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鮫島くんのおっぱい  作者: とびらの
第二部 鮫島くんとあそぼ

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104/252

水族館の鮫島くん

 芝港海洋研究所展示館――通称、しばみなと水族館。

 

 霞ヶ丘駅からローカル線で四十分、そこからシャトルバスで二十分弱。

 少し辺鄙な、磯に隣接するその施設は、海水浴場とは違い年中通して客が途絶えることはない。

 建立十余年。まだまだ新しい建物である。流線型の外郭、洗練されたデザインは、たまごを思わせる円錐ドーム型。


 およそ二万平方メートルの敷地、うち半分ほどが観光商業施設として解放されている。もう半分はスタッフルームと、本業たる研究所だ。海の生物の生態研究、観察や科学的分析も行われ、一般公開されない繁殖所にも使われている。そちらは平常、一般人には閉鎖されていたが。


 到着した梨太はチケットを買うと、鮫島に改めて施設の概要を解説をした。

 なにせ彼には水族館はおろか、生物展示というレジャーの概念すらない。動物園の海バージョン、などという説明で通じないのである。


「……研究をする施設が、なぜむざむざとその公開を? データを盗まれるだろう。セキュリティはどうなっているんだ」

「いやいや、軍事研究じゃあるまいし。まだ研究段階のものは奥に引っ込めてるけども、そんな物騒な警備とかは」

「……でも、わざと見せる意義が分からない」

「んー、ついでの小遣い稼ぎってことだよ。観察研究用のプールを客に見せて現金収入、研究費用に運用する。生態展示に限らず、国や大学が運営してる施設ならたいていそうだよ。ここは研究が本業で一部を公開、っていう形だけど、その逆もあるね」


 この辺りは、鮫島にうんちくを語っても仕方がない。梨太は適当に流して、彼を館内へと導いた。


「鮫島くんに、ぜひ見せたい展示もあるけども、まずは素直に順路でいこうか」

「……リタは、ここによく来るのか」

 まあね、と頷く梨太。鮫島は梨太の提案にすべて頷き、あとに続いて歩いていく。


 煩くない程度に空き、さみしくない程度に混雑した、薄暗く、穏やかに冷えた館内。


 順路に入ると、さらに暗くなり、トンネル状の展示室になっていた。左右端の壁に、丸くくりぬかれた穴が並んでいる。覗きこむとそれぞれが小さな水槽になっていた。顔を寄せ、中をみる。


 南国系の、きれいな小魚のコーナーのようだった。鮫島は窓にはりつき、中の魚とパンフレットを見比べた。


「リタ、これはなに? 生きている?」

「ああ、カクレクマノミ。それにイソギンチャクだね。両方とも、もちろん生きてるよ」

「かわいい。おもちゃみたいだな」

「アニメ映画の主役になったくらいだからねえ」

「これはなに? 食べ物?」

「逆さクラゲ。食べられるかどうかは……どうだったかな」

「こいつらはなんだ、どうなってるんだ。砂の中で、ぜんぶ一体化しているのか」

「え、なにその発想!? チンアナゴね。アタマひとつにつき一匹ずつ生きてます、ご安心を」

「リタ、これ、ちょっと犬居に似ている」

「どれ? ああホントだ、ミノカサゴ」

 似てる似てると指さして笑う。


 トンネルにあるすべての窓を、ひとつひとつ覗き込んでは、質問を投げてくる。

 受付からまだ十メートルも進んでいないのに、鮫島は頬を上気させていた。ホウと大きく息をついて。

「すごい。すいぞくかん、すごい。海ってすごい。リタもすごい」

 はしゃぐ様子に、梨太は彼以上に満足感を得て、にやついてしまう頬を慌てて隠した。


 順路の標識は、広いホールにと二人を導いた。

 部屋の中央に柱のアクリルガラスが貫かれており、その筒の中を魚達が行き来している。三人が手をつないでぐるりと一周できるほどの大きさだ。立体的な構造の建物は、ひとつの水槽をあらゆる角度から鑑賞し、楽しめるようになっていた。


 鮫島がそうっと手を伸ばす。その指先が好奇心で震えていた。

 海水を孕むアクリルの円柱は、思いのほか冷たさを感じない。動く魚をふくめすべてが作り物なのではないかと、鮫島の目に疑いの色が浮かぶ。顔を近づける、その眼前に、不意にアザラシが横切った。


「わっ」


 思わず声を上げ、一歩下がる。そして、さっきの魚はなんだったのだろうと、パンフレットを片手にまじまじと水槽を覗きなおした。

 その視線の向こうに、梨太がいた。


 正直、梨太は魚の展示などほとんど見てはいなかった。深海色の鮫島の瞳に、色とりどりの海洋生物が映りこむのを楽しむばかりである。

 それに、今更気が付いたのだろうか。鮫島は水槽越しにこちらをじっと見つめてきた。とりあえず、手を振ってみる。彼は振りかえしてはくれず、顔ごとそむけて、次の順路へと歩き始めてしまった。

 追いかける、その背中が小刻みに揺れる。

 クスクスと笑い声が聞こえてきた、とたん、彼はしゃがみこんで、そのままお腹を押さえて笑い始めてしまった。笑いのツボにはまったらしい。

 急にしゃがみこんで笑う美女に、周囲は好奇の目を寄せた。

「……おわっ、すごい美人」

 誰かが心の声をボソリと漏らす。


「鮫島くん、こっちへ来て」

 梨太はホールのさらに奥へと誘導した。彼は黙ってついてきて――そして、

「うわあ……」

 素直な感嘆をあげた。



 しばみなと水族館、最大の展示ホール。

 その壁面積の端から端まで、天地左右、視界いっぱいに広がる巨大アクアリウム。高さ5メートルを越える天まで突き抜けた水槽のむこうには、対岸がまったくみえない奥行きがある。


「ここがメイン展示だよ。ダイビングしているような感覚になれるよね」

 梨太の言葉も聞こえたかどうか。


 リアルなサンゴ礁を模した岩肌に、びっしりと張りついたイソギンチャクや岩貝。アクリル板に近づいて見下ろせば、床の下のずっと深く先、白砂の海底が見える。

 海を切り取って持ってきたような世界には、大小さまざまな海洋生物たちが活動していた。

 我が物顔で悠然と往来する巨大なエイ、百を越える集団の力でもってそれ以上の大きな魚影を作る鰯。


「野生だったら、弱肉強食の食物連鎖が行われちゃうとこだけどね。水族館ではタップリとエサを上げているから、弱い魚もほとんど食べられることなく一緒に展示できるんだよ」

「……ほとんど?」

「まあ、たまには食べられることもある」

「世知辛いな」

 知らぬ間になんだか日本語の語彙が増えている鮫島。


 梨太はしばらく大水槽を見渡し、目当てものもの発見した。

「ほら、あれがサメだよ」

 指さしてやると、鮫島は身を乗り出して下方をのぞき込んだ。


「……色々いる。どれ?」

「サメって何種類もあるんだよ。そこにいるのがドチザメ、ネコザメ。あれが――ジンベエザメ」

 梨太の指先にあわせ、彼は上空を見上げた。視界いっぱいに横切る巨大な生物に、切れ長の瞳が見開かれる。


「この地球の世界最大の魚。だけどとても温厚で、人にも慣れると言われてる。強くて大きい生き物だ」

「……すごい」

 大騒ぎすることなく、ただつぶやく。

「空が動いているみたいだ」


 率直な感想に、梨太はなにか軽い感動を覚えた。鮫島の少ない語彙からなるストレートな言葉は、ときとして百の言葉をも凌駕して、梨太の胸にささってくる。


 鮫島は、多くを語ることは決してない。だからこそだろうか。梨太は、彼の言葉ひとつひとつがいとおしい。

「ホホジロザメなんかの、凶暴性の強いサメは展示が難しいからここにはいないけど、順路の先の博物展覧のほうに、剥製だか模型だかがあったはずだよ」

 見てみたいかと問うと、彼は無言でうなずいた。その間も視線は水槽を向いたままである。


 地球の海の、鮫島くん――


 その姿に、彼は何を思うのだろう。


 梨太もまた無言で、そこにある生物を眺める。

(……ああ、きれいだな)

 見慣れていたはずの生物に、生まれて初めて、その感想を抱いた。



 鮫――軟骨魚類、板鰓類(ばんえいるい)

 その生態は、種類によって大きく異なる。五百以上ある種類、すべてが個性的だ。サイズも生殖方法も全く違う。


 映画の影響だろうか、どうしても巨大かつ凶暴な肉食魚のイメージがつきまとうが、むしろそういった種類は少数派だ。小さくてかわいらしい、温厚な種も多い。

 日本でも食用ふくめ、様々な使用目的で古来から獲られてきた、身近な魚でもある。


 そういった知識のある梨太にとって、鮫はもとより、恐ろしい印象はなかった。むしろ、その生態や肉体は美容や健康、生活雑貨、ロボット工学にまで活用され、広く長く、研究者にとって『オイシイ』生き物である。金の生る木と比喩するものもいる。

 哺乳類である鯨やイルカとはあまりに違う扱いに、ちょっと哀れに思うくらいだった。


 だがこうして、悠然と目の前を横切る巨大な姿は、ただただ優美で、神々しく厳かですらあった。

 圧倒的に強くて大きくて、蒼白く、美しい。


「……鮫島くんの、親御さんが、そう名付けた気持ちがわかったよ」

 呟く言葉に、鮫島が振り向いた。


「多くの日本人にとって、鮫って、残虐で怖いイメージなんだけどさ。……鮫って綺麗だね。すごく……綺麗な生き物だ」

 鮫島がほほ笑む。どこか照れくさそうに目を細めた。

「俺もそう思う。この名前も、この生き物も好き」


 果てがないほど広い大水槽、その底に沈み、岩陰でじっとしている小ぶりの鮫がいた。

 フトツノザメ――本来、深海に住むが、この水位でも生きることのできる種類だった。光の乏しい深海で、効率よく視界を確保するのに特化した眼は、水族館の明るい光に反射して、きらきらと翡翠色に輝いている。


 鮫島の耳たぶにつけられた、言語変換装置のピアスの玉によく似て見えた。


「……僕も大好き……」


 呟く梨太の言葉に、鮫島はとても嬉しそうに笑った。

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