豆の国の試練③
(……た、大変なことになった……)
鈴虫の屋敷、応接室にて。
梨太はひとり、ふかふかのソファに身を沈め頭痛を抑えて呻いていた。
コツコツ、ノックの音。かけ声とともに豪奢な扉が開かれて、屋敷のメイドが入ってきた。手には磨かれたシルバートレイ。梨太の前までやってきて、テーブルの上に、トレイから取り出し移し置く。
「こちら奥様の手料理、牛の辛子葉蒸しフルーツソース仕立てでございます」
上品な白い皿の上に、真っ黒い固まりが乗っていた。もともとは鮮やかな色彩であっただろう、肉も野菜もソースまでもが墨色である。
「あ……ありがとう。イタダキマス……」
梨太はとりあえず、ナイフとフォークを差し入れた。ナイフを引いてみる。ベキリと硬質な手応えは一瞬だった。炭化した皮の内側は柔らかく、卑猥なほどに赤い。吹き出した鮮血が皿に垂れ、黒いソースは赤黒いなにかに色味を変えた。
鉄錆を摩擦したようなにおい。
梨太は嘆息し、フォークを置いた。
「……すみません、見ただけでもう、食べられないのがわかるので、このまま下げてもらえますか……」
「かしこまりました」
メイドは静かに一礼し、愛妻の手料理を前に涙する、リタの視界から消えていった。
平らになったテーブルに向かって、大きく嘆息。
じきに、コツコツとノックの音。
「失礼いたします。こちら奥様の次なる手料理、双頭エビのフリッター温サラダでございます」
「あの……やっぱり、レシピを教えてあげるか、せめてもうちょっとこう、難易度の低そうなものを作らせるわけにはいかないでしょうか」
メイドはにっこり笑った。
「それでは試験になりませんので」
「ですよねー……」
「レストランの就職試験ではありません。夫のリタ様が完食できればいいわけですから、リタ様が愛の力でカバーすればよろしいかと」
「……そうしたいのは山々なんです……」
呟いて、梨太はとりあえずフォークを手に取った。そこでふと手が止まる。
「あの……これ、どこからどこまでが食べられる部分でしょうか」
梨太の問いに、メイドはきっちり九十度、首を傾げる。指先をそろえた右手で、縦横無尽にひろがった物体を適当に指し、
「このへん?」
ひどく雑なことをいう。梨太は頭を抱えて、皿を下げるように言いつけた。
鈴虫から言い渡された試験――それは星帝リタに向けられたものではなく、鮫島が妻としてふさわしいかの試験であった。その時点で何となく予感していた。
「嫁入り修行十番勝負」
ラトキア星にきてまで、そんな時代錯誤な嫁いびりモドキをみるとは思わなかった。
これが本当の嫁いびり、試験官が己の親族であったならもちろん梨太は許さない。夫婦の問題だ、家事だって分担するから口を出すなと言い切って、鮫島をつれて実家をでるだろう。
だがこれはあくまで公式な試験なのだ。梨太が鮫島をかばうほど、鈴虫の心証は悪くなるばかりである。甘んじて受けるほかに道はない。
「レシピさえあれば、せめて食べられるものが出てくるんだろうけどなあ……」
呟き、口元に近づけた「モッサー魚のピラフ詰め塩釜蒸し」を、梨太は思いきって口に放り込んだ。腐った葡萄を海水で煮詰めたような味――梨太の顔色を見て、メイドは察して皿を下げていった。
嫁入り修行十番勝負、その難易度は決して高くはない。
要するに日常的な家事、一人で生活できる程度の技である。これまでの試験は、鮫島は簡単にクリアした。洗濯、掃除などは寮生活で一番最初に習うこと。繕い物も軍隊でかかせないスキルらしい。家具の修繕もお手の物。家計の管理は初級の算数であり、家庭医療に至っては、鈴虫の方が無試験スルーを提案した。前線に出る軍人が、それを出来ずして今生きているわけがない。
何だ、鮫島くんって家事万能じゃないか――そう、梨太がほほえんでいられたのはここまでである。
「他人が作り、出来上がった料理を試食だけで再現し、夫に完食させる」
この試験内容を聞いたとき、夫婦の顔色が変わった。
「そりゃ、主婦が外食先で新メニュー仕入れてくるってよく聞く話だけどさ。それはものすごくたくさんの経験があって、何をどうすればこの味になる、って、予想がつくからだ。食べるだけの人が、再現なんか出来る訳ないんだよ……」
そういう梨太も、このラトキアでは難しい。コレはアレにアレを足しこういう調理をして出来ている、と理解してこそ再現できるのだ。まったく未知の食材、調味料を使われていたら不可能。調理方法までが異文化ときたらお手上げである。
「ラトキア語の名詞全部覚えてるわけではないし……」
「ミスティポワポワのアンドレッシュゴアでございます」
「なんだそれ」
「ミスティのポワポワをアンドレッシュしたゴアでございます」
「ああ、はい、もういいです」
思わず突っ込み、梨太はまた大きく嘆息した。
本来なら、梨太は食べ物を粗末にするのが嫌いだ。たとえ完食できずとも、食べられるだけは食べようとするだろう。だが胃の容量にも限りがある。明らかに食べきれないものは、なるべく口に入れずに突き返していた。
それでも料理は途切れることなく出されてくる。どうやら蒸している間に次の料理にかかるなど、延々作り続けているらしい。梨太がこのテーブルについてから、もう三時間が経過していた。
「おなかすいたな……」
空腹は最大の調味料、とはいうものの、もう昼飯時を大きく回っている。このままでは夕食まで食べ逃しそうだが。
(これじゃジリ貧だ。一生、この屋敷から出られないぞ)
二口ほど食べたものを脇へよけ、梨太は立ち上がった。すかさず回収するメイドに向けて、
「調理場の様子を見てきてもいいですか。もちろん、手は出さないので」
「少々お待ちください。主に許可をとって参ります」
そういって、メイドは一度退室。すぐに戻り、梨太を厨房へと導いてくれた。
屋敷の大きさからすれば、厨房は小さく、家庭的なものだった。従業員まかない用のものかと思ったが、逆にこちらが主人の食事用らしい。考えてみれば当たり前で、主人は一人だが従業員はその何十倍もいるのである。従業員の食事は裏手の食堂で作られて、たまのパーティには、ほとんど取り寄せで用意をするらしい。
アットホームなキッチンルーム。そこに男の怒号が鳴り響いていた。
「バカ野郎、何度いわせる! それは調味料じゃなくて調理器具、急速冷却剤だ! 自分の夫を殺す気かっ!」
鈴虫の声である。そしてすかさず鮫島の声。
「知るか、初めて聞いた。さっき注意されたのは保冷剤の方だろう」
「同じようなものだ、見てわからんのか!?」
「わからん。どっちも白い粉だし、砂糖も塩も小麦粉もゼラチンも洗剤も殺鼠剤ぜんぶ白い粉だろうが」
「最低限、毒物は入れるなっ!! ただ不味いだけならまだしも、一撃必殺の劇薬をリタに食わすことは俺が許さんぞ!」
「だったらしっかり見張っていることだ。それはだめだと教えてくれたら俺だって入れたい理由はない。……これは?」
「錆おとしの研磨粉だ、ていうかそこの戸棚は開けるなーっ!」
「見目のよく似た劇薬と食材を同じ什器に保管するとは何事だ。そもそも、こんな誰でも入れるところに置くな。部屋を分け専用の倉庫で厳重に管理するべきじゃないか」
「真顔でド正論を見当違いの方向に吐くんじゃねえ、この軍隊脳が!!」
「……おじゃましまーす」
梨太が声をかけると、鮫島と鈴虫の顔が同時に振り返る。なぜか試験官のほうが泣きそうな顔をしていた。
「リタ! ああ可哀想に、腹が減っただろう。この唐変木が果てしなく毒物量産するものだから」
「毒とまではいかないだろう、結果的に」
「匙で掬うとこまでいっただろ!?」
梨太は顔面を両手で覆い、深々と嘆息した。




