梨太君の全力告白
何度でも何度でも申し上げます。
うちの主人公は全力です。
掌の中に、鮫島の手。
膝と手の間に指を差し込んで、くるりとひっくり返す。手のひら側を、あおむけにさせて、真上から重ねた。
鮫島の手は梨太よりも大きい。だがそれは長い指のせいであり、手のひらは同じくらいのものだった。同じくらいの面積をピタリと合わせ、湿度を共有する。
真夏の夕刻、閉めきられた観覧車のワゴンのなか、気温も体温も焦げてしまいそうに熱かった。合わせた二人の手のひらが、ほんのかすか、濡れた音を漏らすの聞いた。
手根で掌を愛撫する。
鮫島は、なにも抵抗はしなかった。なんのつもりだなどと追及もせず、かといって、緊張で強張ってもいない。
じっと、繋がれた手を見つめている。
密着した手のひらの充実感に嫉妬して、どこにもふれていない五指が震えるほど餓えていた。
「……なあ、リタ」
鮫島が囁く。
「俺って、可愛い?」
素っ頓狂な質問だった。質問の意図はわからないが、そのまま返答する。
「可愛いよ」
「……そうなのか」
「どうしたの?」
「あまり言われたことがないから」
「ああ、なるほど。鮫島くん、かっこいいとか綺麗ってかんじだもんね」
鮫島はしばらく思考の海に沈んだ。かなり言葉を選んでから、茫洋とした視線のままで話し始める。
「リタは、俺が怖くはない?」
「怖くないよ。優しい人だと知ってる」
「……そういうことじゃなくて」
梨太は即答したが、珍しく、鮫島は首を振って否定した。なにか意固地になっている気がする。
「雰囲気、というのだろうか。自分ではわからないけど、ただそこにいるだけで人は気圧されるものらしい」
鮫島の視線がほんの数センチ、遠くなる。梨太の手の下にある、自分の手のひらを透かして見ている。深海色の瞳が悲しみに揺れた。
「……仕事のために気を張ると、なおさら。俺が触れるほどの近くに、座ってくれる者などいない。たとえ休日で、雌体化しているときでさえも、あんなふうに声をかけてくる男など一人もいなかった」
「二人がかりだったけどねえ」
梨太の言葉で、鮫島は初めてそれに気が付いたらしい。だがやはり、改めて首を振る。
「それにしても、だ。リタは不思議だ」
「僕はアタマがいいからね。安全装置がついているものをむやみに怖がったりしないんだよ」
梨太は胸を張って言った。
たしかに梨太から見ても、鮫島には独特の雰囲気がある。研ぎ澄まされた日本刀、触れたら凍りつく冷気、あるいは、獣。そういったものに共通する『恐さ』だ。
その理由はすぐに思いつき、そして口を噤んだ。だが鮫島自身がそれを口にした。
「俺は……人を殺しすぎているのだと思う」
否定の言葉は出てこなかった。
「リタは不思議だ」
その声には明るさがあった。梨太が聞き返す。鮫島の口元に微笑みが宿っていた。
「お前が懐いてくれるのも不思議だ。だけどもっと不思議なことがある。
お前と会ってから、ほかの人までが、俺に対して柔らかくなった。
あの男たちもそうだったし、騎士達や、かつての高校の同級生たちもそうだ。
……梨太と出会う前、彼らはみな、その目に怖れと警戒を湛えていた。談笑しているところに俺が姿を現すと、みながピタリと黙り込んだ。俺が町を歩くと、皆が緊張する。賑わっていた景色が、まるで葬式のようになる」
鮫島の手が、梨太の手を握る。
「……なのに、不思議だ。あれからの三年で、それがずいぶん和らいだ。仲良く、までは、まだなれていないけど。少なくとも、俺がそこにいても笑顔を消すことはなくなって、お前や、他の仲間たちとくつろいでいる。……不思議だ。とても不思議……」
あはは、と梨太は軽薄な笑い声を上げた。
「そりゃああれだよ、僕が君にめちゃくちゃやらかして、それで鮫島くんが全然怒らないからさ。見てたひとは、えっアレって許されるのかよなんだよあの人、怖くないんだ―って、ホッとするんだよ。自分もそうしようってほど勇者はなかなかいないだろうけど」
「……それだけじゃない。ラトキアの街でも、なんとなく」
「じゃあきっと、君が変わったんだ。君が優しい顔になったんだよ」
鮫島は、その回答に驚きはしなかった。微笑んだだけである。もしかしたら大体同じような予想はしていたのかもしれない。俯いたままつぶやく。
「……リタは、すごい。面白い。可笑しい。変だ」
「褒めてる?」
「褒めている。すごい。頭がいいのに、勇気がある。それに、優しい。気が利く。思いやりがある」
「なにそれどうしたの、べた褒め」
「滑舌がいい。聞き取りやすい。表情もよく変わるから理解しやすい。顔面の筋肉が発達しているからだと思う。骨格が整っている。歯並びが良くて、内臓が健康だ。だから変な体臭がしない。よく喋るけど無駄な物音は立てないし、小柄で意外と俊敏だから、潜入するのに向いている」
「え……と何の話?」
「褒めている」
ああそう、と相槌を打って、とりあえず放置する。
その後も鮫島は幾つか、なんだかよくわからない言葉を並べていた。語学が堪能なのはスパイの必須スキルだとかなんとか、半分以上は軍事的価値という気がしたが、彼にとっては真実、人物への評価なのだろう。深く考えてはいけないと思い、梨太は適当に聞き流す。
そしてうっかり、聞き逃すところだった。
「頬肉が柔らかくてたっぷりしているのと、髪がふわふわしているのが可愛い。触りたくなる。触らせてくれる。触れるほど近くにいてくれる。すごい。すごく、ありがたくて嬉しくて、俺はリタのことが好きだ」
耳には届いていた。鼓膜にも沁みていた。だがそれを、情報として理解するのに、梨太は数秒間の時間を要した。
手を離す。鮫島の指が、一瞬それを追ってきた気がした。名残惜しくねだるように。
これは――肯定ととっていいのだろうか。
梨太の、愛の告白への回答として。
縋るような目で鮫島を視る。彼は目を合わせてはくれなかった。そのままで続ける。
「……好意には、色んなものがある。友達として、異性として、というのは、よくわからない。俺が今どんな目でお前を見ているのか、俺自身も測りかねている。俺のほうが男として、お前を『雄体化している雌体』として見ているような気もする」
「……極論だねそれは」
「俺はラトキア人だからな」
なんとも返事のしがたいことを言う。そして、彼は続けた。
「……俺はラトキア人だから。
この地球から、遠く離れた星で、騎士団長という仕事に就いて生きている。
リタはさっき、色んなことをとりあえず置いといて、考えてくれと言った。そうしてみようと思った。けど……無理だ。すべてを含めてでしか考えられない。
遠すぎる。会えない。つながることもできない。伝言すらも」
自分に言い聞かせるような、鮫島の言葉。彼は俯き、血の気の引いた唇をかんだ。
吐き出すように、囁く。
「ごめん……」
梨太はすぐに追及を開始した。
「僕があげた障害、他のことはどう? 文化の違いっていうのは、僕がすり合わせて行けばいけるよね。あとは職業とか年齢とか身分とか」
「……それも……結婚するとなると、やっぱり無理」
「付き合うだけなら、世間体はともかく、鮫島くん自身は気になることではない?」
鮫島の視線が泳ぎ、そしてうなずいた。
「もしも、なにもかも障害がなければ、付き合いたいって思う?」
「……たい、というのは。よくわからない」
「じゃあ、リタがそこまで頭下げてお願い付き合ってって言うならまあ付き合ってやってもいいかなー、っていうくらい?」
「え。そ。……えっ。えっ?」
梨太は逃さない。
「たとえば三日間だけカレシカノジョになってっていうのは? それを十回繰り返して、ひと月は? 具体的には今日みたいなデートをしたり、いままでみたいに触れ合ったりするの。それ、嫌だった?」
「そ、それは、嫌じゃない。もちろん――でも、あれっ? 俺さっき、断っ」
「僕のこときらい?」
ぶんぶん首を振る鮫島。それはもう梨太にだってわかっている。梨太は再び、鮫島の手を摑まえた。
「たとえば僕と付き合ったら、僕が地球人でありどうしようもなく男性である以上、君が女性になるしかない。それってどう? 人生の岐路だとかは無関係に、単純に感情だけで。そうされるのが不愉快だとか、僕のこと気持ち悪いって思う?」
鮫島の眉が中央に寄る。その眉間めがけて、梨太は前かがみになり、尖らせた唇を当てた。
不意打ちに思わず両目をつむる鮫島。閉じた瞼に口づけを降らせる。
「たとえば僕が、君の体を触りたいとか、抱きたいとか、そう言ったら――許してくれる?」
鮫島の全身が、小さく揺れた。
震えた肩を掴む。
こんな問答のあいだにも、観覧車は稼働し続けて、二人のワゴンはちょうど頂上近くまで浮上していた。
地上四十メートル、芝港の海が眼下すべてに広がっている。立ち上がれば頭を打ち付けてしまいそうな天井高、両手を伸ばせば幅いっぱいを捕まえられる広さ。並んで座った狭いシートに膝を付き、のけぞる鮫島の後ろ壁に手をついて、梨太は身を乗り出した。
見下ろす、鮫島の表情――紅潮しながら青ざめて、おびえながら苦笑いしているような複雑すぎる面差しから読み取れる、彼の感情は、一言で言って、『混惑している』。
答えが返る前から、立て続けに質問をしすぎただろうか。だがあと十五分で、ワゴンは地上に到達してしまう。彼の沈黙を放置するわけにはいかないのだ。
しっかりと握りこんだ、鮫島の二の腕。
ふと、梨太は違和感を覚えた。鮫島が、今朝よりもさらに――小柄になったような気がする。微妙にであるが、確かに、いつものラトキア民族服の、肩がすこし落ちていた。
見下ろすと、下半身もだ。きっちりと締められていたはずの腰帯とウエスト部分に隙間があいている。食後であるはずなのに。全体的に痩せたような気がする。
それになにより――気のせい、だろうか。逆に胸元だけは膨らみを増しているような――
「鮫島くん……僕のために、雌体化したって、言ってたよね」
彼は急速に赤面し、視線をそらした。
かたく噤んだ唇が、紅も引いていないのに薔薇色に染まっている。
シートがきしむ。二人ぶんの体重を偏らせて、ワゴンはわずかに傾いていた。引き寄せられるようにさらに体が沈む。鮫島の顔のすぐ横の窓に手をついて、梨太はゆっくりと、彼の唇へ顔を寄せた。わずかにだけ傾け、顎の高さをあわせていく。
「鮫島くん。好き」
話すために動かせば触れてしまいそうなすぐそばで、この距離でなければ聞こえない声で囁く。
「――してもいい?」
鮫島が、息をのむ気配がした。わずかに瞳を戸惑わせて、ゆっくりと、その瞼を閉ざす。やはり消え入るような声で、答えを返した。
「……服を、着たままでならいいよ……」
…………
梨太はぴたりと動きを止めた。




