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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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老兵の死に場所

 梨太がその部屋に飛び込んだとき、まず目に入ったのは倒れた鮫島。そして床の血だった。細い飛沫がはねた程度、だが間違いなく鮮血だ。


「鮫島くん!」


 覆いかぶさるようにして、うかがう。すると彼は簡単に身を起こした。顎の血を適当にぬぐいながら、


「平気。ダメージは殺した。唇を切っただけ」


「さ、鮫島くん、これはっ――猪さんにやられたの?」


「うん。もうちょっとやるから退いていろ」


 梨太の体を押しのけ、鮫島は構えを取った。

 その正面には仁王立ちの大男――ラトキアの騎士、猪。壁際には蝶が張り付いている。

 梨太が睨むと、蝶は苦笑した。


「いや、止めようとはしたんだよ。おれが怪我をしない範囲で」


 全く、案の定の返事。できればもうちょっと頑張ってほしかったが仕方ない。梨太は諦めて、鮫島のほうへ視線を戻す。

 向かい合った彼らは互いにじりじりと前進し、距離を詰めていた。どうやら自分に有利な間合いを計っているらしい。戦闘にはド素人の梨太には、どちらが強いかはわからなかった。

 体格を考えると、猪の圧勝。だが鮫島は惑星最強と呼ばれるだけの、技術がある。

 間違いないのは二人ともが騎士団有数の戦闘派であり、その実力は拮抗しているということ。本気で戦えば、お互い無事では済まないということ。


「ねえ、これなんの勝負!? なんでこうなったんだよ。騎士同士で決闘なんてやめて――」


 梨太の言葉が終わるより早く。雄叫びも上げず、猪が突進してきた。巨大な拳が振り下ろされる。鮫島はその場を動かず、ただ手のひらをかざすだけで、猪の拳を流していった。パンチの軌道をあらぬ方向から押すことで逸らし、空振りさせている。

 猪の攻撃は重く、思いのほか速い。しかし梨太の目から見ても単調だった。もちろん、対戦してかわせるとは思えないが、遠目にならば視認できる。

 対して鮫島の腕は何倍も速く、猪の攻撃を簡単にいなしていた。

 巨大な拳はぶんぶんと空気ばかりを薙ぐ。


「これじゃ終わらないぞ猪」


 かわしながら、鮫島。


「お前の頑丈さに、俺の攻撃が通らないのは分かった。だがお前の拳も当らない。体力切れを待つのも面倒だ。降参しないか?」


 猪は応えず、愚直にパンチを繰り出す――いや、その手が、開いている。梨太は叫んだ。


「――掴まる!」


 鮫島の胸ぐらを掴み、猪は力任せに持ち上げた。鮫島も並みより大きな男だ。だが猪に比べれば手弱女である。簡単に両足が浮き、床へ押し倒される――

 と。空中で、鮫島は身を翻した。逃げるどころかその反対に、両手両足で猪の腕にしがみつく。


 猪の腕にぶら下がる形。人間ひとりの体重を受け、猪は呻いた。


「ぬぅっ!?」


 鮫島はそのまま、複雑な動きをした。足の位置を変え、目の前の手首を掴み、全身をねじろうとして――そして。

 ぴたりと動きを止めた。


 見逃す猪ではない。腕ごと鮫島を振り回し、壁に叩きつけようとする。直前で鮫島は退避。そして二人は再び距離を取る。


 猪は目を細めた。


「……今のは、俺の手首を折るか、腕の腱を壊すことができたのでは?」


 鮫島は無言。答えるまでもないことだ。


「この勝負、団長の不利だ」


 いつのまにそばに来たのか、蝶が梨太に耳打ちする。


「団長は見ての通り、さほど腕力があるわけじゃない。けど体の使い方がめちゃくちゃ上手いんだ。自分自身のはもちろん、相手の身体も――急所を的確に突き、人の体を壊すのが上手い。それが団長の強さなんだ」


「……『指先一つでお前はもう死んでいる』?」


「なにそれ」


 ラトキアの男に地球の常識は通じない。

 それでも蝶の言うことは理解できた。

 鮫島の戦闘は、殺人拳である。何度か彼の闘いを見てきたなかで梨太はそれを実感していた。

 ゆえに、この勝負は鮫島が不利だ。

 悪人退治とは勝手が違う。傷つけずに屈服させるには絶大な力の差が要る。貧弱な男子高校生ならばともかく、剛腕の騎士を相手に出来るかどうか。


「――蝶さん、麻酔刀は持ってないの?」


 一縷の望みを託して尋ねる。あれこそが鮫島の鞘、むやみに人を傷つけないための活人剣だ。

 蝶は首を振った。


「あれは兵器だ。任務外で持ち出せないんだよ」


「うーんどうしよう」


 呟いたのは、鮫島だった。


「加減して殴っても効かないし。骨や筋を狙えば再起不能にしてしまうし。実際めんどくさいなお前」


「加減は無用。壊しにこればよい」 


「本末転倒だ。俺はこの勝負を、騎士団の戦力保持のために受けたんだぞ」


「考えが甘い。俺は今――貴様の敵でしかない」


 静かな声にどす黒い殺気。あてられたのか、扉口にいたツバメが悲鳴を上げた。


「リタ君、奥様を連れて出ろ!」


 蝶が叫び、二人を部屋から押し出す。梨太は彼の背を叩き抵抗した。


「だって鮫島くんがっ」

「大丈夫、最終的には団長が勝つよ。加減するのをやめればいいだけなんだから」


 その肩の向こうで、鮫島が蹴りを放つのが見えた。


「ああ、やめて! だめ!」


 ツバメが悲鳴をあげ、立ちふさがる蝶の背を激しく叩いた。彼は優しく穏やかに、いつもの飄々とした笑みで彼女に言い聞かせる。


「大丈夫ですって。猪は団長を慕ってる。ちょっとした意見の食い違いで、本気の喧嘩なんて」


 その横顔に銀の一閃。猪が牽制にはなったらしい、細いナイフが壁に扉に突き立つ。頬から一筋の血をたらし、蝶は遅れてウワアと喚いた。


「猪、ばかやろ刃物はやめろよー!」


「獲物を持たねば勝てぬ」


「お互いにな」


 こともなげに言う猪に鮫島が賛同する。そして彼は、部屋壁にかかった剣を取った。交差して飾られたもの、二本ともを引きはがし、ポイと一本投げてよこす。

 猪が受け取り、にやりと笑った。


「さすが団長殿。話が分かる」


「鮫島くん!」


「心配するなリタ、鞘から抜かない」


 木刀代わりにするらしい、鞘ごと構えて、鮫島。たいして猪の方は鞘を取った。


「こちらは容赦をせぬぞ」


 白刃を向けられても、鮫島は表情を変えない。あくまでも鞘をつけたまま、彼は静かに猪に向き合う。

 武器を持った鮫島は、素手の時よりはるかに安定して見えた。彼には圧倒的な勝算がある。鮫島は驕らない。おそらく、彼の自信は正しい。

 猪の刃は鮫島に届かず、鮫島は無事に勝利をするだろう。


「やめて!」


 ツバメが叫ぶ。物静かな淑女は蒼白になり、蝶を叩き、梨太に縋った。


「止めて、やめさせて頂戴!」


 鮫島が駆けた。上段から振りかぶり、当てるだけの剣戟。白刃と一瞬だけ触れ合って、すぐに中段へ軌道を変えた。横なぎの鞘が、猪の脇腹を打つ。

 これが剣技(スポーツ)ならば勝負あり。だが鮫島は気勢を乗せきっていない。猪に痛みは与えても、骨を砕くには至らない。

 猪は奥歯を噛み、白刃を(はし)らせた。鮫島は剣の腹を叩き、何の支障もなく圧しのける。

 そして隙を見て一閃。木製の鞘がまた猪を打つ。


「ぐうっ!――」


 痛みに身をよじっても、大男は倒れない。構わず、もう一撃。先ほどよりも強く打ち込んでいた。

 騎士団の軍服は、薄手に見えて鎧のような防御力があると聞いたことがある。それがどれほどのものか、梨太は知らないが、実際大したダメージになっていない。あるいは猪自身が頑丈なだけかもしれないが。

 ダメージ量を見て、鮫島は少しずつ、剣速を上げていく。やがては梨太が見て取れないほどに速く。

 猪の攻撃は当たらない。 

 この攻防を、梨太はかつて見たことがあった。

 八年前の決戦、彼は同じように金属塊を振り回していた巨漢をいなしていた。たとえ武器があっても、鮫島には通じないのだ。

 惑星最強の男――英雄――騎士団長はやはり誰よりも強い。勝てない。勝てない勝負を――軍人が挑んだ?


 梨太は眉をしかめた。ずっと付きまとっていた違和感がそれだ。猪は(テロリスト)ではない。軍人だ。十五年もの間、ずっと鮫島を見てきた生粋の騎士――


「やめさせて!」


 叫ぶツバメ。蝶は優しく、彼女に言い聞かせる。先ほどと同じことを、もう一度。 

「大丈夫。猪が団長を殺すわけがないよ。猪は騎士団でもいっとう団長の支持者(シンパサイザー)なんだから」


 梨太は目を見開いた。


 シンパサイザー。支持者。同調者。崇拝、信奉――


 鞘の付いた剣が、猪の腹を叩く。完全に気勢が乗り切り、視認できない速さになったそれを、猪は掴んだ。

 鮫島の勢いは止まらない。鞘を掴まれたまま引く。白刃が現われる。


 ツバメの声が重なる。


「やめて鮫、殺さないで――!」


 蝶がギョッと強張る。梨太は彼を押しのけ駆け出した。鮫島に向かって飛び掛かる、だが圧倒的に出遅れた。今更間に合わない。リズムに乗った鮫島の剣は、そのまま猪の脇腹へと――


 猪が笑った。

 腹を薙ぐ、己の神の白刃を受け入れて、彼はとても嬉しそうに笑っていた。


「猪!」


 倒れた同僚に蝶が駆け寄る。ツバメはその場で泣き崩れた。床に突っ伏し、騎士団長の母親は嘆いていた。彼女は初めからわかっていたのだ。息子が決して負けないことを。


 小さく息を吐く鮫島を、蝶は鋭く睨みつけた。


「なんで殺した!」


「やめて蝶さん。鮫島くんは悪くない……」


「そりゃ最初に抜いたのは猪だけど、団長なら鞘つきのままでも勝てたはずだ!」


 梨太は首を振った。違う。確かに梨太は見たのだ。猪が自ら鮫島の鞘を掴み、剣を抜かせたのを。猪のそばに膝を付き、梨太は呟く。


「……猪さんは、狂信者(シンパサイザー)だった。ただ鮫島くんのために死にたかっただけなんだよ」


「はあ!?」


「蝶さんが職場で上司を慕うのとは全然違うものだったんだ。……犬居さんのものとも。だからきっと、この騒動も、決闘も……」


 鮫島は無言で、梨太の言葉を聞き、状況を見て、首をかしげる。いつもと同じ無表情で、穏やかな声で呟いた。


「ふうん? なんだそれ」


 そうして彼はまず、扉口の母親へ歩み寄った。ぽんと頭を叩く、それだけで戻ってくると、蝶、梨太の順でまた頭に手を乗せる。大きくて温かく、優しい手で梨太の髪を掻き混ぜると、こともなげに呟いた。


「殺してない。飾り剣だ。刃は潰してある」


「えっ!?」


 三人の叫び声が重なった。確かに、鮫島の剣に血の跡がない。慌てて猪をひっくり返すと、その腹部に傷も出血もなく、ただ腹を抑えて呻いているだけだった。


「といっても剣の形をした金属塊だ。骨折はもちろん、内臓も潰せる凶器だぞ。一応そういった場所は外して、そのぶん激烈に痛いところを狙ったけど、医者には見せたほうがいい。なにせ激烈に痛いから」


「い、医者っ! 医者呼んでくる!」


 蝶が立ち上がり走り去る。ツバメは放心し、腰を抜かしていた。

 梨太は仰向けになった猪を抱き寄せ、素人目で診察をして見た。脂汗にまみれ言葉も出せず悶絶している、が、意識ははっきりしている。命に別状はなさそうだ。ホウと息を付き、ハンカチで汗を拭いてやる。鮫島が呻いた。


「……いいな、ひざまくら」


「んなもん君も悶絶してればやってあげるよっ! 鮫島くん、この痛みを和らげたりはできないの? 目が見えるようになるツボとかあるんじゃない」


「何の話だ? 俺は魔法使いじゃない、壊したものを治すことはできない」


 それでも、彼は剣を納めると猪の元へ跪いた。顔を覗き込み、上下する胸へ手を当てる。


「……大丈夫か、猪」


 主の問いに、彼はわずかに目を開く。透き通った水色の目が、鮫島の姿を探して漂った。


「……団、長……殿――」


 梨太は猪と親しくはなく、はるか長身である彼の目を、至近距離で見つめたことはない。初めての機に、梨太は血の気を引かせた。

 猪の瞳は、鮫島を見つめながらも、彼をヒトと見ていなかった。彼の艶やかな黒髪も、整った顔立ちも、魅力的な瞳も、しなやかな肉体も、何も見ない。


 ただ鮫島という存在を、茫洋と見つめていた。


「……どうか……自分の主であってください……それがかなわぬならば、どうかあなたの手で殺してください」


「……何故? 俺にはお前の望みがわからない」


「理由は、もう話した。嘘などつかぬ。……無駄死には御免……あなたの居ない騎士団に、なんの価値がありましょうや……」


 言葉を吐き出すと、猪は静かに目を閉じた。


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