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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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地雷を踏む


 黄金色草原――そう呼ばれる広大な地は、本来、人の住める土地ではなかった。

 地名の由来となった葦は人の背丈ほどあり、刃のように鋭い。ほかに植物は生えにくく、動物も暮らせない。生態系が出来上がらないのだ。


 それでもバルフレア族はこの地を開墾し、村を作った。葦を刈り丁寧に均し道を拓き、小川にまでつなげて水を引いたのだ。

 それは同時に、ラトキア人の拓いた街道に――すなわち王都への道に合流し、つながることになる。

 獣じみた見かけによらず、バルフレアは知的だ。ラトキア人は古来より彼らと積極的に交流し、支え合ってきたのだという。



 王都を出て以来ずっと北上してきた街道は、「光の塔」への一本道であった。開拓地はすべて道に沿って在り、一度も獣道を突き進むようなことはしていない。

 だがここにきて鮫島は初めて、ほとんど真横へとハンドルを切った。軍用車で浅瀬を渡り、そのまままっすぐ進んでいく。

 走りやすかった街道から一転、自然の道は堅く荒れており、車の中までガタガタ揺れた。

 


「わ、わ、ねえ、その、この辺を統治してるってひとのお屋敷は、どのへんになるの?」

「すぐだ。もう敷地に入ってる」

「敷地って、でもなんかこの先、森みたいになってるけど」

「この森だ」


 端的に言って、鮫島は車を停止した。エンジンを切って扉を開く。どうやら本当にここが目的地らしい。

 

「ここが?」


 訝りながら、あたりを見回す。まさに森である。秋の暮れなので枝葉は少々まばらだが、そのぶんふっくらと落ち葉が積もり、その下には腐葉土が出来上がっている。人工的に作ったものではない。


「……すごい。庭園ってスケールじゃないぞ。岡山の後楽園だって、城の周りは整備された芝なのに、これじゃまるきりただの森だ。木も太いししっかり湿ってるし、コケの種類も豊富……面白い虫がいそうだな」


 と、キョロキョロしている間に、鮫島は荷物を背負って歩きだしている。梨太が慌てて追おうとすると、彼は振り向き、手をかざした。


「リタは車内で待っていろ。三時間ほどで戻る」

「え、なんで? 一緒に行こうよ」

「俺もここには数えるほどしか来たことがない。なにがあるかわからない」

「いやそれならなおさら一緒に連れて行ってよ。あのデッカい牛モドキみたいなのに車が囲まれたらどうすりゃいいのさ」

「これほど密集した森にあんな大きなものは出ないだろう。それほどの危険はないはずだ」

「危険がないなら一緒に行こうよ」

「……。これから会う男は、お前を不愉快にさせると思う。会わせたくない」

「エラい貴族様なんでしょ? それこそ、そういう人から推薦状をもらうための旅じゃん。拒否されたとしてもそれはそれで、いい勉強になるから行かないと」


 延々続く問答に、言い敗けたのはやはり、口下手なほうだった。


「……わかった。俺から離れるなよ」


 ほとんど言い捨てるようにして、背を向ける鮫島。梨太が見失わない、ぎりぎりの速度で前を歩く。梨太は駆けだし、飛びつくように鮫島の手を捕まえた。指を絡めてしっかりつなぐ。


「……リタ」

「離れるなって言ったじゃないか。――もう離さないよ、っていうのは言ったっけ?」


 それは、さしもの梨太とて照れくさくなるセリフだったが、鮫島には通らなかった。彼はするりと指を引き抜くと、やはり速足で逃げていく。梨太はもう一度同じことをした。彼が逃げるたび、走って追いかけ、何度でも捕まえて、何度でも手を重ねる。


(そろそろ怒られるかな?)


 と、思ったと同時に、


「やめろっ!」


 ――思いのほか、強く拒絶された。鮫島が大きな声を出すのは珍しい。それも、これほど感情的なものは指折り数えるほどしか聞いたことが無かった。怒号というより、ヒステリックな悲鳴に近い。

 梨太は思わず、足を止めた。それでも手は離さなかった。


「なんで?」


 まっすぐに尋ねる。鮫島の答えは早かった。


「普通、男友達とこういうことはしないだろう」

「へっ? なにそれ」

「……俺はまだ男だ。こういうことは、ずっと後になってからでいい」

「だからなんだよそれ、すっごい今更、突然、方向転換。婚約以来、べたべたくっついてきたのもチューをねだってくるのもベッドに入り込んできたのも鮫島くんの方だったじゃないか。それを、むしろ雌体化が進行している今になって――」

「今までお前には無理をさせて悪かったと反省している。だからもういい。これからは虎相手と同じように、ただの友達として」

「ふざけんな!」


 今度は梨太が叫んだ。腕を引き身長差を詰め、近づいた唇を噛みつくように奪う。一瞬で突き飛ばされ、キスとも言えない口づけは終わった。それでも意思表示としては事足りる。


「もう、なんてことないよ、キスくらい」


 口元を拭いながら、睨み上げる。鮫島は相変わらず鉄面皮、怜悧なまなざしに表情らしきものはほとんど見えない。だが、かすかに目尻が赤らんでいた。


「……鮫島くんも、嫌じゃなかったよね?」


 確信を込めて、確認する。彼は一度首を振り、それから頷いた。肯定だか否定だかもはっきりしない。だが、もう逃げようとはしない。


(……どうすればいいんだろう?)


 そう一人で考え込んだのはほんの数秒だった。


「どうすればいい?」


 梨太は尋ねた。

 鮫島の心の内は、鮫島自身に聞くのが一番だ。


「話したくないなら、話したくないと言って。でも僕にどうしてほしいのかはちゃんと教えてよ。大抵のことはしてあげるつもりだし……。……もしも、婚約解消したい、なら」


 鮫島は、これまでにない速度でブンブン首を振った。


「ちがう! ずっとそう言ってる、本当に嫌いになったとかじゃないんだ」


 そう弁明して、また沈黙してしまった。


 彼はそのまま、何度か小さく息を吐き、紅潮をおさめていった。自身の体を抱くように、上半身を縮めている。森の木にもたれかかり、視線を遠くへ投げていた――言いあぐねているのか、それとも言葉が見つからないのだろうか。

 いずれにせよ、梨太は辛抱強く待つことにした。別れ話ではないならば、どんな言葉が来ても驚くに値しない。何でも来いと気を大きくする梨太。

 鮫島からの回答は、思っていたよりは、早かった。


「リタ。じゃんけんが、したい」

「……ほぇっ?」


 変な声が出た。鮫島は何故か急速に紅潮し、顔を隠してしゃがみ込んでしまった。自分も膝をついて覗き込む。耳まで赤くした彼の、肩を揺さぶって、


「なに、今じゃんけんしたいって言った? よね?」

「ちがう。じゃんけんじゃなくていい、けど……ほかのやり方はわからないから」

「まあなんでもいいけど、何を賭けて勝負するのさ」

「いや賭けは――賭けたほうがいいのか? そういうものなのか?」

「だああっもう、わからん! いったい何の話だ!?」

「待ってくれ、時間が欲しい。どうすればいいのかわからないのは俺の方なんだ」

「訳が分からないよ鮫島くん!」


 叫びながら、なんとなくノリで抱きついてみる。ぎゅうと胸に抱きしめると、彼は甲高い声を上げた。「きゃあ」という、少女のような悲鳴だった。


「こういうことをしてはだめ!」


 リタを突き飛ばすなり、早口で叱りつけてくる。全身が真っ赤に染まっていた。

 山のように疑問符を浮かべ、惚ける梨太をうるんだ瞳でにらみつけ、彼はその場でぴょんぴょん跳ねた。感情が処理しきれず、体が動いてしまっている。

 そして彼は走り出した。


「あっ」


 という間に、森を突き抜けて行ってしまう。梨太もあわてて立ち上がり、全力疾走で追いかけた。それで追いつけるわけがない、相手は誉あるラトキア騎士団長である。あっという間に見失う。

 それでも梨太は迷わなかった。鮫島を追い、木々の合間を縫い、腐葉土を踏み切って――


 ふにゃり、足元に違和感。



「ん? え――えぁああああっ!」



 瞬間、梨太の体は急速に空中へ持ち上げられた。身長よりもはるかに高く、大木の中ほどまで視界が上がる。

 うまく体が動かない。ぶらりぶらりと遠心力に翻弄されて、目を回しながらも理解したのは、自分が、網にかかったということだった。

 罠だ。積み重なった落ち葉の下、ヒトが踏むと作動する、網の罠が敷かれていたらしい。

 なるほど貴族の家の庭園ならば、なにかしら防犯設備があって当然だ。

 ネズミ捕りに気持ちよく引っかかって、梨太は地上五メートル、木の枝にぶら下がって揺られていた。


「……さーめじまくーん……タスケテーェ」


 なんとなく最低のテンションで、妻を呼ぶ。

 しかし、誰もいない。


 耳のすぐそばで、木の葉が音。遠くで鳥の声。

 それ以外に何の反応もない森に向かって、梨太は大きくため息をついた。


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