダメージを受けたが、冷静になって考えてみると、いかにも鮫島がやりそうなことである。屋敷に巨大な露天風呂を作った前例がある。それと比べれば安いものだろう。内容としては痛々しいが。


「痛いッ! 叩いたわね、お父様のバカーっ!」

「痛い痛いなにするんじゃハーニャ、やめろ剥げる!」


 くんずほぐれつ、交互に馬乗りになり毛をむしりあう村長親子。梨太は嘆息し、とりあえず二人をとりなした。


「ハーニャ、これをもらったのは、昨夜の……風呂に入ってくるときに、だよね。今朝とかじゃなくて」

「そうですよ! だからあたしっ」


 弁論しようとするのを制し、


「ごめん、これ返して。盗んだわけじゃないのはわかってる。でもこれは……ほんとは僕のものだから」


 返事を待たず、『婚儀の紅』をポケットにしまう。ハーニャは取り返そうとはしなかった。不機嫌なようすでもなく、むしろフフンと鼻を鳴らした。


「好きなひとと喧嘩して、アテツケに手放すようなものじゃないわよ」


 わかっている。これをハーニャに渡した時、鮫島は大きな覚悟をしていた。

 梨太に覚悟がなかったために、彼がそれを背負ってくれた。


 化粧筆は、ポケットを膨らませられないほど小さなものだった。

 それがずっしりと重い。

 それでも、梨太は立ち上がった。歩くたび揺れる細い筒を、護るように手を添えて。


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