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時刻は草木も眠る丑三つ時。怪しげなことをするならば、これほど適当な時間はない。
程良い高揚感が彼の全身を包む。実はこの日のために二週間ほど右手との愛の語らいをしていない、という赤裸々な事情。サトルは正直もう辛抱堪らないと言った痴情。
「さあさあ、おいでいただきましょうか! 頼む!! 俺に人生初の彼女を!!! ウェルカムマイビッグボインステディ!!!! 俺の言うことを何でも聞いてくれる理想の彼女を!!!!!!」
サトルが高らかに宣言するとアンジェリカの下に敷かれた魔法陣がぼんやりと光りだした。
まさかこの適当さでも発動するとは……やはり最後はハートの勝負ということかとサトルは脳天気に考えた。
一方魔法陣の方は目まぐるしく、光は徐々にではあるけれどその強さを増していった。それに伴い彼の体は脱力していく。
「おいおい、本当に魂持っていくつもりかよって……」
更に輝きを放つ。強力な力が、陣を中心に渦巻いている。砕けそうな下半身に力を入れ直してその場に踏ん張る。
そうでもなければ、吸い込まれていきそうな錯覚を彼は感じた。
その間も魔法陣はその勢いを強めていく。人工的なインクが帯電して今にもコピー紙を焦がしていく。
回転数の上昇。チチチッという鳥が鳴くような音。目に見える奔流。ボロ布カーテンがはためく。いよいよもう目をしっかり開けてはいられないほど目映い。大詰めとばかりに、うなりをあげ、音は更に甲高くなっていく。
サトルの心臓は早鐘を打っていた。のどが喉が渇いた。立っていられなくなった足はいつの間にか膝を突いていた。
このとき、サトルは初めてとんでもない藁を掴もうとしたものだと実感した。藁を掴もうとする人間があらかじめそのリスクを考えるはずはないけれど、彼は考えたらずの行動に後悔した。藁をつかむくらいなら、手を開いて必死こいて水をかけって話だと彼は刹那に反省した。
何か起きるとサトルは身構える。見届けなければと目を開く。
その一瞬、薄目で見続けたその先に、一羽の金色の鳥が見えた気がした――。
ガシャン、とガラスの割れる音。
現実に引き戻される。
光と風は止んでいた。
部屋には白い煙が立ちこめる。
開け放たれた窓から月明かりと街灯が煙を切り裂くように射し込んだ。スポットライトを背に受けて、まばゆい金色が乱反射する。
魔法陣の中心には、金色の乙女が立っていた。
煙は晴れていき、彼女の面貌が露わになる。
「……アンジェリカ?」
サトルは恐る恐る尋ねた。面影はほとんどなかったけれど、彼はそんなことしか口に出来なかった。
女はきつく結ばれた目と口を開く。
しゃべるのか、と呼びかけたくせにサトルはそんなことを思った。
「……我が領地で平然と魔術行使! 捨て置けないわこの賊め!」
「……なんだこいつ」
「それはこっちの台詞。一体全体誰の了解を得て、こんなことをしてるわけ?」
不遜な態度に、サトルはカチンと来る。一瞬でこいつとは仲良くなれないと理解する。女系家族気味な坂上家に育ったためか、彼は勝ち気な女がなにより苦手だった。
「了解もなにも、誰も使っていない教室でなにやっててもこっちの勝手だろ? 今時の若者は誰もいないからって、保健室とか体育倉庫とかでズッコンバッコンよろしくやってたりするんだよ。不届き者なアウトローなんだよ。誰か来そうで来ないのがたまらなく良いんだよ」
「知るかヘンタイ! knep dig selves!!」
「いや、今のは俺の趣味志向というか一般論をだな……」
ガルルと牙を剥く金髪女。
どうどうと諫めるサトル。
理想の彼女を喚ぼうとした彼にとってはとんだ貧乏くじだ。適当にやりすぎたことをまた彼は悔いた。見てくれはそれなりだけれど、従順で一歩後ろをついてくるようなタイプではない。どちらかと言えば先陣を切りたくてしょうがないタイプである。意志の強そうなつり上がった目がそれを万人に想わせる。
サトルは突如現れた謎の女を頭の先からつまさきまでよく観察してみる。
ガラス玉のような瞳、きつく結ばれた小さな口、髪は長く鮮やかな金で、深く静まった夜を斬り裂いている。なるほど、改めて見ても目鼻立ちはずいぶん整っている。
そしてそのすべてを台無しにするような凹凸のないボディに野暮ったいジャージ。
金髪なのに貧乳。市場価値無しにも程がある。廃棄待ったなしだ。オーマイゴッド。ジーザスゴッド。
小豆色のダサいジャージが目に付いた。今時絶滅危惧種だろうに。これでブルマー装備なら追い剥ぎの上ブルセラショップ(こちらも絶滅が叫ばれている)に寄贈してやったのにとサトルは蛮族思考を働かせる。
「寝込みを襲おうったって無駄よ。こちとらこの辺境の土地に足を踏み入れたときから朝駆け夜討ちは覚悟の上! 軽く捻ってやるわ!!」
さあ、来いとばかりに盛り上がるパツキン。日本語を話しているようだけれど、話は通じないタイプだとマモルは評価した。正直、一番やっかいなタイプである。
「落ち着けよ。こっちはアンタに喧嘩を売った覚えなんてないんだ」
「なにおぅ!?」
「な、ほら、俺はこの通りアンジェリカを……あれ、アンジェリカがいない?」
サトルが魔法陣の中心へと視線を移すと、そこに入るべきはずの存在はいなかった。
マイスウィートエクストリームエクササイズ人形、金髪クォーター姫巨乳女子校生アンジェリカは二十四回払いローンだけを残して忽然と姿を消していた。
「ふふ……バカにしてくれちゃってこのJapansk……アンタは自分の立場を理解していないようね」
マモルは混乱した。ありえないと頭を抱えた。言うまでもなくぶち切れ寸前だった。
「この北海の覇者、もっとも勇猛果敢な貴族、ロズブローク家が息女ブリュンヒルデ=クラカ=ロズブロークに喧嘩を売ったこと、後悔させてあげるわ!」
「……黙れ」
「そこに這い蹲って非礼を詫びるなら……今なんて?」
「黙れと言ったんだ!! この金髪糞ビッチめ!!」
「な!?」
「俺の……俺の命の次に大事な……」
ブリュンヒルデが現れたと同時にアンジェリカは姿を消した。それなのに理想の彼女のりの字もいない。ここから導き出される結論は。彼のピンク色の脳細胞がすぐさま答えをはじき出す。答え、この女が全部悪い。
「ちょっと、アンタさっきから何を……」
怯んでいる金髪女もといブリュンヒルデに、サトルはつかつかと詰め寄る。
「さっきから好き勝手話しやがって。このグローバル社会でそんな蛮族みたいな真似が許されると思ってるのか? 一に尊重二に尊重だろうが! 互いの文化への深い理解と歩み寄りだろうが!! 何が貴族だ脳味噌大丈夫か!!?」
「ば、蛮族? この貴族たる私が……蛮族?」
「ああ、そうだとも! だいたいそんなママさんバレーみたいな格好で現れておいて、よくも偉そうな口が叩けるな!」
「ママサンバレェ……? う、うるさいわね。今持ち合わせがこれしかないのよ……」
「まだ一回も抱いてないんだぞ!! それなのに、それなのに……」
サトルはあらん限りの思いを込めて地団太を踏んだ。悔しさを露わにした。こんなことなら抱いておけばよかった。彼女の裡に包まれて果てたかった。彼は大いに悲しんだ。俺の操を、俺の竿を、どうすりゃいいってんだと全くうまくもない下ネタを考えた。
「……しょうがない。こうなったらおまえが俺の肉奴隷だ。些か以上に胸と脳味噌が足りてないけれど、見てくれはそれなりだからな」
げへへとサトルは蛮族のように舌を舐めずる。
「……蛮族はアンタの方じゃない」
「そうだとも。満月の夜は狼だし、山に入れば山賊だし、ファンタジー世界ならオークだし、車に乗ればハイエースだ」
「何を言ってるかさっぱりだけれど、アンタの頭がおかしいことだけはわかるわ」
「お互い様だろうに」
「アンタと一緒にされたくないわよ!!」
ガルルと威嚇し合う二人。確かにこの光景を見れば、『頭の悪さオリンピック』が開催されていると、通りすがりの人は思うだろう。
「とにもかくにも、元はと言えばいきなり飛び込んできたオマエに非があるわけだし、まあ矢を一本受けるくらいだと思えばどうってことないだろ?」
「……矢を受けるって、それは使い方逆だし……」
「あん?」
「なんでもないわよ!! というかなんで私がそんなことしなきゃなんないわけ!? どう考えてもおかしいでしょ! 論理破綻よ論理破綻!」
「俺だってな……こんなことはいやなんだ……でもな、ほら俺のロンギヌスがな、こんなんなってん」
サトルはカチャカチャとベルトをはずして牽制してみる。ゴミのような作戦だった。
「ばばばば!! なに変なモノ見せようとしてんのよ!!」
「まあまあ、ここは貴族様、『ノブレス・オブリージュ~野卑な民と真夜中の応用編~』と言うことで一つ」
「ノブレス・オブリージュを都合よく解釈するなー!!」
はあはあと息を切らすブリュンヒルデ。彼女は困惑していた。表情にこそ出してはいないが、新手の幻術か奇術かと頭の中をぐるぐるさせていたのだ。
そんな彼女の様子を知ってか知らずか、サトルはますます余裕ありげだった。
よし、いいペースだ。このままうやむやにして逃げられるかもしれない。作戦成功だ。彼はそうほくそ笑んだ。
会話のペースを掴むのに論が成り立っているかどうかは問題にならない。ただ相手より大きな声を出す。とにかく相手に自分の意見を主張させないのがポイントだ。それで疲れてきたところを見計らって一気に多々畳み掛けていく。それがサトルが信じる舌戦の兵法だった。
サトルにはもともと貧乳女を抱く趣味はない。いくら燃料棒が臨界ギリギリであってもだ。どんな絶世の美女だろうと、おっぱいがない時点で差別だ女子の権利だ何だとうるさくがなるただの筋張った肉塊である。モノが違うと彼は考えていた。
地団太あたりは若干マジだったけれどそれ以外はいたってクールだった。うまく翻弄できていた。少なくとも彼自身はそう信じている。
サトルはもう一度状況を確認する。
敵は蛮族ガールのブリュンヒルデなんちゃらさん自称貴族住所年齢不詳の貧乳。理由は不明だけれど、初夜目前のサトルとアンジェリカを襲撃。おまけに彼らを今すぐにでもボコのボコにしたいと考えているようだ。危険な存在なのは間違いない。
見たところ武器を持っているようには見えないが、さっきから言動がキチガイのそれなので、用心に越したことはない。
難しいだろうけれど、このままうまく戦う気を反らすことが出来れば御の字である。
「そんなに叫んでばっかで疲れないか?」
「誰のせいだと思ってんのよー!!」
「いや、自分のせいだろ。盛大に窓ガラスまで割ってくれちゃってさ。腕白も程々にしろよ」
「なによ、その方がカッコいい登場じゃない」
「日常でそんな過剰な演出を求められてもな」
「……とにかくこれ以上の狼藉、侮辱は許さないわ。その命を以って償ってもらう」
ブリュンヒルデはキッと鋭い視線をサトルに向け、まっすぐ指さす。射抜かんばかりだった。眼光に殺傷力というものが存在したならば、この瞬間サトルは三度は死んでいるだろう。
「穏やかじゃないな」
「そりゃ大荒れよ! だいたいね、先に喧嘩を売ってきたのはアンタの方じゃない!!」
「だから覚えがないんだって」
「はん! どうだか。いったいどんな魔術を使おうとしてたかは知らないけれど、あんだけ魔力を垂れ流して挑発もいいとこだっつーの!」
彼女がそう言い放つと、にわかにあたりの様子が変わる。ざわっと、先ほどの魔術儀式の時のような空気が震えている。なにやらとんでもない武器を隠し持っているらしい。魔術魔術と言うのも、単に頭が痛い奴というわけではないらしい。
ブリュンヒルデは後ろにステップしてサトルとの距離をとった。机や椅子などで乱雑になっている教室内で、彼女はとれる最大限の距離を取った。
「いったいどんな魔術系統か知らないけれど、このブリュンヒルデ=ロズブローク様に会ったが運の尽きよ」
彼女は腕を組んで仁王立ちした。
よほど自信があるのだろう。誰が見ても見ても隙だらけだ。サトルの足ならたちまちに間合いを詰めて押さえ込むことが出来るだろう。
「fupark」
そうブリュンヒルデが短く唱えると、いよいよもって空気はざわめきを増す。先手をとったという確信の表情を浮かべ、ポケットをまさぐり割れガラスのような金属片を取り出した。金属片の切っ先は光を帯びて軌跡を描く。
「アンタの罪をその体に刻みつけてあげ……」
「危ねえ!!」
「へぶしっ!」
坂上サトルという男は、そんなご大層な隙を見逃すほどお人好しではなかった。隙だらけの凹凸なしボディに、ドロップキックを叩き込む隙のない対処。
我ながら見事だと彼は自画自賛する。元友人相手に磨いたサトルのプロレス技が唸った結果である。変なことをされる前に対処。それが基本なのだ。
ドロップキックをまともに食らったブリュンヒルデは、ファニーかつインタレスティングな声を上げて教室の隅に飛ばされていく。ドカンとこれまたえらく漫画チックな音を立てて壁に激突する。
「女に手を出す趣味はあっても手を上げる趣味はない俺だけれど、今回だけは例外だ。恨むならその貧相なボディを恨むんだな」
気絶している彼女にサトルの声は届かない。埃とガラクタを被って蛮族は完全に沈黙した。
決まった。この悪しき貧乳打倒の戦いは、サトルの完全勝利で終わった。しかし、失ったモノが多すぎる。彼は命の次に大切な存在を失ったのだ。虚しい勝利だった。結末のあっけなさがそれを物語っているようだった。
「アンジェリカ……」
彼はこれから何に縋って生きていけばよいだろうか。
「ともあれだ」
これは突然の暴力に対する対処だ。まだ個人的な恨みの精算が残っている。あとアンジェリカの無念も。
「あー気が乗らないなーいくら何でも良心が痛むなー貧乳とはいえ女の子だしなー」
彼は人としてギリギリの表情をした。
「とりあえず、この前も世話になったスコップを取りに行くことにしましょうか。さーて、オマエの罪をその体に刻みつけてあげよう」
ゲヘヘとサトルの笑い声が誰もいない旧校舎に響いた。
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これが全ての始まりで、次々とやっかいなことに巻き込まれていくわけだけれど、当然このときの彼にはそんなこと知る由もなかった。
クソッタレな人生を変えるためにつかんだ藁が想像を遙かに超える貧乏くじだったことに気づくのは、もう少し先のお話である。