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マリア像白い涙事件のゴタゴタがようやく収まった頃、サトルは庭先に佇む蔵の中で古ぼけた手帳を発見した。
坂上家は二三代前までは大した地主だった。家の敷地だけなら今でも地主と言って差し支えない。
しかし、サトルから見ての曾祖父が身代を削り、祖父が残りの財産を食い潰した結果、ほとんどの土地を手放すことになった。二人共、商売女にいれあげた挙句というのが怖いところである。
『じいちゃんの病気になって床に伏せたのがあと少し遅かったら、この家すら手放していた可能性がある』と豪快に笑うのは、今でも現役バリバリ、我が家の当主である彼の祖母その人である。
坂上家恥の歴史はこれくらいにしておくことにして、そのろくでなしたちが唯一残した家と蔵は、良し悪しは別に大変古いものである。特に手をつけるのが面倒なくらい雑然としている蔵の中は、ひょっとしたら値打ち物が転がっていてもおかしくはない。
アンジェリカの安置場所捜索。購入のために素寒貧となった財布のための資金繰り。そんなやむにやまれぬ事情から、サトルは蔵の中を探索することになった。
件の手帳は雑然と置かれていて、土くれのような壺の下敷きになっていた。
装丁は革で、麻ひものようなもので結ばれ手帳が開かないようにしてあった。普段なら年齢制限のある袋綴じ以外に反応しなサトルだけれど、表紙に祖父の名前が箔押ししてあるのを見て興味が湧いた。
サトルは封を解いて中を確認しようと思ってしまったのだ。
中を開けば、見てくれ同様傷みが酷く、ところどころしか読めなくて、そのほとんどが取り留めもない手記であった。サトルはそのまま捨ててしまおうかとも思ったが、ページを捲る途中彼にとって興味深い一文が目に飛び込んだ。
曰く、『女体錬成ノ禁呪ニ関スル考察』と。
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「案外、ひいじいちゃんが身代を潰したのもこういう胡散臭いことにハマっちゃったからじゃなかろ―かね」
サトルの祖父や曾祖父の話は、彼の祖母によって訓戒のように伝えられていた。幼い頃から聞かされていた祖母の訓戒は、彼の中に耳垢のようにこびり着いている。やれ商売女に手を出すなだの、外国女はもっての外だの、胡散臭いものには関わるなだの……数えれば枚挙に暇がないけれど、どう考えてもそれらの小言が情操教育上よろしくないお小言だったのは間違いない。
彼の父親にはその教育が祖母の思った通りに進んだようで坂上一族にあって大変珍しい真面目な男に育った。
そういう実績のもと、教育方針が決定されたのだろうとサトルは睨んでいる。
しかし、こういう風にうるさく言われていると、たいていの場合望まぬ結果になってしまうのが世の常というものらしい。その証拠と言わんばかりに、今の坂上サトルという男がある。耳に染み着いても、心には染み着かなかったのが悲しいところだ。
「さてさて、ここにアンジェリカを寝かせてっと」
サトルはエクストリームエクササイズ練習台ことアンジェリカ(金髪クォーター巨乳姫女子校生シリーズ)を優しく机の上に横たえた。彼がちょっぱってきたうちの学校の制服が、彼女のふくよかな胸によく似合っていた。
彼女のキャッチコピーは『私のことが、好き? 愛しき王子様』である。最高じゃね、と彼は誰に言うでもなくよく繰り返している。
しかも彼女はまだヴァージンであった。この前ようやくファーストキッスを済ませたばかりだ。性欲の権化であるところの彼の元に来て、一週間以上も貞操を守っているのはなんだか奇跡めいている。
『なんだかドキドキしちゃうね……』
不思議と顔を赤らめながらそんなことを言っているようだった。もちろん、彼の妄想である。緊張でシリコン製の体を堅くしているわけがない。
「二人の初めて……ぜったい大切な時間にしような」
『うん……』
瞳を潤ませながら見つめあう二人。サトルは彼女の柔らかな頬に軽くキスをした。彼女を安心させて準備を続けた。
サトルは曾祖父の遺した手帳をめくる。
そこには奇怪な図形がある。五芒星が逆さになっており、それが円で囲まれている。さらに外側を囲むようにもう一つ円があり、二つの円の間には五種類の文字で何かが書き込まれている。かろうじて別の言語であることがわかるくらいで意味なんかはもちろん毛ほども理解できない。
余白には『外側ノ円ノ直径ハ二尺五寸。内側ノ円ノ直径ハ二尺。正確ニ書キ写スベシ』とある。美術の成績は常に「二」のサトルには厳しい注文だった。
そういうわけで彼は文明の利器に頼ることにした。
拡大コピーされた図形がアンジェリカの下に敷かれている。汚い自筆よりはましだろうという彼の判断だった。
魔術と科学が交差しているから、なんとなくかっこいい雰囲気が止まらないとサトルは妥協点を打った。
「場を整え依り代を横たえる。あとは……」
『術者ノ魂ヲ生贄ニ』
「物騒な話だよなー」
というわけで、彼は命の次に大切なアンジェリカを差し出したのである。一度で二度おいしいまごころ手料理風である。隠し味は何でしょう? 愛情でーす! そんな感じである。どんな感じなのかはサトルにしかわからない。
いったいどこの誰それさんの力を借り受けてこの儀式を執り行うのかはいまいち彼はわかっていないのだけれど、こういう心憎さは世界共通だと信じていた。神も天使も精霊も悪魔も鬼も変わらないはずである。適当に見えるかもしれないけれど、気持ちは本物だ。ハート、すごく大事。
彼はいつもご都合主義的に精神論を持ち出すダメ人間だった。