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「隣近所に噂を触れ回ってる奴がいるんなら、どんな鉄槌を下すかな? ブレーンバスター! なんか怪しい、おまけに胸の小さい奴がいるってんなら? ブレーンバスター! 貧乳なんて全然怖くないからー! 貧乳なんて全然怖くないからー! ここらでいっぱいオッパイが怖いー!! ヤッホオオオオオ!!!」


 下校時刻もとうに過ぎて、虫が鳴く鳴く黄昏時。本日もやって参りました旧校舎。崩れ落ちそうな建物に響きわたるアホソング。頭の悪さはすでにてっぺんを回ってつま先まで。ゴーストバスターSATORUここに見参。


 サトルの右手には野球部の部室から失敬した金属バット、左手には非常用に設置されていた懐中電灯、頭にはそこらへんに転がっていた安全帽を。いざとなったら制服に忍ばせたライターと制汗スプレーで簡易火炎放射器(ヘルファイア)という完全武装である。綿飴菓子のお化けみたいなのを殴り殺せるくらいの装備は調えている。


「欲を言えば掃除機が欲しかったな……」


 厳密に言えば掃除機ではないけれど、サトルはあまり細かいことを気にしない。雰囲気を重視するタイプだ。

 相手は幽霊なんだからどんな過剰防衛をしたところで正当防衛が成立する。幽霊に人権なし。貧乳もまた然り。


 やる気満々のように見えるが、実のところほとんどやる気はないと言っていい。サクヤのことが絡んでいるからこうして気合を入れているのであってる。


 旧校舎は三階建ての木造校舎だ。最も古い部分は築八十年になる。増改築を繰り返して延命を続けていたが、中高付属校化を受けて新校舎が作られお役御免となった。なぜだが今日まで取り壊されることもなく生き延び、近々市の歴史的建造物に登録されるともっぱらの噂である。


 増改築を繰り返した影響か。校舎内は迷路のようである。


 と言っても廊下自体は単純なものでそこまで困るものでもない。問題は部屋の数にある。高度経済成長からバブルまでを見守った校舎は、普通教室から資料室、用途不明の教室までなんでもござれだ。現役で使用されていた頃ですら、その全ての教室を把握していたものはいなかったとかなんとか。


 そんな旧校舎。怪談話の一つや二つ、ないわけがない。その中には、下校時間を過ぎて夜の校舎を歩いていると、現実に帰れなくなるという話がある。

 もちろんサトルはそんなことは全く知らない。呑気に鼻歌交じりで歩いている。


 サトルは結局、昨日の教室まで足を運ぶことに決めた。なんとなく、そうしなきゃいけない気がしたらしい。

 彼は自分の直感という奴に、全幅とは言わないまでもかなりの信頼を置いている。殊、勝負に置いて彼の嗅覚は超能力めいている。


「ヘイヘイ、ピッチャービビってるー」


 まだ日は残っているにも関わらず、校舎内はひどく薄暗い。この雰囲気なら幽霊の一人や二人出てきてもおかしくない。幽霊の正体見たり云々と言わんばかりにカーテンやら人体模型やらガラクタやらが散乱している。


 三階に上がると、多少夕日が射し込んでいた。目が慣れてきたこともあって懐中電灯がなくても良いくらいだった。両手がふさがるのは好ましくないと思ったサトルは、懐中電灯を制服のポケットにしまった。


 くだんの教室はすぐそこだ。腐りかけの床を避けながら一歩一歩。ひたひた。すたすた。ぎいぎい。あっという間に扉の前に到着する。


「さて、幽霊との再会を」

 サトルは左手は扉に、右手は力を込めてバットを握って――

「感動のご対面だくだばれ!!」

 ――勢いよく開け放ち中に押し入る。


「……あれ」


 中には誰もいなかった。

 昨夜残したまま、儀式の跡で散らかっている。魔法陣の形で焦げ付いた床。転がる空のワイン瓶。割れたガラス窓。カーテンは風でそよそよ揺れている。

 肩透かしも良いところだ。サトルは件の幽霊が仁王立ちして待っていそうなものだとばかり思っていた。


「怖じ気付いたなあの貧乳。どうやら今度は戦わずして勝利を収めてしまったな。敵じゃないぜ……いや、俺が強すぎるのがいけないんだ」


 サトルはやれやれと頭を振った。もともとやる気がイマイチだったことも相まって、さすがにこれから山狩りよろしく探し回ろうという気も起きない。


 そもそもサトルにとって、"日常"を守るのが第一なのだ。彼女の安全を考えるならもう一つのプランでも申し分ないはずである。

 作戦名は『寝床から風呂場まで~暮らしの安心を見守るサトル君の提供でお送りいたします~』である。


 安全とは何かを考えさせる作戦だが、あいにく彼の脳内には常識的なツッコミ役は存在しない。


 サトルは誰もいない教室をもう一度見回した。やはり、そこには幽霊の影も形もなかった。


「はい、じゃあお疲れさまでしたーっと」

 サトルはきびすを返す。


「……ちなさいよ」

 それを止める影が。


「あー帰って寝るかー」

 サトルは当たり前のように意に止めず。


「待ちなさいって言ってるでしょこのスカポンタン!!」

「あん?」


 謂われのない暴言が教室に響く。

 サトルが振り返ると、そこにはくだんの蛮族ガールが立っていた。仁王立ちで。しかも学校の制服で。サクヤが見たという幽霊の姿そのままだった。


「どこから現れたんだ。忍者か」


 こんな堂々としている奴を見逃すはずがない。かといってこの教室には大して隠れる場所もない。音もなく窓から進入することも不可能だ。


 ところがブリュンヒルデは当然のごとくそこに存在した。まるで、はじめから自分はそこにいたと言わんばかりに。


「ふふっ、こんなの初歩の初歩よ。そんなことにも気づかないって、よっぽどのポンコツよね……いえ、心得知らずの蛮族さん」


 サトルは昨夜のことを思い出す。そうか。こいつ忍者じゃなくて魔法使いか。まあ、へんてこな能力者ってことではそうそう変わりはない。


 それより問題は、ブリュンヒルデの持つ武器にあった。


 前回見たちゃちな金属片とは訳が違う。人間の首くらい平気ではね飛ばせるような斧が握られている。


 大きさはそれほどでもない。木こり斧と言うよりは投擲用に近い。無骨ながらも意匠が施されている。差し込む夕日に照らされて余計不気味だった。あれは、関わってはいけないタイプの色をしているとサトルの直感が告げる。


 何をそんなにビビりなさると、勇猛果敢な者は言うだろう。確かに金属バットを持っているサトルの方がリーチは長い。当たり前だが男の方が膂力に勝る。しかし、そんなものでは埋まらないような絶望的な戦力差があった。武器としての格の違いか。魔術とか言う実体のつかめない物よりも何よりも、その重々しい金属の塊がサトルに恐怖を与えた。


 それでもサトルはそんな気持ちを臆面にも出さなかった。ブリュンヒルデに悟られまいと笑顔すら浮かべていた。

 彼のこういう時の直感というのは、必ずと言っていいほど当たる。安直に踏み込んだ瞬間、背を見せて逃げた瞬間――いや、恐怖している姿を見せただけでも、あの手斧は過たずサトルの頸をはねる。明確なイメージが彼の脳内を駆ける。


 サトルの内心を知ってか知らずか、ブリュンヒルデは笑みを強めた。ぽんぽんと斧の感触を確かめるように触る仕草は狩人の所作だ。獲物をなめ尽くすように伺うそれによく似ている。


「昨夜はどうも。土の中はなかなかご機嫌だったわ。アンタもどう? きっと安らかな眠りにつけると思うけれど」


 クソッタレ。安眠じゃなくて永眠だろうが。やだやだ根に持つタイプって。そんなんじゃ行き遅れるぞ。


「……そうかい。ベッドメイクをした甲斐があったってもんだ。出来れば今夜も俺に構わず宿泊していってもらいたいものだ」

「へぇ、まだもてなしをしてくれるって言うの」

「滝汁クリトリスさんも言ってただろ、オモテナシって。ジャパニーズはホスピタリティーに溢れてんだよ」


「……そう。でも、もう結構。今度はこちらがそのもてなしに報いる番。北欧の民は義に厚い。恩には恩を、復讐には血の代償を以てが……モットーだから!」


 ガキンと甲高さの混じる音が響く。

 振り下ろされる斧に、サトルは間一髪で金属バットを合わせた。うまく柄の部分に当てられたのが幸いして、彼の死は数十秒先の未来に持ち越しになる。


「危ねえな!」

「チッ!」


 そのまま鍔迫り合いの形となった。

 華奢な体からは考えられない馬力がある。サトルは全く押し返せず踏ん張るのがやっとだ。


「運が良かったみたいだけど! でも次はどう!」

「うっ!」


 手元を跳ね上げられる。サトルの胴はがら空きになった。かろうじて武器を落とさずいられたが、完全にバランスは崩れている。


 一方ブリュンヒルデの方は、勢いを利用して斧を振りあげている。上段から脳天への一撃。鈍い輝きの刃が空気を切り裂く。


 サトルは山勘で金属バットを合わせた。鳥が鳴くような金属音で、彼は今回の博打の結果を知る。刃の腹をとらえたことで軌道はうまくずれた。


 が、これで終わるわけはない。終わるはずがない。ブリュンヒルデはそのまま距離を詰めて、サトルにおそいかかる。


 繰り返される斬撃。上から下から右から斜めから、あらゆる方向から斬首の一撃が閃く。一合、二合、三合。合わせれば合わせるほど、威力が上がっていく。


 サトルの手は痺れ、息は切れ、喉は渇く。脳味噌は沸騰寸前で、心臓はいつ破裂してもおかしくない。それもそのはず。いったいこの一瞬で、いくつの九死に一生を重ねているのか。彼は稀なる強運で、一秒先のみらいを先送りにする。


 サトルはブリュンヒルデの攻撃をぴったり九合受けきって、しばしの間合いを取る。ブリュンヒルデはずいぶん涼しげだ。怒り、激しさというものはあっても、そこには必死さや泥臭さ、汗臭さといったものがない。


 対照的にサトルにはそれしかない。肩で息しているし、全身の穴という穴から汗が吹き出ている。


『幸運の女神は尻よりおっぱいの方がゲキマブ』と聞く。ローマの時代から伝わる諺だ。もしかしたら髪の話だったかもしれない。とにもかくにも、運というものは偶然ではなく必然のもとに発揮される。前へ前へと進もうとしない者に、女神はその恩恵を与えない。


「必死ね。でも、その優雅さの欠片もない姿こそあなたにふさわしいわ」

 ブリュンヒルデが宣言する。自分の優位性を世界に示す。

「ハッ。言ってくれるぜ。まさかり担いじゃって。その姿のどこが貴族的だと言うんだ」


 サトルは吼える。

 泥臭かろうが必死だろうが、彼は常に自分を相手より上の立場におきたがる。どんなに劣勢な立場にあってもだ。


 サトルは笑った。心の底から笑った。

 良かった。悪態がまだつける。まだ俺はやれる。


「……まだ、余裕があるみたいね」

 ブリュンヒルデは底冷えするような、けれども美しい笑顔を浮かべた。気を抜けば愛しいと感じてしまうほど鮮やかなのに、次の瞬間には命を奪われているだろうと思わせる笑顔だった。


 サトルはギリギリと歯を軋ませる。全身に力が入っていた。

 バカ野郎。余裕なのはそっちじゃねえか。狩人みたいに値踏みしやがって。彼はこれでもかという憎しみを視線に込める。


 サトルはジリジリと距離をはかった。先に動くべきか思案。喉は、とっくに乾ききっている。

 彼は生唾を飲み込んだ。


「ハッ!!」

 先に動いたのはブリュンヒルデだった。悲鳴を上げる床。蹴りあげるような突撃から、サトルめがけて袈裟気味に斧が振り降ろされる。


「クッ!!」

 サトルは紙一重の回避を見せる。シャツが裂けた。皮一枚だ。一気に彼の顔から血の気が引いていく。

 同時にバランスが崩れた。倒れ込みそうになる体を何とか支えてーーと彼が踏ん張っているところに、待ったなしと金色の影が踊る。

 潜り込む金色夜叉。大げさな一撃はブラフか。気付いたときにはもう遅い。サトルがあわてて合わせた金属バットも、突き上げるように斧で払われる。


 サトルはそのまま腕を跳ね上げられた。

 その隙をブリュンヒルデは逃すことなく、サトルの腹部に腹に蹴りを叩き込む。

 ゴム鞠のように飛ばされたサトルは、金属バットも安全帽も手放して完全に丸腰だ。


「きつい冗談だぜ全く……」


 サトルは一瞬の戦闘で理解する。

 畜生、こいつマジシャンじゃなくてウォーリヤーじゃねえか。


 ブリュンヒルデにとって殴りあいの方が本業だろう。動きは生き生きとしているし、昨日のような隙もない。

 執行者は情け容赦ない。


「クソッタレ!!」


 サトルは吼えた。視線をあげた途端、ブリュンヒルデの猛然たる突進を見たからだ。


 射し込む夕日にひらめく刃。立て膝つくサトルの脳天めがけて振り下ろされる断頭の一撃。


 サトルは無様に転げ回って、寸でのところで回避する。なりふりは構っていられない。躊躇した瞬間に、肉どころか骨も、命さえも持って行かれる。

 しかし、紙一重の回避も長くは続かない。


 サトルは、背中に壁の感触を感じた。命運尽きるのが早すぎると運命の女神を呪った。勝負はあっという間だった。


「追いつめたわよ」


 ブリュンヒルデはサトルの鼻先に斧を突きつけて宣告する。おまえは死ぬのだと。これは死刑宣告だと。

 先送りにした未来が、サトルに追いついてきた。徒手空拳の彼は、このまま無抵抗に殺されるしかないだろう。


「追いつめられるより追いつめる方が好きなんだけどな」

「あっそ。それはご愁傷様ね。とりあえず無駄口は控えてもらえる? この前みたいになったら嫌だから」


 ブリュンヒルデはサトルの方へとさらに詰め寄る。おしゃべりが過ぎれば削ぎ落とすぞ言わんばかりである。


「無駄口を奪われたら、俺にはあと命くらいしか残らないんだけどな」

 

 黙れと言われてもなお、サトルの口は動いた。彼はそういう人間だ。言葉を話すことを何よりの自由だと考えている。

 しかし、ブリュンヒルデは反抗的な彼の態度に苛つくこともなく、勝者の笑みを以って答えた。


「あら、ちょうど良かった。次はそのちっぽけな(もの)を頂こうと思っていたから」



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