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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第二部 鮫島くんとあそぼ

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鮫島くんの思考混迷

本日二回目の投稿(何故だ)


うちの主人公はまだまだ全力。

 行き道と同じ列車に乗って、夏の暮れを帰路につく。


 平日朝夕は通学駅としてにぎわう霞ヶ丘駅は、夏休みには閑散としていた。時刻を見ると、夜六時をすこし回ったところである。朝までは、夕食は外でとるかと考えていたが、梨太はいま食事のことなどひとかけらも思いよらなかった。


 自宅へ帰りつき、はやく、二人きりになりたい。

 それだけが思考を占める。はやる気持ちがかつてないほど梨太を早足にさせていた。前を行くことの多かった鮫島が黙ってその後ろをついていく。それは、本来彼の快適な歩行速度であったはずだが――


「あっ」


 ちいさく悲鳴を上げて立ち止まる。梨太が正気に返り、振り向くと、鮫島が片方の靴を(つまず)かせてよろけていた。アスファルトに脱げた靴が転がっている。


「早かった? ごめん」


 違和感があった。鮫島の運動能力は人を越えたものすらある。少々整備不良の道路程度で、靴が脱げるほど躓くというのは異様なことだった。


 彼は落ちた靴を拾い足に戻したものの、困ったように眉根を寄せている。近づいた梨太もアッと声を上げた。


 靴が、大きい。踵との間に隙間があり、ワンサイズ以上の余裕があるようだ。鮫島の靴は履き込みが浅く、素足にフィットするように作られていた。ブーツやサンダルならともかく、これだけ大きいと歩きにくくて当然である。


 大きく嘆息する鮫島。両足から靴を取り、肩をすくめて掲げてみせる。

「……水族館に、サンダルが売っていた。あれを買っておけばよかったな」

「い、いつから?」

「さあ。昨日までは平気だった。今朝はすこし緩いような気がしたけど」

 事も無げにそういうと、靴を持ったまま裸足で歩き始める。これまで通りの早足だ。慌てて駆け寄る梨太。


「裸足は危ないよ。道路だもん、怪我するようなものが落ちてるかも」

「履けないものは仕方ない。どうせ脱げる」

「じゃあ、僕の靴を。トングサンダルだからたぶん履けるよっ」

「それでおまえが怪我をして良かったことになるのか? 俺なら平気だ。足裏の感覚を研ぎすませ、異物を感じた瞬間に静止する訓練をしている。屋内への潜伏で必要なスキルだからな」


「……そういうのやめてよ。今日はオフでしょ」

 梨太がつぶやくと、鮫島はぴたりと足を止めた。振り返る。


「やめる、とは? これが俺の自然だ。軍人だからな」

「……じゃあ、せめて形だけでも、ふつうの女の子みたいにしない?」

「軍人でなくても、お前の望む、ふつうの女の子とやらにはならない。俺はラトキア人なんだから」

「そういうことじゃなくてさあ……」

 梨太が唇をとがらせると、鮫島はふっと表情を緩めた。靴を持った手を体の前でそろえ、脱力する。小首を傾げて梨太へ向き直った。


「どうすればいい?」

 尋ねてくる。


「地球の、ふつうの女の子というのは。こういうときどうすればいい?」


 そう言われると困ってしまう。梨太はしばらく考えて、手を差し出した。

「店のほうが遠いし、タクシー呼ぶ距離でもないしね」

 理解できなかったらしい、鮫島がとりあえずその手に靴を乗せてくる。梨太は苦笑し、両靴を片手で持つと、もう片方の手で鮫島の手を握った。


 手をつないで、夜の道を、今度はゆっくりと歩いていく。

 歩きながら、鮫島はつながった手を見下ろした。

「……リタ。意味が分からない」

「意味なんてないよ別に」


 戸惑いが晴れきらない鮫島よりも、ほんのすこしだけ梨太の方が前を歩く。腕にかかる彼の手の重み。梨太はなんとなく、歩みを少し遅らせてみた。いまの鮫島に並ぶように合わせる。が、数歩もいくうちに、また自分が少し前を歩くようになっていた。


 強く手を握る。

 鮫島はずっと、黙って後ろを歩いていた。


「リタ……リタ」


 鮫島がささやく。

 梨太は無言で、その言葉を背中で聞いた。


「……無理だ。どうしたって無理だよ。

 俺は地球人じゃない。遠く離れたラトキアで暮らしていて、この地球には、次いつ来れるのかも分からない。二度とこれない可能性の方がずっと高い。

 ……永遠に会えなくても、心がつながっていればいい、なんて、言えたらまだいいかもしれない。けど、俺はまだ――いや、お前だって、そんなにも強く想ってはいないだろう」


「そうだね」

 梨太は正直に吐き捨てた。


「そんな風にまで想えるには、まだ時間が足りない。だから付き合ってくれって言ったんだ」

「……それで――そのあとどうなる? 俺はラトキア人だ。今、女のような姿をしているが、雄体優位の男で、それに軍人だ。休暇が明けたら男に戻るつもりでいる。……俺だって、仕事をして生きていかなくてはいけない」

「世の中には、ほかにも職業があるでしょ」

「無理だ。俺は戦うことしかできない」

「そんなことはないと思うけど。それこそ言葉が不自由な外国人だって、日本じゃたくさん働いてる。鮫島くんは頭もいいし器用だし、綺麗だし、やろうと思えばなんだってできるよ」

「それは、地球での話だ。ラトキアでは、女であるだけで働けない。正直に言う、俺は寡婦の暮らしは嫌だ。リタのために女になって、リタがいない暮らしを独りきり、なんの仕事もしないで生きるのは嫌だ――」


「だったら地球で暮らせばいいよ」

 梨太は告げた。


「騎士団長から降りて、騎士も辞めて、この地球で暮らせばいいんだ。僕の家においでよ」

「……。無理だ」

「まあね、正直、僕もいままだ学生だから、君を養うとか、ましてや騎士団長さまと同じ生活をさせてあげるとかホントに無理だけど。長い目で見てよ。自分で言うのもなんだけど、わりと将来有望株だから」

「……付き合っていくうちに、お互いどこかイヤになって、別れてしまう可能性もある。俺は、リタのいないこの町でどうすればいい」

「どんな別れ方しようとも、最低限のフォローは絶対にする。なんなら次の恋人を紹介したっていい。僕よりいい男なんていっぱいいるもの」

「……そんなのはいやだ……」

「仕事だって、えり好みしなければ不自由はないよ。この霞ヶ丘市は、イイトコだ。田舎だけども、景気は悪くない。気候や食事も、ラトキア人に合うって聞いたし、どうにだって生きていけるさ。努力は必要だろうけども、少なくとも、命がけで、血まみれになって、人と殺し合うよりもずっとラクに楽しい人生が送れる。それは絶対――」


 梨太は強く、鮫島の手を握った。彼は抵抗をしない。

「――だから、この町で、一緒に暮らそうよ」


 鮫島は、同じ強さで手を握りかえす。同じ速度で一緒に歩きながら、首を振った。

 唇からは否定の言葉だけが紡がれる。

 梨太はそのつど、それを否定した。

 

「……無理だ」

「本人の気持ち次第」

「無理だよ」

「なんとかなるし、なんとかしようよ」

「……駄目だ。嫌だ」

「ナニがどうなったらその気になる?」

「世界がひっくり返らないと無理」

「じゃあひっくり返そう、世界。僕に任せて」

「……騎士団長の責任がある。俺のきもち一つで投げ出していいことじゃないんだ」

「気にすんな」

「……リタの言ってることは、間違っている……」

「僕はそうは思わないな。一人の人間が、当たり前の人生を選択することのどこが悪いの。正義なんか曖昧なもんさ。わからなくなった時にはより楽しそうな方を選んじゃえばいいんだよ」

「……」

「鮫島くん、好きだよ。もし君も僕のことを好きだと言ってくれたら、君が背負ってる問題、なにもかも全部、僕がなんとかする」

「なんとかって、どうするんだ」

「まだわかんない。でもどうにかする」


「…………」

「好きだよ」


 鮫島の歩みは、梨太が引きずるほどに遅くなっていた。その手を引いて、歩き続ける。

 黙り込んでしまった彼の手を握って、夜道を、ゆっくり歩いて――



 栗林家の玄関の前で、二人は足を止めた。街灯に照らされて、犬居が腕を組んで立っている。

 梨太は眉を上げた。


「犬居さん?」

「……団長、お迎えです」

 犬居はそう言って、敬礼した。梨太はギョッと目を見開いた。


 昨日いわれた、鯨の慈悲。鮫島とともに過ごすことを許された時間の、タイムリミットはまだ六時間ほどもあるはずだ。さっそく抗議しようと口を開けたが、

「ご苦労。では基地へ向かおうか」

 と、言ったのは、鮫島である。つないでいた手を離し、ひょいと靴を奪うと、梨太を追い越して犬居のもとへいく。赤い髪の男は不機嫌な様子で、それでも上司をねぎらった。


「荷物はもう宇宙船の方に運んでおきました」

「ありがとう。少しまだ、時間はあるな? すまんが靴を買いに行きたい。どこか店に寄ってから帰還することにしよう」

「了解。お伴しましょうか」

「いらない」

「わかりました。団長、お疲れさまでした」


「鮫島くん」

 梨太は穏やかな声で呼びかけた。それでも、念を押すような口調になってしまったのは仕方がない。

「ちょっと、待って。もうちょっとだけ」

 足を止めた彼に、駆け寄る。正面から向き合って、梨太は自分の鞄から、小さな布袋を取り出した。


「これ。ほんとは、告白成功したら手渡すつもりだった――いや、気負わせられるような値段じゃないんだけども」

 と、差し出す。鮫島は、受け取るそぶりを見せない。梨太は勝手に自分であけた。


 しばみなと水族館のシンボルマークが描かれた、巾着型のアクセサリ袋。

 白くとがったサメの歯を、革紐で結んだシンプルなペンダントが入っていた。可愛すぎずかさばらない、ユニセックスなアクセサリ。


「……お守り。サメの牙って二、三日ごとに新しく生え変わって、永久に無くなることがないんだ。それで昔から、海で仕事をする人たちの海難防止にって、使われてきたんだって。

 ……宇宙船でも、船だし、航海っていうから」


 抵抗をしない彼の首に着けてやる。

 首の後ろでパチンと留める音に、それで初めて、鮫島はプレゼントされたことに気が付いたようだった。

 己の首からぶさらがった、白く尖ったサメの牙。指先で摘まんで、じっと見つめている。


「……元気で。どうか無事で」


 眼前で苦笑する梨太に、彼はなんとも複雑な表情を浮かべる。横では犬居がそれを見守っている。


 日中、汗をすったTシャツは夕刻の風にさらされ、梨太の皮膚を突き刺すように冷却していく。手のひらが凍える。さっきまでの温もりがなにもかも消えていた。


 なんと声をかけるべきか、俯いて思案する梨太の手を、そっと鮫島が掬い上げた。両手で軽く握るようにして、その熱を移してくれる。


「リタ。俺、もう一度、ちゃんと考える」

 そう言った。


「……自分の生き方とか。いろんなことを、全部。ちゃんと考えるから。待っていて」


 微笑みを浮かべている彼に梨太はうっかり涙が浮かびそうになった。胸が熱い。喉がヒリヒリしてくるのをこらえるのに精いっぱいで、何も言葉が出てこない。


「今日は楽しかった。ありがとう」


 そして、彼は去っていった。


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