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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第三部 さよなら鮫島くん

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131/252

二十四歳、十六歳。①

 不合格。


 それを聞かされたとき、さすがの梨太も肩を落とした。


 目標のため、努力を重ねたこの五年間。それがすべて無駄に終わったのだ。ダメージはとてつもなく大きかった。 


「電話があったんだよ、さっきね」


 口ひげを撫でながら、壮年の男はモゴモゴとつぶやくようにそう話す。

 無言のままの梨太に、返事を待つこともなく続けた。


「……残念ながら落選だと。いや、ほんとに残念だよ。だけど仕方がない。宇宙飛行士候補生は、優秀であればなれるわけではないからね。君は秀才であるが天才ではない。上には上がいる。世界のライバルたちに、君は負けた、ただそれだけの話――」


 男の長台詞を、梨太は遮った。


「通知は合否に関わらず封書で来るはずですが?」


 男は言葉を飲みこんだ。館長――芝港海洋生物研究所の施設責任者であり、梨太の母校大学の教授でもある。彼はしばらく身を震わせて、そしてまた、モソモソと聞き取りにくい声音で続けた。


「……その、落選通知を先に電話で伝えて、それから封書を出すと言うことだ。エアメールだから、そうだな、数日はかかるだろう。それまでに、応募者に気を持たせるのは残酷だからという配慮だろうな」


「……なるほど」


「封書が届いたら君の部屋に届けよう。気を落とすことはないよ栗林博士。君は天才ではない――だが、間違いなく優秀だ。世界に名をとどろかす、とはいかないだろうが、私の助教授くらいならじきに掛け合ってやる。君ならばもっと上にも行ける。ああ、高給取りになりたいなら一般企業のほうがいいかもしれないな」


 続く、館長の言葉を無視して、梨太はポケットから携帯電話を取り出した。館長の方へ向け、操作する。

 スピーカーから会話が放たれる。英語であるが、一人は梨太の声だった。



「――先にメールで、二十二日中に書留が届くと伺いましたが、今日にもまだ届いていません。なにか手違いはありませんか?」


「クリバヤシさん? いいえ、確かに送っておりますよ。芝港海洋研究所水族館館長、イシハラ様に宛てて、受け取りサインも頂戴しています。間違いありません」


「そうですか……では、こっちで伝達ミスがあったようです。お手数おかけしました。――あの、合否を、この電話で聞くことは可能ですか?」


「本人確認がとれれば大丈夫です。応募シートのナンバーをどうぞ」


 再生された会話はすこし間を空けて、やがて、女性の声が端的に続けた。


「クリバヤシ・リタさん、書類審査は合格です。おめでとう。以降、二次審査について詳しいことは封書の方に案内がありますので――」



 梨太は再生を停止した。


 館長は、なにか憑き物が落ちたような顔をしていた。梨太は静かに追及した。


「……出張中の僕に代わって、通知の受け取りをしてやろうと言ってくれたのはあなたでしたね。どうしてこんなことを? あなたは僕の夢を応援してくれていると思ってた」


 館長は答えない。梨太は質問を変えた。


「封書は?」


「……燃やした。不合格通知なら私のタブレットにある。書き掛けだがね」


 梨太は嘆息した。


「わかりました。機関には事情を話して、自宅のほうへ再送してもらうようにかけあってみます。お世話になりました」


 一礼して背を向ける。館長がはじかれたように叫んだ。


「待ちなさい!」


「あなたを尊敬していました」


「待てというに、いけない、君はその合格通知を受け取ってはいけないんだ!」


 梨太は足を止めた。


「……なんですって?」


「書類審査を通っても、どうせこの先で君は夢に破れる。無駄に期待するだけ哀れだ。君が哀れだ。あまりにも……!」


「なんですか? やってみないとわからないでしょう? 僕は飛びぬけて優秀じゃないけど、特別見劣りするわけじゃない――」


「君には無理だ、栗林博士」


 館長は強く断言した。思わず息をのむ梨太。

 続く、館長の言葉はそれよりもずっと小さな声だった。


「栗林梨太ならば、最終選考にまでいける可能性はあるだろう。だけど君はそうじゃない。そうじゃないだろう? ――北見信吾くん」


 目を見開き、全身を硬直させる。下半身の力が抜けた。よろめいて、壁に手を突いてこらえる。

 うつむいたまま、梨太は乾いた笑いをこぼした。


「……また、その名前か……」


「最終選考は、能力だけで審査されるのではない。職場の評価、人柄、性質、経歴――そういった本質的なものも審査の対象となる。両親が凶悪犯罪者。本人もその共犯、あるいは主犯の容疑がかかったこともある。その機に一時失踪をして、補導歴もあるな」


「冤罪です。実際すぐに解放された」


「だが日本国民はそれを信じていない」


「…………」


「……研究職ならば、よかったんだ。結果が出てから、名前が知られる。たとえ名前が大々的に報じられるような結果を出しても、実績は嘘をつかない。だが、宇宙飛行士までは、だめだ。かかる経費が莫大で、何人もの命を預かることになる。危険因子はなるべく排除されるだろう。君のその疵は致命的だ」


「……でも……二次審査までは、僕の実力をちゃんと見てくれる。そうすれば、伝わるはずだ」


 館長は首を振った。


「君は優秀だよ、栗林博士。だが世界一ではない。私が審査員ならば、疵の付いた玉よりも、完璧な石を選ぶだろう。ほかに完璧な玉があればなおのこと」


 梨太はのどを鳴らして歯噛みした。

 館長は背を向けた。彼の口調にもまた、苦いものが混じる。


「宇宙飛行士は、だめだよ栗林博士。華々しすぎる……君が北見信吾であることはすぐ、世に知れる。また石を投げられる暮らしに戻りたいのか?」


 梨太は壁に、拳を打ち付けた。ドスンと音を立て、部屋全体が振動する。奥歯がきしむほどに噛みしめる。そうして、梨太は低い声で吐き出した。


「構うもんか!」


 どんっ――さらに強く、壁が揺れる。


「どうでもいいよ。僕のことを、そうか犯罪者だったのかと思うやつなんかどうでもいい。本当に大事な人たちには、僕を信じてもらえるように生きてきた。僕はもう逃げない。そのための、努力は十分にやってきたはずだっ――!」


「……そういう問題じゃないんだよ、栗林博士」


 館長は言った。


「事故は起こる。それこそ誰のせいでもない事故だ。しかしもしそこに、疑わしい人物がいれば、そいつのせいではないかと疑われる。そしてそれを招き入れた人間が、有事には責任を追及されるだろう」


 歯噛みする梨太に、館長は背を向けた。大学時代から、ずっと慕ってきた教授である。彼にしても、梨太は可愛い教え子であった。

 死の宣告は、気持ちが悪いほど優しい声だった。


「……夢は諦めなさい。私は君を信用している。一介の研究者として生きるなら、娘を嫁にやってもいいくらいにね」


「要りませんよ」


 即答する。館長は苦笑して見せた。


「ものの例えだよ。君に想い人がいるのは、日々の言動でみんなわかっている。……婚約もしているんだろう? なら、その人を大事にしなさい。それが君の幸福のはずだ」


 梨太はいよいよ、館長を強く睨みつけた。これまでで一番低い声で吐き捨てる。


「……必要なんだ。宇宙船ふねが。この人に会うためには、必要不可欠だった」


 梨太は一礼し、無言のまま館長室をでていった。



 

 真冬の海辺。

 凍りつくほど冷たい潮風が、梨太の前髪をなぶって過ぎていく。しばみなと水族館と併設された研究所は、いつも潮のにおいで満ちている。嗅ぎ慣れた空気を目いっぱい吸い込み、すべて吐き出し、また吸い込んで――

 そして、梨太は走り出した。

 スニーカーでしっかりと地面を蹴っていく。それでも体幹がぶれることはない。

 二十四歳。もう、少年ではなくなった。

 外見としては、それほど変わったわけではない。

 平均並の背丈に、骨が細く細身のシルエット。クセのある栗色の髪、丸みのある琥珀色の瞳。

 ほんの少し上を向いた小さな鼻に、ぷくんと丸い唇。


 そんな幼さの残る面差しでも、走る背中はしっかりと逞しい。


 どこに向かうわけではなかった。五年間、一日も欠かさず続けたロードワークである。

 梨太はもともと運動が好きではない。五年前までは、スポーツ観戦すらろくにしていなかったのだ。それでも目的があったから続けられた。

 しかしすべてが無駄になったのだと理解したとき――彼は、その足を止めた。



 私立霞ヶ丘高校。そんな名前の男子校に、梨太が入学したのが九年前。

 卒業し、この町からも離れたのが六年前。

 彼に出会ったのは、ちょうどその真ん中くらいのことだった。


 高校二年生、十六歳の秋――。


 その出会いよりも少し前に、梨太は彼の名を知っていた。五月に入ってすぐの頃。転校生の紹介として、校内テレビ放送が行われたのだ。私立高校に転校生とは珍しい。


「鮫島くん。――ということで、えー、全校生徒のみなさんに向けて自己紹介をお願いしますっ」


 安っぽいサウンド。バラエティー番組を気取っているらしい。梨太は教室で、友人と弁当を食べていた。梨太はただ音を聞き流していただけだったが、友人が声を上げた。


「うわ。すっげ美形」


 梨太は顔を上げた。


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