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-5-

 ――ろ。

 ―きろ。

 起きろ。

 起きろ唐変木!!!!!


 サトルは優しさの欠片もない声で覚醒する。

 先ほどの光で低下した視力がなかなか戻らなかった。その代わりか、聴力が鋭敏になっていた。


 音だ。物騒な音だ。明らかに誰かが争っている。

 しかし、誰が。だって、この部屋には二人しかいないはずだ。

 否。そこには確かに三人目がいた。

 突然の闖入者の姿にサトルは目をしばたたかせた。


「分裂でもしたのか……」

「まだ寝ぼけてるみたいねJapanesk!」

「おまえ、死んだはずじゃ……」

「アンタのせいで絶賛連続死亡未遂よ!!」

「……そりゃこっちの台詞だ」

「Fuck!!」

 悪態つきながら、ブリュンヒルデが格闘戦を繰り広げていた。


 いや、戦っていると言うよりは防戦一方に見える。あのブリュンヒルデがおされているという状況に、サトルはさらに驚いた。


 一方、ブリュンヒルデと戦っているのもこれまた金髪だった。しかし様子がおかしい。何かが違う。


 コイツハナンダ?


 そういう不安を抱かせる類の怪物だ。人型なのが余計にその念を強めた。もっと分かりやすい姿ならここまで恐ろしくはなかっただろう。あれは別のモノだと心を守ることができただろう。


 けれども、あれは違う。

 うっかり手と足を逆に付けてしまった。あるいは、何かの手違いで目と鼻の数を逆にしてしまった。そういうタイプの不具だった。その姿は、神様の残酷なイタズラを思わせた。


 もちろん動きもぎくしゃくしていて、関節がないのに無理矢理曲げ動かしているようだった。当然のように、そこから繰り出される動きはトリッキーだ。


 人型なのに、人間の常識が通じない。そうなると格闘戦は人間側の不利に傾く。ほとんどの格闘技が人間対人間を想定しているからだ。呼吸の隙をつき、関節をきめ、肉を断ち、骨を砕く。なまじっか熊相手の方がまだやりやすいだろう。熊だったら大きさ以外は、ここにいる金色の怪物よりよっぽど自然だ。


「お取り込み中みたいですね。じゃ、俺はそろそろお暇させていただきますわ」

「スットコドッコイ!!!」


 よっこらせっくすと立ち上がる素振りを見せると、ブリュンヒルデの音速の突っ込みが飛んだ。言葉と物理だった。バックステップの勢いそのまま、サトルめがけて飛んだのだ。

 しかしサトルも大人しく殴られるバカじゃない。慌てることなくブリュンヒルデの乱戦の中に見せる的確なバックスピン・エルボーを受け止める。


「なに防御してんのよ!!」

「そりゃ理不尽な話だ!!」

 大人しく殴られろとブリュンヒルデは睨みを利かせる。

「で、これはどういう状況なんだよ」

 肘をむんずと掴んだまま、サトルはブリュンヒルデに説明責任を要求した。

「見ればわかるでしょ……」

 アンタの目は眼姦用オナホール? とでも言いたげな一瞥で、サトルの手を振り払う。


 ふつうならお互いの吐息がかかり、今にも恋に落ちるサウンドオーケストラだろうけど、この二人に限ってはあり得ない。うら若き男女がそろって不愉快げに顔を歪ませるって状況は、世界広しといえどなかなかないだろう。


「俺が両親に感謝していることの一つは、この状況を即座に理解しちゃうような脳疾患を患っている子に産まなかったことだよ」

「はあ。それは良かったわね……」


 ブリュンヒルデは部屋内のCO2濃度助長するレベルのため息をついた。幸せが裸足で逃げ出すレベルの濃度だ。なんだかサトルの幸運も一緒に逃げ出してしまいそうな勢いだった。


「で、アレはなんだよ。親戚か? それとも、お友達か?」


 先ほどまでアクティブだった怪物は急に大人しくなっていた。制止している姿はまるで現代アートのオブジェだ。

 とはいっても、全くの彫像というわけではない。停止しているはずの怪物からは、おおよそ人体から発さないであろう奇怪音が鳴っている。これに比べたら油切れの駆動部だって、小鳥のさえずりだと思えるような不快さだった。


「……自覚症状なしってわけか」

 舌打ち混じりの悪態だった。ブリュンヒルデはついでにもうひと溜め息。

「アレはアンタの魔法陣から召還されたモノよ」

 クイっと顎でしゃくる。その先の怪物は彫像状態だ。


「怪物が出てくるなんて取説(とりせつ)には一言もなかったぞ」

「どうせ不完全な儀式でもしたんでしょ。普通なら発動すらしないはずだけど。思った通りパスも通じてないみたいだし、主従関係もまるでなっちゃ……ってなにアンタ泣いてるのよ」


 その言葉は、サトルにとってなによりも悲しい現実だった。

 見果てぬ夢。一縷(いちる)の望みをかけた博打。もしこの世に神という存在がいるとするならば、それはきっと童貞を笑う非童貞だ。女神のおっぱい両手に、爆笑ぶっこいているに違いない。


 藁とともに溺れるのだ。そういう運命なのだ。

 溢れる涙と共に、サトルの中ではガールフレンド、おっぱい、ダッチワイフ、ローン、おっぱい、おっぱいといくつもの言葉が走馬燈のように過ぎていく。


「ちくしょう……ちくしょう……」


 面影なんて金色の髪くらいなもので、アンジェリカの姿は見るも無惨だった。


 どこかの国の神話のお話。ある女神の不興を買った美しい少女が、醜い怪物に姿を変えられる話だ。それからその娘は、島に訪れる男たちを生ける彫像に変えていったという。


「キモい泣き方しているところ悪いんだけど、アレをなんとかしない? 一時停戦ってことで」


 ブリュンヒルデは、サトルの醜態に一瞥もくれることなく提案する。怪物が停止していても、油断は一切していないようだった。


「うるせー。こちとら繊細な心が悲鳴を上げてるんだよ。主にローンとかローンとかローンとかで」

「意味ありげに言う割にはお金の話じゃない」

「一介のハイスクールボーイなの。夢破れた末の現実に耐えられないの。その現実が数字になって表れる分、辛さ倍増なの!!」

「……ハア」


 ブリュンヒルデの溜め息は雄弁だった。曰く、もうコイツと話すのやめたい。彼女はもう一度大きくため息を吐いてから、サトルの方へと体を向けた。


「……で、どうするの? 私と手を組む。それとも、そこでママの助けでも待つ?」

「……とりあえず話を聞こう」


 涙鼻水混じりの酷い声でサトルは答えた。

 それに、ブリュンヒルデは初めて親しげに笑って頷いた。


「シンプルにいきましょう。一人が怪物を足止めして、一人が逃走経路を確保する」

 その言葉にサトルは耳を疑った。プライドが高く、好戦的な彼女の発言とは思えなかったからだ。

「逃走? 戦わないのか?」


 だから、サトルは当然の疑問を口にした。

 もちろん、ブリュンヒルデはその質問が来ることを予想していた。


「甚だ不本意だけど、致命的に準備が足りない。アンタが術者として機能しているんだったら、さっくり今ここで殺しちゃえば済むけど。それに……」

「それに?」

 この際、サトルは不穏な言葉には耳を塞ぐ。


「アレ、徐々に動きが凶悪になってきてる。たぶん不完全な体を段々と最適化しているんだと思う。しかも、とてつもないスピードで。

 さっきも言ったとおり、不完全な儀式で生まれて術者もいないファミリアなんて、普通はまともじゃない。それがあの姿にも現れているんだけど、どうやらその不安定さとか自己存在の矛盾という大きな歪みをを魔力に変換しているみたい。

 とにかく未知数で、現状の手札で負けない自信はあるけど、勝てる自信はわからない」


 冷静な分析だった。意外と馬鹿じゃない。言っていることの意味は半分も理解できないけど、つまり、ヤバいってことだろう。


 そんなことよりも、サトルにとっては彼女の「負けない自信はある」という言葉が印象的だった。実際そうなのだろう。自分の敗北など毛ほども考えていない。そのあふれる自信が、サトルにはとてもまぶしかった。


 怪物は今もなお教室の真ん中に佇んでいる。静かなくせに、鼓膜を自分で破り捨てたくなるほど不快な音色を奏でながら。死んでいるのに生きている。止まっているのに動いている。矛盾の固まり。


「今動いてない理由は?」

「たぶん、起動条件とか反応条件とかがあるんだろうけど。たとえば、自分に接近してきた者を迎撃するとか」

「その論理から行けばこのまま扉から出られそうなもんだけど。俺じゃあぶち壊せないけど、オマエならなんとかできるだろ?」

 足止めも何もない。直帰ルートの出来上がりである。


「……ない」

「あ?」

「できない」


 ブリュンヒルデは振り向きもしなかった。そっぽ向いていた。


「それはない。マジないわーってやつ」


「できないことはないっ……んだけど。私の使うルーンって、つまりは魔力帯びた概念を対象に刻みつける魔術なの。一度完成されたルーンを無効化するには、文字自体機能しないほど傷つけるか、組み上げた術がショートするほど魔力を流すか、効果が切れるまで待つしかないわけ。一つ目は手間がかかりすぎて、二つ目は今の私の余力じゃ厳しくて、三つ目はそれこそそんな時間はないってところ」


 プイとブリュンヒルデは視線を逸らす。相変わらずサトルの方を見ずに、そのまま怪物へと睨みを利かせた。顔は少し赤らんでいる。


 コイツ、仮に俺をなぶり殺した場合はどうするつもりだったんだとサトルはすごい顔をした。もしかしたら死体と一夜を過ごすつもりだったのかもしれない。


「なるほどわかった。じゃあ、具体的に逃走経路の確保ってどうするんだよ?」


 まさか万策つきたことを報告したいわけではないはずだ。

 ブリュンヒルデは射殺すような視線でいびつな女神像を睨み続けている。まるで、その眼力を以って釘付けにでもしているように。


「あれよ」

 視線の先の先。すっかり太陽は死にかけで、街灯には明かりが点っていた。人工の光と断末魔の西日が、昨夜の一見で割られた窓ガラスに乱反射している。


「窓か」


 ブリュンヒルデは頷きだけでサトルに答えた。


 その発想はサトルの中にもあった。しかし、先ほども実行に移すことはなかった。単純だ。ここは校舎の三階である。十五メートルはあるだろう。いくら何でも無傷で済む高さではない。


 しかも、その心配を置いておくにしても、そこに至るには重大な問題を乗り越えなければならない。


 二人と窓の中間に鎮座するリビングスタチュー。


 足止め? 馬鹿を言うな。囮の間違いだろう。

 間接的に、ブリュンヒルデはサトルに死ねと言っている。

 どっちにしろ、サトルには乗り越え難い試練だった。確率とか可能性とか、そういうものを考えるまでもなかった。

 協力と言っておいて端からその気はないのだ。


「オーケーその作戦で行こう。俺が足止めする代わりに、あの窓からスマートに降りられるようにしておいてくれ」


 だからこそ、サトルはその提案にのった。そっちがそのつもりならこっちも好き勝手やらせてもらうと言わんばかりのやけっぱちだった。もちろん、そんな気持ちを臆面にも出していないのだが。


 今度はブリュンヒルデが驚く番だった。まさか二つ返事で了承されるとは思っていなかったのだろう。しかも、わざわざ囮を引き受けるとまで宣言している。

 もちろんその発言を疑っているはずで、まじまじとサトルの顔を覗いた。


「なんだよ」

 見上げる碧い瞳に耐えかねた。サトルはそういう目が苦手だった。まっすぐ、迷わず自分の奥底を見つめる目が苦手だった。


「……いえ、なんでもない」

 見下ろす黒い瞳に耐えかねた。ブリュンヒルデはそういう目に弱かった。底が知れない混沌の黒だった。未知というものに身を染めている彼女にとって、未知はそのまま畏怖の対象だ。深淵を覗くものは、また――――。あの警句を思い出さずにはいられなかった。


 ブリュンヒルデは所在なさげ立った視線をすぐに前へと据えた。いまだ物言わぬ異形の怪物を睨む。


「悪いが斧は借りておくぜ。さすがにステゴロでやれるとは思ってないよな」

「……許可する。必ず返してくれると約束するなら」


 頷きそこそこ、サトルは手元から離れていた斧を拾い上げる。やっぱり、握った感覚は悪くない。

 ふと、サトルは傷んだ床が目付いた。すぐそこには、先ほどブリュンヒルデが斧を突き立てた時についた傷がくっきりと残っている。


 やるならやれ。躊躇するな。たった一秒の逡巡で、最悪の結末に追いつかれるぞ。


 サトルは大きく深呼吸して、いつもの言葉を口にする。


「この世のたいていは、二者択一だ」

「え?」

「やるか、やられるか。生きるか、死ぬか」

「なに? ハムレット?」


 ブリュンヒルデは意外とでも言いたげに聞いた。

 "To be or not to be,that is question."どうあるべきか、という本質的な問い。


「なんだよハムレットって。そんなお洒落なものと一緒にするな。

 心構えの問題というか、どうあるべきかという問題だ。死んだ爺が言ってたんだよ。女が絡んだときの決断は一秒だって悩むなって。その一秒は取り返しのつかない一秒なんだって」


 彼はいつも人生を二者択一だと考えていた。不可逆で、しかもその選択肢はいつ消えてもおかしくない曖昧なもの。そのくせ、その何気ない選択が思いも寄らない事態を招き寄せる。だから、サトルはいつも即断即決だった。後悔はしても、ぐずぐずと後引かないと心に決めていた。


 ブリュンヒルデは目を見開いた。粗野だと思っていた人間から金言を得たと思っていた。彼女はそういうものを認めずにはいられない性質だった。


 決断は悩むな。サトルはもう一度自分に言い聞かせた。言い聞かせて、こう思った。もしかしてこいつ、本気で協力を持ちかけたのかもしれない。


 そう錯覚するくらいには、今のやりとりは坂上サトルにとって自然だった。


「そう。なら、そろそろ作戦開始といきましょう。せいぜい、お互いの役割を果たせるように。ね、サカガミ?」

 ブリュンヒルデは満足げな横顔で、まるで勇者に試練への挑戦を促すように呟いた。

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