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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第二部 鮫島くんとあそぼ

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騎士たちの戦い

 冷たい泥の感触は、背中だけでなく、体中にまとわりついていた。粘り気のある床が梨太を優しく包んでいる。

 ……墓の中、だろうか。梨太はそう夢想した。


 そのまどろみを、鋭利な男の怒号が劈く。


「リタ! ――リタ!!」


 まだ若い男の声。叫びと同時に、なにか肌にあたる感触。


「リタ! 起きろ!」


 脳が揺れる。どうやら揺さぶられているらしい。それを理解した直後、やってきたのは足元への激痛。そして、頬を打たれる感触。


「リタ!」


 バシンと結構な強さでビンタが飛んだ。一度は開きかけた目を反射的に閉じてから、梨太は目を見開いた。琥珀色の瞳で己を殴り続けた男を視認し、反射的に拳を突きだす。


「いてえよ!」


 男子、渾身のカウンターパンチは、不意打ちの至近距離でありながらあっさりと躱された。返す刀でもう一発、華奢な拳を空中で受け止めて、騎士はとがった犬歯を剥きにやりと笑った。


「おし、元気だな。目は見えるか。俺は分かるな?」

「……虎ちゃん?」


 にっこり笑う虎。


「間に合ってよかった。……怪我がなく、とはいかなかったけど」


 そう言われて改めて、足首に強い痛みを感じる。夏用のズボンが、ふくらはぎから下がズタズタだった。裂かれて繊維の散らかった布地に、血と泥と、なにか異様な粘液が張り付いている。スニーカーが右足だけない。

 裂傷は、獣の牙によってできたもの。そして粘液はバルゴの唾液。


 梨太はまだもうろうとする意識をなんとか平常へと近づける。


 五分程度、気を失っていたらしい。足元の傷だけでなく、生々しい打ち身の痛みもあった。


 闇のなか、獣の気配がする。その数二十か、それ以上。すべてが中型犬以上のシルエットで、小熊を彷彿とさせる大型サイズも見て取れる。

 鴉の濡羽のような艶やかな体毛に、犬というには少しいびつな体躯。異星の生物、バルゴ。


 獣たちにぐるりと取り囲まれて、虎と梨太は地面に膝を付いていた。五メートル程度先に、緑の髪をしたラトキア騎士、蝶がいる。

 少し離れて、猪。各々、武器を掲げて対峙していた。


 梨太は視線を巡らせる。自分はちょうど、空き地の真ん中くらいにいるらしい。遠くにバルゴの巣穴が見える。

 つい先ほど、自分はその穴に落とされたはずだった。犬居の麻酔刀を食らい昏倒し、急な下り坂であるバルゴの巣穴を足元から滑り落ちて行った。


 ……それを、虎によってすかさず救い出された、のだろう、おそらく。


 ちょうど、釣り餌に食いついた魚のように、巣穴にいたバルゴのファミリーは一斉に地上に現れた。

 飢えた獣に取り囲まれて、三人の騎士が、梨太を守ってそこにいる。


「……犬居さんは?」


 問いながら、自分で探す。――いた。空き地のほぼ出口、道路のわきに、赤い髪の青年が佇んでいる。梨太を中心に、輪となったバルゴの外側にいた。

 片手には、梨太を打ったあの麻酔刀。その視線の先には、猪。彼らはそれぞれ強い敵意をもって、直線で対峙していたのだ。


 犬居は、意識を取り戻した梨太のほうに視線もやらなかった。騎士団の古株、随一の大男の持つ手斧に身を強張らせている。


「なぜだ、犬居」


 猪が言った。


「騎士の仕事で訪れた星で、現地の民間人に傷をつけたら処罰を受ける。……それも、いまお前がやったことは、暴力行為でも済まされん。……殺人未遂だ」


 虎に半身をもたれさせたまま、梨太は眉をしかめた。


「……騎士号は剥奪。懲役刑も覚悟のうえか」

「――別に。覚悟ってほどのもんもなかったけど」


 犬居はそう言って、後ろ頭を掻いた。


「正直なところ、カッとなってやっちゃいましたってやつだよ。前から虎視眈々と計画していたわけじゃない。目的もない。あのクソガキが前から嫌いで、さっきの瞬間、本気でムカついたから手が出た。それだけだ」


 それは弁解のようでもあったが、猪は首を振った。


「……ならば黙れ。なぜわざわざ罪を重くすることを言う」


 そうだ、ラトキアの法律では、殺人の動機が感情的であるほど重罪になる。

 犬居は肩をすくめた。


「もしかして、俺をかばう気か、猪。そういう甘ったるいことはこの獣どもの包囲から逃れてから離し合おうぜ」


 顎をしゃくる。その犬居には、バルゴは興味をもたないようだった。梨太と虎、離れたところの蝶と猪をぐるりと取り囲み、全員がこちらを向いている。


 どうやら梨太を救い出すために、すでに一戦やらかしたらしい。バルゴ達は、三人の騎士を敵とみなし、梨太という獲物を返せとうなりを上げている。


 梨太が自力で立ち上がると、虎は腰帯から武器を引き抜いた。対となった二本のダガー。あくまでも梨太を庇いながら、彼もまた獣たちを睨みつける。


 緑の髪の騎士が、背丈ほどもある長刀を。

 巨体の男が、手斧を。

 それぞれ構えて腰を落とした。


 戦いが始まる。


 梨太はとりあえず、その矛先が、犬居に向けられていないことに安堵した。

 

 月のない、温い夜だった。


 オウ、と、獣が高くなく。その声を合図に、三頭のバルゴが大地を蹴る。それぞれ近くにいた三人の騎士に向け飛び掛かる。

 蝶と猪はわずかに身をかわし、直線的に突っ込むバルゴの横から武器を振るった。重い刃が、バルゴの首を一撃ではねとばす。

 虎の武器はリーチが短い。とはいえ、梨太との距離が近すぎる。飛び掛かってきた一頭を爪先で蹴り上げて、宙に浮いたところを真横に薙いだ。

 垂直に落下する獣の骸。その陰からもう一頭、口蓋を開いて飛び込んできた。


「うおっ!?」


 ダガーの斬撃が間に合わない。反射的に顔面を庇った右腕に、バルゴの牙が突き立つ。

 子供ほどの体重がある獣は、突き立てた牙を軸にして、己の全身を使って肉を引きはがそうとのけぞった。前足よりも長い後ろ足が、虎の痩せた胸を蹴り飛ばす。


 ブチッと肉の裂ける音。


「ぎっ――!」

「虎ちゃん!」


 虎は慌てて引き抜いたりなどしなかった。冷静な動きで、バルゴの喉に刃を差し込む。絶命してもなおぶらさがる獣。梨太はすぐさま虎の腕に飛びついた。バルゴ、顎を開き、牙を慎重に抜き取る。

 その作業は数秒とかからず、しかしまた新たな牙が向かってくる。時間差の追撃。


 ――これは、バルゴの連携なのだ。彼らは群れで狩りをするのだと、梨太は初めて理解した。


「ぐぅっ!」


 遠く、蝶の悲鳴が聞こえる。助けにいく余裕はないが、梨太は声を張り上げた。


「喉だけは庇って、それから、地面に倒されないようにして! こいつらは足や腕にかみついて、自分の体重の遠心力で転ばせて、喉笛を噛み砕く戦術なんだ。

 足、腕、それから顔面、このパターンで襲ってくるから、リズムに乗らせないようにっ――うわぁっ!」


 叫ぶセリフが悲鳴に変わる。

 梨太に向かって飛び掛かってきた一頭を、虎が拳で殴り飛ばした。


 

 惑星ラトキアを代表する、ほまれある軍人、ラトキア騎士団。鮫島以外の騎士の戦いを、梨太は今回はじめてちゃんと見た。


 強い。全員、攻守ともに素早く強い。ほとんど一撃必殺で、着実にバルゴの急所を仕留めている。

 だがこの獣もまた強かった。たかが犬モドキと侮ってはならない、強靭な身体をもつ野生の獣。

 梨太よりも軽い体重、そのすべてが筋肉といっても過言ではない。突進は弾丸のごとく、梨太が目視できないほどに迅い。体当たりで猪がよろめく。


「イノさ――」

「よそ見すんな!」


 耳元で、虎の怒号。梨太が振り返った眼前に獣の牙。寸前で、虎の拳が横からはじく。


「あ、ありがと、ごめん」 


 梨太はふと、虎が右手を使わずにいることに気が付いた。ダガーは地面に落ちている。

 右手、さきほど、バルゴに噛みつかれたところ。黒い軍服の裾から、指先に向かって血がしたたり落ちている。


 どうやら痛めたらしい。拳で殴ることは出来ているあたり、ひじ関節は無事のようだ。握力は、ダガーを握れなくなっている。

 ゆるく握った拳で、殴り飛ばされたバルゴが立ち上がる。


「……リタ、なんとか移動するぞ」


 虎が囁く。


「ここは位置が悪い。四方が敵だ。……まず、蝶のとこに合流して、それから猪のそばに。そこまで行けば、じきに空き地の外に出られる。

 バルゴの輪の一番フチまで近づいたら、俺がお前の盾になる。リタ、そこから一気に、家の中まで逃げ込むんだ。……そこに落ちてる、俺のダガーを持て。使いやすい武器じゃねえけど、無いよかいい」


「逃げるって――僕だけ? そんな、虎ちゃんも怪我を」


「傷は大したことねえ。だがどうも、唾液に変なバイキンだか、毒だか入ってるらしい。変な痺れが、どんどん広がってきてるんだ」


 梨太は息をのんだ。そういえば、自分も足の感覚が鈍い。バルゴの牙には麻痺毒がある。


「っつーわけで右手は使えないが、うまい具合に、俺は両利きでな」


「そういう問題じゃなくてっ」


「心配すんな。俺たちに、リタの危機を知らせたのは鯨将軍。いまくじらくんが、だんちょーを呼びに行ってる。英雄がもうじきやってくる。それまでの辛抱だ」


「……鮫島くんは、でも」


「おら、いくぜ。お前は邪魔なの。お前を庇いながら戦うのはキツいから、とっとと離脱してくれよ」


 ぶっきらぼうな虎の言葉。梨太は頷いた。


 突進のタイミングを見計らっているバルゴを警戒しつつ、騎士の短剣を拾い上げる。獣の血に濡れた刀身。

 同じ年であり、すこしだけ年若く見える虎は、十九歳の梨太と劇的な体格差があるわけではない。

 しかし彼が軽快に振り回していた小振りの短剣は、梨太の全身を飲みこんでしまいそうなほど、重く大きく感じられた。


「いくぜ。……しっかりついてこいよっ!」


 虎が咆吼をあげながら、左腕のダガーを振るう。


 駆け抜けるべきはたったの五メートル。そんな距離ですら獣は見逃してくれないらしい。一頭は仕留め、二頭は身を引いて蹴り上げて、少年二人は蝶のそばへとたどり着いた。

 長刀を赤く濡らした騎士は、いつもの柔和な表情のままだった。いや、これは、笑っているのではない。そういう顔立ちなのだと思いなおす。事実彼だって全く余裕などないのだから。

 背中合わせになって、虎が軽い口調で言う。


「景気はどうだい、蝶さんよ」


「低迷気味だね。ダメージは無いけど、どうも獣とおれの武器は相性が悪い。毛皮が妙に脂ギッシュでさ。切れ味がどんどん鈍ってきた」


「お前のなら、鈍器として使えるじゃん」


「あんな全身筋肉質の、獣の体に打撃が効くかっ。なんだか足が痺れてきたし」


「もしかしてチョット噛まれた?」


「え、なにそれやばいの。軸足なんですけど」


「まあがんばれ」


「まじか。がんばる」


 妙に余裕ぶった、軽口をたたく。気心の知れた戦士二人、戦場での会話に、梨太は和むことなどできはしない。


 言葉だけは軽妙な彼らの目線は、バルゴを鋭く睨みつけ、牽制していた。


 虎が囁く。


「蝶。とりま、リタを逃がす。そしたら俺は戻ってくるからよ。猪の旦那と三人、円陣を組もうぜ」

「了解」


 虎がバルゴを抑えていた間に、蝶は軍服で、長刀をぬぐった。赤い血は消えたが油膜のぬめりはまだ見て取れる。蝶は、口元をニヤリとゆがませる。いつも笑っているような顔の男は、真実微笑みを浮かべると、なにか凄絶なものを帯びるのだ。


「……団長が来るまで、時間稼ぎなら。なんとか生き延びてやろうじゃないの」



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