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購買部がある食堂は教室棟から少し離れている。
普段なら恨めしい距離も、隣人次第では別だろう。嬉しい時間は続きそうだと、サトルは歩幅の狭いサクヤの歩調にあわせた。
「あの号外見た?」
サクヤは嬉しそうに話題を提供した。
「不本意ながら」不満を隠さずサトルは答える。「あれだけまき散らされてると、イヤでも視界に入ってくるってもんだ」
「あはは……でも、結構面白い記事もあったりするんだよ、非公式第三写真文芸新聞」
天使であるところの此花さんにとってあんなものは毒以外の何物でもない、と言ってやりたい。
「たとえばね、西荻窪の師父Dの恋愛コラムとかねーー」
そのDはデタラメ・童貞・ド変態のDに違いないとサトルは確信する。あのクソヤロウがどの面下げて恋愛を語りやがる。活字を介した強姦行為も甚だしい。公然猥褻でも猥褻物陳列でもなんでもいいから早く豚箱ゴーホーム願いたい。あと西荻窪に今すぐ謝れ。実在の街を巻き込むな。
「――で、朝の号外のことなんだけど」
「此花さんは何か思うところがあったりすると」
「うん。もしかしたら、私、その逃げた被害者さんを見たかもしれないんだ」
「ああ、なるほど。此花さんは弓道部で朝が早いから」
坂上サトルは『弓道部娘の巨乳率は高い説』を全力で信奉する全ての男性の味方でございます。
「そうそう。それで旧校舎の方の弓道場のそばでね、見慣れない人影を見たの」
「校庭ではなく?」
「うん」
「でも、何でまたそれが被害者だと?」
「なんかね、ゆらゆら~ふらふら~って歩いてるのが怪しかったし、あと長い金色の髪が妙に目を引いて……ほら、うちの学校そういう髪型の人いないでしょ?」
「……怪しいなら被害者って言うより犯人だと思うんじゃないか?」
「でも、雰囲気も疲れ切っているというか、犯人さんと言うよりは被害者さんだなあって。根拠なんてぜんぜんないんだけど。もしかしたら被害者さんって本当に幽霊だったりして」
サクヤはゆらゆら~ふらふら~とジャパニーズクラシックスタイルの幽霊物真似を披露する。おどろおどろしさの欠片もない物真似だった。
旧校舎、金髪というキーワードには感じるものがあった。サトルには心当たりがあった。もしかしたら、まだあの女が学校内に潜伏しているのでは、と。
「というか、そういうのは危ないから逃げないと」
「うん、わかってるよ。でもね、遠目だから曖昧なんだけど、すごく綺麗な幽霊だなあって思って。ちょっと見惚れれちゃったかもしれない。昔話でも、幽霊って美人さんが多いもんね。それこそ、この世の存在じゃないみたいで」
「そうかもね」
サトルは穏やかな顔で言った。サクヤがそういうならそうなんだろう。これから積極的に世界中のブサイク幽霊を滅していかなければ、とすら思っていた。
彼女が『パンティは白い』と言えば、サトルはそれこそ世界中のパンティを白濁の液体で汚してやる気だった。それくらい、彼は彼女という存在を信じていた。信仰と言っても良かった。サクヤに救われて以来、彼にとっての彼女はキリスト者にとってのマリアに等しかった。
「というわけで犯人は彼女の美しさに嫉妬した同じバレエ教室の生徒。決め台詞は『おまえは撥水の良い校庭の土をファンデーションにしな!』で。どう? 私の名推理は?」
どうって言われても――
「おう、良いんじゃないか」
――サトルには全肯定という選択肢以外存在しない。
「それでねそれでね、金髪の彼女は幽霊となって復讐に走るんだよ……」
続きがあった。それじゃあミステリーじゃなくてホラーである。
サトルは脳内で『HINNYU THE MOVIE 3D版』というタイトルのB級ホラー映画を想像する。確かにホラーだ。3Dである必要が一ミリも存在しないところとかが特に。
「……此花さん。もしかして、この話あのアホどもにもしようとしてる?」
サトルはもう一つの懸念事項の確認。彼女にはアイツ等と出来るだけ関わりを持って欲しくない。
「うーん……しないかな。だって見間違いかもしれないし。真剣に真相を突き止めようとしている人たちに不確かなことを話しても邪魔になっちゃうだけだと思うし」
「そっか」
サトルは内心ほっとした。『真剣に真相を突き止めようとしている人たち』というフレーズには大いに違和感だけれど、関わらないのであればこの際何だっていい。その二つの事項は此花さんにとっては有害でしかないのだ。
「……それに実を言うとね、ちょっぴり怖かったの。綺麗すぎて、この世のものとは思えない。一瞬で、自分たちとは違う人なんだって思った」彼女は先ほどとは裏腹に俯いた。「だから、誰かに話したくて……誰かに聞いてもらえないと安心できないような自分が心の中にいて」
「此花さん?」
「……うん、坂上くんが聞いてくれたおかげで楽になれたよ」
心配するのは厭わないくせに、心配されることを何より申し訳ないと思ってしまうサクヤだから、そこにはサトルを安心させるような笑顔があった。ふんわりと微笑もうとするその姿は、究極の気遣いだ。サトルはそういう彼女がたまらなく好きだった。たまらなく不安だった。そんな小さな体にどれだけのものを背負い込めば気が済むのだろう。
「お役に立てて光栄だ」
だからサトルは笑顔で返す。彼女の不安を振り払うように。
「ありがとうね」
こんなやりとりが、サトルにとって幸せだった。
些細な幸せが昨日と今日の不快感を溶かしていく。守りたいこの笑顔、この笑顔を享受出来る自分。
――だからこそ、サトルは動かざるを得なかった。
出間ナガル(クソヤロウ)の方はそのうち何とかするとして、蛮族の方が喫緊の問題だ。サクヤの話ではないけれど、向こうはおそらく復讐を狙っているだろう。そのために学校敷地内に留まっている可能性は高い。火の粉がふりかかるとわかっているなら対処も早めにだ。
「あ」
サクヤが何かを思い出したかのように小さく息を吐いた。
当然サトルは彼女の様子に気がつく。
「ん? どうかしたか?」
「ううん、何でもないの。ただね、よくよく思い出してみたら幽霊さん、うちの学校の制服を着てた気がして」
「……体操着じゃなくて?」
「うん。ブレザーとスカート。さすがに体操着と制服のシルエットを間違えようがないし」
サトルは違和感を覚えた。自分の記憶や記事の内容とは違う情報だ。
とは言ってもさして大きな問題ではない。それがなんであろうと、サクヤを怖がらせている時点で、サトルにとって抹殺対象であることに変わりはない。
「もしかして、本当に幽霊だったりしてな」
ゆらゆら~ふらふら~うらめしジャパニーズゴーストスタイルとサトルはおどけてみる。
サクヤは大げさに体をびくっとさせた。
「え~怖いのはなしだよ~」
「冗談冗談。きっと何かの見間違いだって。たぶんこの学校の生徒だ」
「……そうだね。うん、その方が心穏やかにいられそう」
「そうだそうだ。というわけでランチタイムだ。おいしいものでも食べて気分を上げようぜ」
サクヤは笑顔で頷いて、少しだけ歩調を早めた。
スタートダッシュの時間もとうに過ぎて、購買部の混雑はだいぶ収まっている時間だ。人気商品は売れているけれど、落ち着いて商品を選べるはずだろう。
「さて、ここで大いに英気を養って、夜はブレーンバスターならぬゴーストバスターと洒落こみますかね」
サトルはサクヤの背中を見て、誰に誓うともなく一人決意した。