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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第二部 鮫島くんとあそぼ

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ラトキア人の口づけ

 研究所のスタッフに礼を言い、受付ロビーにまで戻ってきても、ナスティアはまだ二人のそばについてきていた。

 正直、そろそろ離れてほしい――なんか嫌な予感がするから、というのが梨太の本音。

 鮫島のほうはよくわからなかったが、話しかけたい様子もないので、やはり好感までは持っていないのだろう。


 鮫島とは別の意味で威圧感のあるナスティアは、女友達がひどく少ない。大体梨太に懐いてきたのだって、ただ気さくに話してくる学生が梨太しかいなかったからである。

 そして、自分に話しかけてくる男は、すべて性的な接触を求めていると思い込んでいる――


(……女の世界も大変だな)


 なんだかんだ言って、男子校は居心地がよかったなあなどと思いふけってしまう少年だった。


「もうこれで帰るの?」

 しばみなと水族館、そのいよいよ出口で、ナスティアは問いかけてきた。腕時計で確認すると、時刻は三時をいくらか回ったころ。中学生のデートでも、これで終いというには早いだろう。

「どうしよう。鮫島くん、他に行きたいとこある? ごはん外で食べたい?」

 隣を窺うと、鮫島は首を振った。プライベートの鮫島はことのほかインドアである。

 梨太が逡巡している間に、ナスティアが胸元からペラリと紙切れを取り出した。


「じゃ、これ、あたしからのプレゼント。ここに隣接されてる遊園地の乗り物チケットよ。水族館のおまけ程度、子供向けのちいさなものだけど、時間つぶしにはちょうどいいんじゃない?」

「遊園地――」

 実物のイメージがでてこないながらも、興味深そうにうなずく鮫島。


 梨太はにっこり笑って、

「今日はいろいろとありがとう、トニーヴィチェ博士。また日本にいるうちに一度顔を出すよ」

 チケットを受け取ろうと伸ばした腕を、ナスティアは空中で捕まえた。素早く己に引き寄せて、妙に器用な身のこなしで、梨太の唇にかみつく。

「う」

 赤い紅が、口の端に移る。キスをしてきたのと同じ唐突さでナスティアは身をはなし、チケットを、すぐそばで佇む鮫島に手渡した。


「じゃあね。いろいろとありがとうリタ。こちらはお構いなく。御嬢さんとなるべく長く一緒にお過ごしなさいな」

 赤いヒールが踵を返す。

 さっき来た受付横をすり抜けて、一度も振り返ることなく、金髪の美女は去っていった。



 しばみなと水族館は、アクティビティの充実した施設だった。イルカのショー、ピラニアの食餌イベント、ペンギンのお散歩。ヤドカリやヒトデをつまんでふれあえるコーナー。

 巨大な剥製が置かれた博物館、そして土産物屋。

 梨太達はそれらを余すことなく堪能し、結果、ほとんど休憩も取らず歩き続けた。


 途中、あまり感じなかった疲れが、水族館をでた瞬間にどっと押し寄せる。

「少し、涼しくなったな」

 鮫島が言う。梨太は頷いて、さきほど購入してきた、クラッシュドアイスのたっぷり入ったオレンジジュースを差し出した。


 芝港水族館出口からそのまま同敷地内に作られたちいさな遊園地。入場料などはかからず、子供が喜びそうな乗り物がいくつかあるだけの広場といったほうがいいのかもしれない。コーヒーカップやメリーゴーラウンドを横目に過ぎて、ナスティアから受け取った600円ぶんのチケットを使うこともなく、木陰のベンチに並んで座った。


 十メートル向こうのコンテナショップから買いだしてきたのは、いかにもそれらしいスナックフードである。ポテトチップス、ナゲット、オニオンフライ、チュロス。

 鮫島の隣に座り、ポテチを食む。

 子供向けの遊園地。だが、子供を遊ばせるには少し時刻が遅い。園内は人影まばらで、退屈そうな清掃スタッフが落ち葉を掃いてあるいている。


 静かな時間。


 ふと、梨太はこういう時間は鮫島としか体験していないと気がついた。男子校の連中は、授業が終われば片時も静かにしていない。中学は共学だったが、女の子はなおさらうるさかった。


 昔から、梨太の周りにいる人たちは、たいていよく喋る。

 それは彼らがみなお喋りな性質なのではなく、梨太が話しやすいからだと言われる。

 世界各国、老若男女。梨太は、友達が多い。その誰とも、無言で時を過ごしたことなどなかった。


 安っぽい油を使った、揚げたてホカホカのナゲットを口に入れ、隣の鮫島をそうっと見る。

 円形のオニオンフライをどこからくわえていいものか悩んでいる彼は、いつだって静かな青年だった。

 歩いても走っていても物音がしない。命を懸けた戦闘中ですらも吼えるようなことはなく、激痛に身をよじっても、歯を食いしばって耐えていた。

 休日でもそれは変わらない。雑談が苦手だというのは口下手でうまく言葉が紡げないだけではなく、ただ本人が、騒ぐのをよしとしない性質――いや、騒がなくても、他人との時間を過ごすのに苦痛がないからだろう。


 無言でも、彼がリラックスしているのがわかる。表情を変えないままで、彼が笑ったのがわかる。

 それが梨太にはとても嬉しかった。


 遠くに秋の気配を感じる夕刻の風。栗色の髪が巻き上げられて、汗ばんだ頭皮を撫でていく。心地よさに梨太は目を閉じ、まどろんでしまいそうだ。


「リタ」


 ふいに、鮫島の声。梨太は顔を向け、覚醒のために冷たいオレンジジュースを含んだ。

 鮫島は、すこし困ったような表情を浮かべていた。

「……あの……地球では、どういうお祝いをするべきなのだろうか。ざっくり、風習は勉強してきたのだけど、友人としては、何か贈り物をしたりするのかな」

「うん? お祝い? 何の話」

「リタの。……結婚おめでとう」

 ぶふぅっ! ――梨太は、口の中のジュースを全部吹き出した。


 あまりの反応に鮫島の方が驚いて、

「ど、どうしたリタ」

「どどどどど、どうした、って、どうしたもこうしたもどうしてだよ、いったい何の話っ!? 結婚!? なにっ!?」

「な、なにって、だから、結婚。ナスティア、さんと」

 もう吐くものがなく、逆に異様に喉が渇いて梨太はげほげほ噎せかえった。鮫島が親切に、背中をさすってくれる。


 悶絶している梨太に、さすがに、自分が見当違いのことを言ったのは理解したらしい。言い訳がましくつぶやく。

「だって、キスをしていた……」

「あ、あ、あんなのキスじゃないよ!」

「……では、地球人は何処に口づけを?」

「そういうことじゃなくてっ! あああもう」

 梨太は頭を抱え、脳内でどうにか言葉を模索した。変に委縮などしてはいけない。実際やましいことはないのだから、胸を張る。


「えー、まず僕は、基本的に全人類相手に愛してると気軽に申し上げてます。挨拶なのです。ハグもそうです。キスもそうです。とくに外国では、親愛とか友情とか挨拶とか、そういったことでも気軽にキスします。男同士女同士、身内や、ビジネスでもやります。ほんとほんと」

「うん、それは知っている」

 あっさりうなずかれる。

「……ええと」

「でも、さっきのはそれとは違うと思う」

「……君ってそういうのはちゃんと見てわかっちゃうんですね?」

「わかる」

 梨太はもう一度頭を抱えた。


「……ですから――……すいません、もちろん男女的なキスもあるわけで、彼女とはソレだったけどもキスだけなので勘弁してください」

「別に、俺はお前たちを許すとか裁くとかいう立場にはない」

「あ、お前達とか言わないで、ペアにしないでぇ。つか見てたでしょ、ほとんどあっちから無理やり不意打ちで、前の時もそうだったんだよ! あっちもそうやって遊んでるだけで、彼女とはホントになんにもないんだよう」

 すがるように言い訳を並べ、鮫島の冷たい眼差しに消沈していく。


 鮫島は、機嫌を損ねていた。

 かといって激昂はしていない。彼は、梨太の恋人ではないし、そもそも本人が男であると自称している。実際、彼の不機嫌は可愛い嫉妬とは違うものに見えた。


 かなり長い逡巡ののち、

「……そうか。やっとわかった」

 彼はそんなことを呟いた。


「……へ?」

「もしかして、そうなんじゃないかなとは、薄々思っていた。……リタが、そんなに軽薄な男には見えなかったから。なにか自分が誤解してるんじゃないかと」

「……うん? え?」

 彼の言うことが理解できず、梨太は疑問符を山ほど浮かべ、鮫島の顔を覗き込んだ。

 鮫島は小さく嘆息した。

 バラ色の唇が薄く開く。そして言った。


「ラトキアでは、唇同士での口づけは一つの意味しかない。真摯な愛で結ばれた恋人だけが、婚約の意志を誓うものだ。一生で何人もとするものではない」

 ……。

 梨太はしばらく、内容を理解するのに時間を要した。


「――え。ええっ!? なにそれ重いラトキア人めんどくさっ!」

 思わず、全力で声を上げたのを、ラトキアの青年は強烈な眼光で持って射抜いてきた。


 それでも、彼は文句は言わなかった。逆に、自分のほうが頭を下げてくる。

「……申し訳ない。地球人にとって、キスがそれほど軽いものだとは知らなかった。いつも、いきなり迫られてびっくりしたし、そんな大変なことを簡単に求めるお前も軽薄だと思ってた」

「へっ? あ、ああ。うん」

「こちらが異邦人なのだから、こちらがちゃんと慮るべきだったな。すぐに察して、そしてこちらの事情を説明をしなくてはいけなかった。断りようというものがあったはずだ。

 ……ごめん。痛かっただろう」

「はあ……な、なるほど」

 いろいろと腑に落ちるような、落ちないような心境で、梨太は呆然と、深く垂れた鮫島の黒髪を見つめた。


 口付けは婚姻の誓い。――そうとだけ言われれば、たしかに、万国共通であり日本だってそうである。ほかにも使い勝手があるというだけだ。


 時代や国によっては、鮫島と全く同じ認識をしているかもしれない。それにしたって梨太が軽薄であるのは当たっている気がするが、せっかく見直してくれたものを自ら壊さなくていいだろう。

 それにしても――


(……これ……この事実、もしかしてすっごく、大きな希望になるんじゃないのか!?)


 梨太の脳裏に、これまでのキス未遂場面が思い出される。


 梨太からすれば、キスをするのに十分なフラグがたったと思っていた。だが鮫島からしたら突然無断で婚姻届を出されるがごとし、あるいは唐突すぎるプロポーズである。


 梨太の軽さに対して、あまりにも重い。重すぎる。

 そりゃあ、全力のアイアンクローで逃げられてしかるべきだったのだ。


(ああ、そうか。そうだったのか)


 よし、よし、とガッツポーズ。


 そうだった。

 やはり自分は、男として拒絶されたわけではなかったのである。

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